自立

本当にサポートしていいの?

 

その人の

にこやかなお顔の

奥から

 

「助けてください!」

 

の声を

私は聴いた。

 

最近は、

毎日だ。

 

会う人会う人

皆が

助けを求めている。

 

特に

初対面の人に

多い。

 

そして、

企業でも

組織の上層にいる

人ほど多い。

 

皆、

苦しみ悩んで

いる。

 

しかもそれは、

自分だけで

生み出したもの

ではなく、

 

組織のいろんな人達の

苦しみを

一身に受け止めている

苦しみだ。

 

そういった人達からの

SOSを感じると、

まず私がするのは、

 

あなたは

自力でここを

乗り越えたいですか?

それとも

私のサポートが

必要ですか?

 

という

判断だ。

 

もちろん、

そのような問いを

実際に投げたところで

ご本人が正確に

答えられることでは

ない。

 

それよりも

あるがままに

向き合うことで、

自然に

明確に

その判断は自ずと

ついてくる。

 

あぁこの人は

自力突破したいのだな、

とわかれば、

私は

何もしない。

 

頼まれても

何もしない。

 

そこで何かを

してしまうことは、

その人のことを

冒涜しているに等しいと

私は思っている。

 

・・・・・・

 

他者が

絶対にやっては

ならないことが

ある。

 

それは、

その人が

自力で進もうと

しているのを

阻害することだ。

 

しかし

それをしてしまう人が

多いのも事実だ。

 

自力で進むのを

阻害することで

発生するのが

「依存」だ。

 

「ここまで来れたのは

すべてあなたの

おかげです。

ですからこれからも

よろしくお願いします」

 

と、

もしクライアントさんに

私が言われたら、

私は自分の仕事が

二流だったなと

思う。

 

「コーチのおかげで

できました」

 

と言われた時点で

コーチとしては

失格だと

私は思っている。

それよりも、

 

「たけうちさんはもう

必要ないね」

 

と言われる瞬間が

私にとっては

無上の悦びだ。

 

おぉオレ、

いい仕事できたな、

自分で自分を

褒めたくなる。

 

・・・・・・

 

今の私には

あなたのサポートが

必要です。

しかしそれは

今、だけのこと。

私は自力で進む自分に

なるために

一時的に

あなたのサポートを

求めます。

 

・・・そんな真本音の

意志を感じる場合のみ、

私はその人の

サポートの決断を

する。

 

人は皆、

自立と自律を

望んでいる。

 

そこに向かう

サポートならば

徹底的に

したいと思う。

 

本当に

この人を

サポートして

良いかどうか?

 

サポートするならば、

どれだけの

距離感で、

どれだけの

サポートをすることが

本当に必要か?

 

いつ、

サポートを終え、

その人から

離れれば良いか?

 

こんな判断が

的確にできる

コーチを

私は増やしたい。

 

つづく

 

自分の足で立っているかい?

 

広い広い大地の上に

ポツンと一人で

立っている自分を

イメージしてください。

 

大地は、

前にも後ろにも

右にも左にも

延々と果てしなく

続いています。

 

遮るものは

何もありません。

 

あなたの他には

誰もいません。

 

あなたは

一人です。

 

たった一人で

立っています。

 

そして、

風を感じています。

 

しばらく、

できれば3分くらい、

その状態を

味わってみてください。

 

・・・・・・

 

3分ほどイメージすることで、

あなたは

どんな気分になりましたか?

 

楽しい気分ですか?

 

寂しいですか?

 

孤独を感じましたか?

 

不安がありましたか?

 

それとも、

満たされた感覚でしたか?

 

大地に

立っている感覚は、

時間と共に

より強くなりましたか?

 

時間と共に

安定度は増して

いきましたか?

 

それとも、

時間が経つと、

大地が崩れたり、

足元が揺らいだり、

大地の存在が

なくなってしまったり

しましたか?

 

要するに

あなたにとって

その「世界」は

居心地の良いものでしたか?

 

あなたにとって

その「世界」は

地に足が生えたような

安定感がありましたか?

 

あなたにtとって

その「世界」は

充実した素敵なもの

でしたか?

 

・・・・・・

 

その「世界」が

自分にとって

「いいなぁ」と思えるもので

あったり、

安定度の増すもので

あったならば、

 

今のあなたの毎日は

しっかりと自分の足で

立ち、

自分の意志と意思で

前に進むもので

あるはずです。

 

これを、

「自立」であり

「自律」であると

私は表現します。

 

一見孤独に見える

その「世界」も

実は、自分自身の選んだ

「世界」であり、

自分自身の望んだ

「世界」であると

自然に思えるからです。

 

もしかすると

人によっては、

その「世界」が

自分そのものに同化した

かもしれませんね。

 

もしそうであれば、

その人はかなり

次元の高い毎日を

送っています。

 

しかしもし反対に、

その「世界」に

強い孤独を感じたり、

不安定さや

逃げ出したくなる気持ちに

なった場合は、

 

