直観力

直観力を高めるには

 

そろそろ

「思考」

を止める練習を

してみようか。

 

心の中を

宇宙だと

思ってもらいたい。

 

心の宇宙を

我々、顕在意識が

漂っている

イメージだ。

 

私達に必要な

「答え」

が出来上がったとき、

 

それは

宇宙のどこか

特定の場所に

浮遊している。

 

実際の宇宙には

「浮遊惑星」

という星がある

らしい。

 

要するに「遊星」

というやつで

自由気ままに

その星は宇宙を

駆け巡っている。

 

心の宇宙に

おいては、

出来上がった「答え」

がまさに

その「浮遊惑星」の

ようだ。

 

自由に心の中を

飛び回っている

わけだ。

 

そいつを

捕まえなければ

ならない。

 

そこで邪魔に

なるのが

「思考」

というわけさ。

 

思考している間、

我々は

一つの場所に

止まってしまう。

 

そうすると

「答え」には

永遠に巡り会えない。

 

「答え」に

巡り合うためには、

こちらから

「答え」を追いかけたり、

 

待ち伏せしたり、

 

一緒に流れたり

しなければならない。

 

それを「思考」で

することは

不可能だ。

 

どうするか?

と言えば、

簡単なことだ。

 

「思考」を止めた

状態で、

心の宇宙に

ただ、漂うだけだ。

 

これをしていると、

私達は勝手に

心の宇宙の中を

移動し始める。

 

ある時は

光をも超えるような

勢いで

駆け巡ったりする。

 

「思考」さえ

止めれば、

勝手にそうなる。

 

あとは

じっと待つだけ。

 

順当に行けば、

数分後には、

「浮遊惑星」である

「答え」と

巡り合う。

 

巡り合ってからも

「思考」は

働かさない。

 

やはり

待つだけ。

 

自分(顕在意識」と

「答え」は

スーッと「一つ」に

なる。

 

一つになっても

思考はするな。

 

一つになった

感覚を

ただ、楽しむだけ。

 

すると、

フッと

まるで過去を

思い出す感覚で、

 

「答え」が

顕在意識に

浮上する。

 

思い出す感覚なので、

すぐにわかる。

 

そこには

「確信」しかない。

この「答え」で

間違いないと。

 

だからもう

迷うことはない。

 

決断しよう、

という意志も

必要ないくらいに、

 

私達は

その「答え」と共に

現実世界を

歩み始めるんだ。

 

まとめると、・・・

 

自分の必要と

している「答え」が

生まれたな、

と、まずはわかる。

 

わかったら

心の宇宙に入り、

じっとしている。

 

思考をゼロに

すれば、

勝手に宇宙の旅が

始まり、

 

答えと巡り合う。

 

そして

答えと一つになれば

思い出す。

 

本当の答えを。

 

・・・たったそれだけの

こと。

 

慣れれば、

一日に何度でも

できる。

 

「直観」を

意図的に

起こすことができるんだ。

 

本当に必要な

答えと

共に生きる。

 

それができる

自分になろう。

 

そろそろ

思考を止める

練習をしよう。

 

つづく

 

自分の中には確かに道がある

「直観力」とは

もともと私達誰にも備わっている

当たり前の力です。

 

それを発揮するためには、

私達は人間としての

「普通の生き方」

をすることが大切です。

 

それができていないので、

本来持っている直観力が

発揮されなくなっているのが

現在の私達です。

 

では、

「普通の生き方」を取り戻すために

大事なのは何でしょうか?

 

その最初のキーワードが

『観察』

でした。

 

この「観察」について

前回まで書かせていただきました。

(→前回記事)

 

ここからは次の

キーワードをご紹介します。

 

「普通の生き方」を取り戻す

次のキーワードは、

 

『道』

 

です。

 

私達の中には

「道」がすでに

できています。

 

私達は自分自身の

「道」を

決めているのです。

 

それに一度でも気づいた人は

もう決してその道を

変えることはありません。

 

どんな環境に自分がいようとも、

そこでどのような現実が

起きようとも、

どのような妨害や障害に

遭おうとも、

その道をあきらめたり、

変更することは

ありません。

 

それは

本人にとっては

とてつもなく太く、

まっすぐで

安定して

気持ち良い

これ以上ない「確かさ」を湛えた

道なのです。

 

一瞬でもそれを

感じ取った人は

そのあまりの存在感に

ある意味、

我を忘れます。

 

しかしそれは本当は

「我を忘れる」のではなく

「我を思い出す」

という状態です。

 

本当の自分、

本来の自分を

思い出すのです。

 

あぁなんだ、

これが私の人生だった、

これが

私の生まれた意味だった、

と単純に

思い出すのです。

 

思い出したらもう

そこを進むだけです。

 

間違っていただきたくないのは、

それは、

「あぁこの会社は違ったな」

とか

「この仕事は違ったな」

とか、

そういったレベルの話では

ないということです。

 

