チームパフォーマンスコーチ

この世界がある限り

 

海岸の岩に立ち、

じっと

海を見つめている。

 

身じろぎもせずに、

彼は海を見つめている。

 

海には

強い日差しが反射し、

波々が美しく

輝いていた。

 

水平線は大きく

広がり、

 

海と空の境目は、

同じ青なのに

くっきりと際立っていた。

 

彼はその

境目を

見つめていた。

 

ここから見れば、

境目は単なる一本の

線だ。

 

しかし

その線に向かって

旅を続けたとしても、

その線は永遠に

埋まらない。

 

海は海のままであり、

空は空のまま。

 

両者が

混じり合うことは

ない。

 

彼は小さく

呟いていた。

 

人生は

キツいな。

 

・・・・・・

 

彼はすでに

全部のエネルギーを

使い果たしていた。

 

立っているのが

やっとだ。

 

だから、

海と空の輝きが

彼にはキツかった。

 

それでも今は

ここに

立たねばならない。

 

彼は

座ってはならないし、

ここを

立ち去っても

ならないのだ。

 

それが

彼の宿命だった。

 

・・・・・・

 

水平線の

わずかな一点に

モヤがかかった。

 

最初は

見えるか見えないか

くらいの小さな

黒さだったのに、

 

それはみるみる

大きな黒点となった。

 

暗い雨雲。

 

恐らく、

あそこでは

激しく嵐が

荒れ狂っている。

 

周りは本当に

穏やかなのに、

 

あの黒点の辺りだけ

空気が歪んでいるのが

よくわかる。

 

放っておけば

あの黒点はさらに広がり、

いずれはこの世界のすべてを

覆ってしまうだろう。

 

彼は

自分の両手を

見つめた。

 

もう、

エネルギーは

残っていない。

 

でも、

行かねば

ならない。

 

彼は

黒点に向かって

飛んだ。

 

・・・・・・

 

しばらくすると

黒点は

消えた。

 

彼が

やったのだ。

 

それが彼の

役割だった。

 

黒点が消えたと

同時に、

彼も消えてしまった。

 

生きているのか

いないのか?

 

恐らく、今は、

彼自身にも

それはわからない

だろう。

 

彼は

黒点と戦った

わけではない。

 

彼は

黒点を愛した

のだ。

 

彼は

黒点を消そうと

したのではない。

 

ただ、

愛した

のだ。

 

そしてもちろん、

彼は

自己犠牲をしている

わけでもない。

 

エネルギーが

あるとかないとか、

そういったことに

関わらず、

 

どんな状態でも

自分の役割を

全うできることが

彼には単純に

幸せだった。

 

人生は

キツい。

 

あまりにも

多くのキツさを

知り過ぎた。

 

でもだからこそ

できることがある。

 

彼は

風だ。

 

この世界が

ある限り、

 

彼は

海も空も

渡っていく。

 

つづく

 

まずは問いを探すんだよ

 

今、

あなたの中にある

最大の「問い」は

何だろうか?

 

私達人間は

「問い」と共に

生きている。

 

自分自身に問うては、

その答えを見つけ、

 

さらに問うては、

その答えを見つけ、

 

・・・の繰り返しで

生きている。

 

幼い子どもは

親にたくさんの質問を

する。

 

実はその習性が

人生でずっと

続くのが、人間だ。

 

ただ、

そういった「問い」に

いつしか私達は

意識を向けなくなって

しまう。

 

「問い」はあるのに、

「問い」に気づかない

状態になってしまう。

 

それを「大人」と

言うのかもしれないが、

 

本当はみんな

子どもでしょ?

 

子どものままでしょ?

 

未熟でしょ?

 

なぜなら人は

「進化」の反映。

 

「進化」をカタチにすると

「人」になる。

 

だから私達は

本当はずっと

未熟なままだ。

 

未熟だからこそ

ずっと「問い」がある。

 

自分の中の「問い」と

いつもいつも

しっかりと向き合い続ける

ことで、

私達は私達の願う

進化を続けることができる。

 

今、

あなたの中にある

最大の「問い」は

何だろうか?

 

あなた自身の「問い」を

探してほしい。

 

考えるのではない。

 

探す、のだ。

 

すでにある「問い」を。

 

それがあなたの人生を

一気に進めてくれる。

 

つづく

 

慣れないねぇ

 

これまでいつも見ていた

景色達が

まるで初めて見るかのように

新鮮に映ることは

誰もが一度は体験したことが

あるだろう。

 

あの感覚は

とても大事だね。

 

「あるのが当たり前」

だと私達はついつい

思ってしまう。

 

「慣れる」という

やつ。

 

しかし「慣れる」というのは

人が持つ大事な能力の

一つでもある。

 

「慣れる」からこそ

適応ができる。

 

これがなければ

我々は大変

生きづらいだろう。

 

・・・・・・

 

人が人に

慣れる。

 

これも日常で

起きていること。

 

今日、あるクライアントさんから

「ようやく、たけうちさんの

コーチングに慣れてきました」

と言われた。(苦笑)

 

でもそれを言われた瞬間に

私は一つ

気づいのだ。

 

「私は全然、慣れていない」

と。

 

この仕事を始めて

もう23年以上になる。

 

これだけ経っているにも

関わらず、

 

私は相も変わらず

コーチングの毎セッション、

緊張しまくっている。

 

緊張しやすいのは

私の性質なのだが、

なんでいつもこんなに

緊張するのだろう?と

不思議に思う。

 

私をご存知の人は

「えっ? あれで緊張

してるんですか?」

と言われるかも

しれない。

 

外面的雰囲気がどうかは

私にはわからないが、

内面的には

 

誰とでも

どんなときも

どんな場面でも

 

私は

緊張しまくっている。

 

まるで

コーチングのデビュー戦

のような感覚だ。

 

その感覚で

いつも全力で

セッションに向かっている。

 

・・・・・・

 

私の大好きな

ジャズミュージシャンに

マイルス・デイヴィス

という人がいる。

(もう30年近く前に

亡くなっている。)

 

私は彼の生み出した

音楽も大好きだが、

人としての彼も

大好きで、

随分と彼にまつわる本を

読み漁った。

 

彼のことをよく知る人に

よると、

彼は、ジャズのセッション

(そういえば、ジャズも

「セッション」と言うんだよね)

において

一度も手を抜いたことが

ない、と言う。

 

どんなに体がボロボロでも

彼は自分のその時持っている

命のエネルギーのすべてを

セッションに込めていたらしい。

 

だから

ステージを降りた瞬間に

倒れ込むこともあり、

それが毎晩続くことも

あったようだ。

 

私は彼と会ったことは

もちろんないが、

何となく彼の生き様や

セッションの取り組み方には

共感を覚える。

 

まぁ結構、破天荒な人

だったらしいので、

私にはその破天荒さは

ないが、

 

でも、命のぶつけ方が

ちょっと似ているような

気もする。

 

彼のトランペットの音を

聴いていると、

それが伝わってくるんだ。

 

一度でもいいから、

彼と直接向き合って

みたかったな、

よく思うのだ。

 

彼もきっと

「慣れる」ということは

あまりなかったのではないか。

 

・・・・・・

 

「慣れる」のが

いけないわけじゃない。

 

むしろ

「慣れた」方がいいと

私は思う。

 

が、「慣れる」ことで

失ってしまうものが

ある。

 

それを失わない「努力」は

必要ではないか。

 

私は今の仕事の引退を

27年後と決めている。

 

きっと27年後の

最後の日も、

私は緊張で

ガチガチなんだろうな。

 

つづく

 

シンプルな問いを一つ

 

ちょっとした簡単な

自問自答を

してみよう。

 

単純に

自分自身に

この問いを投げてみよう。

 

「今、毎日、楽しい?」

 

まるで他者に

投げるように

自分に投げてみたら、

 

どんな答えが

浮かんでくるかな?

 

次に、

こう投げよう。

 

「今の毎日の楽しさは

100点満点で何点くらい?」

 

自然に浮かぶ数字を

自覚しよう。

 

例えば、

40点だったとして、

 

「0点ではなく

40点だと思えた理由は

何だろう?」

 

そして、

 

「100点ではなく

40点になってしまった

理由は何だろう?」

 

というように

順番に自問自答しよう。

 

浮かぶ答えは

すべて紙に書くと

いいかな。

 

書いているうちに

次の発想が

浮かぶことがあるから。

 

そして最後に、

 

「では、40点を少しでも

点数アップするために、

何をする?

何をしない?

何を変化させる?

何は変化させない?」

 

やはり紙に

どんどん書こう。

 

そして

「これをやってみよう!」

 

と自然に思えることが

あれば、

 

ぜひ実行してみよう。

 

簡単なセルフコーチング法

の一つでした。

 

つづく

 

すべてを引き受けてしまおう

 

勇気を持って

進むことは

難しいかな?

