悦び

なるにまかせよ

 

内側から

何かが

込み上げてくる。

 

それは

決して悪いものではなく、

心地良いもので

あるが、

 

しかしそれにしても

凄いエネルギーだ。

 

このエネルギーを

どうやって

コントロールしようか?

 

・・・と思うと

途端に自信が

なくなる。

 

しかし

込み上げるものを

抑えることも

できない。

 

わずかでも気を抜けば、

それはまるで

活火山のように

大噴火し、

マグマを放流させるだろう。

 

・・・・・・

 

そのエネルギーは

あえて感情として

表現すれば、

 

悦び

 

となるだろう。

 

しかしそれにしても

なんと強い

悦びか。

 

この悦びに

包まれること自体に

恐怖すら感じる。

 

この悦びを

制御できなければ、

いったい自分は

どうなってしまうのか?

 

・・・・・・

 

いくら居心地の良い

ものであっても、

私達は

未知のものや

これまでの範疇を

大きく超えるものを

前にすれば、

 

誰だって

躊躇する。

 

だから

躊躇すること自体は

健康的だ。

 

しかし。

 

今は、

躊躇している

場合ではない。

 

今、感じている

制御不能のその悦びは、

そのエネルギーは、

 

まだまだ

序の口だ。

 

そんなものは

堂々と

受け止めよ。

 

それができる

あなたに

なっているんだよ。

 

早く受け止めて、

 

すぐに

次に行こう。

 

つづく

 

リブート 二つ目の意味

 

以前の私の講座の

受講生さんで、

 

「喜び」

 

という言葉と

 

「悦び」

 

という言葉を

区別されていた人が

いた。

 

「喜び」とは

心の喜びのこと。

 

「悦び」とは

魂の喜びのこと。

 

だそうだ。

 

この区別、

私もとても大切だと

思っている。

 

この区別が

もっとつくようになれば、

人生はもっともっと

豊かなものに

なるのではないか。

 

・・・・・・

 

この仕事をしていると、

魂がジンジンと

悦ぶ瞬間が

ほぼ

毎日のようにある。

 

それが実に

気持ちが良い。

 

しかもそれは

特別な出来事だけに

起こることではない。

 

私が、

「悦び」を実感できる

ようになってから

初めて知ることが

できたのは、

 

「一日の始まり」

「一日の終わり」

 

私達人間は

言いようのない悦びを

得ている、

という事実だ。

 

始まりと

終わりに

私達の魂は

打ち震えるのだ。

 

ひょっとすると、

この悦びを

定期的に得続けるが

ために、

「一日」というのは

あるのではないか、

 

とすら、

私は思うことがある。

 

ところが、

この悦びを

素直に感じ取っている

人がいったい、

どれだけいるだろうか。

 

今の社会では。

 

・・・・・・

 

富士山など、

山に登って

ご来光を拝む時、

 

ほとんどの人は

独特の喜びや

感動を得ていると

思う。

 

あれはもちろん

太陽や大自然の美しさを

目の当たりにした

感動もあるだろうが、

 

あれこそ私は

本質的には、

「始まりの悦び」

を感じているのだと

思う。

 

このように皆、本当は

「悦び」は感じられる

はずなのに、

 

日常にどっぷりと

浸かってしまうと、

それを

忘れてしまう。

 

これは

実にもったいない

ことだと

思わないか?

 

・・・・・・

 

私の推奨する

セルフコーチング法は、

 

この「悦び」を

取り戻していく方法

とも言える。

 

普段、

本当は感じているのに

感じられていない

麻痺してしまっている

私達の心を、

正常に戻していく。

 

そのために必要なのが、

 

『リブート』

 

だ。

 

つまりは

「再起動」。

 

心を再起動させる

やり方と力を

身につけていく。

 

一昨日の記事で

「リブート」には

二つの意味がある、

と書かせていただいたが、

(→【やっと動画を撮り終えました】)

 

二つ目の意味

とは、

 

「毎日のリブート」

 

だ。

 

本当は、

一日の終わりと

次の一日の始まりは、

私達にとっては

「リブート」

するというとても

重要な意味がある。

 

