人生をかけて
一つの楽器を探究し続けている
ある演奏家が
その楽器を弾いていると、
自分がその楽器を
弾いているのか、
自分がその楽器から
弾かれているのか、
わからなくなる、
という話を
聴いたことがある。
つまり、
自分と楽器の
区別が
つかなくなるらしい。
そうなると
完全に
自分という範疇を超えた
メロディーが
流れ出すらしい。
そしてそのメロディーを
聴きながら、
さらに
そのメロディーに
委ね、
自分と楽器と
メロディーと、
それらの区別が
つかなくなる
らしい。
実はこれ、
すごくよくわかる。
私もコーチングで
クライアントさんと
向き合っていると、
よくその状態に
なる。
自分と目の前の
クライアントさんとの
区別がつかなくなる。
今、語っている
その言葉が、
自分の言葉なのか
クライアントさんの
言葉なのか、
よくわからなく
なる。
しかしそういう時に
こそ、
びっくりするような
感動的な発想が
生まれる。
だけど、それは
後でそう思うことで、
その時その瞬間は
その発想そのものが
自分である、
という感覚なので、
そこにその発想が
存在すること自体が
とても自然で、
そこにその発想が
あるのが当たり前
という感覚だ。
恐らく私は
その状態こそが、
私達人間が
最も創造性に富んでいる
状態なのだろうと
思っている。
楽器と向き合う。
人と向き合う。
それは本質的には
同じことだ。
向き合う
ということには
それ自体に
力があり、
それこそが
私達人間本来の
力だ。
私達は
向き合うための
存在
とすら思えてくる。
向き合わずして
何が人間か、
とすら思うのだ。
向き合うことで
私達は
「一つ」
になる。
一つになることで
創造が始まる。
ただし、
無理に一つに
なる必要はないし、
上記で書いたような
相手と自分の
区別がつかなくなる
というところまで
行く必要もない。
むしろ、
むやみにそこまで
入り込むことは
しない方が良い。
ただ、
感覚として、
あぁこの人と私は
今、
一つになれている感覚が
ちょっと芽生えてるな、
くらいが
ちょうど良い。
相手と自分を
ちゃんと分離して
区別している自分と、
相手と自分が
それでもどこか
一つになれている
感覚と、
その両方を感じ取れる
状態。
これが
ベストだ。
そしてこの状態には
誰もがなれる。
向き合えば
良いだけだ。
向き合うことに
慣れればいい。
向き合うとは、
意識を相手に
向け続けること。
それを真摯に
やり続けるだけだ。
つづく