チームパフォーマンスコーチ

現象の一つ一つが

一つ、一つ、
現象が
起こる。

一つ、一つ、

丁寧に
観ていく。

感じる。

一つ、一つ、
・・・。

丁寧に
丁寧に。

この年に
なるとね、

結構、
あらゆる一瞬、
現象の一つ

妙に愛おしい
ものなんだ。

楽しむ
というよりも、
今は

味わう、

というか

抱く、

というか。

よしよし、と
一つ一つの
現象を
撫でさすっている
ような
感覚だ。

幼子を
愛でるように。

ひょっとすると
若い頃から
こんな生き方が
できると
もっと良かったのかな、

とも
思うけど、

まぁでもそれも
人間。

その時代
その時代の
進み方が
あるよね。

この世は
カタチの
集合体。

カタチは
すべて
永続はせず、

いつかは
崩れる。

今ここで
儚く消える
ものもある。

その一つ、一つ

愛でる。

愛でたい。

それが
人生を愛でる、

自分自身を
愛でる、

ということかな。

つづく

不安がいっぱい

未来は
わからない。

・・・というところに
この世の
意味がある。

ということは、

わからないが
故の
不安、モヤモヤ達。

これらの心にも
意味がある
ということだ。

不安を感じる
自分はダメ。

弱い自分は
ダメ。

という
思い自体は
持っても良いが、

そういった
モロモロのもの
すべてを含めて

どんな心が
あっても
いいんだ。

だから
あえて自分を
責め続ける
必要はない。

疲れる
だけだし。

不安であれば、
その不安を
しっかりと
感じ続けよう。

自ら意志を
持って
味わうくらいに。

我々は
人間だ。

人間として
生きる
ということは、

人間が故の
一つ一つの
現象を
味わうという
ことだ。

だから私は
苦しみも
徹底的に
味わい続けて
きた。

でも
苦しみだけじゃ
ないだろう。

もっと
様々な心達が

知らない
自分が

自分の中には
あるだろう。

一部だけを
味わうのでは
なく、

全体を
味わろうと
してみよう。

味わえば
味わうほど
深まる。

味わえば
味わうほど
さらに
未知なる自分が
顔を覗かせる。

その大いなる
不思議な
存在。

人間・・・。

人間として
生きるなら、

最後まで
人間として
生きよう。

つづく

確かなものがなくなったか

これまでの
自分の
一歩一歩が、

すべての
歩みが、

急に
幻のように
儚いものに
感じてしまう
ことがある。

懸命に
ここまで
来たのに。

それらに
意味は
あったのか?
と。

何かを得ながら
ここまで来たように
思ってきたが、
実は
何も得られて
いなかったのでは?

自分は
何も
成長できていない
のでは?

自分は
何もできない
ままの自分では?

・・・と。

確かだと
思ってきたことが
まったく
心許なくなって
しまう。

確かなものを
何一つ
感じ取れなく
なってしまう。

・・・そんな感覚が
急に浮上したら、

実はそれは
大きなチャンスだ。

ステップアップ
の。

ステージアップ
の。

脱皮の。

羽化の。

孵化の。

大きく変わろうと
しているんだ。

羽ばたこうと
しているんだ。

まずはそんな
自分を
褒めてあげよう。

確かなものを
確かなものだと
思い続けることは

実は、

愚かなことだ。

人間の
最大の愚かさの
一つだと
私は思っている。

確かなもの
など
どこにある?

という
目線は
とても大切だ。

ただそれを
探究し続ける
こと。

確かなものが
なくなって
しまっても、

それはどこかに
あるはずだ、

探し求め続ける
こと。

それが
自分自身を
次のステージに
導いてくれる。

そのためにも、

まずは
自分を
褒めよう。

自分を
真に
褒めよう。

自分自身に
パワーを
与えられる人こそが、

人に、
世の中に
パワーを
与えられるんだよ。

つづく

こんな感じの対話だ

なぁ、
伝えて
もらえないかなぁ。

何を?

もうちょい
がんばれよ、
と。

何を?

生きる
ことを。

生きてない
のか?

全然。

ただ呼吸を
しているだけだ。

自分が何者か?
まったく
わかっていない。

考えたことも
ないよ。

それは
ひどいな。

そうだろ?

