世の中に
対する願い、
というのは
実は誰もが
持っている。
多くの人は、
残念ながら
自覚はしていない
ようだけど。
それは単に、
世の中に
「こうなってほしいな」
という
レベルのものでは
なく、
「私は世の中に
こう関わっていきたい」
そして
「このような現実を
創り出したい」
という
かなりポジティブな
ものだ。
「世の中」
という言葉を
「世界」
と置き換えてもいい。
この視点の
願いを
私はよく
受け取る。
その人と
向き合っていると。
フッと
伝わってくるのだ。
とはいえ、
それをすぐに
フィードバックする
ことは
少ない。
むしろ、
その人のその
願いと、
「日常」を
どう繋ぐか?
という視点から
その人を
サポートすることに
している。
例えば、
その人の
「世の中にどう
関わりたいか?」
を
日常の
「職場の皆さんと
どう関わるか?」
とか
「ご家族と
どう関わるか?」
とかに結びつける。
願いと日常が
深く結ばれれば、
その人は
根底から
イキイキするからだ。
そしていつか
自然に
視界が「世の中」
へと
広がっていく。
・・・・・・
私達は
もっと
視野を広く持つと
良い。
視野を広く持つ
イコール、
社会的で規模の
大きな活動を
せねばならない、
ということでは
ない。
視野を広く
持った上で、
目の前の
「一つの現実」
に
向き合っていく。
実は、
視野を広く
持てれば持てる
ほど、
目の前の
現実には
一つ一つ丁寧に
意識を
向けやすくなる。
ちょっとした
変化も
感じやすく
なる。
それが
人間というものだ、
と
よく感じる。
逆に
言えば、
狭い視野
は
雑さを生む。
惰性を
生む。
・・・・・・
自分のエネルギー
が枯渇した
とき、
そんな自分を
助けてくれる
のは、
「世の中」
だ。
「世界」
だ。
そして、
「世界が私を
助けてくれている」
と
実感できる状態
になると、
身近な人達
からの
自分に向けられた
愛情にも
敏感になれる。
自然に
感謝が湧く。
世界と
私。
私と
世界。
世界の中の
私。
私の中の
世界。
私は
世界。
世界は
私。
・・・といった
感覚。
理屈では
なく、
感覚。
その感覚を
養うことこそ、
ここからの
時代に
最も必要なことだと
思うのだ。
つづく