謙虚

謙虚に静かに

 

今、世界中で

何が起ころうとも、

 

地球は

静かだ。

 

静かにすべてを

見守っている。

 

私達は

自分達の手に負えない

ことに見舞われると、

その多くを

地球のせいにするが、

 

果たして

それで良いのだろうか。

 

もう少し私達は

私達自身に

責任を負った方が

良いと

私は思う。

 

生きるとは

本来、

そういうことではないか。

 

最近、

 

クライアントさん達の

エネルギーの開放が

凄まじい。

 

そういったことは

もちろん

ご本人よりも

側から観ている

第三者の方が

よくわかる。

 

これまで

閉ざされていた

エネルギーが

開放される。

 

その瞬間に

私はこれまでいったい

どれだけ

立ち会わせていただいた

だろうか。

 

その度に

いつも思う。

 

人のエネルギーは

人の手には

負えないな、と。

 

この人のこの

エネルギーは

この人の手には

負えないな、と。

 

いつもそう思うのだが、

しかしそれでも

手に負えるように

してしまう。

 

それもまた

人間の凄まじさ。

 

進化の凄まじさ

だ。

 

でも本当に

そうなるためには、

 

私達はもっと

謙虚であるべきだ。

 

私達は

私達自身のエネルギーに

謙虚であるべきだ。

 

責任を負うために

まず必要なのは

謙虚さであると

私は思う。

 

どうだこの

エネルギーは!

やっているうちには、

 

その人は

自身のエネルギーに

呑まれて終わる。

 

まさしく

身を滅ぼす

というやつだ。

 

無責任

極まりない。

 

せっかく

そんな素晴らしい

エネルギーを

いただいたのに。

 

自分一人で

手に入れたわけでは

あるまいに。

 

しかし

これは俺のものだ!

となった瞬間から

そこまでの道のりは

すべてオジャンになる。

 

残念ながら

そういう人は

多かった。

 

思えば、

この地球という大地に

存在させてもらっているのも

私達の

エネルギーの一つの現れだ。

 

感謝せよ、と

言うと

少々押し付けがましいが、

 

せめてもうちょっと

謙虚になれないものか、

 

我々は。

 

何が起ころうと

地球は静かだ。

 

それと同質なものを

私達は

すでに自分の内側にも

持ち合わせている。

 

それを私は

「真本音」と

呼んでいる。

 

真本音は常に

静かに自分自身を

見つめている。

 

見守っている。

 

そこにももっと

謙虚に

私達はあろう。

 

それが

生きるということ

ではないか。

 

つづく

 

自信がないのは良いことだ

 

あなたのその謙虚さは

称賛に値する。

 

だけど、謙虚さ故に

止まってしまうことが

多過ぎないかい?

 

謙虚であることと、

行動が鈍ることは、

まったくの別物。

 

謙虚である人ほど、

私は

ズンズンと進めばいいと

思うよ。

 

自信がないのは

良いことだ。

 

自信はすぐに

過信になるから。

 

自信のある人ほど

足元が見えなくなるし、

自分を客観視する

視点も失くしやすい。

 

だから

そのままでいい。

 

自信をつけてから

進もうなんて

思わなくていい。

 

その自信のなさの

ままで

「やろう」

と思うことを

ただ淡々と

行なえばいい。

 

本当はあなたには

それができるだけの

胆力も能力も

ある。

 

ただその謙虚さが故に

胆力と能力を

発揮してはならないと

思い込んでいる。

 

あなたの敵は

その「思い込み」だけだ。

 

敵、ってあえて

言ったけど、

ちゃんと「敵」だと

認識すること。

 

なぜなら

あなた自身がそれを

「敵」だと思っているから。

 

「敵」だと思いながら

その思いにフタを

しているから。

 

だからあえて

言うんだ。

 

それは

「敵」

だ。

 

しかし、

「敵」だからと言って

それを倒したり、

消したり、潰したり

する必要はないんだよ。

 