 

例えば、

これまでの環境を

大きく変革したり、

 

新たな環境に

移ったり、

 

例えばそういった

かなり大きな決断を

したい!と

本気で思っても、

 

その一歩を踏み出すのは

怖いことかな?

 

そんな時、

その怖さや気弱さを

消そうとする人が

とても多いのだけど、

 

そんな時ほど

怖さも弱気も

しっかりと

味わい尽くすといい。

 

むしろ

その怖さと弱気と

ずっとずっと

共に進もうという

意志を持つくらいが

いい。

 

人として

怖さがあるのは

当たり前。

 

弱気があるのも

当たり前。

 

これらと私は

一生、親友でい続けよう。

 

くらいに

思ってしまおう。

 

そこを

決めてしまおう。

 

すると

その覚悟によって

初めて発現する

境地がある。

 

それが

「遊気」

だ。

 

私はよく

勇気を

「遊気」

と書く。

 

結構これ

本質を突いていると

思うんだ。

 

人生

遊びが如し。

 

という

どこかの偉い人が

言われた言葉が

あるらしい。

 

かなり昔から

好きな言葉だ。

 

本当に

人生の辛さや

自分の弱さを

引き受けた者からしか

出ない言葉では

ないだろうか。

 

人生

遊びが如し。

 

どうせなら

怖さも弱気も一緒に

なって

すべてを

遊び心を持ちながら

引き受けてしまおう。

 

「自分」

のすべてを

引き受けてしまおう。

 

そんな自分だからこそ、

観える景色や

道が

あるもんだ。

 

つづく

 

感情を解放してこそ安定する

 

美しいものを見て、

「美しい!」

と素直に感動できる

心は健康的だ。

言うまでも

ないことだが。

 

真本音度合いが

高まることで、

まず私が変化したのは、

 

涙もろくなった

ということかな。

 

素直に

泣けるようになった。

 

それは

感動だけでなく、

悲しみや

時には怒りや

寂しさや、

 

あらゆる感情が

素直に出るように

なった。

 

とは言え、

人前ではほとんど

泣かないけどね。

 

真本音度合いが

高まれば高まるほど、

私は

感情の起伏が激しく

大きくなった。

 

しかし

だからと言って

不安定にはならない。

 

むしろ

だからこそ

安定できるようになった。

 

感情とは、

自分を不安定にするもの

ではないのだ、

本来は。

 

自分を安定させるために

自分の感情を制御せよ、

というのが

一般的に言われたりするが、

それは逆効果だ。

 

それをとことん

やり尽くした私が

体験的によくわかる。

 

感情は

解放せよ。

 

ただし。

 

その前に

真本音度合いを

上げよ。

 

・・・ということが

大事だ。

 

順番が

大事。

 

真本音度合いが

高まるということは

心の中に「大地」が

出来上がるイメージだ。

 

揺るがない大地。

 

嵐が来ようが

槍が降ろうが

ビクともしない大地。

 

それを常に

実感できるからこそ、

あらゆる感情を

解放しても

まったく揺るがなくなる。

 

むしろ

あらゆる感情の解放は

自分自身の開放となり、

 

オープンとなった自分は

「愛」

というエネルギーを

発するようになる。

 

逆に言えば、

感情をいつも

押し殺している人からは

愛のエネルギーは

発現しない。

 

・・・・・・

 

人の悲しみは

深い。

 

人の苦しみも

深い。

 

まるでブラックホールの

ように。

 

永遠の深みを

感じる。

 

だから怖い。

 

向き合うのも

見るだけでも

怖い。

 

しかし

安定の大地を得て、

常に帰る場所を得れば、

私達は

あらゆる心と

向き合うことができる。

 

そして

その大地は

すべての人の中に

確かに存在している。

 

存在しているものを

自覚する。

 

実感する。

 

これが

本当の自分を生きる

最初のステップだ。

 

つづく

 

若者はまだ眠っている

 

あなたは

普通の成長の仕方で

満足がいくかい?

 

それとも

逸脱した成長を

してみたいという

欲求があるかい?

 

ステップアップという

言葉があるが、

階段を一段一段着実に

登って行く成長も

私は素晴らしいと思う。

 

しかし、それと共に、

「階段なんて関係ないや!」

という勢いで、

何段もひとっ飛びで

駆け登ったり、

 

もしくは、

登る階段そのものを

根底から変革し、

ロープウェイにしてしまったり、

 

そんな成長も

凄いな、と思う。

 

逸脱した成長。

 

もっとも

本人は、自分は逸脱した成長を

し続けている、

と思いながらも、

本質的には全然そうではない

という例は

たくさんある。

 

それはそれとして

ここでは横に置いておいて、

 

本質的な成長で

かつ

逸脱した成長を遂げようと

する人を見ると、

 

結構、私は

シビれてしまう。

 

応援したくなる。

 

実はそんな若者が

増えている。

 

・・・・・・

 

若い人が

逸脱した成長を

目指す姿を見ると、

ついつい

「もっと着実に行けよ」

と言いたくなるのは

人間味だろう。

 

しかしこれからの時代、

本当に必要なのは、

 

「もっと行けよ!」

 

と、

後ろからさらに

加速をサポートするような

大人達の意志である

と、

私は思っている。

 

もちろん若者にも

いろんな人がいる。

 

だから一概に

決めつけてはならないが、

 

しかし

はっきり言おう。

 

特に20代以下の

若者達の何割かは、

 

それ以上の世代の

我々には持っていない

「何か」がある。

 

その「何か」は

非常に次元の高い

何かだ。

 

それを、

我々世代の価値観をもってして

潰してはならない。

 

ちょっと極端に言えば、

縛りつけることによって

成長を促す時代は

終わった。

 

もっと極端に言えば、

 

あえて

「レベル」という言葉を

使えば、

 

彼らは

我々よりも明らかに

レベルが高いのだ。

 

何のレベルか?

 

と問われれば、

 

一つは、

意識のレベルであり、

 

一つは、

それに伴う

能力のレベルだ。

 

彼らがそれらを

素直に発揮できるように

なれば、

 

この世の中は

次世代、次々世代へとつながる

素敵なものと

なって行くだろう。

 

そのための

想いと、手段と、仕組みの発想を

彼らは

持っている。

 

ただし。

 

それらすべては

まだまだ彼らの心の奥に

眠っている。

 

眠ったものを

掘り起こすのは

彼ら自身だ。

 

我々世代は

それをサポートすることが

役割だ。

 

と、私は強く思うのだ。

 

これから私は

もっともっと

若い人達と接し、

共に進もうと思う。

 

そして、

同じように考える私と同じ世代の

人達とつながり、

やはり、共に進もう

と思う。

 

企業サポートも、

「若い人達が活躍できる組織」

に進化するためのサポートが

主となるだろう。

 

これが

現時点における私の

志だ。

 

つづく

 

願いか? 惰性か?

 

あなたは今、

丘の上に立っている。

 

かなり

高い丘だ。

 

見晴らしがいい。

 

そこから見渡せば、

自然も都市も

様々なものが

目に飛び込んでくる。

 

・・・そんなイメージを

してみてほしい。

 

すると、

 

あなたは

どんな丘に立っている

だろうか?

 

季節は?

 

時刻は?

 

天気は?

 

空気は?

 

音は?

 

そして、あなたは

何を見渡して

いるだろうか?

 

それを見ながら、

何を感じているだろうか?

 

あなたの中には

どんな心の声が浮かび、

 

そして

どんな願いが

その奥に

潜んでいるだろうか?

 

・・・・・・

 

私達には

願いがある。

 

願いがあるから

ここに

存在している。

 

人生を生きる

とは、

その願いを見つけ、

その願いに向かうこと、

だ。

 

それにより

願いはさらに

進化する。

 

願いの進化こそが

自分の進化だ。

 

人の進化だ。

 

迷ったら、

願いに戻れば

いい。

 

願いがまだよく

わからなかったとしても、

 

願いに戻ろう

 

という意志を

持つだけでいい。

 

いや、

違うな。

 

迷わなくても

毎日それを

するといい。

 

よくよく考えたら

私は毎日、

 

いや、

 

毎時、毎分、毎秒、

それを

し続けているかも

しれない。

 

だから

人生が満たされるものに

なったのだな、

今、気づいたな。

 

・・・・・・

 

あなたは

何だ?

 

あなたは

願いだ。

 

あなたの

願いは何だ?