しかしそれが

きちんとできていない。

 

だから、

始まりと終わりの

「悦び」も

感じ取ることが

できない。

 

だから、

本来の

エネルギーも

湧いてこない。

 

昨日書かせていただいた

エネルギー管理も

できなくなる。

(→【自分のエネルギー管理を】)

 

だから私は

「リブート」の

具体的な方法を

皆さんがきちんと知る

必要があると

思っている。

 

それを

お伝えしたい。

 

これができると、

いつでもどこでも

「リブート」できる

私達になれる。

 

それをしっかり

正しく練習する場

としての講座を

開きたいと思っている。

 

つづく

 

やはりここが原点だな

 

嬉しいことが

あると、

 

悦びのあまり、

内側から

凄いエネルギーが

湧いてくるが、

 

最近の私の

それは、

ちょっと尋常ではなく、

 

自分を

見失いそうに

なる。

 

今日も

嬉しい日だったのだが、

少しの時間、

私の顕在意識は

私自身の

エネルギーの中に

埋没してしまった。

 

注意せねば。

 

エネルギーが

出ること自体は

良いことなのだが、

 

そのエネルギーを

自らコントロール

するのではなく、

 

エネルギーの

放流に

呑まれてしまうと、

気がつけば

単なる

イケイケどんどん

になってしまう。

 

イケイケどんどん

のまま

行動すれば、

その時は

気持ち良いのだが、

 

あとで必ず

その反動が来る。

 

これは恐らく

私だけのことでは

なく、

すべての人が

そうなのだと思う。

 

気持ちが良い時

ほど、

自分のコントロールが

効かなくなる。

 

ここを

乗り越えることも

我々人間の

テーマの一つだ。

 

エネルギーが

高まれば

ガンガン進み、

 

エネルギーが

静まれば

止まってしまう。

 

その不安定さから

抜け出ることが

人生に調和を

もたらすし、

 

そこを私達の

真本音は

望んでいる。

 

・・・・・・

 

とは言え、

 

悦びは悦び

として

感じ取ろう。

 

以前にも

書いたことがあるが、

 

悦びによって

発生するエネルギー

は、

しっかりそれを

噛み締めながら、

 

自分の体の

中心に

大切に抱く

ようにしよう。

 

すると、

ずっと体の中心から

あたたかさが、

 

トツトツと

全身に

行き渡り続ける。

 

そのあたたかさは

私達を

安定させてくれる。

 

実は

この状態にするまでが

今日の私は

とても苦労したのだが、

今は

落ち着いている。

 

私の悦びの

多くは、

 

人の進化を

感じたときだ。

 

特に、

その人の進化が

具体的な形となって

現れたときだ。

 

それが今日、

あったものだから、

とても

嬉しかった。

 

・・・・・・

 

悦びのエネルギー

自分の中心に

抱いたら、

 

そんな時こそ、

自分の「願い」

について

思いを巡らせよう。

 

今、

改めて私は

「コーチ」を

増やしたいと

思う。

 

本物の

「コーチ」を。

 

ただし

私の言う「コーチ」

とは、

 

別に「コーチ」と

名乗らなくても

いい。

 

プロが増えれば

増えるだけいい、

とは思うが、

 

プロになるかどうか、

にこだわらなくても

いい。

 

ただ、

人や組織の

「人生」を

「進化」を

「道」を

本質的にしっかりと

サポートできる

「コーチ」を

発掘し、

育成したい。

 

日本にとどまらず、

世界中で。

 

エネルギーが

高まれば高まる

ほど、

 

やはりその原点に

戻るのだな、

思う。

 

つづく

 

掴みたいものがあるんだ

 

私は早く

「要なし」

になりたい。

 

「たけうちさんは

もう

必要ないよ」

 

と言われたい。

 

すべての

クライアントさんから

そう言われたいし、

 

世の中からも

そう言われたい。

 

そうすれば

私は

安心して

引退できる。

 

早くその日が

来れるように

今は

がんばっている。

 

・・・・・・

 

私は本当に

多くの人の人生と

触れ合ってきた。

 

その人の人生は

その人のもの。

 

その人の人生は

私の人生では

ない。

 

その区別は

とても大切であり、

区別をすることが、

コーチとしての

必須の

在り方である。

 

だからこそ

「他者だから

できる最大の

サポート」

が可能になる。

 

「あなたの人生は

私の人生だ」

なんて言おうものなら、

何たる傲慢!

