惰性

惰性

 

このまま進むと

私の未来は

どこに行き着くか?

 

この問いと

真剣に向き合う

ことは

かなりの恐怖かも

しれないな。

 

今だって

一生懸命

やっているさ。

 

でも

これまでと

変わらぬ

一生懸命さで

 

これまでと

変わらぬ

進み方をする

のは

 

単なる

惰性なんだよ。

 

どれだけ

一生懸命でも。

 

これまでの

延長線上は、

すべて

惰性。

 

惰性の先に

あるものを

イメージするのは

怖い。

 

なぜなら

惰性であると

自分自身が

よくわかっているから。

 

自分の範疇を

超えない

成長。

 

これも

惰性だ。

 

そういう人も

未来をイメージする

のは

怖がるはずだ。

 

未来は

怖い。

 

なぜなら

惰性の生き方を

しているから。

 

惰性の何が

悪い!

 

という声も

ありそうだが、

 

良い悪いの

問題ではない。

 

私達人間は、

惰性の生き方が

怖いのだ。

 

いや、もうちょっと

正確に言えば、

 

惰性の生き方を

続けるうちに

不安は日々、

積もり続けるのだ。

 

怖いから

自分を失う。

 

自分を失うから

自分以外の

何かのせいにする。

 

環境のせいにする。

 

状況のせいにする。

 

どれだけ

何かのせいにしても

ますます

不安は増すばかり。

 

惰性で生きている

自分に、

 

その生き方に

 

妥協はしない

方がいい。

 

惰性に

安定はない。

 

惰性に

安心はない。

 

早くその事実を

受け止めよう。

 

惰性で

進むのではない。

 

願いの方向に

進むんだ。

 

つづく

 

いつまで止まってる?

 

今、自分は

なぜ

ここにいるのだろうか?

 

ということを、

もっと

真剣に考えてほしい。

 

・・・と

伝えたい人が

実に多い。

 

要するに、

考えていない。

 

自分と

向き合っていない。

 

本当は、

とてつもなく深い

意味と

願いが

心の中にある。

 

今ここで

本当にすべきこと、

したいことが

自分の中に

確固たるものとして

存在している。

 

にも関わらず、

自分自身がそれに

気づかずに、

 

ただ惰性で

日々を過ごしてしまう。

 

すべきことが

あるのに、

自分で

「決めて」いるのに、

 

それを

しない。

 

それにより、

心の奥の方で

自分を責め、

 

罪悪感が湧き、

 

ストレスが

生じる。

 

ストレスが

ある濃度を超えると、

それは

「エンティティ」と呼ばれる

物質化をする。

 

ストレスの念

だ。

 

それがまた自分を

苛む。

 

そして毎日が

自分の発生させている

エンティティとの闘い、

となっていく。

 

だから余計に

すべきこと、

したいことが

わからなくなる。

 

その状態に

入ってしまっている

人が、

本当に多い。

 

以前から

「二極化」の話は

させていただいているが、

 

全力以上のスピードで

進む人が

増える一方で、

 

そのように

エンティティによって

止まってしまう人も

増えている。

 

その二極化が

ますます激しい。

 

自分自身に対して

怒り、

罪悪感を持つ。

 

そして、

大きくエネルギーダウン

する。

 

正直言って、

これほど馬鹿げた

ことはない。

 

一歩、また一歩、

一つ一つ、

 

本当にやりたいことを

自ら考え、

地道にちょっとずつ

やり続けるだけの

ことなのだが、

 

それを

しないんだなぁ。

 

私達は

急がねばならない。

 

もう時間が

ないのにね。

 

つづく

 

願いか? 惰性か?

 

あなたは今、

丘の上に立っている。

 

かなり

高い丘だ。

 

見晴らしがいい。

 

そこから見渡せば、

自然も都市も

様々なものが

目に飛び込んでくる。

 

・・・そんなイメージを

してみてほしい。

 

すると、

 

あなたは

どんな丘に立っている

だろうか?

 

季節は?

 

時刻は?

 

天気は?

 

空気は?

 

音は?

 

そして、あなたは

何を見渡して

いるだろうか?

 

それを見ながら、

何を感じているだろうか?

 

あなたの中には

どんな心の声が浮かび、

 

そして

どんな願いが

その奥に

潜んでいるだろうか?

 

・・・・・・

 

私達には

願いがある。

 

願いがあるから

ここに

存在している。

 

人生を生きる

とは、

その願いを見つけ、

その願いに向かうこと、

だ。

 

それにより

願いはさらに

進化する。

 

願いの進化こそが

自分の進化だ。

 

人の進化だ。

 

迷ったら、

願いに戻れば

いい。

 

願いがまだよく

わからなかったとしても、

 

願いに戻ろう

 

という意志を

持つだけでいい。

 

いや、

違うな。

 

迷わなくても

毎日それを

するといい。

 

よくよく考えたら

私は毎日、

 

いや、

 

毎時、毎分、毎秒、

それを

し続けているかも

しれない。

 

だから

人生が満たされるものに

なったのだな、

今、気づいたな。

 

・・・・・・

 

あなたは

何だ?

