私達のいるこの3次元の世界は
すべてが分離している世界です。
「私」と「あなた」は別物ですし、
私が今使っているパソコンも
携帯電話も
机も椅子も本棚もプリンターも
そして私のいる部屋や建物も
すべてそれぞれが別個の存在として
ここにあります。
それがこの世界の特徴です。
すべての物が分離しているのと同様に
時間も分離しています。
本来、高い次元においては、
過去も
今も
未来も
すべては「一つ」です。
こういった書き方をすると
3次元世界の私達には
わけがわからなくなります。
理解不能になります。
それは当たり前のことで、
低い次元からは
高い次元のことを
決して理解できないように
なっています。
ですが、
あえて無理矢理に
3次元の我々にもある程度
想像できそうな表現で
書き続けますね。
この世界では
「時間」
は分離しています。
つまりは、
過去と今と未来が
別個のものとして
存在しています。
私達の「現実」としては
「今この瞬間」
しかありません。
1秒前の過去も
1秒後の未来も
「現実」にはありません。
私達の
頭の中や心の中にしか
ありません。
「今この瞬間」
という唯一の「現実」が
分離して、
それが連続的に
流れています。
例えば、
今、私がこの文章を書いているのは
2018年1月16日午前2時18分
のことです。
で、
2018年1月16日午前2時18分27秒
と
2018年1月16日午前2時18分28秒
の「現実」は
別物です。
それぞれが分離しています。
その分離しているものが
連続しているわけです。
もっと言えば、ちょっと変な表現ですが、
2018年1月16日午前2時18分27.0001秒
と
2018年1月16日午前2時18分27.0002秒
というように
「今この瞬間」をもっと細かく区切っても
同じように分離しています。
もっともっと無限大に細かく区切っても
同様に分離しています。
「今この瞬間」は
「今この瞬間」でしかありません。
すべての分離された「今この瞬間」が
連続して起きているので、
時間がつながっているように
感じるだけなのです。
2018年1月16日午前2時18分27.0001秒
の現実と
2018年1月16日午前2時18分27.0002秒
の現実は
まったく別個のものなのです。
これが3次元世界の
特徴です。
しかもこの世界では、
時間は
過去から未来へと
一方向にしか流れません。
過去に戻ることはできませんし、
未来に一気に飛ぶことも
できないようになっています。
分離された「今この瞬間」が
一方向に一定のスピードで
流れ続ける、
というのがこの世界であり、
高い次元から見ると、
とてつもなく縛られた世界です。
例えば、
3次元世界よりも少しだけ上の次元では、
時間は分離されていますが、
過去から今、そして未来へと
一方向に流れなければならない
という制約はありません。
自由に過去にも未来にも
行けるのです。
そしてさらにもっと上の次元では、
そういった
過去・今・未来
という分離そのものがなくなります。
「すべてが一つ」
です。
ここまで来るともう
私達の想像では
理解ができません。
ただ一つ言えるのは、
未来とは決して
未知のものではない、
ということです。
高い次元では
未来も「ここ」にあるのです。
ここまで書きますと、
何割かの人は
私が何を書きたいか
ご理解いただけているかも
しれません。
高い次元の自分で生きる、
とは、
「今この瞬間だけを生きる」
のとはまったく別の生き方が
できる、
ということです。
高い次元では
過去も今も未来も
一つです。
ということは、
3次元世界の我々でも理解できる
表現を使えば、
未来を完全にわかった上での
今の行動を決めることができる
ということです。
ということは、
望む未来を実現するための
今の行動を決めることができる
ということなのです。
真本音で生きる、
ということは
自分自身の現時点での最高次元での
自分として生きる
ということです。
ということは、
真本音で生きれば生きるほど、
私達は
自分自身の望む未来を
実現しやすい
ということになります。
しかも、高い次元においては
時間の分離もありませんが、
「私」と「あなた」の分離も
ありません。
ということは、
高い次元での「私」の望む行動は
高い次元での「あなた」の望む行動と
完全に一致します。
つまり、
自分も周りも望む行動、
自分も周りもより幸せになれる行動を
今この瞬間に選択する
ことができるということなのです。
真本音で生きれば生きるほど、
周りとの調和が
高まっていく理由が
そこにあります。
そして、
真本音で生きれば生きるほど
すべての物事が
自然にスムーズに進んでいく理由も
そこにあります。
真本音のレベル、
つまりは、高い次元の意識のレベルで言えば、
私達は自分の未来を
完全に決めています。
だって、
過去も今も未来も
「一つ」だから。
その決めている通りのことを
粛々と
今この瞬間に実践すれば
よいだけのことなんです。
ですから、
真本音で生きるとは
とてつもなく
楽なことなのです。
つづく
「弓江さん、
日下部さんの人生のテーマは
何だと思います?