でも
伝わるかな?

伝わらない
だろうな。

それでも
伝えるか?

そうして
くれるか。

何か、
ただ伝える
だけでなく、
良いキーワード
とか
問いとか、
ないかな?

う〜ん・・・。

君は
何に喜ぶんだ?

些末な
ことさ。

自分が
認められたか
認められないか
とか。

そんなことに
一喜一憂
してるよ、
毎日。

しょうがない
やつだな。

そう思うだろ?

疲れる生き方
だな。

その通りだ。
本当は
やることいっぱい
あるのに。

じゃあさ、
まずは
一つだけでも
いいから、
キーワードを
見つけ出そうよ。

できるかな?

わからないけど
ちょっと
頑張ってみるよ。

頼りに
なるねぇ。

上手くいくか
わからんけどね。

頼んます!

・・・

コーチング中の
実在との対話。

つづく

私の推進力

希望

ずっと

闇の中を
たった一人で

漂って
いる。

ポツネン
と。

それは
永遠を思わせる
孤独。

そこには
何もなく、

まるで、
すべてから
見捨てられた
ような、

深い
悲しみ。

見つけて
もらえない
悲しみ。

しかし
希望は
どこまでいっても
希望
という存在。

孤独の
闇であっても

光は
変わらず
輝き続ける。

このまま
本当に
永遠に
見つけ出されない
可能性は
高い。

しかし
ずっと
そこにいる、
ポツネンと。

消える
ことなく。

自らの
希望だ。

自らが
見つけて
あげねば。

すべての人
への
私の願い
であり、

私の人生の
推進力。

つづく

あなたの命と私の命と

炎が
小さくポッと
生まれたかと
思えば、

ポッと
消える。

消えたかと
思えば、

また別の場所に
生まれる。

連鎖。

炎の一つ一つは
別個の
もの。

だが、
それはまるで
永遠のリレーの
ように、

途切れることは
ない。

命とは
このように
続いていくものか。

私達は
命のリレーを
し続ける存在だ。

私の命を
高める
ということは、

私の命に
こだわらない
ということ。

私という命を
超える、
その勇気と
気概を持ち、

その上で

すべての力を
抜き、
大いなる流れに
委ねること。

すると
この命は
個人のものだが、

その土台の
永遠を
感じ、

なるほど、
これが
私か、
本当の、
私か・・・、
と。

これまで
些末とばかり
思い込んでいた
この小さな
存在を

ようやく
偉大なるものと
受け止めることが
できる
幸福へ。

分離している
からこそ
広がり続ける

という存在
達。

あなたの
ことだ。

それは
すべてであり、

たった一つの
こと。

こんな小さな
私だからこそ、
ここに
無限がある。

だから
進める。

命を
委ねながら。

静かに。

つづく

果てしない存在

目に見えている
この現実を

じっと
観よう。

それは
確かに
ここにある。

しかし
それは
淡い。

しかし
その淡さに
愕然としている
暇はない。

その儚さに
絶望している
暇はない。

もっと
自らの渾身の
想いを込めて

あるがままに
観つめよう。

観詰めよう。

すると
その

がわかる
はずだ。

その
奥にある
何ものか、


果てしなさ。

悲しみも
あれば

怒りも
あれば

やすらぎ

喜び

あらゆる
揺れが
そこには在り、

有る。

だが、
それで驚いて
いる
暇もないのだ。

さらに
その

を私達は

さらなる
果てしなさ
と共に

感じ取らねば
ならない。

それこそが
真実。

真理。

愛。

そして
さらに、
その奥を。

すると
自分が
何ものか、

誰もが
知るだろう。

あらゆる
現実の

その奥に

それは
あるのだから。

つづく

今こそこの問い

問い一つ。

本当は
やればできる
はずなのに、
ずっと
やれずにいる
ことは何?

