摂理

摂理に則る

 

地球には

重力があるので、

 

物は

上から下へ

落ちる。

 

下から上に

昇ることは、

普通ではあり得ない。

 

重力に従って

上から下へ。

 

これが

自然の摂理だ。

 

自然の摂理に

反したことを

やろうとすると

かなり苦労する。

 

自然の摂理に

則ったことをすれば

スムーズに進む。

 

これは

人生においても

ビジネスにおいても

同じこと。

 

今自分がやろうと

していることは、

自然の摂理に

則っているか、

それとも

反しているか。

 

こんな視点で

客観的に

チェックをしてみると

いい。

 

・・・・・・

 

会話もそう。

 

例えば、

Aさんに何か重要な

ことを伝えなければ

ならないとする。

 

それを、

自分だけのペースで

強引に

伝えてはならない。

 

伝えるべき「瞬間」が

必ずくる。

 

もしその「瞬間」が

来ないのであれば、

それは

伝えるべきことでは

なかったのだ。

 

あっ、今

伝えるべきなんだ、

ありありとわかった

その瞬間に

 

私はそれを

ダイレクトに伝える。

 

すると

その言葉はスッと

Aさんの中に

吸い込まれていく。

 

まるでそこに

重力があるかの

ように。

 

・・・・・・

 

このように

あらゆることに

「流れ」

はある。

 

「流れ」をつかむ

感受性が

私達には必要だ。

 

それはやはり

自分自身が

自然の摂理に則った

生き方を

普段からしているか

どうか。

 

そこで決まる。

 

自然の摂理に則った

生き方。

それが

真本音で生きる

ということだ。

 

だから人は

真本音で生きる

ようになると、

どんどん

余分な力が抜けていく。

 

そして

いざというときに

とんでもないパワーが

発現する。

 

それもまた

自然の摂理だと

思う。

 

つづく

 

本当は何が自然だろうか

 

滝は

上から下に

落ちる。

 

決して、

下から上に

上ることは

ない。

 

それは

自然の摂理の

一つであるが、

 

その摂理に

逆らおうとすると

莫大な

エネルギーが

必要となる。

 

しかし、

それに似た

生き方をしている

人や組織が

多いのではないか。

 

万有引力は

人間が創ることは

できない。

 

いや、

もしかしたら

できるのかもしれないが、

しかし、

そこにエネルギーを

使うよりも、

 

万有引力に則って

万有引力を

活用する生き方を

する方が

圧倒的に

様々なことが

できるはずだ。

 

いや、

自分はあえて

水を下から上に

流すことを

人生の生きがいと

しているのだ、

 

と言う人が

いるかもしれないが、

それって

単なる自己満足でしょ、

私はどうしても

思えてしまう。

 

万有引力を覆す

ことが

人生の使命である、

 

と言う人も

いるかもしれないが、

それって

傲慢でしょ、

私は思えてしまう。

 

でも

それに近いことを

世の中では

たくさん行なっている。

 

傲慢な世の中だな、

と私は

よく思う。

 

そう思う

私の頭が

固いだけだろうか。

 

・・・・・・

 

いや、

やはり違うな。

 

なぜなら、

私達には

真本音がある。

 

真本音の願いが

ある。

 

その願いに

向かうことが

人生の意味と意義を

実践することに

なるし、

 

その人の

本来の「らしさ」や

魅力を発揮する。

 

そういった人は

他者に与える

影響も大きい。

 

たくさんの人に

幸せのきっかけを

与えることが

できる。

 

私達の真本音は

「自然であること」

をとても

大切にしている。

 

私達は自然の一部

であるし、

かつ、

私達自身が自然

そのものだ。

 

一部であり

全体でもある。

 

そういった

非常に尊い存在

によって

自然は成り立っている。

 

その尊さを

ないがしろにすることを

私達の真本音は

望んでいない。

 

傲慢さとは、

私は

「衰退」の一つの

カタチであると

思う。

 

傲慢さによる発展は

一見すると、

進歩のように

見える時もあるが、

 

それは必ず

「破裂」

する。

 

よく言うことだが、

風船が

限界まで膨らんだ

挙句に

破裂するのと

同じだ。

 

どんどん

膨らんでいくことに

喜びを感じて

無節操に

膨らませるだけ

膨らませる。

 

今の世の中には

そういったことが

多過ぎないか。

 

・・・・・・

 

私達は

真本音度合いが

高まれば、

 

自分自身の目の前に

展開する

あらゆる「現実」を

あるがままに

捉えるようになる。

 

あぁ、水は

上から下に

流れるんだな。

 

と、

素直に捉える。

 

そして

それらの「現実」を

そのまま生かそう、

活かそう

とする。

 

自然の摂理を

そのまま活用し、

さらなる

真の進歩へと

つなげようとする。

 

つまり

私達人間とは、

「自然との協業(コラボ)」

を起こす

存在だ。

 

決して、

自然と対立する

存在ではない

はずだ。

 

その原点を

忘れてはならないと

私は思う。

 

この人は

自然に生きて

いるか?

 

この組織は

自然な経営が

できているか?

