どうせ今の自分

には、

わからんだろう。

 

思うことが

多々ある。

 

もっと経験を

積み、

未知の領域に

進まなければ

 

決して

見えないものは

ある。

 

それを楽しむ

ことがまた

人生の醍醐味である

とも言えるのだが、

 

なんか

どこかが悔しい。

 

わからないことが

何か

すらわからない

のも

悔しい。

 

だから私は

意識を未来に

向ける。

 

じーっと

意識を向け続けて

いると、

 

何やら

ニンマリしている

奴の存在を

感じる。

 

未来の私だ。

 

私は奴に

問う。

 

今の俺が

わからんことは

何だ?

 

すると奴は

さらにニンマリ。

 

何も

言わねえ。

 

しかし意識は

伝わってくる。

 

言葉にすると

こうだ。

 

そのうち

わかるよ。

 

わからんことが

ある、

というその感覚だけで

いいじゃないか。

 

その感覚を

大切にすれば

いい。

 

感覚がある

ということは、

そのうちわかる

ということだ。

 

しかし

ニンマリした

奴の顔を見ていると、

 

やはり

悔しい。

 

奴は

ニンマリしながら

私の背後まで来ると、

 

私の両肩に

手を置いた。

 

すると

何かがわかった

気がした。

 

気がしたのだが、

ただの感覚だ。

 

ひらめきの

あの感覚

だけだ。

 

内容は

わからない。

 

こういうひらめきが

あるってことだ。

 

奴は言う。

 

そうか、

こういうひらめきが

訪れるのか、

と思うと

嬉しいは嬉しいが、

 

しかしやはり

ちょっと悔しい。

 

つづく