チームパフォーマンスコーチ

自分で決める

 

洞窟の中に

いる間は、

 

それがどれだけ

真っ暗闇でも

 

私達はそこに

いることが

当たり前になって

しまう。

 

暗闇に目が

慣れていれば、

そこでもいろいろな

ものが見え、

 

ちゃんと暮らせる。

 

もちろん

暗闇の中でも

幸せはある。

 

むしろ

暗闇の中でしか

見出せないような

幸せもあるだろう。

 

しかし、

 

突如として

出口が見え、

 

光が見え、

 

それがかなり

大きく近づいて

くると、

 

自分は

なんと暗い中に

いたのか。

 

自分は

どうしてあんな中で

満足して

いたのか。

 

という

気分になる。

 

もし実際に

出口から

外に出ることができ、

 

その開放感!

 

あたたかさ!

 

すべてが見える

喜び!

 

世界の広さ!

 

爽快さ!

 

全身で感じ取った

ならば、

 

なぜ私は

もっと早く出口に

向かわなかったのだろうか

自分自身を

呪うかもしれない。

 

洞窟の中。

 

洞窟の外。

 

どちらも

人生だ。

 

どちらにいるかも

その人の

選択だ。

 

もし

洞窟の外に

最初からいれば、

 

洞窟の中の世界など

知る由もないだろう。

 

洞窟にわざわざ

入ろうなどとは

一生思わないだろう。

 

いや、

洞窟の存在すら

知らないままかも

しれない。

 

洞窟の中の人生。

 

洞窟の外の人生。

 

どちらが

素晴らしいか?

 

などという視点は

私は必要ないし、

それは単なる

その人の解釈に過ぎない

と思う。

 

ただ一つ

思うのは、

 

人間である以上、

 

せっかくなので、

 

両方知る

と良いのではないか。

 

せっかく

人間なのだから。

 

両方知った人が、

私はあえて

洞窟の中で生きよう

決めるかもしれない。

 

実際に

そういう人も

確かにいる。

 

それはその人の

人生の道だ。

 

両方知った上で

自分で決める。

 

ちゃんと

自分で決める。

 

それが

人間ではないかな。

 

つづく

 

新たな自分

 

これまでの

あなたの

『中心核』

が消えて、

 

新たな「中心核」が

生まれたと

しよう。

 

これまでの「中心核」は

あなたの体の

どこにあり、

 

新たな「中心核」は

あなたの体の

どこに

生まれただろうか?

 

これまでの「中心核」は

どのような形を

しており、

 

新たな「中心核」は

どのような形だろうか?

 

これまでの「中心核」は

何を大切にしており、

 

新たな「中心核」は

何を大切にするの

だろうか?

 

これまでの「中心核」は

何を願い、

 

新たな「中心核」は

何を願うだろうか?

 

これまでの「中心核」

によるあなたは

何者で、

 

新たな「中心核」

によるあなたは

何者として

在るのだろうか?

 

最後に、

 

新たな「中心核」は

あなた自身に

何をメッセージ

しているだろうか?

 

中心核が

変わるということは

私達にとっては

かなり根本的な

変化なのだろう。

 

でも

怖がることも

焦ることもなく、

 

それすらも

楽しんで

進みたいものだ。

 

新たな自分を

楽しもう。

 

つづく

 

大事なメッセージ

 

この文章を

ご覧いただいている

皆さんへ、

 

今回はとても

重要なことを

一つ、お話しします。

 

 

「決意」

 

を一つ

決めてください。

 

それは

あなたがこれまで

一度も決意したことの

ないもの

 

であることが

重要です。

 

これまでの人生で

一度も

決めたことの

ないこと。

 

これまでのあなたの

視点の中には

なかったもの。

 

でも

それを決意することで

これからの

あなた人生の

「新たなステージ」

 

間違いなく

より良くなって

いくもの。

 

単純なことで

良いです。

 

壮大なことでも

いいし、

ほんの身近な

ことでもいいです。

 

とにかく、

それはあなたに

とって

新鮮なもので

あるところが重要です。

 

しっかり

考えて、

 

そして

完全に決めて

ください。

 

「決意」

ですからね。

 

ちなみに

私はもう

決めました。

 

教えませんが。笑

 

時間がかかっても

良いので、

 

しっかりと

あなただけの

「決意」を

明らかにしてください。

 

人に表明する

必要はなく、

 

あなたの中

だけで

決めれば良いですよ。

 

つづく

 

脱け出せそうだ

 

風穴が開いた。

 

という

気がする。

 

ずっと

開けたかった

穴だ。

 

言ってみれば、

 

52年かかった、

とも言える。

 

これまでも

何度も

「開いたかな?」

というのは

あった。

 

しかしその度に

いまいち

だった。

 

でも今度は

大丈夫かな?

 

思う。

 

これまでとは

感触が

違い過ぎる。

 

・・・・・・

 

実は、

風穴のその先の

世界は

観えている。

 

観えているのに

そこに行けない

という

もどかしさ。

 

それが

これまでずっと

続いた。

 

その感覚が

明らかに今、

消えようとしている。

 

ちょっと

寂しい気はするが。笑

 

・・・・・・

 

人が

育っている。

 

もちろんまだ

数は少ない。

 

でも

私が心から

信頼できる人達が、

 

ニョキニョキと

頭角を

現し始めた。

 

想いを

カタチに

し始めている。

 

実在と

現象が

一致してきた。

 

ついに。

 

・・・・・・

 

世の中の

混乱の

奥にあるものを

 

掴み始めている

人がいる。

 

奥を感じて

進むのか?

 

混乱に

呑まれるだけで

進むのか?