 

それが

あなただ。

 

私達は皆、

願いなんだ。

 

願いが

現実化したものが

人間だ。

 

その本質を

忘れては

ならない、

何があっても。

 

時代は

変わった。

 

願いなしでも

ごまかしながらでも

何となく生きていける

時代はもう

終わった。

 

願いにフタをすることで

発生する空虚感。

 

それをモロに

感じる時代になった。

 

惰性で生きていける

時代は

終わったんだ。

 

だから我々は

これからは

これまで以上に

迷うだろう。

 

答えのない迷路に

入り込むことも

頻繁にあるだろう。

 

人生においても

社会的に見ても。

 

だからこそ

願いに戻ろう。

 

願いに戻って

「今」

に向かおう。

 

これがやはり

基本であり、

 

その基本が

あまりにも重要になるのが

これからの毎日だ。

 

一日、一日、・・・

 

時間は着実に

過ぎていく。

 

願いとして

生きるか、

惰性で

生きるか、

 

すべては

自分自身に

かかっている。

 

つづく

 

日々の継続にかかっている

 

「あなた」の道のりは

あなたが思っている以上に

長くて、深い。

 

あなたの中は

智慧と洞察の

宝庫だ。

 

外に情報を求めることも

大事だが、

それはあくまでも

あなたの内にある

智慧と洞察を

思い出すための

きっかけに過ぎない。

 

あなたは

自分が思っている以上に

神秘であり、

自分が思っている以上に

冒険心に溢れている。

 

無限の智慧と洞察が

あるにも関わらず、

さらに広く、

さらに深く、

さらに遠くへ、

あなたは

行こうとしている。

 

そのあなたの意志を

まずは

あなた自身が

尊重することこそが

 

大切ではないか。

 

・・・・・・

 

あなたがあなた自身を

枠にはめて、

窮屈にし、

そこから出られなくして

いったいどうすると言うんだ?

 

せめてあなた自身は

あなたの味方で

あってほしい。

 

あなたの志を

誰よりも応援するのは

あなた自身で

あってほしい。

 

人には

可能性がある。

 

これは

どうしようもない

事実だ。

 

真理だ。

 

しかし。

 

その可能性は

信じたからと言って

明日すぐに開花する

ものではない。

 

特にこの3次元の世界に

おいては。

 

この世界で

可能性を開花させるのに

必須なことは、

 

「継続」

 

だ。

 

毎日、コツコツと、

だ。

 

それをせずして、

あらゆる可能性は

開花しない。

 

と思っておいた方が

いい。

 

あなたの中にある

智慧も洞察も

「継続」なくして

発現はない。

 

そのようにできているのが

この3次元世界の

「ルール」だ。

 

・・・・・・

 

かと言って

何でもかんでも継続すればいい

ということでもない。

 

自分自身の

真の「願い」と「使命」の方向に

こそ、

継続はすべきだ。

 

もし「願い」も「使命」も

わからないのであれば、

 

純粋に

しかし真剣に、

毎日自分に問うてほしい。

 

「今日は本当は

何をしたいか?」

 

「今日は絶対に

何をしてはならないか?」

 

「今は本当は

何をしたいか?」

 

「今は絶対に

何をしてはならないか?」

 

ここに真剣になり、

これを「継続」すれば、

 

自分の「願い」も「使命」も

いずれ必ず

観えてくる。

 

・・・・・・

 

日々をもっと

真剣に生きよう。

 

真剣に生きるとは、

自分の意志に基づいて

生きるということだ。

 

すべてその人の

「生き方」

にかかっている。

 

「生き方」

「結果」

に反映される。

 

その度合いが

極端に

高まっている。

 

それが

今、だ。

 

つづく

 

本質的なリーダーになろう

 

自分の中に

これまであったはずの

「輝き」

どこかへ行ってしまった。

 

自分の中が

空っぽに

なってしまった。

 

・・・と、

もし感じていたら、

 

今のこの時期の

それは

 

とても良い兆候だ。

 

それは

空っぽに見えて

実は

空っぽではない。

 

すべてが

満ちている状態

だ。

 

「輝き」が

なくなったのでもない。

 

あなたのすべてが

「輝き」そのものに

なったのだ。

 

これまで

輝いていた、と

認識していたものが

輝きとして見れなくなったのは、

 

その輝きが

「当たり前」と

なったからだ。

 

つまりは、

これまで「凄い」と

思っていた状態が

「当たり前」と

なった、ということ。

 

ということは、

あなたの中にもうすぐ

次の「輝き」が

現れるはずだ。

 

次のステージ

だ。

 

・・・・・・

 

実は、

「無」というものは

ない。

 

「無」とは

我々人間が創り出した

概念でしかない。

 

しかしその概念を

私達は

極度に恐れる。

 

恐れ過ぎだ。

 

本当は「無」など

大したことは

ないんだ。

 

だから、

「無」を恐れ、

その恐れに基づいた

判断や選択をするのは

もうやめよう。

 

せっかくの

次のステージに向かう

チャンスを

逸してしまうから。

 

・・・・・・

 

実は

進んでいるように

思えていても、

同じところにずっと

いる人は多い。

 

本当に進む

とはこういうことだ、

という見本を

見せる人が

今はとても必要だ。

 

表面的な

現象のレベルで

世の中を引っ張っている人は

とても多いが、

 

本質的な

実在のレベルで

世の中を引っ張ってくれる

人は

残念ながらまだまだ

少ない。

 

だから世の中は

迷ってばかりだ。

 

もう迷いの時代は

終わったのだから、

 

私はあなたに

本質的なリーダーに

なってほしいな。

 

つづく

 

自由への問い

 

言うまでもないことだが、

自由と無責任は

違う。

 

自由になるということは

その分だけ

責任を負うことでもある。

 

自分のすることは

ちゃんと自分で責任を

持つ、

というのが

自由の基本だ。

 

そんなことは充分に

わかっている

あなただからこそ、

あえて

伝えるんだ。

 

「もっと自由でいいよ」

 

・・・と。

 

責任を持つために

自分を抑える

のではなく、

 

その責任感のまま

もっと自分を

自由にしてほしい。

 

責任感のある

あなただからこそ

さらに自由になるのには

抵抗があるのかな?

 

でも、

あなたが自由に

なればなるほど、

 

周りも

自由になれる。

 

・・・イコール、

責任を持った

自律的な行動が

取れるように

なるんだ。

 

「自由」という言葉が

もしわかりづらいので

あれば、

 

あえて

「わがまま」

と言ってもいいよ。

 

あなたは

もっともっと

「わがまま」に

なってはどうだろう?

 

あなたの「わがまま」さは

周りを

本質的に

幸せにするんだよ。

 

・・・・・・

 

「自由」のための、

最も基本的な

自分自身への問い。

 

それは、

 

「今、私はここで

本当は何をしたいのだろう?」

 

今、

を大事にできる人が

人生のすべてを

大事にできる。

 

今、

を自由に生きる人が

人生を自由に

生きることができる。

 

今、

の自分にいかに

素直に

「動く」か?

 

自由とは、

行動が伴ってこその

もの。

 

心の中だけの

自由では、

 

意味がない、とは

言わないが、

 

それでは

不完全だ。

 

心の中の本当の想いと

行動を

一致させていくことが、

 

本来の自由だと

思わないかい?

 

つづく

 

自信がないのは良いことだ

 

あなたのその謙虚さは

称賛に値する。

 

だけど、謙虚さ故に

止まってしまうことが

多過ぎないかい?

 

謙虚であることと、

行動が鈍ることは、

まったくの別物。

 

謙虚である人ほど、

私は

ズンズンと進めばいいと

思うよ。

 

自信がないのは

良いことだ。

 

自信はすぐに

過信になるから。

 

自信のある人ほど

足元が見えなくなるし、

自分を客観視する

視点も失くしやすい。

 

だから

そのままでいい。

 

自信をつけてから

進もうなんて

思わなくていい。

 

その自信のなさの

ままで

「やろう」

と思うことを

ただ淡々と

行なえばいい。

 

本当はあなたには

それができるだけの

胆力も能力も

ある。

 

ただその謙虚さが故に

胆力と能力を

発揮してはならないと

思い込んでいる。

 

あなたの敵は

その「思い込み」だけだ。

 

敵、ってあえて

言ったけど、

ちゃんと「敵」だと

認識すること。

 

なぜなら

あなた自身がそれを

「敵」だと思っているから。

 

「敵」だと思いながら

その思いにフタを

しているから。

 

だからあえて

言うんだ。

 

それは

「敵」

だ。

 

しかし、

「敵」だからと言って

それを倒したり、

消したり、潰したり

する必要はないんだよ。

 

自分が「敵」だと

認識している事実を

認めた上で、

 

それを

愛せばいい。

 

可愛がればいい。

 

「よしよし」と。

 

それができたら、

さぁ、

進もう。

 

最初は走らなくても

いい。

 

「やろう」と思うことを

あなたのペースで、

できる範囲で

行動に移せばいい。

 

あなたのことだ。

 

気づけば

最大速を出しているよ。

 

それだけ

あなたの「真の想い」は

強い。

 

私にはその

「強さ」がビシビシと

伝わって来ているんだよ、

いつもいつも。

 

あなたのその謙虚さは

称賛に値する。

 

できればそのまま

謙虚でい続けて

ほしいな、とは思う。

 

謙虚で

力強い人。

 

そうなってほしいな。

 

つづく

 

試してみないかい?

