感受性

若者を応援したい

 

私は

若い人達を

応援したい。

 

若いから、

という

理由ではない。

 

今の若者は、

「最大速で進もう」

という強い意志を

持っている人が

多いからだ。

 

もちろん、

人によっては

その意志は

まだ眠っている。

 

しかし、

何らかのきっかけで

すぐに

目を覚ましそうだ。

 

そんな

空気感を

放っている人が

多い。

 

本当は

年齢には関係なく、

私はそういった

人達を

応援したいのだが、

 

結果として

若者に目が行くのが

最近の傾向だ。

 

それだけ彼らは

目覚めようと

している。

 

・・・・・・

 

ところが、

今の世の中の

仕組みや、

 

もしくは

会社の状態は、

 

決して

意志を持った若者

にとっては

優しくない。

 

彼らが

活躍しづらいのだ。

 

我々の世代

以上の人達は、

今の社会を

創ってきたが、

 

その社会とは、

「反応本音の

強い人が成功

できる社会」

だった。

 

真本音度合いの

高さよりも、

「執着の強さ」

がものを言う

社会を創ってしまった。

 

その結果、

社会貢献意識

よりも

我欲の強い人が

成功するように

なった。

 

まぁ、

短絡的な表現を

あえてしているが。

 

今の若者は

真本音度合いの

高い人が多い。

 

彼らは

感受性が高い。

 

しかし、

その結果

今の社会に対して

拒絶感や虚無感を

抱いてしまっている

人も多い。

 

その結果が、

登校拒否や

引きこもりとして

現れてしまっている。

 

もちろん

すべてがそう、

ということでは

ないだろう。

 

しかし私は

そういった若者を

何人も見てきた。

 

真本音度合いが

もともと高く、

感受性も

高い人達が

 

本来の魅力と

能力を

発揮できる場所が

増えるといい、

 

と心底

願っている。

 

今の私が

すぐにできることは、

そういった

企業を増やすことだ。

 

そのために、

企業様のサポートを

させていただいている。

 

今後、

伸びる企業かどうか、

のパラメーターは、

 

若者が

伸びる会社かどうか?

 

のように

思う。

 

若者は経験が

ないから、

 

などと

言っている場合

ではない。

 

もう時代は

変わったのだ。

 

これからは

真本音の時代

だ。

 

若者が引っ張る

時代でもある。

 

新たな時代に

適合した

組織を創っていこう。

 

私は強く

そう思う。

 

と同時に、

そういった組織創りを

サポートできる

「コーチ」を

本当に

増やしていきたい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

子ども達は感じ取っている

 

私の息子は5歳で

子ども園に

通っている。

 

毎日はとても

無理であるが、

週に何回かは

できるだけ夕方に

お迎えに行くように

している。

 

息子との会話の時間

を取りたいという

目的があるが、

 

子ども園にいる

子ども達の「集団」を

感じてみたい

という

目的も大きい。

 

あの「集団」の中に

入ると、

今の幼い子達の

真本音からのメッセージ

をたくさん

知ることができる。

 

今、彼らは

世の中を

どのように捉えていて、

何を感じ、

自分がどう動こうと

思っているのか?

 

それを

真本音のレベル

(魂のレベル)

で知ることが

できる。

 

これは実は、

私のお仕事の

大きなヒントと

なっている。

 

なぜなら私は

彼らのような子ども達が

将来、

大活躍できる社会に

したいと思っている

からだし、

そのためにも、

そういった組織(会社)を

増やしたいと

願っているからだ。

 

子ども達の

感受性は

素晴らしい。

 

我々の世代よりも

真本音の度合いも

意識の次元も

明らかに

高い。

 

我々が創り出した

のとは

違った社会を

彼らは創り出して

くれるだろう。

 

その土台を

今のうちから

創っておく必要が

あると

私は思っている。

 

・・・・・・

 

これまで彼らから

いくつもの

真本音メッセージを

感じたが、

 

最近、最も

印象的なのは、

 

「大人達みんなが

こなし過ぎてる」

 

という

メッセージだ。

 

もちろんそんなことを

言葉で言われた

わけではない。

 

しかし彼らの

空気感を言葉にすると

こうなる。

 

「こなす」

というのは、

「魂を込めていない」

ということだ。

 

「妥協している」

ということだ。

 

日常の一つ一つの

行動、

それはほんの些細な

ことかもしれないが、

 

一つ一つの

大人達の振る舞いに、

子ども達は

悪い意味の「適当さ」を

感じてしまっている。

 

しかもそれが今は

日々、

増大している

ようなのだ。

 