となるだろう。

 

人への愛とは

自分と

自分以外の人とを

区別するところから

始まる。

 

そしてコーチという役割は

「その人の人生は

その人のもの」

という

尊重から始まる。

 

・・・という

基本がある。

 

この基本を

わかっていない人は

人をサポートしては

ならない、

ということは重々に

わかっているし、

 

そうしている。

 

しかし、

その上で

あえて言おう。

 

私は

人をコーチングさせて

いただきながら、

その人と

いつも

「一つ」

になる。

 

そして

その人の人生と

「一つ」

になる。

 

その人の喜びとも、

その人の苦しみとも、

「一つ」

になるのだ。

 

ちゃんと

区別はついて

いる。

 

私と

あなたは

違う。

 

現実世界では

そうなっている。

 

しかし、

実在の世界では

私は

確かに

「一つ」

になっている。

 

私は

すべてであり、

すべては

私であり、

あなたは

私であり、

私は

あなたである。

 

という

ことに

なっている。

 

区別は

ついている。笑

 

でも、

そうなってる。

 

・・・・・・

 

例えば今日は、

12名の人と

向き合った。

 

すると

今の私の中には

12名が

まだいる。

 

そして

12名の

人生を

そのままに

ありのままに

感じている、

 

というよりも

やっぱり正確に

表現すれば

「一つ」

となっている。

 

そして今、

12名分の

喜びと苦しみを

感じている。

 

これはいったい

どういうこと

なのだろう?

 

何のために

私は

こんなことを

しているのだろうか?

 

・・・・・・

 

いや、

答えはよく

わかっている。

 

わかってないけど

わかっている。

 

もちろん

自己満足で

やっているわけでは

ない。

 

はっきり言って

これ、

日によっては

とてつもなく

苦しいのだ。

 

自分の生命力の

ほぼすべてを

使い切ってしまう

日もあるし。

 

とてもとても

自己満足のレベルで

できることでは

ない。

 

かと言って

私は

満足している。

 

満足というよりも

悦び

である。

 

何でだろう?

 

恐らくこれは

必要なことが

できている

悦びなのだと

思う。

 

これを私は

約10年、

毎日続けているが、

 

その体験は、

これから

私がすべき

あるゆることにおいて

必要なことだと

わかるからだ。

 

この体験を

通じてしか、

人に伝えられない

ことがあるのだ。

 

私はこれまで

何万人もの人と

向き合ってきたが、

 

その人と自分を

区別して

分離して

向き合うことでは

得られないものを

得ようとしていることは

よくわかっている。

 

もし途中で

自分の生命力が

持たず、

自分が死んでしまっても

それはそれで

しょうがないと

いつも覚悟を

決めてきた。

 

ひょっとして

明日、

死んじゃうかも、

いつも思って

ここまできた。

 

私にだって

守りたいもの、

守るべきものがあるので、

絶対に

死にはしないと

決めているが、

 

でも、

その覚悟は

確かにあった。

 

そうまでしても

私には

掴みたいものが

あるのだ。

 

そのための

人生であると

よく

わかっている。

 

だから明日も

私は

あらゆるものと

「一つ」に

なる。

 

その経験を

日々、

積んでいく。

 

それをしなければ

絶対に

気づけない「何か」を

得るために。

 

私は私のこの

真剣さが

怖いとも思う。

 

でも

しょうがない。

 

最初から

決めている

道だからね。

 

つづく

 

ここにいることを悦んでいますか?

