ギリギリのところで

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ギリギリの
ところだ。

生き延びる
方向に
進むのか?

滅する
方向に
進むのか?

正直、
普通で考えれば
後者だ。

が、
この社長の
あがき方は
尋常じゃない。

これは、
真本音の
あがきだ。

・・・・・・

執着と
願いは
もちろん
根本的本質的に
異なるものだ。

が、
表面に現れる
行為は
一見すると
判別し難い。

だから
これまでは
執着の強い人が
実績を
残したりも
してきた。

執着の強い
経営が
「凄い経営」

言われも
した。

が、
もはや
そういうことが
通用しなく
なってきている。

この社長

あがき方は
どう観ても

執着では
ない。

これは
願い、だ。

・・・・・・

波長。

まるで
音楽を奏でる
ようだ。

必死
なのだが、
どこか
楽しげだ。

いや、
本人は
それどころじゃ
ないだろう。

しかしその
何とも言えぬ
空気こそが

周りに
希望を
与え続けている。

・・・・・・

本人の
知らないところで

違い

というのは
出るものだ。

この人は
後になっても、

なぜ自分が
救われたのか?

知ることは
ないだろう。

でも
この空気感
は、
人の心と
魂に

何かを
響かせる。

もうその
時点で、

人を救い、

結果として
自分も
救われる。

・・・・・・

無垢な心
という
表現を使う
ならば、

それは
本当に
追い詰められた
時にこそ
表出される。

よく
「自分らしさとは?」

問われるが、

私は
その人らしさ
とは

本当の苦境
でこそ
発揮されるもの
だと思う。

調子の良い
時は、

誰だって
魅力的だろう、
それなりに。

・・・・・・

この人は
きっと、

これからの
時代の
モデルに
なっていくの
だろう。

そう
予感する。

が、
もちろん
そんなことは
言わない。

言えない。

本人は、
必死なのだ。

そして
私も一緒に
これから
必死になる。

つづく

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