 

自分をコントロール

することは

とても大事で、

 

自分を自由自在に

コントロールできていることを

私は

「自律」

と呼んでいるが、

 

ちょいと、

コントロールを

やめてみないかい?

 

完全に

自分に自分を

委ねてしまうんだ。

 

ちょっと怖いかい?

 

でも、

今ならオススメ。

 

勇気を持って

やってみるといい。

 

委ねたその瞬間から

「大丈夫だろうか?」

という不安と

「どうなるのだろうか?」

という恐怖心が

さらに高まるかも

しれない。

 

しかしそれらを

自分から

離してしまおう。

あえて。

 

そして完全に

自分に委ねるんだ。

 

すると

自分はどう動き、

 

何が起こるか?

 

試してみないかい。

 

はっきり言って

結果は保証しない。笑

 

でも、

肚が座るよ。

 

あなたの「自律」が

次のステージに

進むよ、きっと。

 

つづく

 

誰だって突然変異するよ

 

宇宙は広い。

 

それと同様に

私達の心の中も

広い。

 

それは宇宙と

同程度であると

私は思っている。

 

心の外、

つまりは現実世界に

宇宙が広がるように、

 

心の中にも

宇宙が広がっている。

 

それはまさしく

無限

という表現が

ピッタリくる。

 

宇宙のほんの一部しか

私達は知らないのと

同様に、

 

私達は私達自身の

心も

ほんの一部しか知らない。

 

私達の心は

神秘であり、

 

それを私達はもっと

自覚した方が

良いのではないか。

 

・・・・・・

 

ある日、突然

変貌する人がいる。

 

人は

変わらないから。

 

性格は

変わらないから。

 

私は

変わるつもりは

ないから。

 

・・・と、

そんなセリフを吐く人

ほど、

突然変異しやすい。

 

これまでのあの個性は

どこ行っちゃったの?

というくらいになる。

 

多くの場合は

何らかのインパクトのある

経験などが

きっかけとなるが、

 

しかし、

何のきっかけもなく

ある日、ふと

ある瞬間に、ふと

突然変異する人もいる。

 

そんな人が今、

増えている。

 

もちろんそれは

本当は

きっかけがない

わけではない。

 

見えないところで

きっかけは

着々と進んでいるのだ。

 

・・・・・・

 

どうせ人は

変わっていく。

 

変わっていくのが

人だからだ。

 

いや、俺は全然

変わってないよ。

 

という人ほど

変わっていく。

 

変わっていることに

本人が気づいていないだけ。

 

自分のことは

自分ではわからんよ。

 

そんな風にできているのも

人だ。

 

どうせ変わっていくので

あれば、

 

もうそこは

委ねてしまっては

どうだろう。

 

「私は私のままでいよう」

 

という意志を

あきらめてしまっては

どうだろう。

 

私はそこを

あきらめたことで初めて、

 

自分の中の

本当に変わらないものを

知ることができた。

 

それは

個性ではなく、

「願い」

だった。

 

「祈り」

だった。

 

そして、

自分が決めている

「使命」

だった。

 

最初から

変わるようにできている

ものに

執着することで

本当に変わらないものが

見えなくなる。

 

本当に変わらないものが

見えなくなることで

自分の軸が

わからなくなる。

 

自分のすべてが

わからなくなる。

 

人生の

迷子になる。

 

もしあなたが

人生がわからなくなっている

のであれば、

 

それは何か

余分なものに

執着をし続けているからだ。

 

ほぼ、

間違いない。

 

今、変えるべきもの、

今、変わるべきもの、

執着をして

必死にしがみついているから

 

何もかもが

わからなくなる。

 

もう

「迷い続ける時代」は

終わったのだと

認識しよう。

 

もう

「決めて動ける時代」

なんだよ。

 

つづく

 

時代、変わったな

 

実在のレベル(心の中)

は整ってきたのに、

 

それを

行動に移せない、

 

つまりは、

現象化(現実化)できない、

 

という意味での

不一致による歪みが

様々な不調和を発生させた。

 

というのが、

ここ数年の世の中全体の

傾向だ。

 

しかしそれ以前は、

実在のレベル(心の中)

そのものが

まったく整っていなかった。

 

そんな時代が

長く続いた。

 

その頃に比べれば、

随分と

問題は浅くなってきた。

 

対策も

楽になってきた。

 

とはいえ、

この数年も

大変だった。

 

本当に。

 

・・・・・・

 

実在そのものが

整わないことによる、

実在と現象の不一致。

 

それが改善され、

 

実在は整ったが、

まだ現象化の力が弱い

ことによる不一致。

 

これがここ数年の

傾向。

 

そして今、

この傾向がまた崩れ、

 

私達は

さらに前に進もうと

している。

 

実在が整い、

それがそのまま

現象化されていく。

 

という実に健康的な

世の中に

ここから急ピッチで

近づいていくだろう。

 

ようやくここまで

来たんだなぁ、と

ちょっとだけ

感慨もひとしおだが、

 

しかし

感慨に浸っている

場合ではない。

 

これまでは

あえて言えば、

病気を治す時代。

 

ここからは、

健康体に近くなり

どんどん

進む時代だ。

 

そういった意味での

時代の「断絶」が

 

あった。

 

・・・そう、

過去形だ。

 

つまり既に

「断絶」を越えたように

私は思う。

 

・・・・・・

 

これからの時代を

私は

 

「自業自得の時代」

 

と呼ぼうかな。

 

そう。

 

ようやく「自業自得」が

機能する時代に

なれたのだ。

 

「自業自得」とは

とても良い意味で

私は捉えている。

 

良いことをしたら

良いことが返ってくるし、

 

悪いことをしたら

悪いことが返ってくる。

 

という実に

健康的な状態。

 

だからとても

わかりやすい。

 

自分に悪い「現実」が

来たら、

 

要するに

自分に問題があるのだ。

 

だから

しっかり「反省」すれば

いい。

 

反省して次に進めば

道は開いていく。

 

実に

健康的だ。

 

・・・・・・

 

ということは、

 

真本音の願いに

基づき

日々、行動する人は

 

そういった

道が開かれていく。

 

そうでなければ、

道は頓挫する。

 

迷って止まり続ける

人は、

そこから一歩も

動けなくなるし、

 

進もうとする人は

進むことができる。

 

要は

その人の意志(意思)に

よる。

 

意志(意思)が

そのまま

現実化し、

自分に返ってくる。

 

単純明快。

 

だから、

これからこそ、

自分の生き方を

大切にするといい。

 

迷ったら、

自分自身に問えばいい。

 

本当は

自分は

どうしたいのか?

 

と。

 

ここに真摯であれば、

真摯な現実が

返ってくるだろう。

 

つづく

 

今のままでいいわけないだろう

 

人には弱さがあっていい

と私は思っているし、

 

弱さのあるところが

人間味であるとも

思っている。

 

弱さがあるからこそ

できることがあるし、

 

弱さがあるからこそ

切り拓ける境地すらある。

 

しかし。

 

それは

「あきらめる」

こととは違う。

 

「弱さ」

「あきらめ」

対極にある

とさえ私は思う。

 

・・・・・・

 

自分の弱さを

本当に知り、

 

それを

受け入れ、

 

それを

時には反省する。

 

そんな人は

とても強い人だと

思うし、

 

実際にそういう人は

最大速で進むことが

できる。

 

逆に、

弱さを認められない人ほど、

 

止まる。

 

そしてさらに、

止まっていることを

ごまかす。

 

そして最後は

あきらめる。

 

何をあきらめるか?

 

「人生を」

である。

 

自分の人生を

あきらめてしまう。

 

あきらめたからと

言って、

人生が終わるわけでは

ない。

 

その人は

「人生をあきらめ」

ながら

人生を生きている。

 

そんな人が

今のこの世は

多過ぎはしないか?

