揺るがぬものがある

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昔、登山をしていた頃、

北アルプスや

南アルプスや

様々な山に登りながら、

 

時折ふと

 

遠くに聳える

富士山を見つけた

ものだ。

 

富士山は

どこからどう見ても

だいたいいつも

同じ形だ。

 

季節が変わっても

天候が変わっても

場所が変わっても

同じ形だ。

 

威風堂々とし、

かつ

神秘的で

揺るがない。

 

男性性も

女性性も

ある。

 

人は

そういった

揺るがないものに

安堵する。

 

富士山という

存在が

日本という国に

与えた影響は

 

私達が想像している

よりも

大きいのではないか

と思う。

 

・・・・・・

 

私達の中にも

揺るがないものは

存在する。

 

心はいつも

移ろうものだが、

 

心の中心には

揺るがぬ存在が

ある。

 

私はそれを

『真本音』

と名付けたが、

 

名前をつけても

つけなくても

 

それは

太古の大昔から

そこにある。

 

揺るがぬものを

常に感じながら

生きる人生と、

 

揺るがぬものを

知らぬまま

生きる人生では、

 

人生の質も中身も

根底から

変わるだろう。

 

同じ人間なのに、

 

人生は

根底から変わる。

 

揺るがぬものが

なければ、

 

私達は常に

何かに怯え続ける。

 

そして

その怯えに

打ち勝つための

人生か、

 

怯えから

逃げる人生か、

 

どちらかに

なるだろう。

 

どちらになっても

それは

 

不安定だ。

 

・・・・・・

 

怯える心を

怯えないように

矯正したり、

 

強制することは

不可能だ。

 

怯えの心は

そこに存在

し続ける。

 

なぜなら

それが私達の

本能の一つだから。

 

怯えても

怯えなくても

関係ない、

揺るがぬ存在が

そこにあれば、

 

怯えても

怯えなくても

関係のない人生と

なる。

 

いや、むしろ

怯えがあるからこそ

間違いなく進める

私達になる。

 

怯えの心を

なくさなければ、

 

というのは

不自然だ。

 

それは

世の中から

風をなくさなければ

言っているに等しい。

 

世の中に

風は吹く。

 

それが

自然だから。

 

心の中に

怯えは湧く。

 

それが

自然だから。

 

あらゆる自然を

そのままに

受け止め、

 

あらゆる自然を

そのままに

楽しみ、

 

あらゆる自然の

中で

聳え立つ。

 

そんな

まるで富士山の

ような自分に

 

私達は

誰もがなれる。

 

真本音を大切に

生きる

とは

そういうことだ。

 

つづく

 

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