完了

完了したよ

 

心の中の

「嵐」

の方に行ってみる。

 

凄まじい

風だ。

 

私は容易に

吹き飛ばされた。

 

超大型台風の

何十倍もの威力が

ありそうだ。

 

当然、

息もできない。

 

恐らく

竜巻に巻き込まれたら

こんな感じでは

ないだろうか。

 

縦に横に

吹き飛ばされ続け、

訳がわからない

状態のまま、

 

そのままに

自分の身を

委ねる。

 

風の音と共に

阿鼻叫喚の

声たちが

聴こえる。

 

大地震のような

振動を感じる。

 

何だ?

この振動は。

 

地面に立っている

わけでもないのに。

 

なぜ風と共に

空気はこれほどまでに

細かく激しく揺れる?

 

わからないこと

だらけだが、

それでも私は

身を任せたままだ。

 

そうこうしている

うちに、

とうとう本当に

訳がわからなくなり

意識も飛びそうになる。

 

しかしそこを

恐れずに、

さらに力を抜く。

 

委ね切る。

 

すると、

訳がわからなく

なっている自分を

 

静かにじっと

見つめる

自分がいることが

 

フッと

わかった。

 

その自分と

一致すると、

「嵐」の中で

翻弄されている自分が

ありありと

観えた。

 

あー、ありゃ

ダメだ。

 

到底自力では

抜け出せない。

 

何ともならん

状態だ、

わかった。

 

わかったが

やはり、

何とかしようとは

思わない。

 

あえてまた

私は

「嵐」の中の自分に

戻っていく。

 

意識を失いそうに

なりながらも、

何とかそれだけは

踏みとどまり、

「嵐」の怖さと

苦しさを

あるがままに

そのままに

感じることのみに

集中した。

 

私は

私ではなく、

単なる

「感覚」

となった。

 

・・・と、

 

突然、

何かがオギャーと

生まれた。

 

目の前に

パッと光が

溢れる。

 

いや、

光の中に

私は出たのだ。

 

いや、

光の中では

ない。

 

「嵐」の外に

出たのだ。

 

いや、

「嵐」の外では

ない。

 

「嵐」が

生まれ変わった

のだ。

 

「新しい世界」

として。

 

なんだ、そうか、

お前は

生まれ変わり

たかったのか。

 

・・・と

ようやくここで

合点した。

 

気がつくと

静かに私は

いつもの書斎に

座っている。

 

これまでの

風は

やんだ。

 

これからは、

君らが

風を起こす

番だ。

 

つづく

 

はい、ここで終わり

 

コーチングを

していると、

 

ふと、

 

あぁ、ここまでだな。

 

と思う

瞬間が来る。

 

私がよく言う

 

『完了感』

 

というヤツだ。

 

その時その場に

おける「目的」を

ちゃんと果たした

という

独特の感覚。

 

逆に言えば、

「これ以上はもう

何もするな」

という合図。

 

99%でもなく

101%でもない、

ちょうど100%の

達成感。

 

・・・その「完了感」が

来たら、

私はコーチングセッションの

途中でも、

その瞬間にすぐに

セッションを終える。

 

クライアントさんには

あらかじめ

「完了感」については

お伝えしてある。

 

で、

「今、完了感出ました」

ということで

「ここまでにしましょう」

と、

突然にセッションを

終えるのだ。

 

これをすると、

クライアントさんも

「そうですね!

そうしましょう!」

となるケースが

ほとんどなのだが、

 

時折、

そうでない場合もある。

 

「え?