・・・さて、
この問いは
今こそとても
大事。

なぜなら、
この答え、

今からは
絶対
やった方が
良いからね。

つづく

評価が怖かった

無駄なことは
極力
やめる。

無駄な行動、

無駄な振る舞い、

無駄な一言、

・・・。

ある時に、
私はそう決めた。

私にとって
それは
とても楽な
ことだった。

人の目を
気にして、

人からの
評価を
気にして、

良い人
とか
素晴らしい人
とか

そういった人物に
見られようという
気持ちが
私の中には
山のようにあり、

そう、
自己顕示、

という言葉が
ピッタリだな、

自己顕示の
ために
生きていた、

と言って
過言ではなかった。

で、
生きることに
疲れ果てた。

そして
あるきっかけから
真本音で
生きることに
決め、

ある程度
真本音度が
高まった時に、

自己顕示なんて
どうでもいいじゃん、


自然に思えた。

そして、
無駄なことは
すべてやめようと
思った。

そこからだな、

人生が本当に
楽になったのは。

そうしたら
逆に、
人間関係も
スムーズになり、

変な話だが、
周りからの評価も
自然に高まった
ようだ。

もちろん
今でも
評価を気にする
心はある。

でも
そんな自分が
可愛らしいなと
思える。

そして
評価のための
行動は、
振る舞いは、
一言は、

今は
一つも
ない。

たったの
一つも
出ない。

そんな自分が
また
気持ち良い。

やっと
自分で自分を
褒められるように
なった。

で、
気づいたんだ。

結局、
自分自身が
自分を
一番、評価して
なかったんだな、
とね。

つづく

理想通り行かないが

目の前に
障害があっても、

障害が
もしなかったとしたら、
自分は
何を望むのか?

自分の純粋な
希望を

自分が明確に
理解しよう。

「どうせ理想通り
には行かないから」

という声は
多いし、
実際その通り
なのだが、

自分の理想すら
自分が理解せず、

一体
どのような道が
開くと言うのか。

私達にできるのは
最善を尽くす
こと。

そして
最善とは、
理想と現実の
紡ぎ合いだ。

理想を
知らずして
最善は、ない。

理想を
知らない最善は、

単なる
妥協だ。

だから
まずは
純粋な想いを。

自分自身が
本当に
望むことを

しっかりと
見つめよう。

その上で
現実と
向き合うんだ。

つづく

最高の答えまで迷え

迷い
に対して
目を背けては
ならない。

迷い
とは
チャンスだ。

自分が今
本当に
迷っていることは
何か?