 

誰の心の中にも、

 

「私が今ここにいる意味」

 

が必ずあります。

 

よく、

「私はここにいる意味がない!」

と、

自分の存在意義が

見えなくなるケースも

ありますが、

 

それでも、

「ここ」にいるということは

必ず、

「ここ」だからこその

意味があります。

 

それがわからないのは、

その環境がいけない

のではなく、

 

自分自身の

「ここ」での生き方

 

が、何かずれて

いるのです。

 

これは、

会社ということでも

言えますし、

「人生」そのものに

おいても

言えることです。

 

・・・・・・

 

今ここで

私は、

ここでこそすべき

生き方を

実践できている

だろうか?

 

という問いは

とてつもなく

重要です。

 

この問いの答えを

知るための

最も良い方法は、

 

自分の

魂が悦んでいるか?

 

を確認することです。

 

私達の(「心」ではなく)

「魂」は、

 

自分の望む生き方

自分の実際の行動

一致するほど

悦びます。

 

一致しないほど

苦しみます。

 

その苦しみは

私達が想像している

以上に大きなもの

です。

 

今、自分の「魂」が

悦んでいるかどうか?

をチェックすることは

人生においても

仕事においても

必須のことであると

私は思っています。

 

チェックの方法は

慣れれば簡単です。

 

・・・・・・

 

自分のおへその奥の

体の中心と、

 

頭のてっぺんの

中心を

 

一本の線で結ぶ

イメージをします。

 

それが体の

中心軸

になります。

 

その中心軸を

さらに頭のてっぺんから

上の方に上の方に

伸ばしていく

イメージをしてください。

 

ずっとずっと上に

伸びて、

空とか宇宙までに

到達するくらいに

伸ばします。

 

まずはこれが

簡単にできるかどうか?

です。

 

もちろん

慣れているかどうかも

ありますが、

 

何度やっても

これが上手くいかない

場合は、

その人の魂は

悦んでいません、

ということになります。

 

魂の元気さが

なくなっているのです。

 

そして

そのイメージが

上手くできた場合は、

 

今度は、

空まで伸びている

中心軸そのものを

しっかりと意識しながら

感じ取ってください。

 

例えば、

その太さとか、

輝き度合いとか、

まっすぐ度合い

とか。

 

中心軸を

じーっとしばらく

感じ取った時に、

 

感じ取れば

感じ取るほど

自分が

居心地よくなるかどうか?

 

をチェックします。

 

中心軸を感じていると、

すごく安心する。

 

心が安定する。

 

心がやすらぎ、

何となく

心が毅然と

してくる。

 

・・・というように

思えるならば、

その人の魂は

悦んでいます。

 

居心地が

悪くなったり、

不安になったり、

不安定になったり、

途中でだんだん

中心軸が消えてしまったり、

 

する場合は

その人の魂は

悦んでいません。

 

いずれにしても

中心軸を感じながら、

ゆっくりと

自分自身に問うて

ください。

 

私が、

ここでこそすべき

生き方とは

何だろうか?

 

私は

生き方を

修正した方が

よいだろうか?

 

修正するとしたら、

何をどのように

変化させると

よいのだろうか?

 

など。

 

自分の望む

生き方と、

自分の実際の

行動や振る舞いを

 

一つ一つ

丁寧に

一致させていく。

 

これこそが、

私達が本質的に

元気になれる

最も自然な方法

です。

 

そして、

魂が悦ぶことで、

私達は自然に

 

「私が今ここにいる意味」

 

を知ることが

できるのです。

 

つづく

 

我欲でもいいじゃないか

刹那的な興奮のみを

求めて生きる人は

残念ながら

真本音の悦びを感じることは

滅多にないでしょう。

 

もちろん、

刹那的な興奮が

いけないわけではありません。

 

しかし

それは多くの場合

4次元の喜びです。

 

4次元とは

「我欲」。

 

自分だけが嬉しければ

それでよし、

とする私達の心です。

 

私が

「我欲の次元」

と呼んでいるこの4次元は

実在(心の中)の世界においては

最低次元に当たります。

 

念のために申しますが、

我欲がいけないわけでは

ありません。

 

それに、

どれだけ高次元の自分に

なれたとしても、

人の心の中から我欲が、

つまりは4次元の意識が

消え去ることは

あり得ません。

 