私、まだとても

モヤモヤしてるんですが」

 

と言われることも。

 

しかしそれでも私は

セッションを終える。

 

クライアントさん、

ブーブー言われるのだが、

それでも

終える。

 

するとそのモヤモヤが

「種」

になるのだ。

 

そのモヤモヤを

持ちながら

日常に戻ると、

 

それが種になり、

次の重要な展開が

始まる。

 

モヤモヤが

あったからこその

展開。

 

それがなかったら

到底、起こり得なかった

展開。

 

それが起こり、

その後に

真の気づきが来る。

 

結果として、

「スッキリしました!」

と。

 

モヤモヤが

悪いわけではない。

 

モヤモヤは

大切だ。

 

ただし、

その人にとっての

良いモヤモヤで

あることが重要で、

 

それを教えてくれるのが

「完了感」

だ。

 

コーチングセッション

だけでなく、

あらゆる物事に対して

この「完了感」を

大事にすれば、

人生も仕事もかなり

調和していく。

 

まずは、

「完了感」というものが

あるんだ、

という視点を

持つこと。

 

そしてそこに

意識を向けながら

日々を過ごすことで、

それだけで

「完了感」への感覚は

養われていく。

 

ぜひ

試してみてください。

 

つづく

 

完了感覚を養おう

 

丁寧に生きる、

とは

「完了感」を大事に

しながら生きる、

ということと

同義語であると

私は思っている。

 

一つ決めて

一つ行なう。

 

それをどこで

終えるか?は

「完了感」の有る無しで

決める。

 

たとえ仕事の途上で

あっても、

「完了感」が出たら

そこでいったん終える。

 

たとえ1時間のミーティング

でも、

20分で「完了感」が出たら

そこで終える。

 

逆に、

「やったー、終わったー!」

と顕在意識レベルで

仕事が完了したと思っても、

「完了感」がなければ

終えてはならない。

 

何かまだそこで

すべきこと

したいことが

残っているはずだ。

 

もちろん、

「終わったー!」という

気持ちと、

「完了感」が一致する

ことは多い。

 

この「完了感」に

敏感になることで、

仕事も人生も、

 

「時間」も

 

すべてが調和

していく。

 

すべてが

楽に進んでいくようになる。

 

・・・・・・

 

コーチングでも

そうだ。

 

たとえ相手が

クライアントさんで

あったとしても、

私は

「完了感」が出たら、

 

「ここでセッションを

終わりにしましょうか」

 

とご提案する。

 

もちろん

たまにクライアントさんの

方では

「完了感」が出ていないことも

あるので、

その場合は続けるが。

しかし

滅多にそれはない。

 

で、残りの時間を

雑談にする。

 

するとその雑談の

中でこそ

とてつもなく大切な

気づきがあったりする。

 

もちろんそれを

狙っているのではない。

 

残念ながら

狙ってもそれはできない。

 

本当に終わった。

本当にあとは雑談だ。

 

と思えるからこそ

得られる気づき。

 

そういうものが

確かにある。

 

そんなこんなも

全部含めて、

「完了感」を大切にすれば

人生が楽しくなる。

 

・・・・・・

 

「完了感」に敏感に

なるための

最も効果的な習慣は、

 

一つ決めて

一つ行なう。

 

を徹底することだ。

 

今はこのための時間だ、

決めるのだ。

 

もちろん

「今はダラダラする時間だ」

というのもアリ。

 

ダラダラするなら

ちゃんと

ダラダラする。

 

「完了感」が出るまで

ダラダラする。

 

そう決めて

ダラダラするのだ。

 

もちろんダラダラだけでなく、

すべてのことを

そのように決めて

行なっていくとよい。

 

すると

最初はわからなかった

「完了感」も、

しだいに感覚でわかるように

なる。

 

「完了感」がない場合は

そこで終えようとすると、

 

何となく

気持ち悪いのだ。

 

この「何となく」が

わかるようになるとよい。

 

メリハリなく

曖昧なままで

時間を過ごすのは

もうやめよう。

 

人生は

長いようで短い。

 

自分の意思で

人生を進めよう。

 

つづく

 

完了感、出ましたね

 

完了感が

出るということは、

 

次のステージ

への

スタートを

意味する。

 

完了感が

出るということは、

 

何かを一つ

手放さなければ

ならない。

 

それは

寂しいことなのだが、

 

でも

そこに留まれば、

どれだけの

不調和がその後に

発生するかを

 

私はこれまで

いやというほど

経験してきた。

 