残念ながら

あなたは「自立」「自律」とは

言えない日々を

送っているのだと思います。

 

何かに依存したり、

自分以外の誰かから

何かを与えてもらって

初めて、

自分で動くという

受け身の生き方や、

他の何者かに人生の

ハンドルを預けてしまって

いる可能性があります。

 

・・・・・・

 

私達人間に

依存はつきものです。

 

というか、

私達は必ず何かに

依存しながら生きています。

 

しかし本当の依存とは、

自分が「自立」「自律」

できた状態で、

行なうものです。

 

自立している人、

自律している人は、

自分の役割を

よくわかっています。

 

わからないまでも

わかろうとし続けます。

 

その結果、

自分が何に依存すれば

良いか?が

よくわかります。

 

それによって

生じる「依存」は

調和と相乗効果を

生み出します。

 

・・・・・・

 

経済的な自立は

別として、

 

精神的な自立も自律も

特別なことでは

ありません。

 

例えば、

4歳や5歳の子供でも

自立・自律してるなぁ

と感じることがあります。

 

経験を積まなければ

自立・自律できない

というものでは

ありません。

 

私達の真本音は

当然ですが、

自立・自律した自分の

生き方(行き方)を

望んでいます。

 

自立・自律している人は

あらゆる「世界」が

味方につくのです。

 

つづく

 

私とあなたは、本当に調和していますか?

『自律調和』という言葉を

私はよく使います。

 

この言葉は、私が尊敬するある社長が

生み出した言葉です。

 

「たけうちさんがやっていることって、

こういうことですよね」

と彼に言われた時、

あぁなるほど!と思いました。

 

この言葉の凄いところは二つあります。

 

一つは、

「自立」ではなく「自律」というところです。

 

「自立」と「自律」の違いは、

様々な解釈の仕方があると思いますが、

私の解釈で言えば、

自立の先にあるのが自律です。

 

人は、自ら立つことができて、初めて

自らを律することができます。

 

自ら立つことをせず、依存状態のままで

自らを律しても、それは自律もどきです。

社長に依存していた時代の平井さんがまさに

この状態でした。

(→前回記事)

 

そして、自分を律する、とは、

自分を縛り付けることではありません。

 

自分自身をコントロールすることです。

 

つまりそれは、「自由自在に自分を操ること」です。

 

要するに、本質的な「自由」です。

 

自律している人とは、自由な人なのです。

 

これが私の解釈です。

 

『自律調和』という言葉の凄いところの二つ目は、

 

「調和自律」ではなく「自律調和」である

というところです。

 

よく、「仲間がいるから私はがんばれる」

という言葉を聞きます。

 

私はそれを聞くと、「依存だな」と思います。

 

仲間がいるからがんばれる、

じゃあ、いなかったら?

いなかったら、がんばるのをやめるの?

と。

 

もちろん、仲間は大事です。

調和できる環境や、職場や、人間関係は

とても重要です。

 

しかし、「みんながいるから私はがんばれる」

というのは、調和もどきです。

 

依存の集合体です。

 

依存とは、寄りかかること。

もしくは、ぶら下がること。

 

寄りかかる対象がなければ、

ぶら下がる対象がなければ、立つことができない状態

を言います。

 

お互いがお互いに寄りかかり、

お互いがいなければ立っていられない状態で

一つの調和を作っていても、

それは調和とは言いません。

 

そこに、「自由」はありません。

 

本来の調和とは、

一人一人がまずは自分で立ち、

自分で自分を自由にコントロールし、

そういうことのできる人達が、

お互いに寄りかかるのではなく、

自ら立った状態で、手をつなぐこと

です。

 

手を放そうと思えばいつでも放せます。

 

つなごうと思えば、いつでもつなげます。

 

どちらもできる状態。

 

今は、手を放すことが大切か?

それとも、手をつなぐことが大切か?

 

いつでもどちらの選択もできる状態。

 

そうなれると、

くっついていても、離れていても、

どのような状態でも

その人とその人は「調和」しています。

 

調和とは、「距離感」です。

 

その人とどれくらいの距離感で関わることが

今は最も相乗効果を発揮することに

なるだろうか?

 

それをお互いに見極め、

最適な距離感で関わり合うことが

真の調和をもたらします。

 

それができるのは、

自律した人同士のみです。

 

ですので、『自律調和』なのです。

 

自律→調和 なのです。

 

この順番しかあり得ない。

逆はあり得ないんだ、ということに

いつからか私は気づくことができました。

 

そこに気づいてから、

人や組織への関わり方が

非常に楽になりました。

 

何をすれば良いか?が

明確に掴みやすくなりました。

 

そしてさらに次のことも言えます。

 

自律した人は、

次の自律した人を生む、

と。

 

平井さんの例はまさしくそうです。

 

もともとは社長に依存していた平井さん。

その平井さんが自律することで、

自律した社員さんが一気に増えました。

 

組織全体が、

依存状態から自律調和状態へと

脱皮し始めました。

 

一人の自律は、

組織のパワーになるのです。

 

つづく