 

・・・・・・

 

私の企業サポートは、

本質的に観れば、

 

人生をあきらめて

しまっている人達に

まずは、

「あきらめるな!」

と必死に訴え、

 

あきらめを

取り除くことから

始まっている。

 

・・・ということではないか、と

今日、気づいた。

 

あきらめている人達を

あきらめないように

するのだから、

 

マイナスからの

スタートだ。

 

しかし

そんな企業が

8割以上なのではないか。

 

出会った頃から

「あきらめていない人達」

のみの集団となっている

組織を

 

私はまだ

数えるほどしか

知らない。

 

もちろん。

 

あきらめていることを

本人達は

自覚していない。

 

だからこそ

タチが悪いのだ。

 

これが今の

世の中だ。

 

残念ながら。

 

・・・・・・

 

しかし、

今の若者達は、

 

特に

20代以下の人達は、

 

あきらめていない

人の割合が

明らかに多い。

 

一方で、

ここまで社会を

引っ張ってきた

大人達は

あきらめてしまっている人の

割合が圧倒的だ。

 

つまり。

 

あきらめた人達が

あきらめていない人達を

迎え入れて

教育と育成をしている。

 

これが今のこの世の

実態だ。

 

だいぶ

ドギツイ書き方を

しているな、今日は。

 

でも

はっきり書くと

そうなのだ。

 

これを私は

変えたい。

 

もちろん

「変えたい」

などと言うのは

傲慢だと知っている。

 

それでも

私は

現場で

実態を

ナマで

毎日

感じ続けて

いるのだ。

 

これくらい

言っても

良いだろう。

 

何とかせんと

いかんだろうが。

 

・・・・・・

 

私は人間なので、

人間として

できることしか

できない。

 

いっそのこと

魔法使いにでも

なりたいと

ほぼ毎日思っているが、

 

思っているだけでは

何も始まらないので、

毎日、

できる最大を

し続けている。

 

おかげさまで

私の周りは

「あきらめない人達」

ばかりになってきた。

 

でもここで

満足していては

ならない。

 

もっともっと

この輪を

広げねば。

 

本当のことを言えば、

私は自分の能力の

小ささを

毎日、不甲斐なく

思っている。

 

もっともっと

私に力があれば。

 

でも私の望む力とは

それはもう

「人間の力」ではないような

気もする。

 

「人間の力」でない力で

この場を乗り越えたとしても、

そこに

意味はない。

 

ということも

よくわかる。

 

だから

人間として

がんばるしかない。

 

あきらめてはいない

若者達を、

 

あきらめた大人に

変貌させてしまう、

 

そんな企業を

私は減らしたい。

 

だから私は

今日も明日も

私の持てる最大の力を

振るう。

 

あーチクショー、

もっと私に力が

あればなぁー。

 

つづく

真実はたくさんある

 

誠実で素直な

人ほど

 

人の話に耳を

傾ける。

 

それ自体はとても

素晴らしいことだが、

 

耳を傾ける

ことと

鵜呑みにする

ことは

 

まったく別物だ。

 

私はこう見えて、

人の話を

鵜呑みにすることは

 

ほぼ、ない。

 

ようにしている。

 

・・・・・・

 

しかし、

素直に聴くようには

している。

 

素直に

インプットするのだ。

自分に。

 

でも、

鵜呑みには

しない。

 

よく、

「人の数だけ

真実がある」

と言われる。

 

私も

企業様でのサポート現場

では、

本当にいつもそう思う。

 

Aさんの見方、

Bさんの見方、

Cさんの見方、

・・・。

 

それぞれの人の

視点に立てば、

 

なるほど、

本当にその通りだな、

思うことは多い。

 

しかしそれは

「その視点に立てば」

での

ことである。

あくまでも。

 

・その視点に立てば、

・こういう風に見える、と

・Aさんは思っている

 

という3つを私は

そのまま

あるがままに

自分にインプットする。

 

Bさんも、Cさんも

それぞれが

それぞれの視点で

どう見ているか、を

そのまま自分に

インプットする。

 

そしてその上で、

自分なりの解釈を、

 

・・・何もしない。

 

つまりは

インプットしたままの

その状態で

ずっといる。

 

すると、

ある時ある瞬間に、

ふと

わかるのだ。

 

「彼らはいったい

何をしているか?」

 

が。

 

数々の真実の

さらにその奥にある

「根源」のようなものが

ふと

観えるのだ。

 

それは

言葉や説明に

ならないこともある。

 

しかし

それを一瞬でも

感じ取れば、

 

彼らは

次に何をすれば良いか?

 

私は

そんな彼らに

どんなサポートをすれば

良いか?

 

ありありと

浮かんで来る。

 

これが私の

企業サポートの

本質だ。

 

・・・・・・

 

こうして文章に

すると、

 

何かとてつもなく

凄いことを

やっているように感じる

かもしれないが、

 

私がやっているのは、

「素直にインプットする」

ことだけだ。

 

それをすれば

あとは何となく

勝手に観えて来る。

 

これは

やろうと思えば

誰もができること。

 

しかしそのためには

自分自身の

真本音度合いが

高くなければならない。

 

真本音度合いが

高まれば高まるほど

 

・素直なインプット

・素直なアウトプット

 

両方ができるように

なる。

 

それができる人を

それぞれの企業の中に

増やしていく。

 

これも私の

企業サポートの

本質だ。

 

つづく

 

祝福の日だな

 

人生の始まり

というのは

やはり

大変なものだ。

 

いつの間にか

私達は

自分の人生が

あるのが当たり前だと

思い込むように

なってしまうが、

 

人生とは

あること自体に

ありがたみが

あるのだな、と

 

つくづく

思った。

 

・・・・・・

 

5歳の息子が

突然言った。

 

「家のベランダに

鳩がたくさんいるよ」

 

見ると

本当にそうだ。

 

何だろう?と

鳩達に意識を

向けると

 

すぐにわかった。

 

そうか。

祝福に来て

くれたのか。

 

「ありがとう」

伝えると、

 

鳩達は一斉に

飛び去った。

 

その数、

30〜40羽くらいか。

 

ちょっとびっくり。

 

でも

嬉しかったね。

 

今日、

新たな人生が

誕生したんだ。

 

つづく

 

その躊躇を取るといい

 

道は目の前に

まっすぐ

伸びているのに、

 

先の方が

明る過ぎて

まるで見えない。

 

見えないのだが、

そこには

明る過ぎるほど

明るい未来が

待っている

のはわかる。

 

でも、

見えない。

 

見えないことによる

不安は

もちろんあるけれど、

 

見えないことが

また

面白く

刺激的だ。

 

見えても

見えなくても

この道を

進んで行くことに

変わりはない。

 

最大速で

進んで行くのだろう。

 

でも

見えない。笑

 

見えないけど

面白そう。

 

・・・こんな感じ。

 

真本音の道を

最大速で進むことを

覚悟した人なら

誰もが実感する

この感覚。

 

ひょっとすると

これこそが

人生の最高の醍醐味

の一つ

なのかもしれない。

 

この感覚までは

まだわからないけど、

この感覚に

もうすぐ達するだろうな、

という人が

 

今、

急増中。

 

いいことだなぁ。

 

そんな時代が

来たんだなぁ。

 

としみじみ。

 

・・・・・・

 

「最大速」

と言うと

大変なことにように

思われるが、

 

実は「最大速」こそが

「経済速度」

だ。

人にとっては。

 

最も楽に進めるし

最も燃費がいい。

 

なぜなら

内側から常に

エネルギーが

湧き続ける状態と

なるからだ。

 

外からエネルギーを

もらう必要が

なくなる。

 

でも面白いことに

内側からエネルギー

溢れるのに、

外からも

大量のエネルギーを

いただけるように

なる。

 

たくさんの人達から

心地良いエネルギーが

押し寄せてくる

のだ。

 

だから、

内からも外からも

満たされる。

 

満たされるから

幸せだし、

エネルギーは

高まっても高まっても

限界はなく、

無限に

幸せ度合いは

上昇する。

 

しかも

もうとっくの昔に

満たされているから、

そのエネルギーを

さらに

他者にプレゼントすることも

できる。

 

それをすることで、

さらに他者から

エネルギーが

返ってくる。

 

そんな人生。

 

とても良いと

思わない?

 

・・・・・・

 

さぁ、

始めようではないか。

 

そんな

人生を。

 

これまで

躊躇して始められなかった

人も、

 

そろそろ

良いのではないか。

 

世の中は

ずっと何も変わらずに

いるように

思うかもしれない。

 

しかし

見えないところで

世の中は

変転した。

 

この変転は

ここからも続く。

 

私の言うところの

「実在レベル」で

ということになるが。

 

実在レベルで

変転すれば、

それは時間差を経て

必ず現象化(現実化)

されてくる。

 

今はその

時間差も

みるみる減っている。

 

だからもう

始めようでは

ないか。

 

自分の

本当の願いに

向かって

 

堂々と

生きてみよう。

 

最初から大きな

歩みをしなくても

いい。

 

ほんの些細な

一歩でもいい。

 

でもその一歩は

自分の中の

大いなる願いに

基づくもので

あるといい。

 

時は来た。

 

・・・なんて言うと

ちょっと格好良過ぎ

かもしれないが、

 

でも本当に

時は来たのでは

ないか。

 

その躊躇を

取るといい。

 

さぁ、始めよう

ではないか。

 

つづく

 

これは大きなチャンスだな

 

時の流れに

もし

断絶というものが

あるならば、

 

次の大きな断絶は

もうすぐ

訪れるだろう。

 

いや、別に

恐ろしいことでは

ない。

 

これまでも

何度もあったことだ。

 

もちろん私達の多くは

それに

気づかずに来た。

 

次に来る断絶も

ほとんどの人が

気づかないだろう。

 

日常が変わる

わけではない。

 

世の中が大きく

変わるわけでは

ない。

 

しかし、

断絶、とは

一度、すべてが

リセットされ、

 

次の一瞬で

すべてが甦るような

ものだ。

 

気づかずにいれば

何も起きていないのと

同じであるが、

 

もし感性が豊かな

人であれば、

 

ここが

 

かなりのチャンスである

ことがわかるだろう。

 

・・・・・・

 

私達人間は皆、

思い込み

の集積で生きている。

 

思い込みが

次の現実を

創る。

 

もちろんそれを

なくすことは

必要のないことだし、

 

第一、無理だろう。

 

しかし、

それが

真本音の望む思い込みか

どうか?

