捨てる

早く捨てないと

 

やめてもいい、

やめた方がいい、

思うことは、

 

どんどん

やめてしまおう。

 

シンプルに

なるんだ。

 

身軽に

なるんだ。

 

手放せない、

とか

捨てられない、

というのは、

 

この3次元の世界を

生きていく上では

最大の阻害要因に

なる。

 

自分も他人も

すべてを含めて、

誰のプラスにも

ならない。

 

・・・と認識しよう。

 

「私、捨てられないから」

などと

のん気に言っている

場合ではない。

 

そんなこと言っている間に、

人生の最大の展開を

逃してしまっているケースは

とても多い。

 

この人は

真剣だな、

 

と私が思えるのは、

手放せる人

だ。

 

良い意味で

捨てる人

だ。

 

これのできない人は

覚悟がない。

 

自分の人生を

全うする覚悟が

ない。

 

そう断言することが

今はとても

大事だと思っている。

 

何をするか?

 

よりも

 

何をやめるか?

 

が、

今は大事。

 

それをしなければ、

次の「発想」すら

生まれないように

私達はできているんだよ。

 

つづく

 

捨てる人

 

海を自由自在に

泳いでいた魚が、

 

突然に

鳥になってしまった

としよう。

 

これまでいた

海にはもう

いられない。

 

背に翼が生え、

海ではなく

空を飛ぶようになった。

 

これまでとは

まったく異なる自由を

手に入れたが、

 

何をどうしてよいのか、

わからない。

 

その戸惑いと

不安は

大したものだろう。

 

しかし

それをよくわかった

上で、

 

あえて、

 

魚であった自分から

鳥になろう!

という意志を持つ

人がいる。

 

増えている。

 

もしあなたなら、

それを

「無謀である」

止めようとするだろうか?

 

それとも

応援をするだろうか?

 

魚と鳥と、

どちらが優れているか?

ということではない。

 

魚から鳥になることが

進化するということ

・・・であるとも限らない。

 

ただ一つ言えることは、

それは

まったく別物になる

ということであり、

別の存在になる

ということだ。

 

別の存在として

生まれ変わる。

 

・・・ということだ。

 

それを望む人を

あなたは

応援するだろうか?

それとも

止めようとするだろうか?

 

ある意味これは、

「これまでの自分」を

捨てる、

ということでもある。

 

「手放す」レベル

ではない。

「捨てる」レベル

だ。

 

ひょっとすると、

その人がこれまでの

人生で培った

あらゆるものを

「捨てる」ことになるかも

しれない。

 

当然のことながら、

その人自身の心には

「捨てる」ことに対する

悲しみや不安や

言いようのない混乱が

生じることになる。

 

しかしそれでも

その人の真本音が

その「生まれ変わり」を

望んでいるならば、

 

私は躊躇なく

それを応援する。

 

どれだけ

その人自身の心が

傷ついたとしても、

 

その人自身の

真本音が望むことで

あるならば、

 

私はその真本音に

躊躇なく

歩調を合わせる。

 

それが、

私というコーチ

だ。

 

「捨てるべきものを

捨てる」

 

これをしなければ

本来の人生を進めない

人がいる。

 

それは

身の引き裂かれるくらいの

苦しみを伴う。

 

しかしそこを

越えなければならない

人が

確かにいる。

 

私は

そういった人達の

サポートをすると

決めている。

 

つづく