それを
クッキリ明確に
することこそ、

人生を進める
第一歩。

答えがわからない
ということを
恐れるのではなく、

堂々と、

私は
このことについて
今、
迷っているんだ、

断定する。

あとは
迷いと
対峙し続けるだけ。

迷う
ということは、

答えが必ず
ある
ということ。

答えのないことに
対して
私達は迷うことは
ない。

だから
徹底的に
迷うこと。

妥協の答えで
満足せず。

最高の答えが
見つかるまで

しっかり
迷い続ける
こと。

つづく

離れるべき場所

まるで
異空間にいる
ようだ。

見たことも
聞いたことも
ない場所。

ただポツンと
一人で。

孤独は
感じない。

むしろ
繋がりを
感じる。

でもやはり
私は一人だ。

上から下へと
何かが
流れている。

流れ続けて
いる。

その流れは
私に
直撃している。

かといって
ダメージはない。

揺らぐことも
ない。

むしろ
洗われる
感覚だ。

垂直に上を
見れば、

ある一点
がある。

そこから
すべてが始まった
のだとわかる。

私自身も
あそこから
来たのだ、
ここに。

でもやはり
ここは私にとっては
異空間だ。

私の本来いるべき
場所ではない。

だから
どれだけ居心地が
良くても、
もう
離れなければ
ならない。

上から下へ
流れ続けるその
何物かは、

私を必死に
引き止めようと
している。

しかし私は
それにも
揺らされない。

私がここに
いるのは
特別だ。

いつかは必ず
離れなければ
ならない。

であれば、
それは
今だ。

今、私は
ここから離れるよ。

上の一点に
向かって
そう語りかける。

悲しみの
雨みたいなものが
落ちてくる。

それも全身で
浴びる。

充分に味わった
上で、

私は
扉を開いた。

外に出た。

私はもう
ここには
帰ってこない。

しかし
これからはずっと
一緒なんだよ。

つづく

バランス、いらん

まるで
鋭い切っ先の上に
立っているようだ。

ほんのわずかでも
バランスを崩せば、

すべてが
崩れてしまう。

そんな危うさの
極致にいる
ようだ。

だから
神経が擦り減り、

根底から
疲労が襲ってくる。

だが、

そんな時こそ
大胆に。

私は
バランスを保つ
こと自体を

あきらめる。

あきらめたもん勝ち
だくらいに
思っている。

崩れるならば
崩れればいい。

というのは
あまりに
無責任か。

しかし、

極度の緊張のまま
バランスを保とうと
意図することこそ、

傲慢では
ないか。

崩れるものは
崩れる。

壊れるものは
壊れる。

だから
本当に頑丈な
ものが、

その後に
創造される。

そのような
大いなる意図は
私にはないが、

しかし時々、
私を超えたところで、

大いなる
意志のようなものは
感じる。

それこそ、

我々の意志

ではないか。

我々の意志
は、
個々を消すどころか、

際立たせる。

もっと皆、
楽に生きることが
できるはず。

だから
あきらめよう。

バランスとりを。

絶妙さは
我々が意図して
創り出すものでは
ない。

すべては
あきらめから
始まる。

それこそ、
調和=進化
だ。

つづく

恐れているそれはなし

溺れているのか
泳いでいるのか
わからない状態に
いる。

進んでいるのか
落ちているのか
わからない状態に
ある。

感じるのは
苦しみのみ。

地面に立つ
安定感は
皆無。

息すら
できているのか
どうか。

これで本当に
生きていると
言えるのか?

脱出できる
もんなら、
この人生から
脱出したい。

恐ろしい
孤独。

周りには
誰もいない。

なぜ
ここにいるのか?

私は
誰か?

そして
突然の
静寂。

無、の体験。

“何もない”
の体験。

そこまで
追い詰められて
初めて
わかるものだ。


はない、
と。

永遠の
落下
はない、
と。

すべて
終わりが
ある。

“底”が
ある。

だから
恐れるな。

自分で
いることを。

つづく

気づける自分になるには

サッと
走る「気づき」を
逃すな。

それは
一瞬の流れ星の
ようだ。

余程注意を
していないと
見逃す。

自分自身の
気づきなのに、

自分が
見逃す。

気づいたことに
気づく
感性を
我々はもっと
高めねばならない。

気づきの
きらめきは、

小さければ
小さいほど

大きい。

自分の人生を
根底から
変えてしまうような
大きな気づき
ほど、

それはほんの一瞬の
微かな光しか
発しない。

なぜなら
それに気づける
自分になることが
前提だからだ。

準備が整えば
気づけるのだが、

「準備の整え方が
わかりません」

よく言われる。

準備の整え方?

それは
一つしかない。

「今この瞬間」

「生き様」
だ。

「生き方」
だ。

今の自分が
今の自分で
納得できる
生き方を
今、ここで
するかどうか?

これしか
ない。

これを日々
続ける人は、

準備が
次々に
整っていく。

気づくべきことに
次々に
気づける。

他には
ないんだ。

だから
生きよう、

自分として。

自分の
本当に納得する
生き方で。

今出せる
最善の生き方
を。

つづく

自分を信じる世界

一つの
いつもの椅子に
かけて、

いつもの
景色を
眺めている。

何となく、
通り過ぎる
人達。

初めての顔、

何となく
見知った顔、

無数の人達に
ただただ
意識を向け続ける。

私は時々そうして
世界の在り様

観察する。

同じ場所からの
観察だからこそ、
よくわかるのかも
しれない。

微妙な変化
が。

しかしその
「わかる」
というのは
表面的なものでは
ない。

もっと
本質的なもの、
形として現れる
前のもの。

つまりは
実在。

実在のレベル
で言えば、

世界は
世の中は

この数日で
また
随分と
整った。

表面的には
そうは
見えないだろう。

世界はますます
混乱している
からね。

しかし
表面のみに
惑わされては
ならない。

私は
人々の目の輝きを
観る。

明らかに
変わった。

稀に
見知らぬ人と
目線が合う。

その瞬間、
繋がり合える感覚が
随分と増えた。

次元の高まり


言ってしまえば
それまでだけど、

ここまでくるのに
どれだけ
苦労したことか。

私だけじゃない、

みんな
そうだろう?