 

今後さらに

人生は大きく

変わってくるだろう。

 

つづく

 

現場で得たこと

 

私は

「現場」

を大事にしている。

 

もう四半世紀近く

「コーチ」の仕事を

しているが、

 

これだけは

ずっと大事に

し続けた。

 

どれだけ理論が

素晴らしくても、

どうしても

机上の空論

というのが

嫌だった。

 

だから

迷ったらいつも

「現場」で

人と向き合った。

 

昔の私は

反応本音がとても

ひどく、

エンティティも

ひどかったので、

 

心が非常に

不安定だった。

 

だからすぐに

自信をなくすし、

自分を見失うし、

 

仕事に出るのが

人と会うのが

とても怖くなった。

 

でも

そういう時こそ

私は勇気を奮って

人に会いに行った。

 

それだけは

昔の私を

褒めてやりたい。

 

内に籠ろうと

してしまう精神状態の

時こそ

 

私は必死に

外に向かった。

 

人と

向き合い続けた。

 

まだ「真本音」という

概念すら見つかって

いなかった頃だが、

 

その時から

私の人生理念は

「向き合う」

だった。

 

それをとにかく

実践し続けたので

今があるのだと

思う。

 

「向き合う」

というのは

人に力やエネルギーを

与えてくるのものだ。

 

恐らく、

生命力の源は

「向き合う」

という行為ではないか。

 

人と人は

「向き合う」生き物

だ。

 

「向き合う」ことを

前提に

創られているのでは

ないか、と

思えるほどだ。

 

組織でも

人間関係でも、

 

そこにいる人達と

向き合えているか

どうか?

 

すべては

そこに尽きる

よく「現場」で感じる。

 

だから私の

サポートの本質の一つは

 

いかに

そこにいる人達が

向き合える状態に

なるか?

 

である。

 

逆に言えば、

 

みんな、

 

向き合ってない。

 

形だけ向き合っている

という人が

多過ぎるのが

 

今の世の中の

大問題点だ。

 

今の世の中の

最重要課題は

 

「向き合う」

かもしれない。

 

私も人生において

様々な課題や

理念が

生まれた。

 

でも

最初の理念は

「向き合う」

出し、

最初の課題も

「向き合う」

だった。

 

そしてそれは

今もずっと

継続している。

 

一生のテーマ

だな。

 

つづく

 

自由・・・

 

まずは

 

『自由奔放』

 

を知ることだ。

 

自由奔放とは

どういうことか?

 

その本質を

知ることだ。

 

それがわかったら

自由奔放に

生きては

ならない。

 

次に行なうのは

 

『自由自在』

 

に生きることだ。

 

「自由自在」

とは、

「現実」をちゃんと

見つめ、

 

「現実」に合わせ、

 

「現実」の中で、

 

これだ!!

 

と、最も納得の行く

一歩を

踏み出し続ける

こと。

 

つまりは

自分自身を

自由にコントロール

する状態だ。

 

これができるには

「自由奔放」

を知らねば

ならない。

 

「自由奔放」

を知る者のみが

「自由自在」

に生きることが

できる。

 

その結果、

自分の本当に望む

方向に

 

現実を拓く

ことができる。

 

私達は

 

自由奔放に

生きるために

ここにいる

のではない。

 

私達は

 

自由自在に

生きるために

ここにいるんだ。

 

つづく

 

冒険かな

 

未開の地に

進んでいる

日々だな。

 

実感できる時が

ある。

 

実は今が

そうなのだが、

 

そんな時は

一日の内に起こる

様々な出来事が

なんだか

他人事のようだ。

 

つまりは

私の顕在意識が

常にボーッと

している状態で、

イマイチ

現実味がない。

 

常に私自身の

範疇を

超えてしまって

いるのだ。

 

通常はそういった

場合、

進むことに躊躇を

するのだろうし、

 

恐怖も感じるのが

人間なので、

どちらかと言えば

 

恐怖、という

感覚のおかげで

現実を実感できる

はずだが、

 

そういったものも

私は感じるのだけど

手放している状態に

してしまうので、

 

麻痺するのでは

なく

すべてを感じて

いるのだけど、

 

でもなんだが

自分の人生では

ないようだ。

 

まぁ、

赤ちゃんが

初めて目にするものに

夢中になって

いる感じかも。

 

容量オーバーで

すぐに眠ってしまう

あの感じかな。

 

要するに

起きているけど

容量オーバーで

眠っているのと同じ

状態なのだろうか。

 

ここのところの私は

そんな感じだ。

 

でも実は

こういう日々こそ

私は結構好きで、

 

私は私の

容量オーバーが

好きなようなのだ。

 

その時は

無我夢中なのだが、

気がつけば

自分の知らない

いろんな発想や

気づきが

手に入っている。

 

無我夢中で

進んで

しばらく経って

少し落ち着いて、

 

よくよく

見たら

 

手にたくさんの

宝物を掴んでいた、

という感じだ。

 

まぁこれを

「冒険」

と言うのかな。。

 

人間は

冒険が好きなんだな。

 

未知の領域。

 

未知の世界。

 

現象のレベル

だけではなく、

 

実在のレベル

でも、

そこに突入していく。

 

今はそれが

できる状態に

なれたということを

 

素直に喜ぼう。

 

つづく

 

発想の種

 

道を拓く力とは

何か?

 

問われたら、

 

様々な視点の

様々な答えが

あると思うが、

 

そのうちの重要な

一つとして、

私は

 

「自分自身の発想の

存在を知る力」

 

と答えるかな。

 

これ、

意味わかるかな?

