子ども

じっと見つめ合ったよ

 

私の自宅の近くには

有名な神社があり、

 

先日、その神社のお祭りに

5歳の息子と一緒に参加した。

 

たくさんの子ども達が

集まって来ていた。

 

顔見知りの子は

ほとんどいないのに、

私の息子は

まるで親友達の中に

いるかのように

一瞬で溶け込んでいた。

 

子ども達は皆、

オープンだった。

 

とは言え、

子どもの心にも

いろいろと抱えている

ものはある。

 

淀みもあるし

ストレスもある。

 

険しさもあるし

憤りだってある。

 

そこは

大人と変わらない。

 

しかしやはり

子ども達は

まだ未発達の小さな体を

持て余しながらも、

 

ただただ

純粋に交じり合い、

笑い合っていた。

 

そんな姿を

見ながら、

 

このような世界に

なるといいな、

思った。

 

・・・・・・

 

ある見知らぬ子が

私のところに寄って来た。

 

そしてじっと

私の目を見つめた。

 

実はこれ、

よくあることだ。

 

幼い子や赤ちゃんほど

それをよくやられる。

(やられる、というのも変だが。)

 

そんな時、私は必ず

同じようにその子の目を

ただ黙ってじっと

見つめることにしている。

 

私達は数秒の間、

見つめ合った。

 

そして何も言わずに

その子は去って行った。

 

その数秒間で

私達は何をしたのか?

 

よくわからないまま

しているのだが、

でも実は

とてもよくわかっている。

 

私達は

「確認」をしているのだ。

 

そして

「エネルギーの交歓」を

しているのだ。

 

「確認」とは

「約束」の確認。

 

言葉にはならない

約束の確認。

 

そして

エネルギーの交換を

しながら、

私達は「合図」を

送り合っている。

 

それにより

私には、その子から

何らかの刺激が入り、

その子にも私から

何らかの刺激が入る。

 

それだけのことだが、

それが、

その子の人生にも

私の人生にも

必要で大切なことなのだ。

 

別にこれは、

私だけが特別に行なっている

ことではなく、

誰もが常に自然に

そして無意識に

行ない続けていることだ。

 

私はそういったことを

自覚できるので、

一つ一つ丁寧に

それを行なっているに

過ぎない。

 

特に子ども達には

丁寧に行ないたいのだ。

 

・・・・・・

 

私達は、

「確認」をし合い

「交歓」をし合い

「合図」をし合い

ながら

共に生きている。

 

それを躊躇なく、

純粋に

笑いながら

行ない合える

世界になるといいな、と

本当に思う。

 

そうなるために

私は

私のできることに

日々、全力を尽くしている。

 

私のビジョンは

約30年後の未来に

向かうもの。

 

30年後と言えば、

今の幼い子ども達が

社会の主役となっている

時代だ。

 

その時代に

あの子達が

真本音で語り合い、

生き合う世の中に

なれるよう、

 

今の大人である私達は

最大速で進もうでは

ないか。

 

つづく

 

屈託のない笑顔はあるか

 

屈託のない

笑顔というのは、

いいねぇ。

 

どれだけ

年齢を重ねても、

まるで

子どものような

無邪気な笑顔を

見せる人が

いる。

 

その瞬間は

ハッとするような

風が吹く。

 

実は。

 

真本音度合いが

高まると

そういった笑顔が

増える。

 

心の中の

余分な何かを

手放せば手放すほど

そういった笑顔が

増える。

 

人間は

まずは

笑顔から

変わるもの

なのかもしれない。

 

・・・・・・

 

実は。

 

今、

日々

感じていることであるが、

 

赤ちゃんでも、

2〜3歳の幼児でも、

険しい笑顔の

子ども達が

増えた。

 

笑顔の奥に

苦しさが

観える。

 

すると私も

とても

息苦しくなる。

 

電車の中などで

そのような

子ども達を見ると、

いったいこの社会は

どうなってしまったのか、

思わざるを得なくなる。

 

私は日々、

次世代の子ども達に

よりよい社会を

残したい、

との想いで

今のお仕事を

続けているが、

 

それよりも前に

子ども達が

子ども達でいるうちに

潰れてしまうのでは

ないか、

という危機感を

 

今はとても強く

持つようになった。

 

私は、

子ども達の

真本音度合いを

もっと

高めたい。

 

そのためにも

これまでは

大人達に向かって

きたが、

もっと子ども達に

直接何かを

する必要は

ないだろうか?