自分が「敵」だと

認識している事実を

認めた上で、

 

それを

愛せばいい。

 

可愛がればいい。

 

「よしよし」と。

 

それができたら、

さぁ、

進もう。

 

最初は走らなくても

いい。

 

「やろう」と思うことを

あなたのペースで、

できる範囲で

行動に移せばいい。

 

あなたのことだ。

 

気づけば

最大速を出しているよ。

 

それだけ

あなたの「真の想い」は

強い。

 

私にはその

「強さ」がビシビシと

伝わって来ているんだよ、

いつもいつも。

 

あなたのその謙虚さは

称賛に値する。

 

できればそのまま

謙虚でい続けて

ほしいな、とは思う。

 

謙虚で

力強い人。

 

そうなってほしいな。

 

つづく

 

自分の力を認識しよう

力のある人ほど、

「傲慢になってはならない」

という気持ちを大切にし、

「いやいや私は

まだまだです」

と言われる人が

多いです。

 

それはとても

謙虚な姿勢で、

私などは感心

するのですが、

しかし中には、

謙虚なあまり、

「私には力は

ありませんから」

とか

「私の力は

大したことは

ありませんから」

と本気で言われる

人がいます。

 

そういう場合、

私はいつも

「ちょっと待って

ください」

と、

止めます。

 

「あなたは

あなたの力を

もっと

認識された方が

よいですよ」

と、

ついつい生意気にも

申し上げてしまいます。

 

でも私は

思うのです。

 

そこに

力があるのに

「ない」

と言うのは、

逆に傲慢では

ないか?

と。

 

私は、

真の謙虚さとは、

「そこにあるものを

そこにあるままに

そのままに

受け止めること」

だと思っています。

 

どれだけ力があっても

自分一人では

何一つできないのが

私達人間です。

 

その事実。

 

それをそのまま

受け止める。

 

それが謙虚。

 

と同時に、

その中でも

自分特有の

素晴らしい力が

ここにある。

 

という事実。

 

それをそのまま

受け止める。

 

それも謙虚。

 

と私は

思います。

 

「私には

こんな力があります」

 

「でもこの

素晴らしい力を

どのように活用すればよいか

いまだに

わからないのです」

 

こういった人と

出会うと、

私は心の底から

応援したくなります。

 

なんて謙虚で

素直な人だろう、

と感動します。

 

・・・・・・

 

私は、

私が今、発揮できている

力が、

私特有のものであるとは

到底思えません。

 

私が発揮している

力は、

誰もが努力さえすれば

必ず到達できるもの

です。

 

これは私の

確信であり、

恐らく

真実です。

 

ですから私は

今の私のこの力を

誰もが発揮できるように

サポートしたいと

願っています。

 

私の力を

一言で言えば、

 

「人の真本音を

キャッチする力」

 

だと思います。

 

そしてその力を

養うためには、

 

「自分の真本音を

キャッチする力」

 

が必要です。

 

私はこれを

「セルフコーチング力」

と呼んでいます。

 

おかげさまで。

 

私は、

誰よりも

反応本音の分厚い人間

として

この世に生を

受けました。

 

私が私の真本音を

キャッチするというのは

かなりの

難易度の高さが

ありました。

 

しかし、

様々な人生の展開の中で

私は自分の真本音を

ダイレクトに感じ取る

ことができるように

なりました。

 

今でもこれはちょっと

奇跡に近いかな、

と思います。

 

よくあの状態から

自らの真本音に

たどり着けたなと

思います。

 

もちろんそれは

私一人の努力では

到底、成し得ませんでした。

 

出会った様々な人からの

ご支援やサポートや、

いやいやいや・・・

ご支援とかサポートじゃ

ないですね、

そんな生易しいものではなく、

命そのものをぶつけて

いただくような

関わりの中で、

ようやくにして

たどり着けたものでした。

 

そこで得たものは

あまりにも大きく、

今、目の前にいる

このAさんが、

どのようにすれば

自らの真本音に

たどり着けるのか?