 

私達の中に

生まれる

発想、って、

 

最初はほんの小さな

種みたいな

存在なんだよね。

 

まだ

「発想」にまで

なっていない。

 

言語化もできていないし、

イメージにも

なっていない。

 

最初は

ただの「感覚」でしか

ない。

 

「自分自身の発想の

存在を知る力」

とは、

 

その「感覚」を

掴む力ということだ。

 

つまりは、

 

あっ、

今、自分の中に

発想の種が生まれたぞ。

 

・・・と

感覚で掴む力だ。

 

これを研ぎ澄ますと

強い。

 

「感覚」の在処を

まずは心の中に

見出し、

 

その場所に

意識を向け、

 

イメージにも

言葉にもならない

その単なる「感覚」に

エネルギーを

与える。

 

そしてそれを

大事に大事に

育てるんだ。

 

するとその「感覚」は

だんだんと

実体を持ち始める。

 

最初はわずかな

存在感しかなかった

ものが、

だんだんと

そこにあるのが当たり前

くらいになってくる。

 

すると

そこに様々な刺激を

入れながら

それを育てる。

 

その刺激とは

「問いかけ」

だ。

 

「感覚」から始まる

その存在に

問いを投げていく。

 

するとその

「問い」を栄養に

しながら、

「感覚」は「実体」となり、

 

「実体」はしだいに、

一つのイメージや

アイデアと

なっていく。

 

そして

ある瞬間に必然的に

 

「気づき」

 

が来る。

 

あぁ、これをしよう!

 

こうすればいいんだ!

 

という

明確な発想となって

それは羽化する。

 

これが

道を拓いていく。

 

このように

「気づき」とは

必然的に育てられるものだ。

 

これをすることを

私は

セルフコーチングと

呼んでいる。

 

私達は

発想の宝庫だ。

 

しかし、

発想を自ら見つけ

育てることを

もっとした方がいい。

 

せっかく生まれようと

している発想だ。

 

生まれる直前から

生まれやすいように

手をかけるといい。

 

それが

セルフコーチングの

本質というものだ。

 

つづく

 

台風の渦のようだ

 

人は

本当の意味で

活性化すると、

 

まるで

台風の目のように

なる。

 

自分が中心となり

台風のような

強い風を

 

渦を

 

周りに

波及し始める。

 

周りの人達は

その渦の影響を

受ける。

 

そして

ちょっとした振る舞いや

判断を

その渦の影響下で

し続けることになる。

 

しかし

そのようなことは

もちろん

無意識レベルでの

話。

 

顕在意識では

渦を波及させている

当人も

もちろんそのような

自覚はないし、

 

影響を受けている

人達にも

自覚はない。

 

しかしその

渦を発し

渦を受け取る

という

このやりとりによって

 

その組織の

道が

大きく変わったり

する。

 

だから私は

組織活性化の

サポートをさせて

いただく場合、

 

今は誰が

渦の発生源か?

 

そして

その渦の影響を

最も受けやすいのは

誰か?

 

明らかにすることを

自らの命題に

している。

 

そしてもしそれを

掴むことが出来たら、

 

その後のサポートは

とても楽になる。

 

私は、

渦の発生源に

なっている人のことを

その組織の

 

『要』(かなめ)

 

と呼んでいる。

 

つまり私の

サポートの本質とは、

 

・「要」を見つけ出し

・「要」の影響力を最善にする

 

ことにある。

 

それによって

次から次へと

「要」が生まれる。

 

そして

「要」がその組織の

1割以上に増えることで、

 

その組織は

根本的に脱皮を

始める。

 

と同時に

組織そのものに

「真本音」

が生まれる。

 

つまりは

組織に魂が

宿る。

 

するとそこから

その組織は

 

組織自体が

 

真本音の道を

歩むようになる。

 

その状態に

なれたところで

私はその組織から

離れていく。

 

もちろん

なかなか理想通りに

行かないことは

多い。

 

試行錯誤の

連続だ。

 

でもそれが

組織が

本来のその組織として

進化していくための

最短の道だと

 

数多くの現場が

教えてくれた。

 

そして

そういったサポートが

できる「コーチ」を

私は

育成したい。

 

組織に「要」が

いるのと同様に、

 

社会にも「要」が

いる。

 

社会の「要」を

サポートできる

「コーチ」を

育成したい。

 

つづく

 

ちゃんと休め

 

どれだけ疲労して

動けなくなっても、

 

いや、

そういう時だから

こそ、

 

私達は自分自身の

真本音に

意識を向けるといい。

 

真本音は

変わらずに

光り輝いている。

 

変わらずに

パワーを

解き放っている。

 

変わらずに

笑顔だ。

 

しかし

だからと言って、

自分自身に

無理強いはしない。

 

休みなよ。

 

・・・と

笑顔で語りかける。

 

大丈夫だよ。

 

・・・と。

 

私はちゃんと

やることを

やっている。

 

そういう疲労ならば、

ちゃんと癒える。

 

今はしっかり

休むことだ。

 

・・・と。

 

真本音は、

誰よりも「現実」を、

 

そこで起きている

ことを、

 

あるがままに

観る。

 

そして

その上で

私達に「最善」を

教えてくれる。

 

だから私は

安心して

休むことができる。

 

やること

やったら、

 

ちゃんと

休んで、

 

力を回復

させて、

 

また、

やることやろう。

 

一つ一つ

誠実に、

 

軽く、

明るく、

静かに、

笑顔で。

 

つづく

 

バランスとる?

 

バランスが

とれている。

 

・・・というのは

どういうことだろうか。

 

例えば、

ヤジロベエで言えば、

左と右がちょうど

50%ずつ、

均等になっている

状態だろうか。

 

いや、

そうとも言えない。

 

例えば、

右が10%で

左が90%でも、

絶妙なバランスをとる

こともできる。

 

側から見れば

ヘンテコな格好だが、

それでも

それはそれなりの

バランスであり

 

個性だ。

 

むしろ、

50%50%のバランス

よりも

そちらの方が

個性的で面白い。

 

人間も

同じことが言える。

 

その人には

その人なりの

バランスがあり、

 

それが

その人の個性だ。

 

よく

「バランスが大事だ」

という言葉を

使う人がいるが、

 

実は私は

この言葉、

あまり好きではない。

 

なぜなら

バランスをとろう

としている人で、

魅力的な人は

あまりいないからだ。

 

もちろん

私の主観だ。

 

でも、

バランスをとろう

とろう

とすることで

その人本来の魅力を

むしろ消してしまっている

ケースは

多いと思うんだ。

 