どのような会社にいても

どのような仕事に就いていても、

要するに

どのような環境にいても、

その「道」を進むことは

できるのです。

 

むしろ、

「この環境は違う」

とか

「環境が悪いから自分は

自分の人生を歩めないのだ」

と言っているうちは、

決してその「道」は

見つかりません。

 

一人ひとりに必ず

その人ならではの

「道」

はあります。

 

そしてその「道」を

辿ることは、

今この瞬間から

すぐにできることです。

 

その「道」に

気づいた瞬間から

できることなのです。

 

何の難しさも

複雑さも

準備も

必要ありません。

 

そしていざ

その「道」を歩み始めれば、

人生の時間の

一刻一刻は

本当に満ち足りたものに

なるでしょう。

 

なぜならそこには

「自分を生きている」

という実感が

半端ないからです。

 

傲慢ではなく、

本当に心の底から

「世界の中心は自分である」

と思えます。

しかしかと言って、

自分以外の全ての存在が

ありがたくてしょうがありません。

 

「自分」と「自分以外のもの」

という分離は

あるのだけれども、

しかし確かに

すべては一つであると

感じ取ってもいます。

 

つまりそれは

高い次元の自分の意識が

発動しているからですが、

それは

「道」を歩み始めることで

成されるのです。

 

そういった

自分の「道」。

 

これを見つけるためには

やはり、

自分自身を「観察」することが

必須です。

 

特に、自分の心を

区別しながら観察することが

重要です。

 

その区別こそが、

「真本音」と「反応本音」

です。

 

つづく

観察するだけで私達は自由になれる

「直観力」を増すには、

「普通の生き方」を取り戻すことが

重要。

そしてそのための第一のステップが

『観察』

であり

『観る』

ことです。

・・・というところまで

お話ししました。

(→前回記事)

 

「観る」とは、

あるがままを見る、

ということなのですが、

実はこれはさらに本質的なことを

言えば、

「脳を使わずに見る」

ということにもなります。

 

こういう書き方をすると

かなり難しい印象を

受けるかもしれません。

 

しかしあえてここでは、

本質的な表現を

使わせていただきます。

 

「観る」とは

ここにあるすべてのものを

脳を使わずに見ることであり、

感じることであり、

それをしている自分自身は

その瞬間は、

「ここに在るだけの存在」

となります。

つまり、自分には

何の解釈もなく

何の評価もなく

何の判断もない

状態です。

 

これは正しい、とか

それは素晴らしい、とか

反対に

これはおかしい、とか

これはつまらない、とか

そういった

自分の中から発生する心、

つまりは反応本音からは

完全に解放されています。

 

ただし、解放とは、

それらの反応本音をゼロにするとか

抹消するということでは

ありません。

 

それらの反応本音それ自体も

観ている状態です。

 

つまり、

自分の心の中にあるものも

外にあるものも、

すべての存在を

観ている状態であり、

それをしている自分自身は

すべてから解放されています。

 

「ただ在る」

 

それ以上でも

それ以下でも

ない状態となっています。

 

そこには

何があっても

よいのです。

 

そして、

すべてから

解放されています。

自由です。

 

これこそが

「自然体」と言えるもの。

 

私達人間にとって

「普通」の状態です。

 

いやいや、

そんな、まるで悟りを開いたかのような

状態が普通であるはずかない、

それは修行を積んだ

特別な人が手に入れる

特別な状態だ、

と思われる人もいるかも

しれません。

 

いやいや、

その固定観念こそが

私達の生き方と

今のこの世の状態を

創り出してしまっています。

 

それは本当に

特別な状態ではなく、

誰もがもともと持っている

普通の状態です。

 

別にその状態になることで

人格者になるわけでも

ありませんし、

超人になるわけでも

ありませんし、

稀有の存在になるわけでも

ありません。

 

何があっても

オールOK。

しかしその「オールOK」とは

解釈による「オールOK」ではなく

本当にただそこに在るだけの

「オールOK」です。

 

そうなれた時、

私達は

今ここに在るすべてのものを

リアルに

ダイレクトに

実感できます。

 

それはある意味

実に感動的です。

かといって

気持ちが高ぶる感動ではなく、

トツトツとした

魂が静かになるような

安心感と安堵感に満たされた

感動です。

 

その時の実感をあえて

心の声として表現すると、

「あぁなんだ。

すべてが普通ではないか」

・・・というような感じに

なります。

 

すべての存在に対してそれが

「存在していることを承認」

しています。

 

すると自分自身から

とてつもないエネルギーが

発生します。

 

それは、すべてを存在承認しながら

その「分離」を楽しんでいるが故に

発生するエネルギーです。

 

そのエネルギーは

分離して存在している

あらゆるものを

大切にしよう、

それらと

一つになろう、

というエネルギーです。

 

それを私達の言葉で

『愛』

と言います。

 

この「愛」を発する状態で

すべての物事と向き合い、

関われば、

あらゆる物事が

調和していきます。

 

物事がすぐに

頓挫する人生を送る人と、

物事がどんどん

調和する人生を送る人の

違いが

この「愛」の発生量です。

 

私達がもともと持っている

このエネルギーを

使いながら生きるかどうか?

