シンプル

シンプルで複雑

 

人間という

ものは

 

複雑怪奇だ。

 

そこに目を

向ければ、

到底

信じられなくなる。

 

一方で、

 

人間という

ものは

 

シンプルだ。

 

そこに目を

向ければ、

とても

可愛らしく観える。

 

どの視点から

どう観るかによって

まったく

カタチを変える

人間という存在。

 

それが

私達だ。

 

オススメは、

 

まずは

シンプルな視点を

持とう。

 

シンプルに

自分を見つめ、

 

自分のシンプルさ

発見しよう。

 

そして、

 

そのシンプルさ

という視点から、

 

あらゆる

複雑怪奇を

観察する。

 

すると

すべてが

笑えてくる。

 

シンプルさを

忘れ、

複雑怪奇のみに

埋没すれば、

 

恐らく

一生そこから

脱け出せなくなる。

 

そして深まるのは

自己不信。

 

自己不信は

他者不信を

生み、

 

結局のところ

人生は

灰色になる。

 

そんなの

いやだろ。

 

私達は

シンプルだ。

 

複雑怪奇な

フリをしたって

ダメだ。

 

シンプルだから

こそ、

複雑怪奇で

いられるんだ。

 

そのカラクリ

を、

早く見極めよう。

 

つづく

 

理由は要らない

 

昔、

ある有名な書道の

先生が書かれた

 

『一』

 

という

大きな文字を

拝見した。

 

「いい『一』でしょう。

『一』という文字が

きっと一番、難しいんだ」

 

と、

それを見せていただいた

社長さんが言われた。

 

確かに凄い

と思った。

 

胸がすくような

爽快さ。

 

とても太く

とてもまっすぐ。

 

淀みがない。

 

きっと

シンプルだからこそ

難しいのだろうな、と

 

当時まだ20代の私は

思った。

 

そう。

 

確かにシンプルほど

難しいものは

ない。

 

・・・かも。

 

私達は

余分な装飾を

取り付けることで

何かをごまかそうと

している。

 

複雑にすれば

するほど、

ごまかしやすく

なる。

 

本当はシンプルな

ことを

複雑に表現することで

 

もっともらしく

なったり、

 

頭が良い気が

したり。

 

シンプルな

生き方。

 

シンプルな

言動。

 

それらは

シンプルな芯が

備わって初めて

可能になる。

 

シンプルは

難しいかもしれないが、

 

それでも

シンプルを

目指そう。

 

もう、

ごまかすのは

やめよう。

 

ごまかしで

何とかなる時代は

終わったのだ。

 

私達は

シンプルからは

かなり遠のいてしまったが、

 

でも私達の

根っこは

シンプルだ。

 

何か挑戦するなら

 

シンプルに

挑戦しよう。

 

そこに

ごまかしは

要らない。

 

成長するなら

シンプルに

成長しよう。

 

そこに

ごまかしは

要らない。

 

良い人生だった!と

人生の最期に

言いたいのなら、

 

シンプルに言える

自分になろう。

 

良い人生だった!

理由など要らない。

 

ただ、

シンプルに

 

そう思えれば

良いじゃないか。

 

そのためにも

今日を

シンプルに

生きよう。

 

つづく

 

当たり前のことほど明確に

 

「シンプル」

ということが

私は好きだ。

 

ほぼほぼ

あらゆる物事の根幹は

極めてシンプルだ。

 

例えば、

企業様で様々な問題が

起こっており、

その解決に何年もかかって

いるとしても、

実はその原因は

とてもシンプルなところに

あるケースが多い。

 

シンプルが故に

それが当たり前になり、

原因が原因として

認識されなくなっていたりする。

 

そう、それは

空気

のようなものだ。

 

シンプル過ぎて

あるのが当たり前

になっている。

 

そういうことが

仕事においても

人生においても

我々には多い。

 

そこで今回は

シンプルに

次の問いを皆さん自身に

投げてみよう。

 

「私は何が好き?」

 

・・・これ結構、

シンプルに答えられる人、

少ない。

 

もしくは

答えても実は

的が外れてしまっている

とか、

本当の答えからは

ズレているとか。

 

本当の本当の本当に

好きなことは

何だろう?

