傷口を
無理矢理に
こじ開けて、
さらに
酷い状態に
する。
それも
サポートの
一つの形だと
頭では
わかって
いても、
辛すぎる。
私だって
一応、
人間だ。
だが、
本人の
真本音が
それを望むなら、
私は
やる。
やって
しまうのだ。
・・・・・・
痛みは、
ある境界を
越えないと
痛みとしての
価値を
出さない。
本当は
痛いのに
それを
麻痺させることに
長けてしまって
いる人は
多い。
せっかくの
痛みが
麻痺をする。
そんな
非効率的な
生き方は
他にない。
痛いものは
痛い。
そして
その痛みが
限界(境界)を
越えるとき、
初めて
現れる気づき
と
境地がある。
それを
得るための
痛みを、
私達の
真本音は
時々望む。
そして私は
そこに
ペーシング
する。
・・・・・・
あと
1%で
痛みの境界
なのに、
最後の一歩
で
逃げる。
すると
そこまで必死に
やってきた
努力と我慢が
無に帰す。
本当に
無駄になって
しまうのだ。
痛いのは
嫌だ。
だからこそ
痛いことを
する。
それが
私達だ。
痛みは
向き合ってこその
痛みだ。
・・・・・・
痛みの先に
あるもの、
それは
光だ。
その光と
出会うことで
初めて
痛みは
本質的に
癒される。
そこまで
頑張ること。
泣き喚いても
いいから。
子供のように
泣きじゃくれば
いいから。
逃げない
ことだ。
つづく



