家族

現実と向き合っているかどうかの判断基準とは

 

なんでみんな

こんな苦しいままで

平気なんだろう?

と、よく思う。

 

心が麻痺しちゃってる

のかな。

 

私は

人と向き合うと

その人の苦しみを

そのまま感じ取ってしまう。

 

その人が

感じているのと

まったく同じように

感じてしまうのだ、

ということに

10年以上前に気づいた。

 

もちろん、

その苦しみの詳細は

わからない。

 

実際にその人に

何が起きているのかも

わからない。

 

でも、

苦しみの感覚は

ありありとわかるし、

それが、

悲しみなのか

怒りなのか

絶望なのか、

 

そして、

それをその人自らが

創り出しているのか、

それとも

誰かから受け取って

しまっているのか、

 

などはわかる。

 

時々は、

その人の

心の叫び声が

聴こえたりもする。

 

「助けてくれ〜!!」

 

と叫んでいる人は

いっぱいいる。

 

にも関わらず、

その人は表面上は

へっちゃらな顔を

している。

 

最初は

それは装っているのかな、

とも思っていたが、

どうも違うようだ。

 

多くの場合は、

自分で自分のその苦しみに

気づいていない

ようだ。

 

「気づかないまま

行けばいいじゃないか」

 

という意見も

あるだろうが、

やはり

そうはいかない。

 

苦しみが

ある限界を超えると、

それは

「病気」に

なってしまうから。

 

それは、

体の病気として

現れることもあるし、

心の病気として

現れることもある。

 

苦しみを

苦しみと

感じることの

健康さ。

 

それを私は常に

訴えている。

 

・・・・・・

 

現実と

きちんと

向き合っているか?

 

という

問い。

 

これを受けて、

向き合っていると

迷いなく答えられる人は

稀ではないか。

 

人は本当は

現実と

向き合えば向き合うほど、

楽になる。

 

しかし

現実には

苦しみの象徴が

たくさんある。

 

だから

目を背けたくなる。

 

目を背ければ

その時点で

現実逃避だ。

 

現実逃避は

多大なストレスを

生む。

 

この状態のまま

人が人を

サポートすることは

極めて難しい。

 

サポートする側の

人間は、

少なくとも

現実とはきちんと

向き合い続けており、

自ら発生させるストレスは

最小限であるのが

望ましい。

 

それができている人を

私は

「コーチ」

と呼ぶ。

 

・・・・・・

 

現実と

きちんと向き合っているか

どうか?

 

その最も簡単な

判断基準は、

 

「自分の家族と

きちんと向き合って

いるかどうか?」

 

・・・だ。

 

家族というのは、

やはり

大事だ。

 

その人の人生の

基盤になる。

 

家族との関わりは

人生との関わり

に反映される。

 

自分の家族と

向き合えていない人が

コーチをやると、

最悪のコーチングになると

言っていい。

 

表面上は

どれだけ素晴らしい

コーチングになったとしても、

根底が

あまりに脆弱に

なるのだ。

 

家族と向き合えていない

コーチは

その時点でもう

本物ではない。

 

・・・・・・

 

どれだけ

セルフコーチングをして

内面を整えたとしても、

 

自分の目の前にある

現実を整えずして

人生は

進まない。

 

その「現実」の

最も基本となるのが

「家族」

だ。

 

例えば、

両親。

 

例えば、

兄弟姉妹。

 

例えば、

妻、

もしくは、夫。

 

例えば、

子ども。

 

関係が

上手くっているかどうか、

ではない。

 

もちろん

上手くいっていることに

越したことはないが。

 

関係が

上手くいっていても

いっていなくても、

 

ちゃんと

向き合い続けているか

どうか、

だ。

 

つづく

 

私達は家族になった

 

12歳の夏。

 

私はアメリカのオレゴン州

の片田舎

にいた。

 

私と同い年の

少年と、

2歳下の弟がいた。

 

私達は昨日

出会ったばかり。

 

もちろん私は

片言の英語すら

できない。

 

私達は

ある病院の待合室に

3人で待たされていた。

 

なぜか待合室には

電気もついておらず、

そして

私達3人の他には

誰もいなかった。

 

広い待合室なので

とてもガランと

していた。

 

二人の兄弟の前で

私はカチコチに

固まっていた。

 

相手は

外国人。

 

というか、

私こそが外国人

だ。

 

二人も緊張

していたのだろう。

 

まるで私を

無視するかのように、

兄弟で

じゃれ合っていた。

 

私はポツンと

一人。

 

心細さと

孤独感。

 

しかし私は

これから、

この二人と1ヶ月の

時間を過ごさねば

ならないのだ。

 

・・・・・・

 

ふと、

私は自分の左手に

目を留めた。

 

そこには、

私の手からすれば

かなり巨大な

腕時計があった。

 

私が半年ほど

親に対して

説得に説得を重ねて

ようやく買ってもらった

「超」が6つくらいつく

大好きな腕時計。

 

ふと、

この時計は

今のために

買ったのではないか、

と思った。

 

兄弟がじゃれ合っている

その隣で、

私は密かに

時計を操作した。

 

1分後にセット。

 

私は

その時を待った。

 

そして

1分後。

 

私の腕時計は

アラーム音を

鳴らした。

 

誰もいない

暗い待合室に、

びっくりするほど

それは

大きく鳴り響いた。

 

あれ?

これ、こんなにも

すごい音だっけ?

 

と思っていると、

私の目の前に

ビックリ仰天した

二つの顔があった。

 

彼らは、

英語で何かを

まくし立てた。

 

そして

私の左手を取った。

 

私は

私の自慢の

腕時計を見せながら、

 

「アラーム。」

 

とだけ言った。

 

その時私が

使える唯一の

英語だった。

 

恐らく日本語に

すると、

 

「すげーーっ!!