彼は、どんなテーマに向かって
生きていくことが、
彼自身の喜びであり、真の成長に
つながるでしょうか?」
この唐突な問いに、
弓江さんは目を白黒させました。
(→前回記事)
しかしさすがに弓江さん。
私の唐突な問いにも慣れてきたようです。
私が問う、ということは、
その人から今、答えが出る、という
確信を持った上での投げかけです。
どれだけ唐突に感じる問いでも、
必ず答えが出るはずだ、
・・・と、
弓江さんは信じられるようになったようです。
彼女は、一度目を閉じてから、
心を落ち着かせ、
すぐに答えました。
「ちょっと意味不明なのですが、
“夢”という言葉が浮かんできます。
夢に向かう、ということでしょうか。」
それを聴いて、私はピンと来ました。
「日下部さんという人は、
探究心が旺盛な方ですか?」
「あっ、そうですね。
それは言えると思います。」
「夢に向かう、ということよりも、
“夢の探究”ということではないでしょうか?」
「“夢の探究”・・・。
それは、どういうことでしょうか?」
「日下部さんは、恐らく、
物事の本質を突き詰めることに
喜びを感じる人だと思うのです。
ですから例えば、
夢とは何だろうか?
とか、
我々のチームは、どのような夢を持つことで
活性化するだろうか?
とか、
少し客観的に、夢というものを
突き詰めていく。
そんなテーマを持っている人のような
気がします。」
「それは、単純に自分の夢に向かいたい!
というのとは少し違うのですね。」
「そうですね。
彼からは、客観性を感じます。
客観的になればなるほど、彼は力を発揮する
のではないでしょうか?」
「あぁなるほど! それは確かに言えます。
彼はいつも、参謀的な立場に立つと
いつもイキイキしていたように思います。
ということは、彼は今、
客観的になれていないのかな?」
「その可能性はありますね。
チームのメンバーが半分になってしまった
からなのか、それとも
他の何かしらの理由があるのか。
それはわかりませんが、
今の彼の心の立ち位置は、本来の彼のものとは
異なっている可能性はありますね。」
すると木村さんが
口を開きました。
「あぁ、何となく、すごく腑に落ちます。
彼には今、このチームの未来が
見えなくなってしまっているのかな?
ひょっとすると、売上云々のことだけでなく、
もっとチームの未来について、
我々は語り合った方が良いのかもしれません。」
「それは良いですね!
あとは単純に、日下部さんに、
このチームは、どんな夢に向かっていけば
良いと思う?
・・・という問いを投げ続けるのも
彼の活性化につながるかもしれません。」
ここまでお話しできた時点で、
私の中に「完了感」が湧いて来ました。
日下部さんに関しては、
ここまでの語り合いでOK、という
真本音レベルでの合図です。
あとは、実際に日下部さんとお会いして
そこで何を感じるか?を
大切にすればよいでしょう。
日下部さんについて、
この二人コーチングの場で見えて来た
仮説としては、
まとめると、以下のようになります。
・・・・・・
日下部さんはどうやら、
チームのメンバーが半分に減らされた辺りから、
真本音度合いを落としているらしい。
具体的には、
物事に対して逃げ腰になり、
助けを求めるような精神状態にありそうだ。
そうなってしまった根本的原因として考えられるのは、
彼自身の真本音のテーマである
『夢を探究する』
という意識が、薄れてしまっている状態であり、
彼自身の特性としての、
『客観的な視点を持つ』
という本来の立ち位置から
今の彼はズレてしまっているから。
・・・・・・
これはあくまでも仮説です。
しかし、彼の「実在」を感じ取った上での仮説
ですから、
彼と向き合う上での一つの重要な視点には
なるでしょう。
あとは実際に彼と向き合うことで、
見えてくることは多いと思いますし、
その視点から彼と向き合うことで、
彼がチームにとっての「要」となり得るかどうか?が
判別できるはずだと、私は読みました。
つづく