自由奔放

自由・・・

 

まずは

 

『自由奔放』

 

を知ることだ。

 

自由奔放とは

どういうことか?

 

その本質を

知ることだ。

 

それがわかったら

自由奔放に

生きては

ならない。

 

次に行なうのは

 

『自由自在』

 

に生きることだ。

 

「自由自在」

とは、

「現実」をちゃんと

見つめ、

 

「現実」に合わせ、

 

「現実」の中で、

 

これだ!!

 

と、最も納得の行く

一歩を

踏み出し続ける

こと。

 

つまりは

自分自身を

自由にコントロール

する状態だ。

 

これができるには

「自由奔放」

を知らねば

ならない。

 

「自由奔放」

を知る者のみが

「自由自在」

に生きることが

できる。

 

その結果、

自分の本当に望む

方向に

 

現実を拓く

ことができる。

 

私達は

 

自由奔放に

生きるために

ここにいる

のではない。

 

私達は

 

自由自在に

生きるために

ここにいるんだ。

 

つづく

 

その真面目さはいらない

 

あなたは

そのままでいいです。

 

変わろうと

しないでください。

 

自分の思う通りに

わがままに。

 

自分がいけない、

なんて思わないで

ください。

 

もっともっと

わがままに

思うままに、

自分を変えようとせず、

自分はOKだと信じて

 

好きなように

やってください。

 

・・・時々ですが、

私はクライアントさんに

そのようにお伝えする

ことがあります。

 

私がそうお伝えすると、

多くの場合、

「えっ?

いいんですか?」

という反応が

返ってきます。

 

自分がわがままに

なってしまうと

大変なことが

起こるのではないか。

 

不調和や戦いばかりが

巻き起こるのでは

ないか。

 

そんな風に

お考えになるのですね。

 

まぁ当たり前です。

普通はそうですからね。

 

・・・・・・

 

もちろん

私がそのように

お伝えするのは、

 

その人自身の

真本音が

「そのように私に

伝えてください」

と望んでいるのが

わかるケースのみ

です。

 

「あなたは

そのままで。」

 

「自分が変わらなきゃ

ならないと

一切思わないで

ください。」

 

実は、

この言葉を

お伝えすることで、

その人は

変わり始めるのです。

 

変わり始めると

言っても、

別人になるのでは

ありません。

 

本来のその人が

ニョキニョキと

芽を出し始める

のです。

 

・・・・・・

 

一見、自由奔放に

生きている人に

限って、

その実、

心の中では

かなり真面目な部分を

お持ちの人は

多いです。

 

しかしその「真面目さ」は

反応本音だったり

します。

 

本当はその人は

自由奔放さを

100%発揮することで

周りと完全調和できる

のに、

 

その真面目さによって

その100%を

阻害してしまいます。

 

すると途端に

不調和が起こります。

 

つまり、

 

自由奔放に

行き切れば良い

のに、

行き切れないので

様々な問題が

起こることに。

 

そういう人に対して

周りの人は

 

「あの人は

自由奔放だから

様々な確執を

起こしてしまうのだ。

だから

あの人の奔放さを

制御しなければ

ならない」

 

と判断します。

 

まぁ当然ですけどね。

 

しかし、

その制御をすれば

するほど、

確執や不調和は

さらに起こることに

なるのです。

 

100%の奔放さを

発揮することで、

面白いことに

その人は

本来の自分の在り方を

取り戻し、

結果として

とても穏やかな空気感に

なっていきます。

 

そういった変化を

もたらすために

必要なアドバイスが、

 

「そのままで

いてください。」

 

「自分が変わらなきゃ

ならないと

一切思わないで

ください。」

 

なのです。

 

そういったタイプの

人が、

時々、いるのです。

 

・・・・・・

 

真面目さが

いけないわけでは

ありません。

 

むしろ私は、

真面目さこそが

人の進化には

必須のことだと

思っています。

 

しかし、

真面目さと

自由奔放さは

対義語では

ありません。

 

人は、

本当に自由に

なれば、

自然に真面目に

なります。

 

自分を悪い意味で

制御してしまう

真面目さとは、

 

本当はそれは

真面目、ではなく、

 

単に

周りとの確執を

恐れるあまりの

妥協に過ぎなかったり

するのです。

 

つづく