だから

極端に言えば、

 

バランスなんて

とろうとしない方が

いい。

 

・・・くらいに

言いたい。

 

バランスなんて

考えるから

おかしくなるんだ。

 

・・・くらい

言っちゃいたい。

 

それくらい

自由になった方が

結果的に

その人にしか

現せないバランスが

 

その人の

真の魅力として

 

表出すると

思うんだな。

 

みんなもっと

個性的で

あればいい。

 

個性を

際立たせると

いい。

 

その方が逆に、

社会も組織も

調和が生まれると

思うんだ。

 

真のバランスが

生まれると

思うんだ。

 

つづく

 

共に主だ

 

嵐の中にいる時は、

私達は

不安になる。

 

心の中にも

嵐が吹き荒れる。

 

穏やかに

晴れた日であれば、

私達も

穏やかでいられる。

 

私達は

環境に左右されながら

生きている。

 

私達の心は

環境にモロに

影響され、

 

環境に反応するように

動く。

 

環境が「主」で

私達は「従」

なのだろうか。

 

私達が

「主」となることは

ないのだろうか。

 

私達は

揺れる。

 

揺れるように

できている。

 

心は

揺れる。

 

揺れるように

できている。

 

それを

揺れないように

しよう!

思うこと自体が

不自然だ。

 

揺れるように

できているならば、

 

揺らしとけば

いい。

 

環境に対して

「従」であるならば、

 

それで

良いではないか。

 

それらの

事実と、

 

どうやらそれは

摂理であることを、

 

真正面から

すべて

受け入れれば、

 

それによって

私達人間は

初めて

「主」

となれるようだ。

 

ただし

「主」

とはなれるが、

「従」

は何も無し。

 

実は

すべてが

「主」であったのだ。

 

ということが

腑に落ちると、

 

強い。

 

実に強く

生きることが

できる。

 

心?

揺れれば

いいじゃないか。

 

受け入れれば、

 

その心の中心に

何があっても

揺るがない部分が

あることを、

 

その事実に

初めて

気がつくことが

できる。

 

事実を

受け止めなければ、

 

まだ観えていなかった

事実に

気づくこともない。

 

事実を

受け入れる強さが

 

自分の

本当の強さまで

導いてくれる。

 

私とあなたは

どっちが

「主」だ?

 

どっちも

「主」だ。

 

じゃあ

共に何をする?

 

つづく

 

その力は使わなきゃ

 

私達には

「力が宿る」

ということが

実は時々、ある。

 

もともと先天的に

持っていたもので、

ずっと眠っていた力が

 

何かのきっかけで

一気に浮上する。

 

するとそれはまるで

宿ったかのような

印象となる。

 

しかし本当は

宿ったのではなく、

もともと才能として

あったものが

開花しただけのことだ。

 

自らの真本音に

素直に生きる人は

そういう体験が

何度も訪れる。

 

ところが。

 

せっかく花開いた

その才能を

使わずにいる人が

たまにいる。

 

その力を使う

ということは

イコール、

それ相応の挑戦をする

ということだ。

 

これまでの自分では

考えられなかった

挑戦をする、

ということだ。

 

だからそこで

怖気付いてしまい、

 

逃げてしまい、

 

せっかく花開いた

才能を

使わないままに

人生を送ってしまう。

 

実に

もったいない話だ。

 

だから私は

「コーチ」として、

 

そういった才能が

開花し始めた

クライアントさんには

半ば強引に

挑戦をさせることが

ある。

 

本当は「コーチ」とは

クライアントさんを

引っ張ることは

しないものであるが、

 

しかし

その人の真本音の

意志を尊重するために、

 

あえて

強引なことを

することもある。

 

もちろん

そんなことをせずとも

ご本人が自ら

挑戦できれば、

それに越したことはない。

 

才能は

使わなければ

意味がない。

 

せっかく自分自身との

約束を果たすために

あらかじめ

自分自身に備えた力だ。

 

必然的な

力だ。

 

それを

使いこなすことこそが

「自分らしさ」

の基本となる。

 

これまで

苦手だと思っていた

ことが、

ある時にふと、

「そうでもないかな」

と思えたら、

 

それは

あなたの才能の

開花の始まりかも

しれない。

 

であれば、

思い切って

試してほしい。

 

挑戦を

してみてほしい。

 

つづく

 

鏡となる

 

すべては

なるように

なっていく。

 

しかも、

何がどのように

なっていくかは、

 

私達自身が

本当はよく

わかっている。

 

わかっている

ことが

わかっている

ように

起こるだけ。

 

・・・高い次元の

意識からみれば、

そういうことだ。

 

しかし、

 

3次元のこの世界に

生きている

私達(の顕在意識)は、

 

何も

わからない。

 

1分先の未来さえ

わからない。

 

その

「わからない」

ことにこそ

価値がある。

 

「わからない」

からこそ

ここに生まれてきた

意味がある。

 

本当は

わかっているけど、

何も

わからない。

 

それが

私達人間だ。

 

人として生きる

とは、

 

わからないことを

わからないままに

生きる、

と言ってもいい。

 

人として生きる

とは、

 

本当はわかっている

自分自身を

信じて、

自分にすべてを

委ねるところまで

自己を成長させること、

とも言える。

 

まったくもって

おかしな存在だ、

人間とは。

 

目の前の

Aさんが

 

「YES」

 

と言った。

 

しかしそのほぼ

同じ瞬間に

Aさんの実在は

 

「NO」

 

と言った。

 

同じAさんなのに、

現象と実在から

まったく逆の答えを

投げられた。

 

じゃあいったい

私はどうすれば

いいんだ?

