我に返る

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心を完全に

自由にしたときに、

 

多くの人が

目撃するものが

ある。

 

それは

「激流」。

 

心の中の

激しい流れだ。

 

それを

目の当たりにすると

私達はまずは

戸惑い、

慄く。

 

これは何だ?

びっくりする。

 

そして

人によっては

見なかったことに

してしまう。

 

しかしその

「激流」は

確かに私達の中に

あり続ける。

 

流れ

続ける。

 

それを

ずっと観ていると、

 

自分の身も心も

 

その流れに

捧げてしまいたく

なる。

 

しかしそれには

余程の勇気が

必要だ。

 

多くの人は、

自分にはまだ

その準備が整って

いない、という

事実を知る。

 

そして

早くあの流れに

身を委ねたい、という

本能的願いが

生じ、

自分を高める努力を

始めるのだ。

 

・・・・・・

 

「激流」に

委ねてもよい、

 

自らが自らに

OKを出せば、

 

私達はそれに

飛び込むことが

できる。

 

できるが、

やはり、

怖い。

 

怖いが、

勇気を奮う。

 

そして

飛び込む。

 

飛び込んだ瞬間は

わけがわからなく

なるが、

 

もう一瞬後には

すべてを

悟るのだ。

 

あっそうか、

ここだった、と。

 

・・・・・・

 

この流れの

中こそが、

 

自分の原点だった

 

悟るのだ。

 

流れている

この状態こそが、

ゼロ。

 

すべてが

静止し、

 

すべてが

鎮まり、

 

すべてが

満たされている。

 

すべてが

ないように見えて

実は

すべてが

ここにある。

 

すべての

始まりであって、

すべての

終わりでもある。

 

そんな

始まりの場所。

 

原点。

 

ゼロ。

 

それが

「激流」の

本質だと。

 

ということは、

これまで静止している

と思い込んでいた

過去の状態は、

 

実は

逆流していたのだ

と。

 

その真実を

私達は知り、

ある意味愕然とし、

 

しかし、

ある意味ようやく

 

我に返る。

 

本来の自分を

取り戻す。

 

・・・・・・

 

そして私達は

 

「日常」に

帰っていく。

 

「激流」に

委ねながら、

 

これまで通りの

日常を過ごす。

 

日常は

何も変わらない。

 

これまでと

同じ生活が

そこにある。

 

これまでと

同じ現実が

そこにある。

 

しかしもはや

私達には

すべてがこれまでとは

違って観える。

 

そこにある

「すべて」の

実在が

わかるようになる。

 

ようやくこれで

 

「あぁ私の人生が

始まったな」

 

思えるんだ。

 

つづく

 

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