が、

手に取るように

わかるようになりました。

 

これが私の

コーチング力でも

ありますが、

でもこのコーチング力も

含めて、

それはすべての人が

そう、

人類すべてが

この力をもともと持っている

ことが

よくわかります。

 

私が人を

変えてやる、

とか、

私が人類の可能性を

引き出してやる、

とか、

さすがにそんなことは

思えません。

 

が、

 

私には強く

感じられます。

 

多くの人達が

「変わりたい」

と願っていることが。

 

それは

願いというよりも

祈りに近いです。

 

それはあまりにも

強く、

その強さを感じ取れる

自分が今ここに

いるのであれば、

私は、

そこに向かいたい。

 

これが今の私の

意志です。

 

・・・・・・

 

人は何のために

生きるのか?

 

その答えは

それぞれの人が

それぞれ持っています。

 

人は何のために

生きるのか?

ではなく、

 

「私は何のために

生きるのか?」

 

こそが重要です。

 

ここに徹底的に

向かうことこそが

人の喜びであると

断言しても

よいかな。

 

この問いに

向き合わなくなった時、

人は

疲弊を始めます。

 

答えがわからなくとも

真摯にこの問いに

向き合い続ければ、

人は

なんとかなります。

 

何だかんだと

エネルギーは

湧き続けますし、

いつか必ず、

真本音と

つながるでしょう。

 

でも、

この問いと

向き合わない人、

この問いを

忘れてしまっている人

が、

なんと多い世の中か。

 

セルフコーチングの

最も根幹にある問いは、

これだと

思うのですけどね。

 

つづく

 

それは本当の謙虚さ?

謙虚という言葉が

ありますが、

本当に謙虚な人とは、

自分の不甲斐なさや

自分の無力さを

本当の意味で

実感できている人であると

私は思います。

 

ここで言う

不甲斐なさや無力さとは

思い込みレベル

のものではありません。

 

自己卑下からくる

ものではありません。

 

事実です。

 

事実としての

自分の不甲斐なさや

自分の無力さを

知る者は

自然に謙虚になります。

 

「謙虚」という言葉を

辞書で引きますと、

 

「自分の能力や地位に

おごることなく、

素直な態度で

人に接するさま」

とあります。

 

謙虚さとは

素直さ。

 

素直さとは、

自分の解釈の世界から

自由になっている状態

です。

 

この状態になるためには

私達は

「挑戦」をしなければ

なりません。

 

本当の意味での

挑戦の人生を進んでいる人は

事実として

自分の不甲斐なさや

無力さを

知ることになるからです。

 

つまり謙虚な人とは、

自分の人生を

素直に進んでいる人

です。

 

・・・・・・

 

人が

まぶしく観えますか?

 

誰と会っても

人が

まぶしく観えますか?

 

すべての人には

その人独自の

光や輝きがあります。

 

その光や輝きを

実感できるのは

謙虚な人だけです。

 

例えば、

劣等感という言葉が

あります。

 

この言葉は

謙虚さと同義語のように

見られやすいですが、

劣等感とは

傲慢の象徴です。

 

劣等感とは

優越感と裏表の関係に

あります。

 

優越感を持ちたいからこそ

劣等感が発生します。

 

それは、

真の謙虚さとは

まったく関係のないもの

です。

 

ただし、

毎度申し上げることですが、

劣等感があるからそれを

消しなさい、

ということではありません。

 

劣等感も優越感も

あるのが人間です。

 

私も劣等感の塊でしたし。

それは、

傲慢さの塊であった

ということですけどね。

 

そういった心はすべて

4次元の意識

ですが、

これも何度も申し上げる通り、

4次元の意識があるのが

人間です。

 

4次元、つまりは

我欲。

 