 

・・・と。

 

こんなことがほぼ

毎日続いている。

 

実在と現象の

不一致。

 

これが

この世界の

最大の問題だ。

 

とはいえ、

 

その問題を

引き受けながら

生きるのがまた

人間だ。

 

まったく

おかしな存在だ。

 

もっとみんなが

自分の真本音が

わかるといい。

 

だって

自分の真本音

なのだから。

 

実在と現象が

不一致を起こして

いる時に、

 

せめてその

違和感を

自覚できるように

なるといい。

 

せめてそのくらいの

健康は

取り戻したいものだ。

 

だから私は

鏡となる。

 

「コーチ」とは

鏡だ。

 

鏡が足りない。

 

今の世の中には

まったく足りない。

 

だから

鏡を増やしたい。

 

つづく

 

鎮めよう

 

目を閉じて、

静かに

じっと座ってみよう。

 

心が騒がしい

時は、

それ自体が

とても苦痛だ。

 

じっとして

いられない。

 

体が

ソワソワと動いて

しまうか、

 

心があーでもない

こーでもないと

様々な思考に

入ってしまうか。

 

もしそんな状態

であれば、

 

疲れている

証拠だ。

 

その状態では

残念ながら

良い判断や決断は

できない。

 

その状態での

選択は

必ず後悔を生む。

 

良い人生や

良い仕事を

続けるためには

 

自分自身の

状態管理は必須だ。

 

心身が健康で

あれば最高だが、

 

せめて

心だけでも

健康でありたい。

 

健康とは

静かなこと。

 

鎮まっている

状態。

 

そうなるためには

鎮まっていない

心の一つ一つを

 

あるがままに

見つめることだ。

 

何も評価せず、

何も判断せず、

何も解釈せず、

 

ただただ

一つ一つの心を

丁寧に観察する。

 

観察

だけでいい。

 

それ以上は

何もやらない。

 

「それ以上は

何もやらない」

という眼差しこそが

自分を癒してくれる。

 

最初は

時間がかかるかも

しれない。

 

でもそうやって

自分を鎮めたら、

 

静かな心の

底から、

 

自然に問いが

浮かぶはずだ。

 

その問いは

今の自分にとって

とても重要な

もの。

 

その問いの答えは

今の自分を

静かに変えて

くれる。

 

救ってくれる。

 

静かな中から

浮かぶ問いを

静かに迎えよう。

 

そして

静かに

答えを出そう。

 

これが

セルフコーチングの

基本だ。

 

つづく

 

頼りなくてもいい

 

あまりに

頼りない一歩だと

しても、

 

今の自分が

「この一歩だ」

と思うのなら、

 

その一歩を

進めばいい。

 

頼りないとか

力強いとか

 

関係ない。

 

すべては

自分の意志だ。

 

私達は

頼りなさを

能力の視点から

感じることが多い。

 

自分には

そんな能力はない。

だから

頼りない、と。

 

そして、

能力をしっかりと

つけてから

一歩を踏み出そう、

する傾向がある。

 

しかし

それでは遅い。

 

しかも

それでは

その一歩の意味すら

失われる。

 

今のその

頼りない能力だから

こそ、

その一歩には

大いなる意味が

込められるんだ。

 

今の自分

だからこそ

その一歩に

価値が出るんだ。

 

だから

能力のみで

決めてはならない。

 

自分の意志

で判断しよう。

 

「意志」と

「能力」を

区別しよう。

 

そのためには

次の問いを

自分に投げれば

いい。

 

「もし私に

能力が充分にあれば、

この一歩を出したいと

素直に思うか?」

 

もしYES

であれば、

 

何としてでも

その一歩は

出すといいよ。

 

つづく

 

もう決めている目標

 

私達には

目標がある。

 

目標とは

もちろん、

 

実現したい未来

 

のこと。

 

ビジョンと

言ってもいい。

 

そしてその目標

には

「期限」

がついている。

 

いつまでに

こんな未来を

実現しよう!

 

私達は潜在意識的に

決めている。

 

そしてもし

それを

本当に実現できたら

 

私達は脱皮をし、

次のステージに

上がる。

 

期限までに

それができなかったら、

もう一度、

今のステージを

やり直す。

 

そのように私達は

潜在意識的に

決めている。

 

だから今回は

皆さんに問おう。

 

「あなたの

目標は何だ?」

 

「あなたは

いつまでに何を

実現しようと

決めている?」

 

まぁ、ありがちな

問いなのだけど、

 

大事なのは

これからこの目標を

決める、

ということではない

ということ。

 

もう

あなたの中で

すでに

決めている目標を

 

自覚する

 

ということだ。

 

上記の質問を

純粋に自分自身に

問い、

 

答えを待つと

いいね。

 

つづく

 

新しい世界に

 

いざ、

全力を出すべき

時に、

 

私達は本当に

全力を出せる

だろうか?

 

そもその

自分自身の全力を

わかっているの

だろうか?

 

すべての人には

ポテンシャルがあり、

しかしそれを

知らない、

もしくは

信じないままに

人生を進む人は

多い。

 

私達が本来の力を

発揮するためには、

 

未知の領域に

突入せねばならない。

 

これまでの枠を

超えた、

 

これまでの範疇を

逸脱した、

 

そんな領域に

飛び込んでこそ、

私達は私達の

隠されていた力を

目の当たりにする。

 

そしてしかも、

 

私達人間は

本能的には

未知の領域に

向かい続けたい

生き物だ。

 

だからこそ

文明は発展してきたし、

 

そこまで大仰な

話をしなくても、

 

赤ちゃんや幼ない子を

見ていれば、

よくわかる。

 

私達は皆、

同じことをしていれば

飽きてしまう。

 

そして

知らないことに

向かおうとする。

 

その本能は

赤ちゃんや幼ない子供達が

教えてくれる。

 

好奇心。

 

安心安全よりも

結局は

好奇心が

勝ってしまう。

 

それが人間だ。

 

そのように

できているのだから、

 

怖くても

進んでみよう。

行きたい方向に。

 

未知の領域に

向かう面白さを

思い出せば、

 

私達の人生は

もっと充実するし、

 

成長の喜び、

進化の喜び

に満ちた日々となる。

 

挑戦しよう。

 

あーだこーだと

言っていないで

 

その新しい世界に

突入しよう。

 

私達は

人間なのだから。

 

つづく

 

問いと共に進もう

 

自分自身への

問いを持つということは

 

とても人生を

豊かにしてくれる。

 

たとえすぐに答えが

出なくても、

 

問いを持ち続けるだけで

人生は豊かになる。

 

逆に言えば、

 

自分の人生を

豊かにしてくれるような

問いを持つといい。

 

あなたは

今後の人生を

どんな問いと共に

進めて行きたい?