隣の形(現象)を
見て
自分の形(現象)を
決める。

ずっと
そんな世の中
だったね。

でもここからは
違う。

自分の実在を
形(現象)に
するんだ。

堂々と。

自分を
信じて。

それで通用する
世界に
なったんだ。

つづく

流れができ過ぎた

人生において
流れが
混濁することが
ある。

右から左への
流れ。

左から右への
流れ。

・・・だけなら
まだしも、

上下左右斜め
様々な方角から
まっすぐ
もしくは
曲がりながら、

様々な流れが
合わさってくる。

すべてが一気に
押し寄せれば、

自分のいる場所は
混沌のるつぼ
となる。

自分がこれまで
信じてきたこと、

大事にしてきたこと
など、

すべてが
無意味に感じて
しまうくらい
混乱することも。

いわゆる
自分を失う
という状態に近いが、

しかし
よくよく観察すれば

それらは
濃い自分同士が
複雑に合わさり
絡み合っている状態
と言える。

自分が
出過ぎている
のだ。

自分を失うのとは
真逆の状態。

自分が
溢れ出し過ぎた
のだ。

こういった場合、

どれでもいい、
一本の流れを
しっかり
選ぶことだ。

どれでも
いい。

ただ、
そう表現すると、
「どれでもいいからこそ
選ぶことができない」

返ってくることが
多い。

気持ちは
わかる。

しかしそれでも

自分が

選ばねば
ならない。

この後の展開を
見ながら
おいおい決めていく、

ということでは
ダメ。

それでは
混沌のまま結局は
すべてが
打ち消し合い、

すべてが
消えていくことに
なる。

混沌とするくらい
絡み合っている
今こそが
絶好のチャンス。

混沌の中で
しっかり
一つ
を決めること。

決めたら
他はすべて
手放すこと。

私は
この流れで行く。

あとは
手放す。

・・・と、
完全に決めること。

「決」

「断」

すること。

私達の
流れは
一つだ。

道は
一つだ。

それを
自らの意思で
しっかり
決めるのが

今だ。

つづく

狭さから脱けよう

左右に
意識を向けて
みよう。

左右に
果てしなく。

一気に
視界が
開けるよ。

横の広がりを
感じながら
進むことで、

あらゆることを
深く
捉えることも
できる。

自分

という
狭い視野の中に
私達は
いるが、

もうそろそろ
そこから
脱け出そう。

私達は
本来は
もっともっと
大きな存在だ。

それを自ら
知るためには、

視界を
広げる
ところから。

つづく

観えないか

一筋の
道が観えたら、

真一文字に

進めばいい。

その道が
観えなくなる
まで。

観えなく
なれば

止まればいい。

観えるうちに
一気に進む。

そのシンプルさが
最高速を
生む。

観えることだけが
良いことだと
思わないこと。

観えないからこそ
できることは
多い。

観えないからこそ
迷わないことも
多い。

観える観えない

判断は、

自らの真本音に
委ねよう。

観えることを
楽しみ。

同様に、

観えないことも
楽しもう。

つづく

簡単に表面化しない

遠くの音が
聴こえる。

近くの音よりも
むしろ
はっきりと。

遠くだからこそ
聴こえる。

そのわずかな
波長の変化。

些細であるが
故に、
その本質の変化の
大きさが
わかる。

何も変わって
いない

ように見える

大いなる
変化。

・・・進化。

表面にすぐに
現れるものは
まだまだ
薄い。

本当に深い
変化は、

簡単には
表面化しない。

ここぞ!
という瞬間を
迎えるまでは。

だから
焦らなくて
いい。

ちゃんと
今やるべきことを
やり続けてさえ
いれば。

表面の「固定」に
惑わされず、

ただ粛々と
本質に
生きればいい。

変化は
間もなく
現れる。

これまでずっと
やり続けた
あなたの
成果だ。

つづく

100%は一瞬でいい

決めるのは
一瞬で
いい。

ほんの
一瞬で。

しかし
その一瞬だけは、

100%の

決断をする
こと。

その瞬間だけは、
自分の心
というよりも
魂が、

深く悦ぶはず。

それこそ
100%の決断
のみが持つ
独特の感覚。

たとえ一瞬でも
それができれば、

あとはその後、
どれだけ
不安になっても
いい。

やっぱりやめたい、

思ってしまっても
いいんだ。

どれだけ
揺れ揺れに
なっても、

その
100%の一瞬

永遠だ。

その決断の
方向に
自分は無意識に
近づいていく。

そして、
上流から下流に
進むように
あらゆることが自然に
流れていくよ。

つづく

後ろ髪を

今、また
後ろ髪を引かれるものが
あるのでは?

