悲しみと共に生きる

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人は誰しも

心の中に、

深い悲しみを

たくさん抱えている。

 

そんな身に覚えはない、

という人も

時々いるが、

 

いやいや

必ず悲しみは、ある。

 

その悲しみが故に、

自身の真本音の道へ

入れないでいる

人も多い。

 

だから、

トラウマのように

なっているその悲しみを

あらゆる方法で

取ろうと

努力する人もいる。

 

そんな

サポートの仕方も

ある。

 

しかし。

 

私は思うのだ。

 

あえて言おう。

 

その悲しみは

その人にとっての

宝物だ、と。

 

その悲しみが

あるからこそ、

その人

ではないのか。

 

その悲しみが

あるからこそ、

その人生

ではないのか。

 

だから私は、

悲しみを取り除いたり、

トラウマを解消する

ようなサポートは

 

いっさい

しない。

 

・・・・・・

 

当然、

私の中にも

悲しみがある。

 

それもかなり

深い悲しみだ。

 

それのおかげで

随分と

人生の回り道を

したように思う。

 

しかしやはり、

私はどれだけ

自分の真本音度合いが

高まっても、

 

決して

その悲しみを

取り除こうとは

思わない。

 

これは一生、

持っていく。

 

それが私であり、

私の人生だから。

 

いや。

 

むしろ、

 

この悲しみのおかげで

私は

ここまで来れた。

 

今のこのお仕事を

精一杯させて

いただいているのも、

その悲しみの

おかげ、とも言える。

 

ある時に、

決めたのだ。

 

この悲しみと

共に生きていこう、

と。

 

覚悟を

決めた。

 

すると途端に、

道が開いた。

 

そういうことでは

ないのか。

 

・・・・・・

 

悲しみとは

反応本音の一つ

であるが、

 

反応本音とは

本来、

真本音の仲間

だ。

 

この現実世界において、

より間違いなく

真本音の道を

進めるように。

 

そんな目的で

本来は、

反応本音は発生する。

 

人生とは、

真本音と反応本音の

コラボだ。

 

それが

人生の本質。

 

しかし人は、

強い反応本音に

苛まれると、

そこに溺れてしまい、

真本音を

諦めてしまう。

 

もちろん私にも

その時期は

あったが、

 

しかし大事なのは、

反応本音を

消し去ることではなく、

 

真本音を

思い出すことだ。

 

そして

自らの真本音の願いを

抱き続けることだ。

 

自らが、

誰よりもそれを

大切にし続けることだ。

 

それにより、

真本音と反応本音の

コラボが始まる。

 

その瞬間から、

強い反応本音も

「宝物」

となる。

 

深い悲しみも

人生の宝物と

なる。

 

「それがあるからこそ」

の人生と

なるんだ。

 

つづく

 

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