我欲があるのが

人間で、

それを失ったら

人間としての存在意義も

失います。

 

ただし、我欲も

劣等感も優越感も

反応本音です。

 

反応本音とは

弱く、儚いものです。

 

状況が変われば、

その状況に反応し

揺らぐ弱い心です。

 

その心に基づいて

人生を推進させると

弱々で揺れ揺れの

不安定な人生と

なってしまいます。

 

そこは注意を

したいですね。

 

・・・・・・

 

自分の我欲に捕らわれて、

人を見るのではなく、

人とあるがままに

ありのままに

向き合うことこそが

大事です。

 

そのためには、

自分の内側にいないこと。

 

意識を

オープンにすることです。

 

常に外の世界に

意識を向け続けること。

外の世界を

観察し続ける眼差しが

大事です。

 

「自分が答えを

出せるはずがない」

という劣等感。

 

「すべての答えは

自分が出すべきだ」

という優越感。

 

そのどちらも

脆弱なものです。

 

「共に向き合うからこそ、

今ここで

共に最善の答えを

創造できる」

 

「だから、

この人との時間を

本当に大切にしよう」

 

・・・これが

謙虚さです。

 

私達は

唯一無二の存在。

 

その私達が、

もう一つの唯一無二の存在と

向き合っています。

 

唯一無二の存在が

共にここにいる。

 

・・・これが

人と人がコミュニケーションを

とるということです。

 

唯一無二同士の

相乗効果。

 

それは本来であれば、

とてつもないエネルギーを

発生させます。

 

その事実を知り、

その事実に素直に従う。

 

これこそが

謙虚さということでは

ないでしょうか。

 

つづく

 

自信過剰な人は、肝心なところで逃げてしまう

自分のことを小さく見る、

という人が時々います。

 

それは一見、謙虚、という姿勢とも言えますが、

私はそういった人を見ると反対に、

すごく傲慢だな、と思う時があります。

 

自分は小さい。

だから、できません。

 

と自分の小ささを理由に、

その人が真本音で望んでいることを

その人自身があきらめる。

 

・・・それは、自分自身の人生と真摯に向き合うことを

放棄してしまっている姿勢です。

 

自分は小さいと勝手に決めつけ、

結果、何もやらない。進まない。

なんと、傲慢な、・・・と思ってしまうのです。

 

もちろん、

自己過信する必要はありません。

 

自己過信する人も、その過信が故に、

本当に自分が真本音でやろうとしていることと

まったく別の方向に進んでしまうケースが

多いです。

 

そういった意味で、

自己過信する人も、自分を小さく見過ぎる人も、

本質は同じです。

 

傲慢であり、怠慢です。

 

ちょっときつい言い方かな、とも思いますが、

そういう人を見ると、本当にもったいないと

思うのです。

 

もっと淡々と、粛々と、

自分の望む道を進めばいいのに、と。

 

そうすれば、

そんなに荒れることもなく、

そんなに障害や妨害に合うこともなく、

自然に幸せな道が開くのに、と。

 

真本音の道。

 

こう書くと、何か特別な道のような

印象になってしまいますが、それは、

最も自然体で進む道、

ということです。

 

自分の胸の中にずっといつまでもあり続ける

その願いに素直に普通に進む道

ということです。

 

誰もがその道を進めば、

すべてが調和します。

 

なぜなら、私達人間の真本音は

深層心理ではすべてがつながっているからです。

 

自分の本当に望む道と、

人の本当に望む道は、

完全に調和するのです。

 

ですから私のコーチングサポートの目的は

実にシンプルです。

 

「いかにその人の真本音度合いを上げるか?」

 

この一点に尽きます。

 

このための、

あらゆる方策を行ないます。

 

逆に言えば、

そこにつながらないあらゆる方策は

一切行ないません。

 

木村さんから見えている世界。

それは、

「自分と一緒に仕事をすると、

弓江はとてもキツくなり、自分に当たってくる。

自分がいることで弓江がそうなるなら、

自分がいなくなった方がよい。

自分のためにも、弓江のためにも、

会社のためにも」

ということでした。

(→前回記事)

 

しかし真本音度合いを高めるという

視点から見れば、まったく別の世界が

見えます。

それは、

「木村さんのことを本当に好きな弓江さんは、

木村さんの真本音度合いを高めるために

彼女なりの行動をし続けた。

しかし木村さんは、それを拒絶し、

真本音度合いを高めるチャンスを

逸しようとしている」

というものです。

 

なぜ拒絶するのか?