 

あなたは

願いだ。

 

あなたの

願いは何だ?

 

それが

あなただ。

 

私達は皆、

願いなんだ。

 

願いが

現実化したものが

人間だ。

 

その本質を

忘れては

ならない、

何があっても。

 

時代は

変わった。

 

願いなしでも

ごまかしながらでも

何となく生きていける

時代はもう

終わった。

 

願いにフタをすることで

発生する空虚感。

 

それをモロに

感じる時代になった。

 

惰性で生きていける

時代は

終わったんだ。

 

だから我々は

これからは

これまで以上に

迷うだろう。

 

答えのない迷路に

入り込むことも

頻繁にあるだろう。

 

人生においても

社会的に見ても。

 

だからこそ

願いに戻ろう。

 

願いに戻って

「今」

に向かおう。

 

これがやはり

基本であり、

 

その基本が

あまりにも重要になるのが

これからの毎日だ。

 

一日、一日、・・・

 

時間は着実に

過ぎていく。

 

願いとして

生きるか、

惰性で

生きるか、

 

すべては

自分自身に

かかっている。

 

つづく

 

明日は来るのか?

 

「明日」という

一日が

当然のようにやってくる

と私達は

思っているが、

 

本当にそうだろうか?

と私は

よく思う。

 

今日までと

同じ明日が来る

という

保証はない。

 

しかし、

まるでその保証が

あるかのように

私達は思い込む。

 

それだけ

平和なのだと

言えばそうであるが、

 

悪い言い方を

すれば

「惰性で生きる」

状態に

私達は入りやすい。

 

しかし本当に

その「惰性」を

私達は

望んでいるのだろうか?

 

もちろん人間は

これまでと同じ日々が

続くことで

安心する。

 

コンフォートゾーン

という言葉もあるが、

一度、安心安定を

感じてしまうと、

そこから抜け出ることは

なかなかに

難しい。

 

ただしそれは

心で言えば、

表面的なものだと

私はいつも

感じる。

 

「惰性」が生み出す

不安定さに

どれだけの人が

気づいているの

だろうか?

 

私達は

「惰性」、つまりは

何も考えずに

慣性の法則のように

進むことで、

本当は

不安を蓄積させる。

 

例えば幸せな

日々が続いたとして、

この幸せは

本当にずっと

続くのだろうか?

どこかで不安に

おののく。

 

そして

いつの間にか

「この日々を

ずっと守りたい」

と思うようになる。

 

それ自体は

大切なものだが、

しかしその気持ちは

多くの場合、

「今の日々」

「今の毎日」

への

執着になってしまう。

 

その「執着」に対して

私達の心は

とてつもなく

不安定になるのだ。

 

「執着」とは

依存。

 

「依存」とは

何かに寄りかからないと

生きていけない状態

だ。

 

それはつまり、

「私は自力では

立てない」

ということ。

 

もちろん人は

皆で助け合いながら

生きるものだが、

 

「自力で立てる」

という基盤の上での

助け合いと、

「寄りかからないと

生きていけない」

という状態での

助け合いは、

 

本質的には

まったくの別物だ。

 

私達の真本音は

そういった

「依存」や「執着」を

まったく

望んでいない。

 

本当には望んで

いないことを

やり続けることで、

私達の中には

「そんな自分で

良いのか!」

という、

罪悪感、つまりは

自分を責める気持ちも

発生する。

 

これがまた、

不安や不安定さを

生み出す。

 

「明日も今日と

同じ一日が来る」

 

というのは

もちろん

思い込みだ。

 

私達は明日、

人生を終えるかも

しれない。

 

あらゆる状況が

一変するかも

しれない。

 

別に脅すつもりは

ないし、

悲観的になれ、

ということでも

ない。

 

ただ言いたいのは、

 

私達はもっと

自分の「毎日」を

愛した方が

よいのではないか。

 

ということだ。

 

自分の「時間」を

 

自分の「人生」を

 

自分の「命」を

 

もっと

愛した方が

よいのではないか。

 

私達は

本当に自分の

愛する人には

常に自分の

意識を注ぐ。

 

それと同じように、

自分の時間、

人生、命、

そして、

今日という一日、

明日という一日、

 

もっと意識を

注いだ方が

よいのではないか。

 

人のサポートを

させていただく

中で、

 

そして

企業サポートの

現場で、

 

いつも私は

そう思う。

 

もっと

自分を生きよう。

 

それは、

時間を愛する

ところから

始まる。

 

つづく