別れ

先に進む? 進まない? どっち?

子どもは

永遠に親の保護のもとに

いるわけではありません。

 

必ず

親から独り立ちする

瞬間が来ます。

 

親から離れる

時が来ます。

 

『子が育ちますように』

 

この祈りは

誰もの心の中に

いえ、

魂の中に必ず

存在するものです。

 

この祈りに基づいて

生まれるエネルギーと

そのエネルギーに基づいて

生まれるあらゆる行動や

振る舞いのことを

『慈しみ』

と言います。

 

これについては

実は

私達人間の「本能」の成立にとって

あまりにも重要なものですから、

改めて時間をとって

ゆっくり書かせていただく

つもりです。

 

慈しみには必ず、

独り立ち、巣立ち、離れ、

そして、別れ

といったものがセットで

ついて来ます。

 

きちんと別れるべき時に

別れること。

 

離れるべき時に

手放すこと。

 

それは

真の慈しみの行為に

他ありません。

 

あの人のことが嫌いになった、

だから別れる

という単なる感情による

別れとは

それは本質的に異なる

ということは

誰もがわかるでしょう。

 

感情的な別れ、とは

反応本音による別れ。

 

慈しみの結果としての別れ、

とは

真本音による別れ。

 

どちらも寂しく

悲しいものかもしれませんが、

真本音の別れには

根底に必ず不思議な

すがすがしさが

湛えられています。

 

真本音で生きるということは

別れるべき人と

次々に別れ、

出会うべき人と

次々に出会う

人生となります。

 

よく言われることですが、

何かを手放すことで

新たな何かが

入ってくるというのは

真実です。

この3次元の世界に

おいては。

 

つまり、

感情のまま、もしくは

情に流されたまま、

別れるべき人と別れないことで

出会うべき人と

出会えなくなります。

 

・・・

何でしょう?

 

こうしてこの文章を

書いていますと、

様々な人達のお顔が

浮かんで来ます。

 

ほとんどが私の

クライアントさんですが、

今、多くの人達が

人生を次のステージへと

転換されようと

しています。

 

先日、

ある人が私に

言われました。

 

「なんか、この同じ体を

持ったまま、

生まれ変わろうとしている

気分です」

と。

 

まさしく、

そんな感じ。

 

そんな状態の人が

今、とても増えています。

 

今が4月だから

ということではない気が

します。

 

来年の今頃にちょうど

平成から新たな時代に

変わりますが、

その一年前に先んじて

人生の新たな時代に

入ろうとしている人が

多いのかな。

 

皆さんがちゃんと

新たな時代に入るためには、

ちゃんと

別れるべきと

別れなければなりません。

 

手放すべきを

手放さなければ

なりません。

 

中途半端なまま

先に進むことだけは

やめましょう。

 

先には進まない、

という選択も

もちろんありです。

 

その場合に、

別れは必要ありません。

 

行くか、

行かないか。

 

100か、

ゼロか。

 

どちらかの

選択にしましょう。

 

中途半端であること

だけは

やめましょう。

 

混乱や混沌とは

多くの場合、

中途半端さから

発生するものです。

 

本当は、

「距離感」についての

具体的な事例を

今回はご紹介しようと

思ったのですが、

あまりにいろんな人の

お顔が浮かぶものですから、

あえてその人達に向けて

今日はメッセージさせて

いただきました。

 

明日は

具体的な事例を

ご紹介できるかな?

 

つづく

 

人生の展開は距離感で決まる

私達の人生において

大きな転換のきっかけと

なるものに

「出会い」

がありますが、

その一方で、

「別れ」

というものがもたらす

影響も大きいですね。

 

出会いは概して

嬉しいものですが、

別れは概して

寂しいものですし

大きな悲しみを

伴うこともあります。

 

そのため結果的に、

 

「本当は今、

別れなければならないのに、

別れられない」

 

という現実を

創り出してしまっている

人が多いのが、

今の世の中の一つの傾向です。

 

実は、

どれだけ素敵な出会いを

重ねてきても、

きちんと別れるべき人と

別れないことで、

真本音度合いを著しく

落としてしまい

人生の不調和が始まって

しまった、

という人を私は

とても多く観てきました。

 

「別れ」とは

とても大事なものです。

 

そして

いつ、誰と別れるか?

私達は自らの真本音で

決めています。

 

もちろん

AさんとBさんが別れる場合、

Aさんの真本音が決めている

別れのタイミングと、

Bさんの真本音が決めている

別れのタイミングは

完全に一致します。

 

そしてその通りに

別れることができた場合、

二人の人生は

新たなステージに進み、

次の出会いと展開が

二人ともに起こり、

二人ともが

さらに真本音度合いの高い

人生を送ることができます。

 

別れるべき時に

しっかりと

別れましょう。

 

もし相手が

反応本音のレベルで

「別れたくない」

と言ったとしても、

その「情」に流されずに

しっかりとそれを

断ち切りましょう。

 

・・・このように書くと

寂しいでしょうか。

悲しいでしょうか。

 

冷たい人間だと

思われるでしょうか。

 

「別れる」という言葉と

ほぼ同義語として、

「手放す」

という言葉もあります。

 

手放すのも

本当に大事なことです。

 

本当に必要なタイミングで

別れを自ら切り出せる人、

そして

手放すことのできる人は

愛の深い人だなぁ、

と私は思います。

 

では、

「別れる」とか「手放す」

という行為の

本質とは

何だと思いますか?

 

それは私は

「距離を離す」

ということだと

捉えています。

 

「距離」

 

とか

 

「距離感」。

 

実は私達の真本音は

これをとても

大事にしています。

 

同じAさんとBさんでも

二人の距離や距離感が

真本音で望むものと

ずれていたら、

そこには不調和が

起きてしまうのです。

 

逆に言えば、

「調和」とは

「距離(感)で決まる」

と言っても

言い過ぎではないでしょう。

 

特に私達が今いる

この「3次元」という世界は

すべてが分離している

世界です。

 

分離しているが故に

一つ一つの物事

(その中に当然、「人」が

含まれます)

との距離(感)が

あらゆるものの展開に

影響を与えます。

 

その距離(感)とは、

心の中の距離(感)と

実際の距離(感)の

両方があり、

その両方を

真本音の望むものと一致させる

ことが「調和」のためには

必須です。

 

ちょっと

わかりづらいですか?

 

もう少し詳しく

お話しした方が

良さそうですね。

事例を交えて。

 

ただ、そのためには

ちょっと文章が長くなりますので、

続きは明日に。

 

まずは今回は皆さんに

二つの問いを

残しておきます。

 

単純に

直観でお答えいただくと

よいですね。

 

以下の問いを

自分自身に向けて

投げてみてください。

 

「私の人生において、

私はあらゆるものと

適正な距離感を持つことが

できているだろうか?」

 

そして、

 

「私が今、もっと

距離を離すべきものとは

何だろうか?」

 

つづく