ということだ。

 

もしわからなければ、

この問いを

しばらくの間、毎日、

朝から晩まで

大事にしてみてほしい。

 

きっと何か

シンプルな答えが

見つかるよ。

 

つづく

 

シンプルなコミュニケーションを

 

語る。

 

何かを誰かに

語る時、

 

皆、

余分なことを

言い過ぎでは

ないか。

 

真本音度合いが

本当に高まって

くると、

面白い傾向が

出る。

 

喋らなくなる

のだ。

 

表面的に言えば、

無口

に近くなる。

 

もちろん

個人差はある。

 

立場上の

違いもある。

 

が、

やはり口数は

減っていく。

 

余分な一言を

言う気が

起こらなくなる

からだ。

 

逆に言えば、

 

余分な一言を

言うが故に、

そこで

人間関係がおかしく

なったり、

物事の展開の

不調和が起きたり

する。

 

例えば私のことで

言えば、

 

昔の私は

研修で講師をする場合など、

結構、

笑いを取ろうとしていた。

 

冗談を言ったり、

受講生さんを

軽くからかったり。

 

場をあたためたり、

雰囲気を明るくする

ために

わざと意図的に

やっていたが、

 

それがほぼ

完全になくなった。

 

面白いことに、

そういった意図が

なくなってからの

方が、

 

場があたたかくなり、

明るくなり、

しかも

笑いがたくさん

起こるようになった。

 

新たな企業様に

初めてサポートに

入らせていただくと、

だいたい皆、

余分な一言の

言い合い、的な

コミュニケーションが

行われている。

 

それが

どれだけの生産性を

落としているのか、

皆、気づいていない。

 

真本音度合いが

高まれば、

その「余分」が

かなり気持ち悪くなり、

 

コミュニケーションが

非常にシンプルに

なっていく。

 

しかしそれは

冷たくなるとか

事務的になるとか

ではない。

 

むしろ真逆で、

ある意味

とても人間的で、

強い想いが

静かに込められ、

そして

自然に笑い合えるような

ユーモアに富んだ

コミュニケーション、

 

しかも

かなりシンプルな

コミュニケーション

となっていく。

 

そうなると

次に自然に起こる

のが、

 

創造性の

明らかなアップ

 

だ。

 

新たな

素晴らしい発想が

次々と

 

コミュニケーションを

通じて

 

生まれるように

なる。

 

『真本音コミュニケーション』

 

と私が呼んでいる

状態に入れる。

 

シンプルで

かつ

創造性豊かな

関係。

 

あらゆる組織で

そのような状態が

成されることが、

 

私のサポートの

重要な目標の

一つである。

 

つづく

 

シンプルで深い人だな

 

あぁこの人は、

 

本当に

がんばっている

人なんだな。

 

この明るい

笑顔の奥から

 

数々の

試行錯誤と、

 

それに真摯に

取り組む

熱意と、

 

そこで

浴び続けた

苦悩達が、

 

ダイレクトに

伝わって来るよ。

 

この人は

今のこの笑顔を

創り出すために

 

いったいどれだけの

辛さや悔しさや

悲しみを

味わったのだろう?

 

この自然な

笑顔に

たどり着くために

 

どれだけ

他の人達からの

苦しみを

受け取り続けた

のだろう?

 

人は

シンプルだ。

 

しかし

すぐに人は

複雑になる。

 

でも本当は

実に

シンプルだ。

 

なんだ、

単純なことだったな。

 

と、

一番初めの

あまりに当たり前の

答えに

帰り着くまでに、

 

私達は

本当に様々な

体験を、

気づきを、

経なければ

ならない。

 

それを一般的には

回り道と

言うのかも

しれないが、

 

そういった

回り道にも

めげずに、

ただひたすらに

誠実に立ち向かう。

 

立ち向かい

続ける。

 

そんな人が

私は大好きだ。

 

そして

そんな人にしか

発することが

できない

実にシンプルな

一言が、

 

その人からは

実に当たり前の

ように

トツトツと

語られる。

 

そんな一つ一つの

言葉達を

受け取り

噛み締めながら、

 

私は

いつも思うのだ。

 

人は

シンプル

だけど、

 

本当に

深いものだな、

と。

 

つづく

 

シンプル イズ ベスト だと思うよ

 

人には

第3の目がある。

 

その目が

開かれた時、

それまで

見えなかったものが

観えるようになる。

 

私の場合、

物事のシンプルさが

観えるようになった。

 