どうしても
執着してしまう
何かが。

もし気づいていない
なら、
それをしっかり
自覚しよう。

進むべき瞬間に
一気に
進めるように。

自分の背後で
自分を
引っ張るそれは何?

それは
これまでとても
大切だったもの。

でもここからは
手放すもの。

もしくは、

距離を少し
離すべきもの。

それは何?

自覚できたら、
まずは
心の中でしっかり

それを
手放そう。

離れよう。

そして、
自らの足で
しっかり
大地に立とう。

自力で。

それができれば
より
落ち着くことが
できる。

落ち着いたら
心を込めて
しっかりと
実行に移そう。

つづく

敏感だ

今は、

無闇に動く
よりも、

本当に
心の最奥から

浮き上がる
意志

のみに
従おう。

動いてから
決めよう、

では
逆に遠回りに
なる。

決めてから
動こう。

完全に。

決める
だけで
流れが生まれる。

それくらい
敏感な
潮流が

今は
来ている。

つづく

誰の兆しだ?

何かの
兆し
を、

わずかでも
感じたら、

私はすぐに
そこに
意識を集中する。

今、

本当にほんの
わずかだが、

新たなエネルギーの
萌芽を
感じる。

誰だろう?

自由に
遊んでいる感覚、

変な踊りを
楽しんでいるような、

無邪気な。

誰だ?

あぁ、

最近、急激に
心が整った
あの人だ。

そうか、

ここから
一気に本来の
素質を
解放するのか。

ならば私は
それを
後押ししよう。

まずは
次回、お会いする
その最初の
瞬間に、

どんな一言を
投げようか。

強い刺激ある
一言、

でも
さりげない
自然な一言が
いいな。

きっと
本人は気づかない
ままに、

まるで
幼児のような
純な瞳を
しているんだろうな。

その瞳と
向き合いながら、
私はコーチとして
どんな問いを
投げようか。

つづく

自覚の問い

今回もまた
重要な問いを。

・・・

あなたの中の
最も静かな部分は
どこ?

その
最も静かな部分は
今、何を
見つめている?

・・・

ここ数ヶ月で
だいぶ整ってきた
人が多い。

自分の中の
整った部分を
自覚することと、

その場所から
何を見続けるか?を
しっかり
決めるといい。

加速できるよ。

つづく

モノクロームな現実

カラフルで
わかりやすい
現実は、

楽しいかも
しれないが、

シンプルで
一見すると
何の変哲もないような、

しかしそれでいて
どこまでも深い、

そんな
現実もあるよ。

パッと見、
モノクロームに
見えるけど、

よーく目を凝らせば、
カラフルを超えた
カラフルさが

ジワリジワリと
滲み出るようだ。

しかしそれは
決して
現象化しない。

現象の
ちょっと奥くらいで、

その場所
だからこそ、

とてつもなく
芸術的とも言える
色の配置が
成されている。

見事!

叫びたくなるが、

決して
現象化はしない。

表面的には
モノクローム。

本質的には
極彩色。

そんな現実は
いかが?

色は
移り変わる。

一定に留まる
ことはない。

現象化とは
固定化
でもある。

現象化することで
その本質を
縛りつけてしまう。

だから
現象化一歩手前で

様々な色が
自由自在に
駆け巡り、紡ぎ合う。

静かだけど
激しい現実。

激しいけど
落ち着いた現実。

そういう人生は
いかが?

現実には
いろんな創り方
がある。

我々は
もっと自由に
進める。

つづく

力が怖いか?