 

そんな視点を

私は大事にする。

 

自然に近づけば

近づくほど、

人も組織も

本質的に元気に

なるし、

 

博打のような

たまたまの成功

ではなく、

必然的永続的な

進歩を始める。

 

そういったことを

大切にできる

コーチを

私は世の中に

増やしたい。

 

つづく

 

自由は摂理の中でこそ

本当の自由を手に入れる

ためには、

委ねることです。

 

流れに委ねる

ことです。

 

私達人間は、

自然の摂理の中で

生きています。

 

自然が人を生んだ

とも言えますし、

人が自然を選んだ

とも言えます。

 

人と自然は

イコールです。

 

まずはその

厳然たる事実が

あります。

 

人と自然がイコールで

ある以上、

自然の摂理を無視することは

私達人間からあらゆる自由を

奪います。

 

私達は、

船に乗っている存在

であると

イメージすると

わかりやすいでしょう。

 

私達の目の前には

悠久の時を流れる

大河があります。

 

その大河の流れに乗り、

上流から下流へと

流れて行くことを

進化と言います。

 

進化の先には

無限に広がる海が

あります。

 

私達は

海にたどり着きたい

のです。

 

それが人の本能であり、

人という存在が生まれた

意味でもあります。

 

私達は船を

持っています。

 

船は、

大河の流れに乗らなければ

進むことはできません。

 

岸にいても

永遠に進むことは

できません。

 

岸にい続けることが

自由である、と

叫ぶ人もいますが、

同じ場所にいることを

私達人間は

本当に望まないのです。

 

私達は

旅する存在。

 

進む存在。

 

流れに乗って

前に進むことで初めて

その船は

活きてきます。

 

中には

流れに逆行することが

自由であると

言い張る人もいます。

 

しかし

どれだけ踏ん張ろうとも

船は、

上流から下流へとしか

移動できません。

 

それを

不自由というのは

あまりに勝手です。

なぜなら、

船に乗ることを選んだのは

私達人間なのですから。

 

大河の流れは

非常に気持ちのよいものです。

 

心地よい風を受けながら、

力を抜けば

自然に船は

動き出します。

 

風景も徐々に

変わっていきます。

 

時には

急流もあるでしょう。

 

それはちょっとした

刺激であり冒険です。

 

緩急を織り交ぜながら

船は進みます。

 

大河に委ねることで

船は気持ちよく

進み続けます。

 

大河に委ねることで

その船は

安定します。

 

その船の上で

私達は何をしても

良いのです。

 

変わりゆく風景を

楽しみながら、

私達は船の上で

自由に自分の役割を

全うします。

 

船の上にいるからこそ

活きるのが

人間です。

 

人間とは

そのような存在として

生まれたのです。

 

人間としての喜びを

素直に感じようとする

その生き方が、

私達に

「本当に私は自由だなぁ」

という実感をもたらします。

 

そして・・・。

 

大河の流れは

時に、

変化します。

 

実は、今日、

2018年4月1日をもって

流れは大きく変化しました。

 

進む方向は

変わりませんが、

流れが

これまでとは別次元

と言っても良いほどに

速くなったのです。

 

その「速さ」に

ついていけるように

私達はこれまで

準備を続けてまいりました。

 

準備が整った

ということもあり、

大河は

その流れを

一気に速めました。

 

最初はちょっと

怖いかもしれません。

 

でもすぐに

慣れるでしょう。

 

そして以前よりも

このスピード感の方が

何倍も気持ちが良いと

わかるでしょう。

 

なぜなら、

私達には

私達の望むスピードが

あるからです。

 

実はまだ

そのスピードまでには

達していません。

 

しかし、

大きく、その望むスピードに

近づいたのは

確かです。

 

真本音で生きる人が

一気に増えてきた

その結果です。

 

大河の流れを

速めることのできた私達を

まずは、

誇ることにしましょう。

 

よくやったな、と

自分を褒めましょう。

 

そしてこの新たな

スピード感に

委ねましょう。

 

そうすれば、

さらに私達は

自由になれます。

 

流れは速まり、

船はさらに

盤石なものとなりました。

 

私達はさらに

自由になれます。

 

ですから、

自由にやりましょう。

 

自由に

やってください。

 

つづく

 

『混乱した方がいい』

あえて、
混乱の中に飛び込めるか?

これが、
チームパフォーマンスコーチを
できる人とできない人の
重要な境目になります。

個人の人生にも
組織の道のりにも
混乱はつきものです。

ただし混乱とは、
飛び込むべき混乱と、
飛び込んではならない混乱が
あります。

必要な混乱と
不必要な混乱が
あるわけです。

まずはその見極めが
できること。

必要な混乱から逃げれば、
その後にもっと大きな混乱が
待っています。

不必要な混乱に取り組めば、
その混乱はさらに次の混乱を
呼び起こします。

必要な混乱とは、
「進化」と「調和」のための
重要なステップです。

それは避けては
なりません。

現実面でも
心の面でも
大いに混乱しましょう。

混乱とは、
わけがわからなくなってこそ
意味があるものです。

だから、
上手く混乱の乗り切ろう
などとは思わないことです。

その時点で、
逃げいてることと同じ
になります。

しっかり混乱そのものを
受け入れて、
しっかりと我を忘れて、
そこで初めて
見えて来るもの
気づけること
があります。

それを手に入れた瞬間に、
混乱は急速に
収まります。

これも自然の摂理です。

こういった摂理をよくわかり、
ちゃんと混乱すべきときに
混乱できるように、
個人にも組織にも
サポートをし続ける。

それが、
チームパフォーマンスの
重要な役割の一つです。

つづく