自分の中の苛立ちに

気づける人は

幸福だ。

 

本当は、

苛立ちのない人は

一人もいない。

 

苛立つために

私達は

この世界に生きている、

言ってしまってもいい。

かなり乱暴な

言い方だが。

 

自分は

本当は

何に

苛立っているか?

 

これを

何の解釈もなしに

あるがままに

見つめ、

自覚することができれば、

 

それだけで

その人は

自分自身の

今、すべきこと

人生でこれからすべきこと

理解できるかもしれないのだ。

 

それほど

「苛立ち」とは

大切なものだ。

 

自分の苛立ちを

知ることができれば、

私達は

その中から

抜け出ることができる。

 

自分の苛立ちを

自覚できなければ、

下手をすると

一生、その中にいることに

なる。

本人は、そうとは

知らないままに。

 

私達は

苛立ちから抜け出ることで

初めて、

本来の自分として

本来の人生を

歩み始めることができる。

 

そのためには

まずは

「自覚」だ。

 

人の成長とは

「苛立たない自分に

なることだ」

勘違いしている人は

多い。

 

違う。

断じて。

 

苛立ちとは

宝物だ。

 

自分の「本当」を

見つけるための

鍵だ。

 

せっかく

様々なことに

苛立つことができる

という「心」を

私達は手に入れているの

だから、

それを思う存分に

活用すればいい。

 

苛立ちを

人を傷つけることに

活用するのではなく、

 

苛立ちを

真の自分を見つける

ために

活用するのだ。

 

最近、

様々な方々との出会いが

増えているが、

 

にこやかで

柔らかい雰囲気を

持った人ほど、

 

その人の奥から私は

強い苛立ちを

受け取る。

 

それだけ強い苛立ちが

あることは

とても良いことだと

私はその度に思う。

 

大事なのは

それを自覚できているか

どうか、だ。

 

苛立ちを自覚し、

苛立ちを活用し、

真の道を見出す。

 

苛立っている自分は

愛すべき存在だ。

 

つづく