 

 

ちなみに、

今の私が常に

持ち続けている問いは

こうだ。

 

「始まり」は

どうすれば

始まるか?

 

・・・変な問いだと

思うかな。

 

これ、

私の人生を

メッチャ豊かに

してくれる。

 

つづく

摂理に則る

 

地球には

重力があるので、

 

物は

上から下へ

落ちる。

 

下から上に

昇ることは、

普通ではあり得ない。

 

重力に従って

上から下へ。

 

これが

自然の摂理だ。

 

自然の摂理に

反したことを

やろうとすると

かなり苦労する。

 

自然の摂理に

則ったことをすれば

スムーズに進む。

 

これは

人生においても

ビジネスにおいても

同じこと。

 

今自分がやろうと

していることは、

自然の摂理に

則っているか、

それとも

反しているか。

 

こんな視点で

客観的に

チェックをしてみると

いい。

 

・・・・・・

 

会話もそう。

 

例えば、

Aさんに何か重要な

ことを伝えなければ

ならないとする。

 

それを、

自分だけのペースで

強引に

伝えてはならない。

 

伝えるべき「瞬間」が

必ずくる。

 

もしその「瞬間」が

来ないのであれば、

それは

伝えるべきことでは

なかったのだ。

 

あっ、今

伝えるべきなんだ、

ありありとわかった

その瞬間に

 

私はそれを

ダイレクトに伝える。

 

すると

その言葉はスッと

Aさんの中に

吸い込まれていく。

 

まるでそこに

重力があるかの

ように。

 

・・・・・・

 

このように

あらゆることに

「流れ」

はある。

 

「流れ」をつかむ

感受性が

私達には必要だ。

 

それはやはり

自分自身が

自然の摂理に則った

生き方を

普段からしているか

どうか。

 

そこで決まる。

 

自然の摂理に則った

生き方。

それが

真本音で生きる

ということだ。

 

だから人は

真本音で生きる

ようになると、

どんどん

余分な力が抜けていく。

 

そして

いざというときに

とんでもないパワーが

発現する。

 

それもまた

自然の摂理だと

思う。

 

つづく

 

壊せるか?

 

どうしても

壊さないといけない

ものがある。

 

壊すことに

躊躇をしていては

ならない時

がある。

 

そんな時に

迷うことなく

壊すことが

できるか?

 

心にどれだけ

恐怖や痛みが

走ったとしても、

 

一瞬の淀みも

なく、

壊すことができるか?

 

そんな自分に

なるために

私はかなり

苦労した。

 

正直、今でも

自信はないのだが、

 

でも

心は揺れても

その瞬間を逃すことは

ないであろう。

 

それが私は

「コーチ」の役割だと

思っているし、

 

それができなければ

「コーチ」ではない

と思っている。

 

壊すべきものを

壊せるか?

 

手放すべきものを

手放せるか?

 

自分の心の苦しみを

理由に

自分の行動や

振る舞いを変える

ことなく、

 

誰よりも正確に

その瞬間にそれを

実行する。

 

その覚悟の

ある人を

 

私は「コーチ」として

育てたい。

 

「壊す」

とは

「生かす」

こと。

 

「手放す」

とは

「結ぶ」

こと。

 

それを

本当に知っている

人こそが、

 

人を

真にサポートできる

のだから。

 

つづく

 

中心か?

 

定期的に

点検しよう。

 

「私は今、

“すべて”の中心に

いるだろうか?」

 

・・・と。

 

年齢や立場に

関係なく、

 

人は

誰しも

 

“すべて”の中心

にいる。

 

本質的本能的

には

そのように

捉えている。

 

それが

人の心が健康

な状態だ。

 

そうなれている

時は

私達の心や体が

壊れることは

ない。

 

そうなれていない

からこそ、

私達は

喪失感や孤独感や

執着に

苦しめられる。

 

だから最初は

イメージ

だけでもいい。

 

自分が

“すべて”の中心に

いる状態を

意図的につくろう。

 

イメージ

だけでもいい。

 

いつもそうなれて

いない人は

このイメージを

するだけで

苦しくなるだろう。

 

しかし

苦しくても

続けるといい。

 

毎日毎日だ。

 

中心にいることに

自分を慣らすと

いい。

 

それだけで

心身は

シャンとするよ。

 

つづく

 

未来を創るのは

 

時々、

未来を感じる

ことがある。

 

イメージが湧く

わけでもないし、

 

明確でもない。

 

でも、

確かに未来を

感じている。

 

そして

いつも安心する。

 

あぁこのまま

行けばいいな、

と。

 

自分が

今ここにいて

 

自分の今の

一挙手一投足が

未来を創る

ということは

誰もが理屈では

わかっていても、

 

その影響の大きさ

には

あまり意識は

ないようだ。

 

でも、

ちょっとした自分の

振る舞いが、

 

人生を大きく左右する

のは

日常茶飯事だ。

 

今の自分の

振る舞いと

未来の現実。

 

その繋がりが

みえないから

なかなか実感は

ないかも知れない。

 

でも、

その繋がりは

私達の想像以上だ。

 

人生は、

 

人生に影響するな

という

大きな選択肢のみ

大事なわけではない。

 

むしろ、

自らの気づかない

あまりにも

日常的な

ちょっとした振る舞いに

よって

 