一つを

終えたら、

一つを

手放す。

 

一つを

手放したら、

一つを

始める。

 

新たに始める

その一歩は

これまでより

ちょっと次元が

高まっている

はずだ。

 

それは

勇気を伴う

ことが多いが、

 

勇気さえ出せば、

新しく軽やかで

清々しい

風を受けながら、

調和の道を

進むことができる。

 

そういった

単純明快な

進み方のできる

仲間を

私は丁寧に

増やしていきたい。

 

そんな仲間達と

語り合い、

笑い合っていたい。

 

つづく

 

完了したら次に行け

 

様々なことに

終わりがあり、

 

そして

それは同時に

次への

始まりである。

 

完了感。

 

100%やり切った

時のみに

心と体に満ちる

独特の感覚。

 

それを得られる

生き方は、

人として

ひょっとすると

最上の幸せなのかも

しれない。

 

一つのことを

極めようと

するならば、

 

日々、

 

この完了感に

こだわるといい。

 

一日一日の

完了感。

 

一つ一つの

仕事の

完了感。

 

一人一人との

会話の

完了感。

 

99%では

ダメ。

 

そして

101%、つまり

やりすぎも

ダメ。

 

ちょうど

100%で

終えることに

真剣になること。

 

それができる

からこそ、

 

どこまでも

どこまでも

継続が

できる。

 

そしてその

結果として

一つを極めることが

できる。

 

残念ながら

(というか、本当は

幸いなことに、

と言いたいところだが)

私達の人生には

物理的な

限りがある。

 

大概は、

一つのことを

極めるだけで

人生は

終わってしまう。

 

だからこそ、

何を極めるか?

真剣になれる。

 

人生は

あっという間に

終わる。

 

一つを極める

ということは、

自分を極める

ということでも

ある。

 

自分を極める

には、

一つ一つに

魂を込めること。

 

それがつまり

完了感を

大切にすることだ。

 

完了感を得る前に

次に

行くな。

 

完了感があるにも

関わらず、

ここに

しがみつくな。

 

よい

終わり方を

しよう。

 

よい

始まり方を

しよう。

 

つづく

 

躊躇を外してみようかな

 

「完了感」。

 

何かを100%

やり切った

感覚。

 

99%ではなく、

101%でもなく、

100%の時にしか

得られない

独特の感覚。

 

それが

今の私にある。

 

なぜだか

わからないのに、

ある。

 

時々、

こういうことがある。

 

理由もなく、

完了感のみが

湧き上がる。

 

こういう時は

実在のレベルで

何かを

完了させたのだろう。

 

「実在」とは

心の中の現実。

 

心の中で

確固たるものとして

生まれたもの。

 

恐らくであるが、

長年かけて

構築を目指して

やり続けてきたことが

完成したのだろう。

 

もちろん、

本当の意味での

完成は

ない。

特に実在に

おいては。

 

しかし、

一つの段階において

何かが完成し、

次のステージに

入っていくのだろう。

 

・・・・・・

 

実在における

完了感を得た

ということは、

 

これからそれが

現象化

するということだ。

 

つまり、

心の中の現実が

実際のこの世界の

現実として

現れる。

 

それが何かは

今のところ

まだ自分でも

把握できていないが、

 

何となく

楽しみである。

 

・・・・・・

 

さて。

 

これから私は

何をしようか?

 

もちろん

コーチを育成する

ことは

決めている。

 

そのコーチと一緒に

たくさんの

現場に入ることも

決めている。

 

まだまだ

やることは多い。

 

これからさらに

増やしていく。

 

ただ。

 

これまでの私を

私は一つ大きく

変えねばならない、

 

と、今わかった。

 

これまでの私は

私の真剣さを

私以外の人に向ける

ことを

躊躇してきた。

 

いや、

そのつもりはなかった

のだが、

今、本当に

そう思った。

 

変な言い方

であるが、

私は私の真剣さが

実は、ちょっと怖い。

 

真剣すぎる

からだ。

 

私のこの真剣さを

受け止め切れるのは、

私の妻だけであると

これまでは

思ってきた。

 

しかしそれでは

いけない。

 

それでは

進めない。

 

私は私の真剣さを

徐々にではあるが、

解放しようと

思う。

 

実在で

何が完了したかは

わからないが、

そうしなければ

その完成したものは

現象化できないと

今、わかった。

 

ちょっとずつ

躊躇を

外そう。

 

う〜む、

勇気が要るね。

 

つづく

 

本当に先に進んでいいのかな?

