コーチじゃないけどコーチだ

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自分と向き合う、

ということと、

現実と向き合う、

ということは

完全に一致する。

 

私は

セルフコーチングを

提唱しているが、

 

セルフコーチングと

言うと、

心の内面ばかりに

意識を向ける印象が

どうも一般的には

あるらしい。

 

しかしそれでは

意味がないし、

逆に

内面に意識を向ける

だけでは

セルフコーチングなど

やらない方が

ましだ。

 

セルフコーチングは

自分をオープンに

するために行なう。

現実に対して

オープンになるために。

 

というよりも、

本当は

セルフコーチングを

正しくすればするほど、

人は自然に

現実に向かいたく

なるものだ。

 

9月から

『ザ・セルフ』という

セルフコーチング法を

学んでいただく

新しい講座を始めたが、

ご参加されている皆さんは

どんどん「現実」を

変えている。

 

拝見していて

実にすがすがしい。

 

セルフコーチング法さえ

きちんと教えていけば、

コーチという存在など

要らなくなるのではないか、

という

錯覚さえ抱いてしまう。

 

もちろん、

錯覚である。

 

・・・・・・

 

私には

お気に入りの美容師さん

がいて、

もうかれこれ10年近くは

彼に髪の毛を

カットしていただいている。

 

若い人だ。

 

初めて出会った時は

彼は確か27歳と

言っていた。

 

道端で、

彼の勤める美容室の

リーフレットが

配られていた。

 

それを手にとって

写真を見たら、

彼が小さく写っていた。

 

あっ、この人に

会いたいな。

 

と思い、

さっそくその美容室に

行った。

 

思った通り、

真本音度合いの高い人で、

若いくせに(失礼)

とても真摯な人だった。

 

彼の美容師としての

成長意欲は

とても高く、

私は彼と共に、

私も成長していこうと

決めた。

 

それ以来、

私の髪の毛は

彼の直観にお任せ

である。

 

彼の素敵なところは、

その能力もあるが、

それにプラス、

私の言うところの

「コーチ」としての

力にもある。

 

彼は、

私が話しかけて

ほしくない時は、

決して一言も

話しかけてこない。

 

私がちょっと

会話をしたいなと

思うと、

その瞬間に

気軽に話しかけてくる。

 

しかし

余分なことは

一切、言わない。

 

気軽だけど

シンプル。

 

実に

居心地が良い。

 

私はいつも

カットだけでなく、

彼に頭のマッサージを

依頼しているが、

彼にマッサージしてもらうと

「愛」を感じる。

 

そして、

目を瞑りながら

いつも私は

セルフコーチングをする。

 

すると、

仕事上のひらめきが

次々と

自然に起こってくる。

 

一人でいる時よりも、

彼と共にいる時の方が、

間違いなく

生産性が上がるのだ。

 

私は

こういう人のことを

「コーチ」

と呼んでいる。

 

私は、20年以上、

セルフコーチングを

探究してきたが、

それでも

彼のような「コーチ」が

そばにいると、

より発想が広がるのだ。

 

もちろん、

彼には

私は仕事の話は

ほとんどしない。

ほぼ、

雑談ばかりだ。

 

でもそれで

充分。

 

彼と話すだけで、

発想は広がり、

そして深まる。

 

そういった意味で

「コーチ」は

必須の存在だ。

 

・・・・・・

 

しかし今日、

私は彼に髪を

カットしてもらいながら、

彼に言った。

 

「コーチ」なんて

必要ない世の中に

なればいいと

思ってるよ。

 

・・・と。

 

その言葉に

彼はちょっと

驚いていたようだが、

私は本当に

そのように思っている。

 

「コーチ」の

必要のない世の中に

この世が進化したら、

どれだけ素敵な

ことだろうか、と

思うのだ。

 

それはつまり、

すべての人が

「コーチ」となれる

世の中のことだ。

 

「コーチ」なんて

名乗る必要のない

世の中。

 

人が人の想いや

可能性を

より広げ、高め、

深め合える、

そんなコミュニケーションを

取れる世の中に

なるといいな、と

本当に思う。

 

そのためにも

私は、

「コーチ」として

今日も明日も

がんばるし、

 

そのためにも

本物の「コーチ」を

育成したい。

 

つづく

 

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