我欲があってこその

私達であり、

我欲があってこその

人間であり、

いつも申していますが、

高次元から低次元まで

様々な意識を持つことにこそ

私は、

人間の尊厳と

存在意義を感じます。

 

我欲は我欲。

 

それ自体が

良いとか、悪いとか、

そういったことではなく、

我欲は我欲。

 

ただそれだけの

ことです。

 

ただし、

この4次元の意識には

私達の真本音は

ありません。

 

4次元の意識達は

とても儚く、薄く、

すぐに消えてしまうもの。

 

実在の世界においては

最も弱い存在です。

 

だからこそ、

我欲のみの喜びとか、

刹那的な興奮のみを

求めて生きる人は

心が脆弱になっていきます。

 

安定がなくなります。

 

揺らぎが大きくなります。

 

心の振れ幅が

大きくなり、

常に何かに怯えながら

生きることになります。

 

その状態において、

真本音の悦びを

感じることは相当に

難しくなるのです。

 

・・・・・・

 

逆に、

「我欲」を否定する人も

います。

 

実は、

我欲を否定する意識は

我欲と同じ次元に

属します。

 

何かを否定する、

とは

その時点でその「何か」と

同じ次元であり

同レベルなのです。

 

昔の私も

我欲を否定していた時期が

ありました。

 

そして自分は

高尚な人格者であろう

とし続けていました。

 

その結果、

我欲にフタをし続け、

我欲がそこにたくさん

あるにも関わらず、

我欲をないものとし、

自分が綺麗だと思う心のみに

光を当てて生きていました。

 

その結果、

体を壊してしまったのですが、

あの時の私は

今思い返しても

非常に不自然でした。

 

不自然な生き方を

している人は、

その反動が凄いです。

 

我欲を否定し続けている人は

何かのきっかけで

自分で抑え付けていた我欲が

一気に溢れ出てしまうことが

あります。

 

いえ、

何かのきっかけがなくても、

抑え続けている我欲が、

どんな時も、

その人の持つ空気感として

滲み出続けることになります。

 

本人は

我欲を否定しているのに、

我欲の空気感が

滲み出るのです。

 

そして周りの人達は

その空気感を敏感に

察知します。

 

何となく、あの人、

嫌だな。

 

と周りの人は

そんな印象を持ち、

しかし本人は

自分がそのような空気感を

出しているとは

思いもよりません。

 

そんないびつな人間関係を

日々、創り出してしまう

という結果になります。

 

いびつな人間関係は

いびつな人生に

直結しますね。

 

・・・・・・

 

自分は特別な人間だ、

と思うのも

我欲です。

 

かと言って、

自分は皆と同じでありたい

というのも我欲です。

 

そんなこと

どちらでもいいじゃないですか。

 

最初から私達には

高次元から低次元まで

様々な意識が

あるのです。

 

大事なのは

自己統合です。

 

高次元から低次元の

すべての自分が

同じ方向を向いて

パワーを集約する時、

私達は素晴らしい展開を

現実世界に起こすことが

できます。

 

「俺がやってやったぞ!」

でもなく、

「所詮、僕には無理だ」

でもなく、

ただただ淡々と

生きていく。

 

それが最も自然

なのですが、

しかしその

「淡々と生きる」

ということは、

高次元の自分にしか

できないことなのです。

 

「淡々」という言い方をすると

情熱も何もないような

印象になるかもしれませんが、

真の「淡々と」というのは、

安定の象徴です。

 

安定とは、

その根底に

莫大なエネルギーがなければ

実現し得ないものです。

 

本当の意味での

「淡々と」を実現できている人は

エネルギーの高い人

なのです。

 

エネルギーが高い、

とは

心も魂も満ち足りている状態

です。

 

そうなった時に初めて、

私達は

私達自身の我欲も

許すことができるのです、

本当の意味で。

 

高次元の自分が

現れれば現れるほど、

低次元の自分も

大切にすることが

できます。

 

低次元の自分を

否定し拒絶するのは

低次元の自分だけです。

 

つまり、

本当の意味で

人間らしく生きるためには

高次元の自分を

思い出す必要がある

ということですね。

 

つづく