 

そんな問いが

浮かぶように

なった。

 

今は何も

わからないが。

 

・・・・・・

 

ところで。

 

先日、

私のビジネスパートナーと

ミーティングを

しているときに、

 

これまで何度も

問われ続けていた

質問を

また受けた。

 

「たけうちさんは

何のために

企業のサポートに

向かっているのですか?」

 

ふと。

 

これまでとは

まったく

別視点の答えが

浮かんだ。

 

「私は、

若い人達が

真に成長できる

組織を

増やしたいのだ」

 

と。

 

今の多くの組織は、

若い人達の

成長を助長できる

ものには

なっていないのでは

ないか。

 

若い人達は、

我々の世代よりも

間違いなく

「意識の次元」が

高い。

 

という実感が

私にはある。

 

次元の高い

人達が

本来のその人らしく

伸び伸びと

活躍しながら

成長を続ける。

 

それができる

組織は

あまりに少ないのでは

ないか。

 

今の子ども達は

さらに

意識の次元は

高そうだ。

 

そんな彼らは

あまりに低い次元の

今の社会の

空気感の中で、

もうすでに

絶望感を抱いている

のではないか。

心の深奥で。

 

我々の世代が

創った組織のままでは、

恐らく

ダメだ。

 

我々の世代の

発想の範疇で

創られた組織では

恐らく

ダメだ。

 

これまでにない

まったく新しい

組織を

若い人達と共に

創り出していく、

 

もしくは、

若い人達が中心で

創り出すことを

我々の世代が

サポートする。

 

そんな

意識の転換が

必要なのではないか。

 

私は思う。

 

だから。

 

だから。

 

だから・・・。

 

私は強く

思うのだ。

 

今の世の中には

コーチが

必要だ。

 

若者達を、

子ども達を

きちんとサポート

できる、

コーチが

必要だ。

 

つづく

 

スクスクと育ってほしい

 

私は、

仕事のアポイントを

取るとの同じように、

家族とも

アポイントを

取るようにしている。

 

そして、

仕事も家族も

一度決めたアポイントは

必ず守る。

 

そうしないと

私のクセで、

どうしても仕事優先の

日々にしてしまうからだ。

 

私はできるだけ

平日の18時〜20時の

2時間は、

5歳の息子との時間を

取るようにしている。

 

彼の通う子ども園に

迎えに行き、

歩きながらいろいろ

語り合い、

夕食を一緒に食べ、

家で一緒に遊んだり、

ウルトラマンのDVDを

観たりする。

 

20時前には

息子のセルフコーチングの

時間を創る。

 

私のクライアント企業様の

社長さんから

送っていただいた

神棚がある。

 

その神棚に向かって

まずは手を合わせ、

一日の感謝をする。

 

そして、

どんな一日だったか?

を振り返る。

そして、

明日は

どんな一日にしたいか?

をイメージする。

 

もちろん

5歳の子どもの発想だから

他愛のないことが多いが、

しかしそれでも

これをすることで、

心や魂がスッと

落ち着くことがわかる。

 

20時を過ぎると

彼はもう就寝する。

 

私も少し休み、

そしてまた

仕事に向かう。

 

もちろん毎日

このようにできるわけでは

ないが、

可能な限り

そうしている。

 

・・・・・・

 

子ども園では

様々な子ども達が

いる。

 

彼らを観ていると、

みんなすでに

いろんなものを

抱えていることが

わかる。

 

子どもは純粋だ、

と思う人は多いと

思うが、

いやいや

そんなことはない。

 

子どもにこそ、

ストレスが多い。

 

しかも最近の子は

親のストレスを

肩代わりしている子が

多い。

 

以前にこのブログで

「エンティティ」

について

書いたことがある。

 

エンティティとは、

ストレスがある一定の

濃度以上になることで、

実体化したもの。

 

日本語では

「生き霊」

と訳されることもあるが、

要するに

人の「念」の塊であり、

ストレスの塊だ。

 

それは誰もが持っており、

人から人へと

伝染する。

 

最近は、

エンティティの濃い

大人達が増えている。

 

その大人達の

エンティティを

子ども達が

肩代わりするのだ。

 

それで苦しんでいる

子が多い。

 

・・・・・・

 

大人の人生の

不調和が、

子ども達に

ダイレクトに

影響している。

 

電車で

子どもを抱っこしながら、

自分のエンティティを

子どもに与え続けている

人は多い。

 

電車でもそうなのだから、

家ではもっと

すごいのだろう。

 

よく私は

子ども達と目を

合わすことがある。

 

子ども達は

私をじっと

見てくる。

 

その目から

伝わってくるのは

彼らからの

SOSだ。

 

私はもちろん、

目で励ますしか

できない。

 

これが今の世の

実態である。

 

子ども達が

スクスク育つことの

できない世の中を、

私達大人は

確かに創り上げている。

 

親は親の

人生。

 

子どもは子どもの

人生。

 

と言われたりも

するが、

そんなことはない。

 

親が子に与える

影響は

測り知れない。

 

親の今日の生き様が

そのまま

子どもに影響するのだ。

 

その自覚を

もっと我々は

持つべきではないか。

 

・・・・・・

 

子どもには

覚悟が

ある。

 

覚悟をもって

人生に

向かおうとしている。

 

特に今は、

そういった

真剣な子が

多い。

 

私は彼らの

真本音の想いの強さを

ヒシヒシと

感じる。

 

彼らのその想いを

私は

尊重したい。

 

尊重できる

世の中にしたい。

 

そのためにも

私は

大人達に

向かう。

 

今後の世の中に

こそ、

コーチが必要だ。

 

つづく