インプット

刺激は刺激

 

自分に刺激を

入れる。

 

徹底的に

入れる。

 

それは

情報であったり、

人からの助言で

あったり、

 

時には

ある一つの経験で

あったり。

 

しかし

あくまでもそれは

刺激を入れることが

目的。

 

刺激を入れるだけ

なので、

それらの情報や助言が

「答え」ではない。

 

それは単に

刺激なのだから、

 

それに

揺らされたり

それによって

迷う必要はない。

 

解釈すら

必要ない。

 

ただ、

自分に素直に

インプットするだけ。

 

すると、

 

その刺激が

鍵となって、

 

自分の中に眠っていた

「答え」が

目を覚ます。

 

浮上する。

 

そして、

自覚する。

 

私達が欲しいのは

その

「答え」だ。

 

すでに

最初から自分の

中に

存在していたその

「答え」

だ。

 

そういった意味で

言えば、

 

人生を

推進する力とは

 

いかに必要な

インプットをするか?

 

いかに必要な

刺激を入れるか?

 

で決まる、

とも言える。

 

と同時に、

 

インプットとは

ただのインプット

であり、

 

刺激とは

ただの刺激である、

 

という

毅然とした

自分の在り方が

大事かな。

 

つづく

 

真実はたくさんある

 

誠実で素直な

人ほど

 

人の話に耳を

傾ける。

 

それ自体はとても

素晴らしいことだが、

 

耳を傾ける

ことと

鵜呑みにする

ことは

 

まったく別物だ。

 

私はこう見えて、

人の話を

鵜呑みにすることは

 

ほぼ、ない。

 

ようにしている。

 

・・・・・・

 

しかし、

素直に聴くようには

している。

 

素直に

インプットするのだ。

自分に。

 

でも、

鵜呑みには

しない。

 

よく、

「人の数だけ

真実がある」

と言われる。

 

私も

企業様でのサポート現場

では、

本当にいつもそう思う。

 

Aさんの見方、

Bさんの見方、

Cさんの見方、

・・・。

 

それぞれの人の

視点に立てば、

 

なるほど、

本当にその通りだな、

思うことは多い。

 

しかしそれは

「その視点に立てば」

での

ことである。

あくまでも。

 

・その視点に立てば、

・こういう風に見える、と

・Aさんは思っている

 

という3つを私は

そのまま

あるがままに

自分にインプットする。

 

Bさんも、Cさんも

それぞれが

それぞれの視点で

どう見ているか、を

そのまま自分に

インプットする。

 

そしてその上で、

自分なりの解釈を、

 

・・・何もしない。

 

つまりは

インプットしたままの

その状態で

ずっといる。

 

すると、

ある時ある瞬間に、

ふと

わかるのだ。

 

「彼らはいったい

何をしているか?」

 

が。

 

数々の真実の

さらにその奥にある

「根源」のようなものが

ふと

観えるのだ。

 

それは

言葉や説明に

ならないこともある。

 

しかし

それを一瞬でも

感じ取れば、

 

彼らは

次に何をすれば良いか?

 

私は

そんな彼らに

どんなサポートをすれば

良いか?

 

ありありと

浮かんで来る。

 

これが私の

企業サポートの

本質だ。

 

・・・・・・

 

こうして文章に

すると、

 

何かとてつもなく

凄いことを

やっているように感じる

かもしれないが、

 

私がやっているのは、

「素直にインプットする」

ことだけだ。

 

それをすれば

あとは何となく

勝手に観えて来る。

 

これは

やろうと思えば

誰もができること。

 

しかしそのためには

自分自身の

真本音度合いが

高くなければならない。

 

真本音度合いが

高まれば高まるほど

 

・素直なインプット

・素直なアウトプット

 

両方ができるように

なる。

 

それができる人を

それぞれの企業の中に

増やしていく。

 

これも私の

企業サポートの

本質だ。

 

つづく