本当に

泰然自若としている

人は、

 

心に傷のない人

ではない。

 

第一、

心に傷のない人は

一人もいない。

 

本当に

泰然自若としている

人は、

 

心に傷があるという

事実を

引き受けている

人だ。

 

傷のあるのが

当たり前、

・・・と。

 

そしてその傷を

治そうともしない。

 

そのままで

いい。

 

あるがままで

いい。

 

と、

良い意味で

開き直っている

人だ。

 

人間誰だって

痛いのはいやだ。

 

だから

痛さから

逃れようとする。

 

それは

自然なことだ。

 

しかし、

逃れようとすることと、

痛さを麻痺させることは

まったく別のこと。

 

麻痺は

ダメだ。

 

本当に自分が

おかしくなる。

 

痛い。

逃げたい。

でも痛い。

でも逃げたい。

でもやっぱり

痛い。

 

・・・と

あるがままに

痛がることが

健康的だ。

 

そして

それはもう人として

しょうがないことである

と、

人の宿命を

受け入れることで

 

その人には

光が溢れる。

 

真本音の

光だ。

 

人の宿命を

受け入れるからこそ

真本音は

浮上する。

 

痛いものを

痛い!

と素直に感じるからこそ

真本音は

浮上する。

 

そしてその真本音は

光に溢れている。

 

その光に包まれれば、

私達は、

 

痛さそのものは

変わらないが、

 

痛くても大丈夫、

 

という自分に

なれる。

 

そして、

痛いままに、

 

いや、

その痛さがあるが

故に、

 

自分の次の一歩を

ちゃんと

見極めることが

できるようになり、

 

その痛さがあるが

故に、

自分の道を

見出せるようになる。

 

それが

真本音の力であり、

真本音の道だ。

 

痛がる自分。

 

逃げようとする

自分。

 

すべてOKだ。

 

逃げても

痛いものは痛い。

 

だから

絶望的になる。

 

それもOK。

 

それが

人間ではないか。

 

そんな自分自身を

引き受けよう

ではないか。

 

つづく