そしてその結果、

本当はシンプルで

あるはずの

現実の中で、

いかに人々が

複雑怪奇なことを

し続けているかを

知ることになった。

 

しかしそれを観て、

人は愚かだと、

私にはどうしても

思えなかった。

 

それよりも、

あぁこれが

私達人間なのだな、

とある意味

感嘆した。

 

そして

恐らくその時初めて、

私は人を好きに

なれた。

 

・・・・・・

 

シンプルなことを

複雑怪奇に

行なうことほど

疲れることはない。

 

私、

あなたのことが

大好きなんだよね。

 

このシンプルな

理由だけで

人はその人に対して

一生懸命になれる。

 

なのに、

そこに変な

理由づけをする。

 

大好き、

という純粋な

気持ちにさえ、

何らかの意味を

持たせようとする。

 

もちろん

意味はあるのだけど、

本質とは別の

意味をそこに持ってきて、

本質とずれるばかりの

行動を付加する。

 

そしてそこに

誤解が生まれる。

 

すると今度は

誤解を解くための

行動を

せねばならない。

 

当然、

上手くいかない。

 

誤解はまた

次の誤解を生み、

結局、最初は

何だったのか?

 

もともとの想いすら、

思い出せなくなる。

 

その連続の

日々。

 

そしてついには、

自分が

何者で、

何をするために

ここにきたのか?

完全に

わからなくなる。

 

皆、

迷子になる。

 

・・・・・・

 

私達は皆、

好きで

人間を

やってる。

 

人間を

味わうために

人間を

やってる。

 

だから本当は

複雑怪奇なこと

それ自体を

味わえばいい。

 

だけど

そうはなかなか

いかないんだな、

これが。

 

自分を見失うことの

辛さは

私には本当に

よくわかる。

 

私は随分と長い間、

自分を失ったままで

いた。

 

これが自分だ、と

それこそ誤解も

していた。

 

わかったつもりにも

なった。

 

人生とは

こんなもんだと

投げやりにもなった。

 

人間とは

こんなもんだ、と。

 

・・・・・・

 

私は

紛れもなく

私なんだろう。

 

そして

あなたは

紛れもなく

あなただ。

 

私とあなたは

別の脳を持ち、

別の体を持ち、

別の心を

持っている。

 

もちろん、

別の人生を

生きてきた。

 

そんな別ものが

今ここで

交わっている。

 

その場合、

私は、

私のすることとは、

あなたとの関わりを

あらゆる意味で

シンプルにすることだと

思っている。

 

私はもう

シンプルな人生を

進むと決めた。

 

もう

複雑怪奇は

飽きた。

 

本来の私として

私は生きていく。

 

だから

私と関わるすべての人、

つまり、

あなたにも

シンプルに戻ってもらおうと

思っている。

 

ちょいと傲慢な

表現だが、

それが私という

人間だ。

 

とは言え

そこに対して私は

これまで

かなり躊躇しながら

来たような気がする。

 

その躊躇を

もう取ろうかと

思っている。

 

私はあなたの

あらゆるものを

尊重しよう。

 

でも、

私の想いは、

私もあなたも

シンプルになることだ。

 

そのために

私は

あなたと関わっていく。

 

つづく

 

たった一人が変わることで、100人が変わることもある

弓江さんに引き続き、木村さんも

無事に脱皮をしました。

(→前回記事)

 

古い皮を脱ぎ捨てた二人は、

今、極めて「普通」の状態で

私の目の前にいます。

 

私はようやく、今回の二人コーチングの

準備が整ったな、と思えました。

 

ここからがようやく「本題」です。

 

今回の二人コーチングの目的は、

半分の人数で再スタートしようとしている

新規事業プロジェクトチームの

組織活性化戦略を見出すことです。

 

今、二人は脱皮しましたが、

これからはこのチームも

脱皮をするはずです。

 

むしろ、脱皮をしなければ先に進めない

とも言えます。

 

木村さんは、

チームの脱皮を果たすためにも

私(たけうち)に、もう一歩深く

チームと関わってほしいと要望されました。

 

では私は実際に

どのような形で何をすればよいか?