なのです。

 

・・・

だいぶ今回は

本質をそのまま躊躇なく

表現する文章に

なってしまいました。

 

できましたら、

今回の文章は

頭で解釈するよりも

魂でそのまま

感じ取っていただけると

よいかな、

と思っています。

 

次回からは、

自分の心の「観察」の仕方、

自分の心を「観る」コツ

などを

お伝えいたします。

 

つづく

 

人としての生き方を取り戻す最初のステップとは

「直観力」を増すには、

「普通の生き方」を取り戻すことが

大事です。

・・・ということを前回記事で

書かせていただきました。

(→前回記事)

 

人間としての

普通の生き方・・・。

 

これも前回書きましたが、

まずそのためには、

私達は私達の心にもっと

意識を向けなければ

なりません。

 

私達の心とは

宇宙と同じです。

 

とてつもなく広く

とてつもなく深いです。

 

そこには

すべての真実が

存在しています。

 

すべての答えが

すでにあるのです。

 

にも関わらず、

私達は外に答えを

求めます。

 

本当の答えとは

外にはありません。

 

自分の人生の答えは

自分の中にあります。

 

ただその答えを見出す

きっかけとして

外からの刺激が

必要な時があります。

 

外に意識を向け、

内側にも意識を向ける。

 

両方を観察する。

 

それがまずは、

人としての普通の

生き方です。

 

つまり最初のテーマは

『観察』

です。

 

私達は、あまりにも

観察をしていません。

 

例えば、

机の上に

ペットボトルが置いてあった

とします。

 

それを見た私達は

「あっ、ペットボトルがあるな」

と思います。

 

それで終わりです。

 

しかしそれは

観察ではありません。

 

「ペットボトルがあるな」

という解釈をしているに

過ぎません。

 

観察とは、

そのペットボトルを

あるがままに

よく見ることです。

 

あるがままに見る。

・・・これを

『観る』

と表現することにします。

 

ペットボトルを観る

ことにより、

そのペットボトルの

細かい部分が目に入る

と思います。

 

例えば、

ラベルの模様とか、

そこに書かれている文字の形

とか。

ペットボトルに刻まれている

ギザギザの形とか。

 

もしお手元に

ペットボトルがあれば、

ぜひ一度、まじまじと

観てみてください。

 

普段、気づいていないものを

たくさん観ることが

できます。

 

それが

観察です。

 

ペットボトルの観察が

できたら、

今度は、外にあるあらゆるものを

観察してみてください。

 

観てください。

 

例えば、

いつも会社に行く道のりで

目に映る様々なもの。

 

それらをよく

観てください。

 

世界が違って

観えるはずです。

 

それができたら今度は

人を観察してみてください。

 

いつも接している

職場の人とかご家族とか

お友達とか。

 

電車の中の見知らぬ人でも

よいです。

 

いろんな人を

観てください。

 

ひょっとするとそれだけで

人生観が変わるかも

しれません。

 

実際に昔、

私がそれをしてみた時は、

私は本当に

人生観が変わったと

思いました。

 

自分がいかに

世界を観ていなかったか、

現実を観ていなかったか、

人を観ていなかったか、

ということにかなりの

ショックを受けました。

 

そのように、

外の世界を観察し続けたら、

今度はいよいよ

同じような感覚で、

自分自身を観察します。

 

まずは鏡で

自分の顔や姿を

ありありと観てみてください。

 

どんな表情、

どんな空気感でしょうか。

 

そして

自分の心を観察します。

 

「心を観察する」のと

「心の中で解釈する」のは、

根本的にまったく

異なります。

 

自分の心をまるで

他人の心のように、

あるがままに

観てみてください。

 

最初はそれがどういうことか

まったく理解できない人も

いるかもしれません。

 

でもそれでも、

観察しようとしてみて

ください。

 

どうしてもそれができない人は、

自分の心の中に浮かんでくる

自分の気持ち達を

何か紙にそのまま

書いてみてください。

 

そして紙に書かれた

自分の気持ち達を

観察します。

 

そういったことを

続けてみてください。

 

すると、

ある時に自然にわかるはずです。

 

自分の心の

あまりの広がりと

深さを。

 

心とは宇宙と同じ

であることを。

 

それを実感できるまで

続けていただくとよいですね。

 

心が宇宙と同じくらい

広くて深いものであると

実感できたら、

それだけでもう

人間を観る目が違ってくる

はずです。

 

つづく