なんだこれ!!

お前、すげーもの

持ってんな!!」

 

ということだったと

思う。

 

彼らは凄い形相で

私に何かを

わめいた。

 

1980年のことだ。

 

アラーム付きの

腕時計は、

彼らにしてみれば

驚嘆だったようだ。

 

私は、

ニンマリと

笑った。

 

そしたら、

彼らも

ニンマリと

笑った。

 

あぁ、

その時だった。

 

私に

人生で経験したことの

ない

感覚が

訪れた。

 

・・・・・・

 

私と彼らの間に

あった

距離、

壁、

境界、

環境の違い、

文化の違い、

言葉の違い、

人生の違い、

・・・要するに、

断絶とも分離とも

言える

あらゆるものが、

その一瞬のうちに

消散した。

 

私達はまるで

生まれてからずっと

兄弟だったような

感覚に包まれた。

 

彼らは

どうだったかは

わからないが、

少なくとも

私はそうなった。

 

その瞬間から

私達は紛れもなく、

「家族」

になった。

 

ちょうどその時、

見舞いを終えた

彼らの両親が

待合室に

もどって来た。

 

弟の方が、

夢中になって

私の腕時計のことを

両親に伝えた。

 

両親は

私の腕時計を

見た。

 

もう一度、

アラームを

鳴らしてみた。

 

みんなで

笑った。

 

私達は

「家族」だった。

 

・・・・・・

 

あれから約

40年経った今、

 

そうか、

あの瞬間に私は

人生の道を

決めたのかもしれない、

 

と思う。

 

私が今の

お仕事をさせて

いただいているのは、

あの瞬間と、

彼らの

おかげだな。

 

つづく

 

倉庫の中で何してるの?

 

ある暗い倉庫の中で

遊んでいた子どもが

ふと、

外に出たとします。

 

外は

太陽の光が

注いでいます。

 

出た瞬間は、

それがあまりにも

まぶしくて、

 

目を開けて

いられません

でした。

 

しかし次第に

目が慣れて

きました。

 

周りを見渡すと

とても気持ちの良い

草原が

広がっていました。

 

青空と

爽やかな風と

広々とした

大地。

 

草原はどこまでも

続き、

その子は

大はしゃぎで

走り回って

遊びました。

 

ふと見ると、

倉庫がありました。

 

とても小さい。

 

あぁそうか、

さっきまで

あそこの中に

いたんだ、

とわかりました。

 

あんな小さな

中にいたんだ、と。

 

そこでもう一度、

倉庫の扉を開け、

中を覗いて見ると、

 

真っ暗で

何も見えません。

 

しかも中は

窮屈で、

空気も淀んで

います。

 

わぁ、さっきまで

こんな中に

いたんだ、

とびっくりしました。

 

いや、もう

ここには

戻りたくないなぁ、

と。

 

ふと、

気配がしたので

その子は

後ろを振り返りました。

 

すると、

ニコニコした

「家族」が

いました。

 

あっ、家族だ

一瞬でわかりました。

 

久しぶりに

会えた!

と思いました。

 

「母親」が

言いました。

 

「倉庫の中で

何やってたの?

随分と長い間

入ってたね。」

 

「うん。

あそこが僕の家

だと思ってた。」

 

「あはは、

何言ってんの。

あなたの家は

あそこでしょ?」

 

と「母親」の指差す

方向を見ると、

とても大きく、

しかも可愛らしく、

そして居心地良さそうな

建物が見えました。

 

あぁそうだ。

 

あそこが僕の

家だった。

 

僕はいつも

あそこで

寝起きしていた。

 

とても楽しい

毎日だった。

 

あっそうか。

 

僕はあそこで

育っていけば

いいんだ。

 

暗い倉庫の

中でじっとして

いなくてもいいんだ。

 

と思い出し

ました。

 

「父親」が

言いました。

 

「あの倉庫の中で

何をしていたんだい?」

 

「う〜ん。

何をしていたんだっけ?

なんか大切なことを

していたような・・・。

あっそうか。

探し物を

していたんだ。」

 

「見つかったのかい?」

 

「ううん。

そういえばまだ

見つかってないや。」

 

「それは

見つけた方が

いいものかい?」

 

「・・・そうだなぁ。

見つけた方が

いいかな。」

 

すると、

「兄弟達」が

言いました。

 

「そうなんだ。

じゃあ僕らも

手伝おうか?」

 

「ほんと!?

それは嬉しいなぁ。」

 

「そうしよ、そうしよ、

一緒に探してあげるよ。」

 

「わ〜い!

そうしよう!」

 

「兄弟達」は

その小さくて

暗い倉庫の中に

一緒に入りました。

 

最初は

暗くて何も見えなかった

けれど、

やはり中に入れば

暗さに目が慣れて

きます。

 

「兄弟達」は

協力して、

探し物をしています。

 

その子は、もう

知っています。

 

今のこの倉庫は

僕の本当の家ではない、

と。

 

しかし今の僕には

とても大切な場所で、

ここでしか

見つからないものが

あると。

 

でも、

ここで見つけたいものを

見つけられたら、

再び

外に出ることが

できる、と。

 

そして、外には

僕の本当の「家」が

ある、と。

 

その子はそれを

思い出しました。

 

だから、

あえてこの倉庫の

中にいる

意味も意義も

わかります。

 

しかも

「兄弟達」も

今はいます。

 

すると、

この倉庫が

より愛おしくなって

きました。

 

倉庫よ、

ありがとう!

 

そんな気持ちに

なってきました。

 

・・・・・・

 

真本音の人生を

歩き始める、

というのは、

そんなような

ものですね。

 

つづく