 

そこに、木村さんの反応本音のクセが

出てしまっています。

 

木村さんの反応本音のクセで大きかったものは

二つです。

 

一つは、

自信過剰で、イケイケどんどんとなる

クセ。

つまり、自分のことを大きく見過ぎるのです。

 

もう一つは、

何かあるとすぐに自信を失い、消極的になる

クセ。

つまり、自分のことを小さく見過ぎるのです。

 

この2番目のクセが

今回は出ています。

 

ちなみに、この二つのクセは

作用・反作用の関係にあります。

 

つまりこれは、木村さんだけなく、

あらゆる人に起こりうる「セットのようなクセ」です。

 

作用・反作用が起こりやすいのが

反応本音のクセの特徴です。

 

一方が引っ込めば、

もう一方が顔を覗かせます。

 

ということで、私から見た今回の現象は

次のようになります。

 

「せっかく木村さんの真本音度合いを上げようと

弓江さんという人が近づいてきたのに、

そのまっすぐさ、が怖くて、

木村さんは逃げようとしている。」

 

もちろん、本当に逃げようとしているわけでは

ありません。

コーチングの場では、逃げたい、という気持ちを

出しますが、

彼は彼なりに何とかしようとしています。

 

ですので、

私がここでとる方策は、

「木村さんの真本音度合いも、

弓江さんの真本音度合いも、

共に一気に引き上げる」

という、そのための方策です。

 

そうなるためにはまず、

弓江さんに少し変化していただくことが

ベストだと直観しました。

 

弓江さんの変化が、

木村さんの変化を

呼び起こします。

 

その順番です。

 

こういった「順番」を見つけることも

コーチとしては重要な役割の一つです。

 

そこで出てきたメッセージが、

弓江さんへの

「あなたは、コーチに向いています」

という一言だったのです。

 

つづく

 

勢いに任せた前向きさから脱することこそ重要

葛藤を伴った前向きさ。

 

それは非常に不安定なものです。

(→前回記事)

 

常に前向きであろうと頑張り過ぎる人ほど、

私は注意をします。

その前向きさに合わせて物事を進めれば、

多くの場合、どこかで無理と不調和が生じるからです。

 

これを、

反応本音レベルの前向きさ、

と言います。

 

それに対して、

真本音レベルの前向きさ、

というものがあるのですが、しかし実はこれは

あまり的確な表現ではありません。

 

なぜなら真本音に素直に生きている人は、

自分が前向きかどうか、

なんてことは眼中にないからです。

 

前向きだろうが、後ろ向きだろうが、

今自分のすることは、今する。

ただそれだけのことだからです。

 

その姿を周りの人達が見ると、

「あの人はなんであんなにいつも前向きなんだ?」

という印象になるだけのことです。

 

真本音で生きるとは、

本人にとってはとてつもなく自然な状態です。

 

私のコーチングは、まずはクライアントさんが

そのような状態になる(・・・というよりも「戻る」)ことを

大切にしています。

 

単に勢いに任せて目標設定やコミットメントをして

勢いに任せて突き進む、ということを

私は、極力止めます。

 

勢い任せの前進ではなく、

本当に真本音に根ざした前進であれば、

そのクライアントさんの天然の魅力や個性や力が

発現し始めます。

 

木村さんの天然の力は

『創造力』

です。

(→前々回記事)

 