私達の人生にとっては

とても重要だ。

 

どうせ思い込むなら、

自分が本当に

望む方向の

思い込みで

生きてみたいのでは

ないかな。

 

自分の本来の道を

阻害する思い込み

後押しをしてくれる

思い込み。

 

どちらを選ぶかと

言えば、

大概の人は後者だと

思う。

 

「断絶」は

自分の中の

自分の道を阻害する

思い込みを

手放すチャンスだ。

 

・・・・・・

 

とは言え、

ここではその

「手放し方」を書こうと

しているのではない。

 

なぜなら

顕在意識のレベルで

それをする方法は

ないからだ。

 

しかしその「手放し」は、

潜在意識のレベルでは

恐らく

多くの人が行なうだろう。

 

ただしそのためには

条件がある。

 

それは

私の表現を使えば、

 

真本音に素直に

生きていること

 

だ。

 

言い換えれば、

 

自分の本当の願いを

大事に日々、

生きていること

 

だ。

 

これまでコツコツと、

たとえ成果が

出なかったとしても、

ここを大事にして来た人は

今回の「断絶」によって

 

大きな力を

得ることになるだろう。

 

何やら

予言めいた言い方に

なっているが、

 

これは予言ではなく、

空気感だ。

 

「断絶」の空気感が

そこかしこに

漂っている。

 

すでにその影響を

受けている人も

多い。

 

皆、変化を始めている。

 

こういったことを聴けば、

あぁなるほど!

思う人も多いのでは

ないかな。

 

・・・・・・

 

人生は自分探究の

旅でもある。

 

その探究を

真摯にコツコツと

やり続けて来た人は

やはり最後は

強い。

 

ただし

「やり続ける」というのは

考え続ける、という

ことではない。

 

試行錯誤をし続ける、

つまりは

行動をし続ける

ということだ。

 

本当の自分の願いを

自分でしっかりと

見つめ、

それを行動に

起こし続ける。

 

その単純なことを

コツコツと

日々、

 

・・・そう、「日々」だ、

 

やり続ける人は

やはり強い。

 

チャンスを

ものにできる。

 

「断絶」を

チャンスとすることが

できるんだ。

 

つづく

 

これが心を開くきっかけだった

 

随分前の話

なのだが、

 

「真本音」という概念に

気づき始めた頃、

私がいつも心の中で

呟いていた言葉がある。

 

「どうでもいいじゃん。

なるようになっていくから。」

 

だ。

 

当時の私は

「深刻」の塊だった。

 

心の中も

実際の人生においても

不調和の嵐だった。

 

それら一つ一つを

どのように越えていけば

よいのか?

 

さっぱりわからなかった。

 

私は自分の身を守る

ために、

誤魔化し誤魔化し

生きていたように思う。

 

そのツケが

いつも私には

襲いかかっていた。

 

この人生から

抜け出ねばならない。

 

と、

当時の私なりに

必死に思った。

 

その中でたどり着いたのが、

上記の言葉だ。

 

とにかく私は

朝から晩まで

その言葉を

心の中で呟き続けた。

 

呟いた瞬間は

一瞬、心が楽になるのだが、

すぐに直後に

深刻さが襲って来た。

 

しかしそれでも私は

何かにすがるように

その言葉を

呟き続けた。

 

今から振り返れば、

その辺りから

私の人生はゆっくりと

変わり始めた。

 

不調和の人生から

調和の人生へと。

 

・・・・・・

 

上記の言葉が

なぜ当時の私の中に

浮かんだのか?は

 

当時はわからなかったが、

今はよくわかる。

 

それは、

私自身の真本音からの

プレゼントだった。

 

このように、

自分の真本音が

自分自身にプレゼントする

「メッセージ」がある。

 

自分から自分への

メッセージであり、

それを呟き続けることで、

 

まずは心が開かれ、

その結果として

しだいに現実が

開かれていく。

 

だから私はこの言葉を、

 

『心の鍵』

 

と名づけた。

 

心を開くための

鍵となるメッセージだから

だ。

 

心の鍵を常に

自分に向けて投げ続けることで、

 

非常に地道ではあるが、

結果として

最短で人生が

開かれていく。

 

これは私だけではなく、

これまでの私の

クライアントさんの多くも

体験されてきたことだ。

 

・・・・・・

 

私は

私自身に

何をメッセージしたいか?

 

を、

まずは真剣に

考えてみよう。

 

しかしそのメッセージは、

自分を縛るもので

あってはならない。

 

呟くことで、

ギュッと心が固まってしまう

ものであってはならない。

 

無理に自分を鼓舞する

ものであってもならない。

 

呟くことで、

全身の力が

一瞬でもいいから

フッと抜けるもの。

 

しかし、かと言って

単なるやさしい言葉では

なく、

 

力の抜けた自分が

次の一歩に自然に

向かえるような、

 

そんなきっかけになる

言葉だ。

 

それを真剣に

見つけてみよう。

 

「心の鍵」探しは、

私のコーチングサポートの

根幹の一つであるし、

 

私が推奨する

セルフコーチング法の

基本に来るものだ。

 

セルフコーチングとは、

「問い」

だけではない。

 

「メッセージ」も

重要な要素だ。

 

自分への

メッセージ。

 

毎日でも

考えてほしいな。

 

つづく

 

これが今の悩みだ

 

悩む必要のない

ところと、

 

悩むべきところ。

 

この二つの区別が

本当につくように

なったら、

 

人生も仕事も

急加速する。

 

コーチングによる

サポートの際、

ひょっとすると

私は

ほとんどこの部分のみを

させていただいている

のではないか?

とさえ思える。

 

だって、

本当に悩むべきところ

が明確になれば、

 

クライアントさんは、

その時点で

スッキリする。

 

そして

サポートなどなくても、

勝手に答えを見つけ出し

邁進していく。

 

一度のコーチングが

終わり、

次のコーチングの日が

来て、

「例のあの件は

どうでした?」

と訊くと、

 

「あの件?

なんだっけ?」

 

と返ってくるケースが

とても多い。

 

そんなことはもう

とっくの昔に解決済みで

意識はもう

次の次の次くらいに

行っている。

 

人って

こんなもんなんだなぁ、

いつも思う。

 

人生や仕事が

進まない根本原因の

大半は、

 

悩みどころを

間違えている。

 

もしくは、

 

悩みどころが

ズレている。

 

のではないか。

 

・・・・・・

 

私達の真本音は、

 

「今ここで

自分のエネルギーを

全力で注ぎたいこと」

 

を、

常に決めている。

 

もしそこに

本当に真剣に取り組んだら、

 

真本音が

望んでいるだけに、

 

凄まじいパワーが

炸裂する。

 

凄まじいパワーが

炸裂すると言っても、

怒鳴ったり

叫んだり

妙に明るくなったり

するわけではない。

 

内側から

本当に凄まじいパワー

が湧くと

大概、我々は

 

穏やかになる。

 

心にゆとりが

出て、

物事がとてもよく

観えてくる。

 

だから、

今ここで何を

すればよいか?

 

次は

どのような一歩を

踏み出せばよいか?

 

ありありとわかる

状態となる。

 

それを私は

凄まじいパワー

と表現している。

 

だから、

凄まじいパワーが

発揮されている組織ほど、

 

皆、

穏やかで

自然な笑顔が

絶えないのだ。

 

・・・・・・

 

だから、

人の本質的な元気さは、

 

自分の悩みどころを

しっかりと知り、

 

そこにちゃんと

向き合っている、

 

ことにより

自然に高まっていく。

 

本当の悩みから

逃げていたり

目を逸らすことで、

元気を失っていくのだ、

私達は。

 

だから。

 

しっかり

悩もう。

 

今のうちに。

 

つづく

 

じっと見つめ合ったよ

 

私の自宅の近くには

有名な神社があり、

 

先日、その神社のお祭りに

5歳の息子と一緒に参加した。

 

たくさんの子ども達が

集まって来ていた。

 

顔見知りの子は

ほとんどいないのに、

私の息子は

まるで親友達の中に

いるかのように

一瞬で溶け込んでいた。

 

子ども達は皆、

オープンだった。

 

とは言え、

子どもの心にも

いろいろと抱えている

ものはある。

 

淀みもあるし

ストレスもある。

 

険しさもあるし

憤りだってある。

 

そこは

大人と変わらない。

 

しかしやはり

子ども達は

まだ未発達の小さな体を

持て余しながらも、

 

ただただ

純粋に交じり合い、

笑い合っていた。

 

そんな姿を

見ながら、

 

このような世界に

なるといいな、

思った。

 

・・・・・・

 

ある見知らぬ子が

私のところに寄って来た。

 

そしてじっと

私の目を見つめた。

 

実はこれ、

よくあることだ。

 

幼い子や赤ちゃんほど

それをよくやられる。

(やられる、というのも変だが。)

 

そんな時、私は必ず

同じようにその子の目を

ただ黙ってじっと

見つめることにしている。

 

私達は数秒の間、

見つめ合った。

 

そして何も言わずに

その子は去って行った。

 

その数秒間で

私達は何をしたのか?