 

物事には、

スタートを切って

良い時と、

いけない時が

あります。

 

ここを見誤ると、

後でかなりの

手間がかかります。

 

不調和の処理を

しなければならなく

なるからです。

 

しかし

ここさえしっかりと

見極めれば、

物事の展開は

びっくりするほど、

スムーズになります。

 

『始めどき』

 

・・・と表現すれば

よいでしょうか。

 

これが、

及ぼす影響は

測り知れないです。

 

・・・・・・

 

「始めどき」を

大切にするということは、

「終わりどき」を

大切にする

ということにもなります。

 

「終わりどき」

つまりは、

「ここで完了だな」と

思える瞬間。

 

よく私は

 

『完了感』

 

という言葉も使いますが、

 

私達の真本音は

これも、

とてつもなく大切に

しています。

 

というよりも、

 

「完了感がなければ、

先に進んではならない」

 

くらいに思っています。

 

「完了感」とは要するに、

「やり切った感」ですが、

 

例えば、

あるミーティングをした場合に、

私は常に

ミーティングの最後に

皆さんにお訊きします。

 

「完了感ありますか?」

と。

 

これでこの場の

目的はきちんと

果たせたと

真本音で思えるかどうか?

を訊くのです。

 

これもよく言うことですが、

99%でもダメ、

101%でもダメです。

 

かっきり

100%目的を

果たせたと

自然に思えるかどうか?

 

この100%の状態で

私達が得るのが

「完了感」です。

 

スッキリ感

ですね。

 

これが湧くまで

私はミーティングを

終えませんし、

逆に、

これさえ湧けば、

予定の内容が途中でも

私はミーティングを

「終了しましょう」と

提案します。

 

もちろんミーティング

だけでなく、

あらゆる物事に

「完了感」は大事です。

 

一日の終わりに

その一日の完了感が

あるかどうか?

とか。

 

真本音度合いが高まると、

この「完了感」に

自然に敏感になり、

「完了感」がないままに

先に進むことが

とても気持ち悪くなります。

 

ということは、

きちんと「終わりどき」を

知ることができ、

 

ということは、

次に行なうことの

「始めどき」を

知ることもできる

ということです。

 

・・・・・・

 

今、

新たな何かを

「始めよう!」

とされている人が

とても増えています。

 

それはとても

素晴らしいことですが、

 

そんな人ほど、

ぜひ自分自身に

問うてほしいのです。

 

「ちゃんと

これまでの自分に対して

完了感はあるかな?」

 

「これで、次のステージに

進んでも

本当に良いのかな?」

 

と。

 

ここで気持ち悪さや

違和感を覚えたら、

その原因、

つまりは

 

「何がまだ

完了していないか?」

 

を探ってください。

 

そしてそれを

必ず、

完了させてください。

 

その後です。

 

本当の

スタートは。

 

つづく

 

 

<ご案内>

「完了感」溢れる

人生にしませんか?

 

そのためには

きちんと

「完了感」を感じられる

自分自身との向き合い方が

必要です。

 

一日一日をきちんと

「完了」させていけば、

その満足感と

幸せ感は

半端なくなります。

 

ご興味がございましたら、

以下の電子書籍と動画をご覧ください。

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『人生を真剣に生きたいあなたへ』

 

人生のテーマからずれた生き方は、人を疲弊させる

「弓江さん、

日下部さんの人生のテーマは

何だと思います?

