怒火

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怒りを

消してしまおうと

する人は多いが、

 

怒りは

消してしまっては

ならない。

 

特に

真本音度合いが

高まった上での

怒りは、

 

私は

「真本音の怒り」

呼んでいるが、

 

それ自体が

非常に価値ある

ものだ。

 

自分自身の

真本音が

「怒り」という現象でもって

自分自身に

メッセージを送っている

わけだ。

 

怒りに素直に

なり、

怒りを開放する

ことで、

 

自分の

人生の道を

見出すことさえある。

 

私は

今、

何に怒っているか?

 

本当は

どの部分に最も

大きな怒りを

感じているか?

 

しっかりと特定

するといい。

 

その怒りの

根源にこそ、

自分自身の

「すべきこと」

見え隠れする。

 

真本音の怒り

は、

そうして

自分自身が

自分自身のすべきこと

を見出し、

きちんと実行に

移すまで

ずっと続く。

 

単なる

反応本音の怒り

とは

本質的に異なるものだ。

 

やはりそれは

メッセージであり

合図である。

 

思えば、

私が今の仕事に

出会い、

今の仕事に

人生をかけようと

決めたのも、

 

その大元には

激しい怒りが

あったようにも

思う。

 

その怒りは、

この仕事に就いて

四半世紀以上も

経つのに、

 

まだ

なくなっていない。

 

私が

本当に自分の

すべきことを

果たし終えるまで、

 

きっとそれは

なくならない

のだろう。

 

もちろん

今の仕事には

大いなる悦びも

多い。

 

しかし一方で

感じ続ける

怒り。

 

悦びと怒り、

の中で

道が観える。

 

これが

人間か。

 

怒りは

ちゃんと見つめれば、

真本音の怒りか

反応本音の怒りか

判別がつく。

 

もし

真本音の怒りで

あれば、

 

それを

自分自身の

指針とせよ。

 

つづく

 

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