 

よくわからないまま

しているのだが、

でも実は

とてもよくわかっている。

 

私達は

「確認」をしているのだ。

 

そして

「エネルギーの交歓」を

しているのだ。

 

「確認」とは

「約束」の確認。

 

言葉にはならない

約束の確認。

 

そして

エネルギーの交換を

しながら、

私達は「合図」を

送り合っている。

 

それにより

私には、その子から

何らかの刺激が入り、

その子にも私から

何らかの刺激が入る。

 

それだけのことだが、

それが、

その子の人生にも

私の人生にも

必要で大切なことなのだ。

 

別にこれは、

私だけが特別に行なっている

ことではなく、

誰もが常に自然に

そして無意識に

行ない続けていることだ。

 

私はそういったことを

自覚できるので、

一つ一つ丁寧に

それを行なっているに

過ぎない。

 

特に子ども達には

丁寧に行ないたいのだ。

 

・・・・・・

 

私達は、

「確認」をし合い

「交歓」をし合い

「合図」をし合い

ながら

共に生きている。

 

それを躊躇なく、

純粋に

笑いながら

行ない合える

世界になるといいな、と

本当に思う。

 

そうなるために

私は

私のできることに

日々、全力を尽くしている。

 

私のビジョンは

約30年後の未来に

向かうもの。

 

30年後と言えば、

今の幼い子ども達が

社会の主役となっている

時代だ。

 

その時代に

あの子達が

真本音で語り合い、

生き合う世の中に

なれるよう、

 

今の大人である私達は

最大速で進もうでは

ないか。

 

つづく

 

自信を持って変化しよう

 

いったい

何が起きているのか?

 

びっくりするくらいに

人が

変わっていく。

 

もちろん、

良い方向にだ。

 

変わる、と言っても

別人格になるのでは

なく、

 

本来のその人に

一気に近づいていく

のだが、

 

その変貌ぶりが

凄まじい。

 

「凄まじい」と

どうしても表現

したくなる。

 

今日も、

ある会社の幹部さんが

言われた。

 

「ふと、朝の4時に

目が覚めたんです。

で、ふと思ったんです。

決めたんです。

私が変わろう、と。」

 

自分の考え方から、

立ち振舞いから、

人の育成方針まで、

すべて

変えていく、と言う。

 

しかもその方向転換は、

私が密かに、

「この人の本来は

こうだから、

こう変化していくといいな」

コーチとして願っていた

方向と

完全に一致した。

 

だから一瞬私は

言葉を失うくらいに

驚いた。

 

でも、

これに近いことが

日々、あちこちで

頻発している。

 

いったい何が

起きているのだろうか?

 

と、言いたくもなる。

 

・・・・・・

 

人の変化は

組織の変化に

直結する。

 

人が変化しなければ、

組織は変化しない。

 

人が真本音度合いを

高めれば、

組織の真本音度合いも

高まっていく。

 

実に単純な法則が

ようやく

この世で機能し始めた

ように思う。

 

健全な世の中に

近づいているのだ。

 

もちろん、

健全ではない出来事も

頻発している。

 

しかし

そればかりに

目を奪われていては

ならない。

 

本質的には

今は

何が起きているのか?

 

それをあるがままに

私達は感じ取ろう。

 

世の中は、

間違いなく

進み始めている。

 

それを推進している

のは、

「人」だ。

 

一人ひとり

だ。

 

あなた、だ。

 

自分一人の変化

なんて、

世の中全体から見れば

大したことはない、

 

なんて

思わないでほしい。

 

一人の本質的な変化が

いかに

実在のレベルで

世の中全体に

インパクトを与えるか?

 

は、

私が最も声を大にして

お伝えしたい事実の

一つだが、

 

しかしそれは

これからの私達の歩みの

途上で、

どんどん証明されて

いくだろう。

 

あなたはもっと

自信を持てばいい。

 

自分を

信じればいい。

 

あなたの道が

世の中の道に

なっていく。

 

つづく

 

あなたも次に行こう

 

ずっと空を

垂直に

昇って行くと、

 

「青空」だと

思っていたものには

実は

出口があることが

わかった。

 

そこを

通れば、

次の世界に

行ける出口だ。

 

なんだ。

 

壊さなくて

いいのか。

 

もっと

様々なものに

ぶち当たり、

体当たりで壊し、

 

傷つきながらも

ようやくにして

たどり着くのが

次の世界

だと

思い込んでいたよ。

 

なんだ。

 

出口が

あったんだ。

 

ちょっと

拍子抜けした。

 

出口に

近づくと、

すでにその扉は

開いていた。

 

なに?

 

ここを

くぐればいいの?

 

思った矢先に

もう

 

私は出口の

向こう側に

いた。

 

出口の向こうは

宇宙であると

ずっと

思い込んでいたのだが、

 

出口を抜けると、

そこは

 

「大地」

だった。

 

私は

大地に立っていた。

 

何という

安定感。

 

何という

安心感。

 

しかも、

私は大地と共に

飛ぶことすら

できた。

 

これまで

私は、

 

大地と自分は

別物だと

思っていた。

 

しかし

そうではなかった。

 

大地も

私だった。

 

私が

大地だった。

 

そこで

わかったのだ。

 

「世界」が

変わったのでは

ない。

 

新しい世界に

入ったのでも

ない。

 

「私」が

変わったのだ。

 

世界である

私は

 

これから

世界で

 

何を

するのだろうか?

 

つづく

 

答えの前に、問い、あり

 

私達の心の中は

「答えの宝庫」

だ。

 

自分の知りたい答えは

ほぼほぼ

自分の心の中に

揃っている。

 

例えば、

人生において

「次の選択をどうするか?」

とか、

仕事において

「あのお客様にどう提案するか?」

とか。

 

もし、

明らかに新たな情報を

得なければ出ないような

答えについても、

「どのような情報を

どこから得ればよいか?」

という

答えにつながるための答え

をもう、持っている。

 

私達はそのように

心の中に存在する

「答え達」を

浮上させながら

生きている。

 

「浮上」というのは

「顕在化」ということだ。

 

眠っていたもの、

隠れていたものを

「明らかにする」

とか

「光を当て明確にする」

ということだ。

 

ところが。

 

「答え」はあるのに、

その「浮上」(顕在化)が

できない。

 

心の中に

せっかくあるものを

眠ったままにさせて

しまう。

 

しかも、

「答え」とは違う選択を

してしまう。

 

ということは

実によくある。

 

なぜ「浮上」できないのか?

 

なぜ「答え」はあるのに、

それに気づかないのか?

 

その原因は

たったの一点だ。

 

「質問力不足」

だ。

 

・・・・・・

 

「答え」を得るには

「問い」が要る。

 

「問い」がなければ

「答え」は出ない。

 

これが単純な

原理だ。

 

発想力のある人とは

質問力のある人

とも言える。

 

自分に的確な問いを

投げられる人だ。

 

私はコーチングにおいて、

ほぼほぼいつも

クライアントさんに

 

「今、あなたの中に

どんな問いがありますか?」

 

という問いを

投げる。

 

この問い。

 

まずはこれが

最も重要だ。

 

これを自分で自分に

投げるとよい。

 

「今、私の中には

どんな問いがあるだろうか?」

 

このたった一つの問いを

一日中、

私は自分に投げ続けている

と言っても過言ではない。

 

この問いを

投げ続けるだけで

人生は変わる、

と私は思っている。

 

全然大袈裟な話では

ない。

 

本当にそうだと

思っている。

 

これが

セルフコーチングの

基本だ。

 

・・・・・・

 

私達は皆、

「問い」と共に生きている。

 

人生とは

「問い」によって拓かれる。

 

自律している人と

そうでない人の違いは

自分自身にちゃんと

「問い」を投げられるかどうか?