を見出そうとしています。

 

「弓江さん、

チームの脱皮のためには、

まずは木村さんと弓江さんの脱皮が必要、

ということでしたが、

今、お二人は無事に脱皮ができました。

次に必要なことは何だと思いますか?」

 

「・・・それがよくわかりません。

今、ご質問を受けて思ったのですが、

私はチームの脱皮というものがどういうことかを

まだイメージできてないのです。

チームの脱皮というのは通常、

どのように成されるのですか?」

 

「チームとは人の集まりです。

ですから、人が脱皮することでチームが

脱皮します。

しかし、チーム員全員が脱皮しなければならない

ということではありません。

どのチームにも必ず、“要”(かなめ)となる人が

います。

“要”とは、影響力の大きな人のことを

言います。

つまり、その人が変わることで、チーム全体が

変わるくらいの影響力を持った人のことです。」

 

「それは、リーダーということですか?」

 

「もちろん、リーダーという可能性もありますが、

この“要”というのは、現実現象レベルというよりも

実在レベルの話です。

ですから、現実の立場云々には捕らわれない

話です。

例えば、100人の組織でも、

リーダー以外のたった一人が大きく変わることで

組織全体が劇的に変わる誘発剤になる、ということも

充分にあり得るのです。

そういった影響力を持つ人が誰か?

を見極めて、その人の大きな変化、つまりは脱皮を

促します。」

 

「その“要”というのは、

私達のチームの場合、木村と私(弓江)以外の

メンバーの中にもいる可能性がある

ということですね?」

 

「そうです。

ここにいるお二人以外にも“要”となる人が

いると思います。

その人を見つけることは重要です。」

 

ここで木村さんが口を開きました。

 

「私達のチームは、人数が半分になり、

今は我々二人を入れても6名となりました。

こんな少人数でも、“要”と言われる人が

いるのでしょうか?」

 

「はい、います、きっと。

もちろん人数が少ないので、全員が“要”である、

という見方もできます。

しかし実際にそうであったとしても、

それでも、“要の中の要”という人はいるはずです。

まずはその人に強烈な刺激を入れることで

チームの脱皮は非常に楽になります。」

 

「チームが脱皮すると

どうなるのでしょうか?」

 

「個人の脱皮と基本的には同じです。

個人の脱皮は、余分な皮を脱ぎ捨てることで、

これまでの考え方・価値観に変化が起きます。

何を大切にすればよいか?という

考え方の優先順位が変わったりします。

しかもそれは、非常にスッキリと

よりシンプルなものになります。

それにより、その人の行動パターンが変わります。

その人の発揮する能力も変わります。

そして、必然的に成果の出方も大きく変わります。

それと同じことが、

チームとして起こる、ということですね。」

 

「まさしくそれは私の望んでいることです。

私は今ここで、もっともっとチームの

考え方も行動パターンもシンプルなものに

したいのです。

もっと一貫性を持ちたいのです。」

 

「そうなるための最も楽な道を

見出しましょう。

そのためには、“要”社員を特定することです。」

 

弓江さんが言われます。

 

「ということは、次に必要なのは、

私達の次に脱皮すべき、

チームの“要”が誰か?を

見つけることですね。」

 

「ということになりますね。

では、そのためには

どうすればよいと思いますか?」

 

「私は、たけうちさんに

チーム員のことをもっとよく知っていただいた方が

よいと思います。

誰が“要”となり、誰が脱皮すればよいかを

木村と私(弓江)だけでは特定することは

現時点では難しいと思います。」

 

「わかりました。

では、そうしましょう。

つまりは、チーム員の現状把握ということですね。

そのためには、私が実際にチーム員の皆さんに

お会いした方がよいですが、

その前に、お二人から見たチーム員お一人お一人

の印象をお聴きしたいのです。

恐らくそれだけで、誰が“要”か?の

おおよその見当はつけられますので。」

 

つづく

 

物事は、本当はシンプルなのにねぇ・・・

簡単なことを難しく言うのは

頭の悪い証拠である、

・・・とよく言われます。

 

確かにそうだなぁ、と

よく思います。

 

物事は本当に目を凝らしてよく観察すれば、

ほとんどのことが、シンプルです。

 

本質とは、シンプルです。

 

シンプルなのが、本質です。

 

私達の真本音は、

何も迷っていません。

すべての答えを

最初から知っています。

 

しかし私達は迷います。

 

わかっているのに、なぜ迷うのか?

