問いすら要らない

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心が澄んで
いるときは、

「問い」が
要らない時が
ある。

「問い」の前に
もう
「答え」が来る。

その気配を
感じたら、

澄んだその状態
のまま、

「定位置」で
じっと待とう。

心が澄んでいれば
「定位置」が
わかるはずだ。

心の中の
「定位置」。

そこに座って
静かに待てば、

「答え」は
静々と
目の前に
やってくる。

何も
問わない。

何も
訊かない。

何も
聴かない。

ただ
静かに
しているだけ。

すると、
言葉になる前の
「答え」が
わかる。

「答え」の
存在がわかる
という感じだ。

あとはその
存在と
一つになるだけ。

すると
「思い出す」感覚で
それは
言語化される。

もしくは時には
言語化すら
されずに
ダイレクトに
自分が勝手に
何かの行動に
移るかもしれない。

いずれにしても
「思い出した」
その答えは

私達を
突き動かす。

突き動かすと
言っても
勢いでは
動かない。

静かに
でも
エネルギッシュに、

まるでそれが
当然のこと
であるかのように

周りから見れば
凄まじいくらいの
確信に満ちた
行動を
とるようになるんだ。

つづく

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