もうすでに
研ぎ澄まされたもの

あるのだ。

誰にも。

ただ、
それを知らない。

何となく
わかってはいても
使い方が
わからない。

もしくは、

研ぎ澄まされている
その感覚を
純粋に
「怖い」
と感じてしまう。

わずかでも
それに触れれば
サクッと
指が切れてしまう
ような。

鋭すぎる
怖さ、

畏れ。

自分の人生の
ために

願いのために

それは
自分自身が
用意したもの。

2歳や3歳の
子どもが、

切れ味鋭い
包丁を
持つのは危険だ。

しかし、
料理のことを
真剣に勉強し、

技を磨いた人が
その包丁を
使えば、

自由自在に
どんな料理も

目の前の
その人のために

創り上げる
ことができる。

繊細かつ
大胆な、

そして純粋な
料理が
できる。

その人の
ために。

そこに必要な
包丁。

雑な包丁ではなく、
中途半端な
切れ味ではない、

宇宙の摂理
のような
包丁。

それを
使いこなせるのは
自分だけ。

そして
使いこなせる
準備が整った。

整ったら
使えばいい。

そのために
研ぎ澄まして
きたのだから。

そのための
道具
なのだから。

覚悟を持って
その包丁を
手にしたとき、

初めて
知るだろう。

自分の本当の
力を、ね。

KANAME Academy卒業生
インタビュー(田上さん)

https://itsudatsu.com/customer/tagami/

つづく

一刀両断の剣

もはや
「剣」

手に入れている
人がいる。

自分自身の
「剣」。

目の前に
殻がある。

それは
自分を覆っている
殻だ。

今の自分は
その中にいる。

でも
それを見つめる
自分が
外にいる。

その外にいる
自分が
使うのが「剣」。

一刀両断。

一瞬で
殻を真っ二つに
する。

それでは
中の自分すら
切ってしまうのでは
ないか、と
心配になるが、

それでもいい、

いや、

その方が
むしろいい、

とすら
本人は思っている。

それくらいの
思い切りと
覚悟。

自分が
壊れてしまっても
いいので、
殻なんて次々に
破ってしまえ。

一見、乱雑だが
実は
とても真摯な
その姿勢。

だからこそ
「剣」が
手に入ったんだ。

手に入ったなら
存分に
使うといい。

つづく

迷いに囲まれている

迷った時ほど、
静かに
佇むといい。

あらゆる
迷いを
大切に、
一つ一つを
しっかり見つめる。

見つめる、
ということは
その時点で
客観的だ。

つまり、
迷いの中に
自分が呑まれている
のではなく、

迷いの外から
その迷いを
少し離れて
見つめている状態。

これをすると
まず気づくのは、

今、私が
捕らえられている
迷いというのは、

一つではなかったんだな
ということ。

こんなにたくさんの
迷いが
私の中には
存在していたのか、
という
事実。

一つの迷いの
中にいると、
他の迷いが
見えなくなるから。

一つの迷いから
出れば、
その他の迷いも
よく
観えるようになる。

私の周りは
迷いだらけ。

数々の迷いに
囲まれて、
私という人間は
ここに
立っている。

それが
真実。

人は迷うために
存在している
のだから。

さて。

それがわかったら
もう大丈夫だ。

数々の迷いを
しっかり見つめながら、
そのまま静かに
佇んでいよう。

すると、
スーッと自分に
近づいてくる
迷いがある。

それはまるで
蛍のようだ。

小さいが美しく
輝きながら。

それがまずは
最初に答えを
出すべき
迷いだ。

その蛍の光、
つまり
最初の迷いと
向き合う。

迷いとは
「?」
だ。

問い
だ。

その問いを
しっかりと
言語化し、

その問いと
100%向き合う。

すると、
答えはすぐに
出る。

確信的に
まるで
思い出すかの
ように。

答えが出たら
そのまま
実行すればいい。

すると、
スーッと次の
蛍が来る。

そうして
一つずつ、
迷い(問い)と
向き合い、

答えを出し、

進んでいく。

これが
セルフコーチングの
本質。

つづく

近づくか離れるか

物事を
進展させようと
した場合、

とても重要な
ことがある。

それは
人との関わり方
だ。

もっと言えば、

「人との距離」

だ。

人との連携とは、
距離で
決まる。

近過ぎても
遠過ぎても
本来の調和(=進化)
は起こらない。

最も適切な
距離で関わることで、

新たな展開が
スタートする。

私はここから

「誰ともっと近づくか?」

「誰からもっと離れるか?」


真剣に考えよう。

適切な距離
こそ、

シナジーの源
だ。

つづく