 

そこにはシンプルな答えが

あります。

 

新規事業プロジェクトリーダーの木村さんは、

あるコーチングの冒頭で私に

次のように言われました。

 

「たけうちさん、

私、プロジェクトリーダーを辞めようと

思います。」

 

「えぇ? どうされたんですか?」

 

「なんか、もういいかなぁ・・・、と思って。」

 

そう言って彼は、ガックリと肩を落としました。

 

私は彼の話を詳しく聴きました。

要約をすると、・・・

 

プロジェクトメンバーの中に

弓江さん(仮名)という女性社員さんがいます。

20代後半の落ち着いた雰囲気の人です。

 

弓江さんはいつもはっきりと

意見を言うそうです。

その意見のほとんどは「正論」で、

確かに正しいのですが、時には正論過ぎて

他の社員さんの反発を買ってしまうことも

過去には何度かあったようです。

 

行動力はあるし、ブレないし、

仕事の能力もあるので、

木村さんとしてもかなり信頼しているのですが、

「何しろ、ちょっとキツイんです」

と、よく苦笑いされていました。

 

新規事業自体は順調に推移し、

売上も実際に立ち始めており、

このまま行けば、あと2〜3ヶ月もすれば

利益も出始めるだろう、という目処が立っていました。

 

そんな中で、あるお客様からの

クレームが入りました。

 

その対応は木村さん自身が行ないました。

 

その対応によってお客様は納得されたのですが、

弓江さんは、木村さんのその対応について

「甘い」と言われたそうです。

 

それが始まりでした。

 

それ以降、木村さんの様々な判断や言動に対して

弓江さんは意見を言うようになったそうです。

 

最初は木村さんは、できるだけ丁寧に向き合い、

弓江さんの意見を聴き、自分の意見も言い、

しっかりとコミュニケーションをとってきたのですが、

新規事業が軌道に乗り、かなり忙しくなってきた時点で、

そういったことが時間的に難しくなってきたそうです。

 

ところが、弓江さんから木村さんへの

「攻撃」は、さらに頻度と強度を増していきます。

 

「攻撃」とは、木村さんの言葉です。

木村さんはある時から、弓江さんからの意見を

「攻撃」であると感じるようになったのです。

 

そして、ある出来事が起こります。

 

会社のある飲み会で、

木村さんはプロジェクトメンバーの若手社員を

叱らなければならない状態となりました。

その飲み会では、

一緒にパートナーを組んでいる関係会社の人達も

参加されていたのですが、

その若手社員さんの関係会社の人への態度が悪く、

それを木村さんは叱ったのです。

 

「いくら飲み会の席だと言っても、礼節をわきまえろ!」

と。

 

ところが、その若手社員さんが少し反論をしました。

それに対して、木村さんはかなり強く

言葉を発したようです。

 

その場面を、弓江さんは見ていました。

 

そして、次の日に弓江さんは、

木村さんの上司である平井さんのところへ行き、

「あれはパワハラである」

と訴えたのです。

「あのような人間性のリーダーのもとで

働くことはできません」

とまで言われたそうです。

 

もちろん平井さんは直接、木村さんからも

事情を聴きましたし、

実際にお叱りを受けた若手社員さんからも

話を聴きました。

 

若手社員さん自身は、

「自分がいけなかったです」と反省していたようです。

 

話によると、

弓江さんは新規事業プロジェクトチームに入るまでは

このように強く意見や不満を言うことはなかったそうです。

しかしなぜか、

木村さんの部下になってから、彼女のそういった特性が

顕著に出始めたようです。

 

会社は、弓江さんにとても期待をしています。

次世代の経営幹部だという見方もしていました。

だから新規事業プロジェクトメンバーに抜擢されましたし、

それは木村さん自身もよくわかっていました。

 

「確かに彼女は有能です。

間違いなく私より仕事はできるでしょう。

しかも、本来は不満を言うような人ではありません。

でもなぜか私といると、彼女はキツくなります。

本来の彼女ではない反応本音の彼女が出てしまうんです。

であれば、いっそのこと、私が引いた方がいいかな、と

思いまして。」

 

この言葉を聴いた時、

私は心の中で、「あぁここで、出たか・・・」

と思いました。

 

そうです。

木村さんの、心のクセです。

 

これは、木村さんの心のクセを浮上させ、

それを超えていくチャンスであると

思いました。

 

なぜ弓江さんは、

木村さんと一緒に仕事をすると、

そんなにキツくなるのか?

 

その答えは、

実にシンプルなのです。

 

つづく