人生に

奇抜なことは

いらない、

私は思う。

 

ただ、

今日という一日の

今という時に

自分がしようと

していることに対して、

 

一つ一つ

丁寧に

魂を込めること。

 

それを

し続けるだけで、

「思わぬ素敵な展開」

が、

次々に起こっていく。

 

とはいえ、

そういった結果を

期待している

わけではない。

 

やっていることは

一つ一つ

魂を込めること

だけだ。

 

でも。

 

「魂を込める」

という意味が

わからない

という人も多い。

 

「心を込める」

のと

「魂を込める」

のは

実は本質的に

異なることなのだが、

 

まぁここでは

あまり難しいことを

説明しようとは

思っていない。

 

魂を込めることが

わからないならば、

せめて

心を込めることを

するとよい。

 

一つ一つ丁寧に

心を込めていけば、

途中で

疲れてしまうだろう。

 

でも

それでいい。

 

限界まで

がんばってみて

ほしい。

 

実は、

魂を込める

というのは

まったく疲れない。

 

永遠に

できることだ。

 

でも私だって

最初からそれが

できたわけではない。

 

ある意味必死に

心を込め続けて来たから、

その限界がきて、

それでも心を込めようと

がんばったら、

 

ある時

ある瞬間に、

魂の込め方が

わかったんだ。

 

そんなもんじゃ

ないかな。

 

しかし。

 

今の若い人達の

何割かは、

「魂を込めよう」

と言うと、

「そうですね」

とへっちゃらで

返してくる。

 

わかってないのに

適当に答えている

わけではない。

 

本当に

わかっている

ようなのだ。

 

だから私の

真本音の話も、

あーだこーだと

説明を加えなくとも

「あぁなるほど」

と、

すぐになる。

 

そんな人が

増えている。

 

そういう人達と

関わっていると、

本当に

時代は変わったなぁ、

実感する。

 

令和にも

なったことだし、

 

本当に

これまでの考え方

これまでのやり方

変えようかと

思っている。

 

「ペーシング」という

言葉があるが、

 

これは、

ペースを合わせる

などの意味があるが、

 

これからは

最初から感性が

豊かな

若い人達にこそ

我々はペーシングすべき

ではないかと

本気で思っている。

 

彼らがいかに

伸び伸びと

社会において

成長・進化するか?

 

が、

これからの時代を

決定づける。

 

そのサポートを

することは、

コーチ云々ではなく、

我々世代の

役割ではないかと

強く思うし、

 

そう決めた。

 

つづく