だ。

 

全然大袈裟な話

ではない。

 

少なくとも私のクライアントさん

は皆、

「質問力」を高めることで、

ある意味それだけで

人生を変えている。

 

今後このブログでは、

オススメの問い

を随時ご紹介していこうかな、

思っている。

 

つづく

 

真摯に一日に向かおう

 

人の「美しさ」とは

不完全なところに

こそ

あると思う。

 

人は

進化するもの。

 

というよりも、

「進化」を

カタチにすると

「人」になる

私はいつしか

思うようになった。

 

進化に必要

なのは

不完全さ。

 

人は常に、

(私達の真本音は

常に)

 

不完全であることを

望んでいる。

 

そういった

意味で、

「完全」や

「完成」は

ない。

 

もちろん、

形の上で

 

いったんの

完全、

 

いったんの

完成、

 

はある。

 

が、

その直後から

私達は

また

歩き始める。

 

完成した、

完全だ、

と思ったのも

つかの間、

 

すぐに私達は

「次」を

求める。

 

それが

人間なのだと

思う。

 

・・・・・・

 

昨日、

私はこのブログで

「美しい一日」

について

書いた。

 

それは

101%ではなく

100%の一日

である、

 

と書いた。

 

そしてそれこそが

「最大速で進む」

ことに

なると。

 

しかし、

その「100%」

とは、

 

その日

その時に

私達が感じる

「100%」であって、

 

例えば

その次の日に

同じレベルの

一日を創れたとして、

 

もう私達は

それを「100%」だとは

思えなく

なるだろう。

 

つまりは、

私達の「100%」

そのものが

進化をする。

 

それが

私達人間の

本質だ。

 

だから

もう一度言う。

 

私達は

無理をして

101%以上を

目指すのではなく、

 

100%を

しっかりと実現

することにより、

 

最大速で

進化を続ける

のだ。

 

そしてその

「100%で進む自分」

であることを

 

『等身大』

 

と言う。

 

等身大の自分

こそ、

自分の本来の

魅力が

溢れる自分

である。

 

そして当然だが、

その

「等身大」そのものが

進化をしていく。

 

等身大で

いることこそが

最大速の進化

呼ぶのだ。

 

・・・・・・

 

今日の私は

「何をしようか?」

 

そして

今日の私は

「何をしないか?」

 

毎日、

一日一日

しっかりと

決めよう。

 

その上で

真摯に

一日に向かって

行こう。

 

これを

本当にきちんと

できると、

 

だんだんと

肩の力が

抜けてくる。

 

本質的な

気楽さが

生まれる。

 

一日の

満足が

高まるからだ。

 

不安というものが

激減する。

 

自分は

やることを

ちゃんとやっている、

 

という実感は

私達を

とても強くする。

 

真摯に生きる

ことこそが、

 

私達を

最も楽に

してくれるのだ。

 

つづく

 

美しい一日だったな

 

無理は

するな。

 

でも、

 

最大速で

進め。

 

・・・一見、

反対のことを

言っているようだが、

 

実は

違う。

 

最大速で

進もうとすると、

みんな

無理をする

傾向にあるが、

 

最大速を

出すということと

無理をする

ということは

全く別の話。

 

最大速を

出すためには

決して

無理はダメ。

 

無理をすることで

最大速が

出なくなる。

 

・・・・・・

 

では、

「無理」とは

何か?

 

101%以上の

ことだ。

 

いや、

100.1%以上

とも

100.01%以上

とも

100.001%以上

とも言える。

 

つまりは、

100%を超える

こと。

 

私は

「一日」という

人生の時間は

 

一つの作品では

ないか、

 

と思っている。

 

そう表現すると

ちょっと硬くなって

しまうかも

しれないが。

 

素晴らしい

芸術作品とは、

 

・足りないものが

まったくなく、

・やりすぎも

まったくない

 

ものだ。

 

例えば、

私は音楽を

よく聴くのだが、

 

ジャズのような

即興演奏ですら、

 

時々、

そういった作品

に出くわす。

 

そんな作品は、

魂への響き方が

まったく違うのだ。

 

心の感動

ではなく

魂が感動

しているのが

わかる。

 

これを私は

 

『美』

 

とも呼んでいる。

 

「美しい一日」。

 

こんな書き方を

すると

さらに硬くなって

しまうかもしれないが。

 

これは

・今日することを

すべてして、

・今日しないことは

一切しない、

ことで

実現できる。

 

今日は美しい

一日だったな、

思えると、

私は自分自身の

魂がとても

悦んでいることが

よくわかる。

 

それは、

物事が

上手くいったとか、

上手くいかなかった

とか、

関係がない。

 

何も進展せず、

停滞したままの

一日に

なっても、

 

美しい一日だったな、

 

と思える日は

何度もあった。

 

この、

美しい一日を

創り出している

その時が、

 

「最大速」

 

だ。

 

・・・・・・

 

最大速とは、

無理をすることで

実現できるもの

ではなく、

 

美しい生き方を

することで

実現できるもの。

 

もう

書く必要もない

だろうが、

 

それは、

格好がいい

とか

格好が悪い

とか

も関係ない。

 

表面上の

ことではないのだ。

 

そう観ると、

この世は

美しいものに

溢れているし、

 

また、

美しくないものも

溢れている。

 

私は

美しいものを

もっともっと

増やしていきたいな。

 

そのためには

私自身が

美しい人生を

創ること。

 

そのためには、

今日一日を

美しく生きる

ことだな、と

思っている。

 

つづく

 

これが基本の基本

 

ちょっと

皆さんに

考えてもらおうかな。

 

もし

自分が自分の

コーチに

なったとして、

 

今の自分に

一番伝えたい

メッセージは何?

 

コーチとして

自分自身を

クライアントに

したとして、

 

そのクライアント

には

本当に心の底から

成長(進化)を

願っているとして、

 

自分に

一番伝えたい

メッセージは何?

 

そして、

 

自分に

一番問いかけたい

ことは何?

 

どんな問いを

大事にして

一日一日を

過ごしてもらいたいと

願う?

 

本当に

ゆっくりじっくりと

これを

考えてみてほしい。

 

「自分を大事に

する」

 

その第一歩は

これだと

私は

思うんだな。

 

そして

これが

セルフコーチングの

基本の基本。

 

これ、

本当に毎日

しっかりと

続けたら、

 

それだけで

人生より良くなると

思わないかい?

 

つづく

 

これが私の個性です、だって?

 

自分の個性を

自分で

決めつけるのは

 

実にもったいない

ことだ。

 

自分らしさは

大事だが、

 

これが自分らしさだ、

決めつけない

方がいい。

 

これが

自分の個性だ、

などと

自己分析や

自己判断は

 

しなければ

しないほど

良い。

 

・・・と

言いたくなる

くらいに、

 

皆、

自分のことを

誤解している。

 

・・・・・・

 

最近またこのブログでも、

脱皮の話を

書くようになったが、

 

脱皮をすることで

個性が

根本から

変わる人がいる。

 

本当は、

「変わる」

のではなく、

 

まだ隠れていたものが

「芽を出す」

というのが

正確な表現だ。

 

私達には

隠れた個性が

本当に

たくさんあるのだ。

 

例えば、

最近の私の

クライアントさんである

A社長は、

 

これまで

自他共に認める

「リーダー」

だった。

 

とにかく

皆を

引っ張る引っ張る。

 

彼の言うことは

ある意味

「絶対」であり、

 

彼の出す方針

の通りに

進むことが

即、

会社の発展に

つながってきた。

 

そのA社長が

脱皮された。

 

その瞬間から

彼自身は

「引っ張る」ことを

やめてしまった。

 

「引っ張る」ことに

情熱が

出なくなって

しまったのだ。

 

彼は今、

「牽引型リーダー」

から

「調和型リーダー」

へと

変貌を遂げつつある。

 

そこを私が

サポートさせて

いただいているのだが、

 

私からしてみれば、

これまで

「牽引型」であったことが

不思議でならない。

 

だって、

その人の本来の

個性の

真逆だから。

 

よくそんなやり方で

ここまで

やってこれたものだと、

逆に感動する。

 

しかし

彼は、その業界では

ほぼ最高レベルの

仕事をする

会社を創り上げた。

 

だから

能力値が

驚くほどに

高いのだと思う。

 

その「能力」と

彼の「本来の個性」が

これからいよいよ

「合致」

していく。

 

これは

凄いことになりそう

だと、

私は

ワクワクが

止まらない。

 

・・・・・・

 

自分のことは

自分が一番よく

わかっていない。

 

「これが私の個性だ」

なんて

決めつけている

暇があったら、

 

ただ純粋に

自分の「願い」に

意識を

向け続けた方が

良い。

 

本当に。

 

人間は

無限だ。

 

無限に

「自分」は

開発される。

 

自分で自分に

枠をはめるなど、

 

人生の

99.9%以上の楽しみ

自ら捨てている

ようなものだ。

 

そういった意味で

もっと

どんどん

冒険しよう。

 

自分で

自分を

決めつけるのを

やめてしまおう。

 

あなたは

そんなもんじゃ

ないんだ。

 

つづく