本当は何が自然だろうか

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滝は

上から下に

落ちる。

 

決して、

下から上に

上ることは

ない。

 

それは

自然の摂理の

一つであるが、

 

その摂理に

逆らおうとすると

莫大な

エネルギーが

必要となる。

 

しかし、

それに似た

生き方をしている

人や組織が

多いのではないか。

 

万有引力は

人間が創ることは

できない。

 

いや、

もしかしたら

できるのかもしれないが、

しかし、

そこにエネルギーを

使うよりも、

 

万有引力に則って

万有引力を

活用する生き方を

する方が

圧倒的に

様々なことが

できるはずだ。

 

いや、

自分はあえて

水を下から上に

流すことを

人生の生きがいと

しているのだ、

 

と言う人が

いるかもしれないが、

それって

単なる自己満足でしょ、

私はどうしても

思えてしまう。

 

万有引力を覆す

ことが

人生の使命である、

 

と言う人も

いるかもしれないが、

それって

傲慢でしょ、

私は思えてしまう。

 

でも

それに近いことを

世の中では

たくさん行なっている。

 

傲慢な世の中だな、

と私は

よく思う。

 

そう思う

私の頭が

固いだけだろうか。

 

・・・・・・

 

いや、

やはり違うな。

 

なぜなら、

私達には

真本音がある。

 

真本音の願いが

ある。

 

その願いに

向かうことが

人生の意味と意義を

実践することに

なるし、

 

その人の

本来の「らしさ」や

魅力を発揮する。

 

そういった人は

他者に与える

影響も大きい。

 

たくさんの人に

幸せのきっかけを

与えることが

できる。

 

私達の真本音は

「自然であること」

をとても

大切にしている。

 

私達は自然の一部

であるし、

かつ、

私達自身が自然

そのものだ。

 

一部であり

全体でもある。

 

そういった

非常に尊い存在

によって

自然は成り立っている。

 

その尊さを

ないがしろにすることを

私達の真本音は

望んでいない。

 

傲慢さとは、

私は

「衰退」の一つの

カタチであると

思う。

 

傲慢さによる発展は

一見すると、

進歩のように

見える時もあるが、

 

それは必ず

「破裂」

する。

 

よく言うことだが、

風船が

限界まで膨らんだ

挙句に

破裂するのと

同じだ。

 

どんどん

膨らんでいくことに

喜びを感じて

無節操に

膨らませるだけ

膨らませる。

 

今の世の中には

そういったことが

多過ぎないか。

 

・・・・・・

 

私達は

真本音度合いが

高まれば、

 

自分自身の目の前に

展開する

あらゆる「現実」を

あるがままに

捉えるようになる。

 

あぁ、水は

上から下に

流れるんだな。

 

と、

素直に捉える。

 

そして

それらの「現実」を

そのまま生かそう、

活かそう

とする。

 

自然の摂理を

そのまま活用し、

さらなる

真の進歩へと

つなげようとする。

 

つまり

私達人間とは、

「自然との協業(コラボ)」

を起こす

存在だ。

 

決して、

自然と対立する

存在ではない

はずだ。

 

その原点を

忘れてはならないと

私は思う。

 

この人は

自然に生きて

いるか?

 

この組織は

自然な経営が

できているか?

 

そんな視点を

私は大事にする。

 

自然に近づけば

近づくほど、

人も組織も

本質的に元気に

なるし、

 

博打のような

たまたまの成功

ではなく、

必然的永続的な

進歩を始める。

 

そういったことを

大切にできる

コーチを

私は世の中に

増やしたい。

 

つづく

 

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