だいぶ悲しいね

LINEで送る
Pocket

 

私達にとって

「悲しみ」

とは何だろうか?

 

深い悲しみは

多くの場合、

怒りに

転嫁される。

 

ちょっとしたことに

対して

すぐに怒りを

現す人は

 

その心の奥に

深い悲しみを

抱えているケースが

多い。

 

その悲しみを

感じると、

私もとても

悲しくなる。

 

悲しみ

とは

何だろうか?

 

悲しみの多くは

執着を

伴っている。

 

執着というと

キツいかな?

 

柔らかく言えば

望み

と言ってもいい。

 

自分の望みが

思う通りに

叶えられない時、

 

悲しみが

発生する。

 

その望みへの

執着が

激しければ激しいほど

悲しみは

大きくなる。

 

ただし。

 

執着のない

「悲しみ」

もある。

 

そして。

 

執着のない

「悲しみ」は

執着のある

悲しみよりも

圧倒的に

深くて辛い。

 

私達人間は

このレベルの

「悲しみ」を

乗り越えることが

できるのだろうか。

 

よく考える。

 

この仕事を

していると、

随分と多くの

悲しみと

出会った。

 

悲しい!

本人が泣いている

うちは

まだマシだ。

 

しかし、

悲しみの度が

過ぎると、

本人の自覚が

なくなる。

 

麻痺する。

 

自分が悲しんで

いることを

自分が一番

わからなくなる。

 

すると、

悲しみとは別の

出方をするように

なる。

 

残念ながら、

現代社会においては

麻痺してしまっている

人が多い。

 

人は

「悲しみ」を

超えることが

できるのだろうか?

 

あなたは

どう思う?

 

私は

あまりにもひどい

「悲しみ」に

埋没してしまった

ことがあるが、

 

あの時はもう

復活は無理だと

思ってしまった。

 

今でも

どうして復活できたか、

わかるようで

わからない。

 

もう一度、

あの「悲しみ」を

体験したとして、

また復活できる

自信は

ない。

 

それくらいに

深い「悲しみ」は

ある。

 

でもそれでも

私の選ぶ

選択肢は

一つだ。

 

人は

「悲しみ」を

超えられる。

 

それを

まずは私が信じて

進もうと

思っている。

 

つづく

 

コメントを残す

*