そこに子ども達は

「気持ち悪さ」を感じ、

そのストレスが

私に伝わってきた。

 

子ども達は

親や、

周りの大人達に対して

「幸せであってほしい」

と常に

願っている。

 

自由奔放に見えて、

実は、

親や大人達の

幸せのために

「こうしよう」と

彼らなりに思いながら

行動していることは

とても多い。

 

子ども達は

親(大人達)の生み出す

ストレスに

敏感になっており、

 

多くの子ども達が

親(大人達)が

発生させたストレスを

肩代わりしている。

 

だから私は、

子ども達を通じて、

大人達のストレスを

子ども園では

よく受け取って

帰ってくる。

 

今、それらの多くは

「妥協のストレス」

だ。

 

自分の真本音を

無視し、

「まぁこれくらいでいいか」

と妥協しながら

生きる大人が

多いのだろう。

 

特にその妥協の度合いが

最近は増えている

ようだ。

 

子ども達の

感受性は高い。

 

大人達の生き方が

彼らにダイレクトに

影響を及ぼしている

という事実を

我々はもっと

知った方がいい。

 

「子ども達に

幸せになってほしい」

 

とか、

 

「次世代につながる

社会にしよう」

 

とか、

 

軽々しく我々は口に

するが、

 

そのためには

まずは、

普段の我々の

生き方こそを

もっとしっかり

するべきではないか。

 

もっと

一つ一つの物事に

魂を込める

べきではないか。

 

つづく

 

循環が見えれば大したもの

誰もが自分のことを

あるがままに知ることは

怖いです。

 

同様に、組織の実態を

あるがままに知ることは

立場が上の人になればなるほど

怖いです。

 

しかしそれを見つめる勇気を

持たなければ、

人は望む人生を生きることは

できませんし、

組織も望む未来を築くことは

できません。

 

平井さんがなぜ、

本来の自分を取り戻すことができたか?

 

それは、自分の心を

あるがままに勇気を奮って

見つめたからです。

つまりは、

自分と向き合ったからです。

 

そしてその結果彼は、

人とあるがままに向き合うことも

組織とあるがままに向き合うことも

できるようになりました。

(→前回記事)

 

ある時から平井さんはとても面白い表現を

されるようになりました。

「たけうちさん、

今、あの部署の循環が悪いように

思うんですけど」

とか、

「我社の全体的な循環は今は

とても良いですね」

とか。

 

「循環」という言葉を使うようになりました。

 

一見、わかりづらいですが、

でも、平井さんの言いたいことは実によく

わかります。

 

人間に「気の循環」や「血液の循環」があるように、

組織にも何かしら循環しているものがあります。

 

気持ちよく循環できている時は、

組織は非常に健康的ですが、

循環が滞ると、あちらこちらに問題や確執が

起こります。

 

組織をあるがままに見つめるようになった

平井さんは、

何か具体的な問題が起こる前段階の

わずかな「循環」の変化を

察知できるようになったのです。

 

なので、

「たけうちさん、◯◯部の循環、

今、どう思いますか?」

「そうですね。

ちょっと滞り気味ですね。」

「やっぱりですか。

誰が、滞りの原因でしょうか?」

「AさんとBさん辺りのような

気がしますが、どうですか?」

「なるほど、であればきっと

Bさんだな。」

・・・みたいなやりとりが

普通に行われるようになりました。

 

そして問題が起こる以前に

何らかの手を打つのです。

 

手を打つ、というのは大仰なことを

するわけではなく、

例えば、平井さんがBさんに声をかけてみたり、

面談をしたり、

私が単発のコーチングをしたりします。

 

もしくは、可能であれば、

Bさんの役割を少し変えたり、

グループを変えたりします。

 

できるだけ簡単な方法で、かつ

有効な方法を相談して決めます。

 

目的は、

「循環を良くすること」

です。

 

・循環さえ維持しておけば、

組織というのは、ある意味勝手に

成長していくものだ。

 

・成長させようとして無理に引っ張るよりも、

良い循環を保つことの方が、

結果的には効率が良い。

 

これが平井さんの発見でした。

 

あるがままに自分と向き合えば、

あるがままに人や組織と

向き合えるようになり、その結果、

これまで見なかったものが

見えるようになる、ということですね。

 

平井さんの場合はそれを

「循環」と表現しましたが、

表現の仕方、感じ取り方は

人それぞれでしょう。

 

大切なのは、

人や組織への感受性を

養うこと。

 

感受性が豊かになれば、

組織活動はもっともっと

楽しくなるでしょう。

 

つづく