決まってくるのだ。

 

その自覚を

もう少し

私達はした方が

良いと思う。

 

良い人生を

創りたいのなら、

 

今ここでの

次の振る舞いを

 

大切にしよう。

 

一つ一つを

丁寧に。

 

力を入れる必要は

ないけれど、

 

誠実に。

 

つづく

 

歓喜の道へ

 

未来を

イメージした時、

 

胸がザワザワ

したり、

 

心が騒がしく

なるようであれば、

 

その未来は

目指さない方が

いい。

 

それは

反応本音のレベル

のビジョンだ。

 

どうせ

未来を描くので

あれば、

 

真本音で

描こうではないか。

 

真本音で描く

未来は、

 

静かだ。

 

静かと言っても

エネルギーがない

わけでも

表面的に静かな

わけでもない。

 

むしろ

踊るような

活気ある場面を

描いたとしても、

 

それを見つめる

私達自身の

心と魂が

静かになるのだ。

 

それを

イメージすれば

するほど、

 

ワクワクするのと

同時に

 

鎮まるのだ。

 

そして

鎮まったその

心で、

 

あぁそうか

私はこれを

目指すんだったよな。

 

・・・と

まるで過去の出来事を

思い出したかのような

感覚になる。

 

そう

それは、

 

実際に

思い出している。

 

未来を

思い出している。

 

私達は

未来を思い出し

ながら

進むことで、

 

未来を

まるで当然のように

実現していく。

 

もちろん

試行錯誤はある。

 

悩みも迷いも

生まれる。

 

でも

その一歩一歩を

 

やはりこれも

最初から必要と

されているステップとして

 

必然的で

大事な道のりとして

 

どこか

楽しみながら

進むことができる。

 

その瞬間は

心の底から

悩んでいる。

 

余裕もゆとりも

ない。

 

一歩先が見えなく

なることも

ある。

 

暗中模索だ。

 

しかしそれでも、

どこか

私達はすべてを

わかってやっている。

 

そんな眼差しが

どこかにありつつも、

 

今を

精一杯に

進む。

 

そして、

進むごとに

自分自身を取り戻し、

 

進むごとに

自分は開かれ、

 

本来の自分として

その未来に

たどり着く。

 

歓喜の道。

 

達成したその瞬間も

もちろん

嬉しいが、

 

一歩一歩が

歓喜の道なんだ。

 

悩もうが

迷おうが

 

そこに

歓喜があるんだ。

 

だから

未来を描くなら

真本音で

描こう。

 

つづく

 

揺るがぬものがある

 

昔、登山をしていた頃、

北アルプスや

南アルプスや

様々な山に登りながら、

 

時折ふと

 

遠くに聳える

富士山を見つけた

ものだ。

 

富士山は

どこからどう見ても

だいたいいつも

同じ形だ。

 

季節が変わっても

天候が変わっても

場所が変わっても

同じ形だ。

 

威風堂々とし、

かつ

神秘的で

揺るがない。

 

男性性も

女性性も

ある。

 

人は

そういった

揺るがないものに

安堵する。

 

富士山という

存在が

日本という国に

与えた影響は

 

私達が想像している

よりも

大きいのではないか

と思う。

 

・・・・・・

 

私達の中にも

揺るがないものは

存在する。

 

心はいつも

移ろうものだが、

 

心の中心には

揺るがぬ存在が

ある。

 

私はそれを

『真本音』

と名付けたが、

 

名前をつけても

つけなくても

 

それは

太古の大昔から

そこにある。

 

揺るがぬものを

常に感じながら

生きる人生と、

 

揺るがぬものを

知らぬまま

生きる人生では、

 

人生の質も中身も

根底から

変わるだろう。

 

同じ人間なのに、

 

人生は

根底から変わる。

 

揺るがぬものが

なければ、

 

私達は常に

何かに怯え続ける。

 

そして

その怯えに

打ち勝つための

人生か、

 

怯えから

逃げる人生か、

 

どちらかに

なるだろう。

 

どちらになっても

それは

 

不安定だ。

 

・・・・・・

 

怯える心を

怯えないように

矯正したり、

 

強制することは

不可能だ。

 

怯えの心は

そこに存在

し続ける。

 

なぜなら

それが私達の

本能の一つだから。

 

怯えても

怯えなくても

関係ない、

揺るがぬ存在が

そこにあれば、

 

怯えても

怯えなくても

関係のない人生と

なる。

 

いや、むしろ

怯えがあるからこそ

間違いなく進める

私達になる。

 

怯えの心を

なくさなければ、

 

というのは

不自然だ。

 

それは

世の中から

風をなくさなければ

言っているに等しい。

 

世の中に

風は吹く。

 

それが

自然だから。

 

心の中に

怯えは湧く。

 

それが

自然だから。

 

あらゆる自然を

そのままに

受け止め、

 

あらゆる自然を

そのままに

楽しみ、

 

あらゆる自然の

中で

聳え立つ。

 

そんな

まるで富士山の

ような自分に

 

私達は

誰もがなれる。

 

真本音を大切に

生きる

とは

そういうことだ。

 

つづく

 

灯火を紡ぎたい

 

その人の

心の中心には

 

火が灯っている。

 

確かに

火が灯っている

のがわかる。

 

だからその火を

大切にして

ほしい。

 

それは

命の灯火だ。

 

命そのもの

だ。

 

なのに、

その灯火を

打ち消すかのような

言動を

 

私達人間は

してしまうことが

ある。

 

それを

目の当たりに

すれば、

 

当然、

悲しくなる。

 

悲しくなるが、

他者として

できることには

限界があり、

 

自分の命を

活かすかどうかは、

 

これも

当然だが、

 

その人自身の

判断に

よるしかない。

 

その人の人生は

その人のもの。

 

その人の命は

その人のもの。

 

確かにその通り

だが、

 

本当に

それだけで

良いのだろうか。

 

それは

その人を

本当に尊重している

ということに

なるのだろうか。

 

・・・・・・

 

灯火と灯火は

 

本当は

共振し

共鳴する。

 

灯火が紡がれ、

 

さらに大きな

光になる。

 

そんな社会に

なれるといいな、と

いつも私は

願っているが、

 

そのために

全力を注いで

いるが、

 

なかなか、ね。

 

もし

人を救う力が

あるのなら、

 

私はその人を

救いたい。

 

でも、

その人を救う

ことは、

 

本当にその人を

救うことに

なるのだろうか。

 

そもそも

救う、

とは何だ?

