無心になる、

ということが

昔の私にはとても

難しかった。

 

無心になろうと

しても、

心の中が非常に

騒がしい。

 

いろんな心の声が

ずっと

心の中に

こだまし続けていた。

 

しかもそれが

当たり前の状態

だったので、

 

心を静かにする

とか

無心になる

ということが

どういったことか、が

まったくわかって

いなかった。

 

無心になったつもり

にはなれたが、

それは本当の

無心ではなかった。

 

・・・・・・

 

今の世の中、

そんな人が

とても多い。

 

残念なこと

だと思う。

 

無心になることで

観えてくるものや

気づく答えは

たくさんある。

 

本当は

自分自身の中に

答えがあるにも関わらず、

心の中が

騒がしいが故に

その答えが

わからないのだ。

 

当時の私は

無心になるために

随分と

瞑想をした。

 

瞑想のやり方を

勉強し、

それを毎朝

30分〜1時間くらい

必ず行なった。

 

そんな日々を

5〜6年続けた。

 

一日も

欠かさなかった。

 

でも残念ながら、

無心になったつもり

にしか

なれなかった。

 

それくらいに

私の心は

騒がしかった。

 

・・・・・・

 

心の中を

静かにし、

本当の意味での

無心になるためには、

 

真本音度合いを

高めるしかない。

 

真本音度合いを

高めるためには、

 

自分の本当の

人生の願いと、

 

「今ここ」における

自分の行動を、

 

一致させることだ。

 

一貫性。

 

願いとカタチを

一貫させること。

 

つまり

私達人間は、

 

瞑想するだけでは

ダメなんだ、と

あえて

断言しよう。

 

心を整えて

行動に移す。

 

行動に移せる

自分になれて

初めて、

 

心は静まって

いく。

 

行動のない

静けさは

ない。

 

もっと言えば、

行動の伴わない

心の平安は

 

絶対に

 

ないのだ。

 

だから、

自分の本当の願いに

基づいて

毎日、毎日

行動し続けている人と

向かい合うと、

 

私はいつも

居心地の良い

静けさを感じる。

 

とても

落ち着いてくる。

 

そういった人と

ずっと一緒にいたいなぁ

と思う。

 

だから、

私の推奨する

セルフコーチングとは、

 

行動に結びつける

もの。

 

行動が伴わない

セルフコーチングは

 

まったく

 

意味がないと

思っている。

 

・・・・・・

 

行動が伴って

初めて人は

無心

を手に入れる。

 

そして

無心になることで、

初めて

観えてくる答えが

ある。

 

それは、

自らの人生の願いに

直結する

ヒント達だ。

 

だから、

無心になれる人

は、

人生の願いをも

叶えることができる。

 

この世のすべての

人達が、

そうなれる社会を

目指して、

私は今日も明日も

魂を込めて

仕事を続けよう。

 

つづく