そしてその創造力とは、

『調和力』

を伴ったものです。

(→前回記事)

 

調和力という言葉は聞き慣れないと思います。

これも私の造語になるのでしょうか。

いつ間にか企業現場で自然に使うように

なっていました。

 

調和力を持った人は凄いです。

 

その人は特に何もしなくても、

その人がその場にいると明らかに

そこにいる人達の調和度合い(調和性)が高まるのです。

 

単純に言えば、例えば、

その人がいなければ言い争いになりそうな議題でも

穏やかにコミュニケーションが進んでいきます。

それだけでなく、

一人一人が個別で考えても決して出てこないような

斬新で本質的なアイデアが、

その場で生み出されるようになります。

 

調和力を持った人が、

そこにいるかいないか?

その違いだけ、でです。

 

ですので、私は組織コーチングをする場合、

その組織の中で調和力を持ち合わせている人を

いつも探します。

そしてその人の調和力を引き出すコーチングを

します。

そしてその人を、要(かなめ)として活用しながら

組織活性化を推進します。

 

その方が何倍も効果が違ってくるからです。

 

つまり調和力とは、

その人の存在そのものが発揮する

独特の力です。

 

木村さんにはそれがあったのです。

 

しかも木村さんの場合は、

その調和力という土台の上で、

新たな道を創り出していく逞しさ(創造力)も

ありました。

 

彼はもともと自信家の個性を前面に出していましたが、

実はその「自信家ぶり」自体は決して悪いことではないのです。

彼のその自信の根元にあったのは、

自分は新たな道を切り開いていける、という確信から

来るものだったのです。

 

しかし反応本音のみで生きていた彼は、

自己保身のために、その自信家ぶりを発揮して

いました。

それにより周りからの信頼を減らしていたのですから、

非常に勿体ない個性の使い方をしていたわけです。

 

要するに、

真本音で生きれば、自分の個性は

良い発揮の仕方をするわけです。

しかし真本音度合いを下げることで、

自分の個性を、自分を下げる方向に使ってしまう。

・・・そういった場面をこれまで私は

本当に数え切れないくらいに見てきました。

 

つくづく「勿体ない」の一言なんですよね。

 

木村さんの上司である平井さんは

こういった彼の特性を何となく掴んでいました。

だから、

「木村が真本音度合いを高めれば

必ず凄いことになる」という確信を持ち、

私に木村さんのコーチングを依頼されました。

 

そして、彼の天然の力が発揮され始めたのを見て、

すかさず、木村さんに「環境」を与えたのです。

それが、新規事業プロジェクトのリーダーという

立場です。

 

平井さんのマネジメントは「見事!」と

言うほかありません。

 

さて、話をもとに戻しますが、

新規事業プロジェクトのリーダーという役割を

平井さんから指示された時の木村さんは、

なぜ自分が?と疑問に思い、それを断ろうとしました。

 

そのタイミングで私のコーチングがありました。

 

私は木村さんに、なぜ平井さんが

木村さんをリーダーにしようとしたか?の理由を

詳細に説明しました。

 

調和力と創造力のお話も当然しました。

 

木村さんは、非常に恐縮されました。

「私のことを買いかぶり過ぎだと思うんです。

平井も、たけうちさんも」

と彼は言いました。

 

真本音度合いを高めることで

妙に謙虚になる人は、結構います。

恐らく、

これまでの自分の「芯のなさ」を知ってしまった故だと

思います。

 

ですから、謙虚になること自体は悪いことでは

ありません。

しかしだからと言って、

行動まで謙虚になる必要はありません。

 

本質的な謙虚になった人ほど、

大胆な行動をとっていただくことが

成果に結びつきます。

 

その環境を与えられる、という「現実」を

私は待っていました。

 

謙虚になった木村さんが、

目の前の「現実」に対して大胆に向かっていく。

 

これが、私のコーチングサポートの

次のステップでした。

 

つづく