 

命を救うのは

 

その人を

救うことに

なるのだろうか。

 

つづく

 

コーチがいない

 

私達大人が

自分の心に蓋を

してしまうと、

 

子供たちだって

してしまう。

 

子供は大人の

真似をする。

 

しかし

これからの時代を

担う

若い世代の人たちは

 

私と同じ世代よりも

感受性が豊かだ。

 

だから

蓋をする生き方を

すれば、

言いようのない

気持ち悪さ

を感じるはずだ。

 

気持ち悪さを

感じて

自ら生き方を変える

ことができれば

良いが、

 

そう都合良くは

いかないだろう。

 

むしろ

その気持ち悪さに

さらに蓋をする

 

ということに

なるのではないか。

 

ますます

心は閉じこもって

しまうだろう。

 

私はそういう

社会になることを

本当に

避けたいと思う。

 

今の社会を

引っ張っている

我々の世代が

 

大人たちが

 

ちゃんと

自らの心と向き合い、

 

自分の本当に望む

生き方を

 

社会において

実践する。

 

それこそが

最も大事なこと

であり、

 

次世代に

良い世の中を

引き継いていくために

 

まずはできること

だと私は

思う。

 

・・・・・・

 

蓋をして

自分を誤魔化し

ながら生きることは

 

とてつもなく

深くて強い

ストレスを生み出す。

 

しかし、

それをしている

当の本人に

 

その自覚は

ない。

 

だからどうしても

サポート役が

必要だ。

 

最近、改めて

つくづく

思う。

 

世の中には

「コーチ」が

必要だ。

 

本物の

「コーチ」が

必要だ。

 

「コーチ」が

足りない。

 

「コーチ」が

いない。

 

何とかしたいと

改めて

強く思う。

 

つづく

 

出会ってよかった

 

やっぱり

向き合うかどうかだな

改めて思う。

 

人と人が

出会うのは

ご縁だが、

 

その縁を

本当に生かせるか

どうかは

 

運に任せる

わけにはいかない。

 

せっかく出会った

のだから、

その縁を

宝物として自ら磨く。

 

それをする

唯一の方法が

「向き合う」

だな、と。

 

ちゃんと

目と目を合わせ、

 

意識を

相手に向け続け、

 

自分の価値観とか

考えとかに

執着せずに、

 

その「場」そのものを

大切にする。

 

しかし

自分の価値観も

考えも

必要に応じて

ちゃんと表明する。

 

そして

相手の話を聴く。

 

喋る時も

聴く時も

意識は相手に

向け続ける。

 

そんな基本的な

ことを

一つ一つ丁寧に

続けることで、

 

この人と私は

なぜ出会ったのか、

理屈を超えて

わかる瞬間が来る。

 

その人と私は

何を創造すれば

よいのか、

理屈を超えて

わかる瞬間が来る。

 

その瞬間その場に

吹く風は

実に気持ちよく、

 

そんなときに

つくづく思うのだ。

 

この人と出会って

本当に良かったな、

とね。

 

つづく

 

人生の問い

 

あなたの心の

中心核には

 

「祈り」と共に

「問い」が

あるはずだ。

 

「問い」とは

人生のテーマ。

 

自分の人生の

最初から終わりまで

一貫して

持ち続ける。

 

探究テーマ

だ。

 

人生の問い。

 

それは

人それぞれ

異なる。

 

あなたの問いは

何だろう?

 

・・・・・・

 

あなたは

生まれた時から

毎日、毎日、

 

その問いと

共に

歩んできたはずだ。

 

問いは意識

せずとも、

ずっとそこに

あり、

 

問いの答えに

つながるヒントを

得るたびに

あなたは

理由のわからない

高揚感やワクワクを

感じ続けてきた

はずだ。

 

時には

問いから逃げよう

としたこともあるだろう。

 

そんな時期は

自分らしさから

遠く離れてしまう。

 

まるで

灰色のような

日々だったはずだ。

 

今のあなたは

どうだろう?

 

問いに近い日々

だろうか。

 

問いから遠い日々

だろうか。

 

・・・・・・

 

人生の問いは

実にシンプルだ。

 

説明も必要ない。

 

あなた自身の

問いだ。

 

もうそろそろ

思い出しても

良いのではないかな。

 

つづく

 

新たな種

 

私達の中には

様々な

エネルギー源が

ある。

 

一つの種が

エネルギーを発する。

 

その種を

いくつ持っているか

によっても

その人の内発的な

エネルギー量は

変わる。

 

もちろん、

たくさんあればあるほど

幸せだろう。

 

あなたの中に、

 

そのエネルギーの

もととなる

新たな種が

 

芽生えたのでは

ないか?

 

よく

自己観察を

してみてほしい。

 

新たな種が

生まれることは

とても喜ばしいことだ。

 

それはあなたが

次のステージに

進むという兆し

でもある。

 

だから

新たな種は

ちゃんと自覚した方が

よい。

 

自分自身の

新たなエネルギー源。

 

それは

新たな目的かも

しれない。

 

新たな在り方・生き方

かもしれない。

 

新たなテーマ・課題

かもしれない。

 

いずれにしても

それを自覚し

意識を向けるだけで

 

あなたの中から

内発的なエネルギーが

発生する。

 

ちゃんと

自覚して、

 

さらに

楽しく進もう。

 

つづく