真の志について

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形にすべき
ものを
形に 
したら、

その人は
消えた。

潔い
人だった。

想いを
本当に妥協
なく、
形にするのは
とても
難しい。

それを
やり切る
ためには、

個人レベルの
志では

残念ながら
太刀打ち
できない。

自分を
超えた志を
その人は
持っていた。
確かに。

今となったら
よくわかる。

・・・・・・

昔の私は、
安易に

という言葉を
使っていた。

格好良かった
からだ。

もちろん
当時は
私なりに本気で
語っていたが、

今となって
振り返れば、
それらは
単なる
ファッションだった。

志と私は
別物
だった。

私はただ、
志という
服を着ていた
だけ。

それを
格好いいと
思っていた。

・・・・・・

真の志
は、
自分の範疇
にはない。

一見すると
それは

与えられた
もの、

・・・だ。

だから、
自律していない
人は、
それを
自分のもの
とは
思えない。

与えられた
厄介なもの
として
捉え、

そして
捨てる。

真に
自律した人は、

それを
受け入れ
愛する。

そして
それと
一つになって
いく。

与えられた
もの
と、
自分自身。

その二つ

一つになった
時に、

真の志

生まれる。

・・・・・・

人は、
自分の意志で
志に
向かっている
気になっているが、

実は
違う。

志に
導かれている
のだ。

主は
志にある。

だから
途中で
その人は
志そのものと
対決する。

そして多くは、
嫌になって
志を
捨てる。

でも本当は、
志から
捨てられた
のだ。

しかし
稀に、
対決を経た
上で、

それでも
その志を
愛そうとする
者が
現れる。

そういった
変態
のみが、
真の志を
生み出せる。

・・・・・・

志に
生きるか
どうか?

それは
その人自身の
選択だ。

どちらが
良い悪い
ではない。

あくまで
選択。

志に
生きなくても、
真本音で
生き続けることは
できる。

選択権は
あなたに
あるんだ。

つづく

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