彼は、どんなテーマに向かって

生きていくことが、

彼自身の喜びであり、真の成長に

つながるでしょうか?」

 

この唐突な問いに、

弓江さんは目を白黒させました。

(→前回記事)

 

しかしさすがに弓江さん。

私の唐突な問いにも慣れてきたようです。

 

私が問う、ということは、

その人から今、答えが出る、という

確信を持った上での投げかけです。

どれだけ唐突に感じる問いでも、

必ず答えが出るはずだ、

・・・と、

弓江さんは信じられるようになったようです。

 

彼女は、一度目を閉じてから、

心を落ち着かせ、

すぐに答えました。

 

「ちょっと意味不明なのですが、

“夢”という言葉が浮かんできます。

夢に向かう、ということでしょうか。」

 

それを聴いて、私はピンと来ました。

 

「日下部さんという人は、

探究心が旺盛な方ですか?」

 

「あっ、そうですね。

それは言えると思います。」

 

「夢に向かう、ということよりも、

“夢の探究”ということではないでしょうか?」

 

「“夢の探究”・・・。

それは、どういうことでしょうか?」

 

「日下部さんは、恐らく、

物事の本質を突き詰めることに

喜びを感じる人だと思うのです。

ですから例えば、

夢とは何だろうか?

とか、

我々のチームは、どのような夢を持つことで

活性化するだろうか?

とか、

少し客観的に、夢というものを

突き詰めていく。

そんなテーマを持っている人のような

気がします。」

 

「それは、単純に自分の夢に向かいたい!

というのとは少し違うのですね。」

 

「そうですね。

彼からは、客観性を感じます。

客観的になればなるほど、彼は力を発揮する

のではないでしょうか?」

 

「あぁなるほど! それは確かに言えます。

彼はいつも、参謀的な立場に立つと

いつもイキイキしていたように思います。

ということは、彼は今、

客観的になれていないのかな?」

 

「その可能性はありますね。

チームのメンバーが半分になってしまった

からなのか、それとも

他の何かしらの理由があるのか。

それはわかりませんが、

今の彼の心の立ち位置は、本来の彼のものとは

異なっている可能性はありますね。」

 

すると木村さんが

口を開きました。

 

「あぁ、何となく、すごく腑に落ちます。

彼には今、このチームの未来が

見えなくなってしまっているのかな?

ひょっとすると、売上云々のことだけでなく、

もっとチームの未来について、

我々は語り合った方が良いのかもしれません。」

 

「それは良いですね!

あとは単純に、日下部さんに、

このチームは、どんな夢に向かっていけば

良いと思う?

・・・という問いを投げ続けるのも

彼の活性化につながるかもしれません。」

 

ここまでお話しできた時点で、

私の中に「完了感」が湧いて来ました。

 

日下部さんに関しては、

ここまでの語り合いでOK、という

真本音レベルでの合図です。

 

あとは、実際に日下部さんとお会いして

そこで何を感じるか?を

大切にすればよいでしょう。

 

日下部さんについて、

この二人コーチングの場で見えて来た

仮説としては、

まとめると、以下のようになります。

 

・・・・・・

日下部さんはどうやら、

チームのメンバーが半分に減らされた辺りから、

真本音度合いを落としているらしい。

具体的には、

物事に対して逃げ腰になり、

助けを求めるような精神状態にありそうだ。

そうなってしまった根本的原因として考えられるのは、

彼自身の真本音のテーマである

『夢を探究する』

という意識が、薄れてしまっている状態であり、

彼自身の特性としての、

『客観的な視点を持つ』

という本来の立ち位置から

今の彼はズレてしまっているから。

・・・・・・

 

これはあくまでも仮説です。

しかし、彼の「実在」を感じ取った上での仮説

ですから、

彼と向き合う上での一つの重要な視点には

なるでしょう。

 

あとは実際に彼と向き合うことで、

見えてくることは多いと思いますし、

その視点から彼と向き合うことで、

彼がチームにとっての「要」となり得るかどうか?が

判別できるはずだと、私は読みました。

 

つづく