要(かなめ)になれ

 

若い人達の

その

あまりの「可能性」の

大きさに

向き合い続けていると、

 

全身が

痺れてくる。

 

彼らはまだ

自分自身のことを

何もわかっちゃいない。

 

しかしその

「何もわからない」

という事実の

 

なんと

魅惑的なことか。

 

まるで

これからビッグバンが

起こるかのような、

 

創世の直前の

ような、

 

独特の空気感が

私の全身を

洗い続けた。

 

彼らの凄いところは、

 

自分が私に

何を頼るべきか、

 

そして

何を頼ってはならないか、

 

をちゃんと

見極めているところだ。

 

これが今の時代の

若さの一つの

現れなのだろうか。

 

若い頃の私との

あまりの「出来」の

違いに、

 

素直に驚いてしまう。

 

恐らくこういった

若者達は

これから続々と

現れてくるのだろう。

 

今の時代に

今の社会に

新たな道を拓いて

行くのは

彼ら自身の為すこと

であるが、

 

彼らがちゃんと

今後の社会の要と

なれるように

 

私はやはり

最大のサポートを

したい。

 

それをせずして

他に何をする、

 

くらいに思ってしまう。

 

命とは

永遠だな。

 

つくづく思う。

 

私個人としての

人生は有限であるが、

 

私の意思は、

(もちろん私だけでなく

すべての人の意思は)

 

ちゃんと

すべきことをすれば

ちゃんと

次の世代に

受け継がれていく。

 

それこそが

命というものでは

ないだろうか、と

 

心洗われながらも

思ったよ。

 

つづく

 

 

現実逃避に真剣になっている人がいる

「前芝さんの人生のテーマ、

真本音のテーマとは何でしょう?」

 

との問いに、木村さんと弓江さんは

ほぼ同時に

 

「彼に、それがあるとは

思えません。」

 

と答えました。

(→前回記事)

 

弓江さんが言います。

 

「真本音がない人というのは

いるのでしょうか?」

 

「それはないですね。

真本音がなければ、人間として

ここに存在すること自体ができません。」

 

「でも、真本音のテーマ、と問われて

わかったのですが、

彼から真本音をまったく感じないのです。」

 

木村さんも頷いています。

 

「それは恐らく、

真本音が反応本音の中に完全に

埋もれてしまっているのでしょう。

それだけ彼の状態や

これまでの生き方が

彼にとって良くないということですね。」

 

私は前芝さんの「実在」に意識を

向けました。

 

完全に埋もれてしまっている真本音でも

確かに存在はするのです。

 

しばらくじっと彼の「実在」に意識を

向け続けていると、

何となく、彼の真本音のテーマが

伝わって来ました。

 

「前芝さんの実在から直観的に

わかった彼の真本音のテーマですが、

それは恐らく、

”純粋に人をリードする”

だと思います。」

 

「リード、ですか!」

と、二人はびっくり。

 

「今の彼と真逆ですね。」

 

「だから真本音が隠れてしまった

のでしょうね。」

 

「ということは、彼の真本音度合いは

今はかなり低いということですね?」

 

「そうです。

低いです。」

 

「ということは、

彼が要(かなめ)になるということは

あり得ないということですね?」

 

「いえ、そうとも限りません。

真本音度合いの低い人が

真本音度合いを高めることで、

一気に開花し、

組織の要となって大活躍した、

という例がいくつかはあります。

反動が大きい分、影響も大きいのです。

ただし、それはあくまでも

稀なケースですが。」

 

すると、

木村さんが言いました。

 

「たけうちさん、

埋もれてしまっている彼の真本音を

掘り起こすことはできるのでしょうか?」

 

「それはもちろんできますよ。

ただし、どれだけ時間がかかるかは

未知数です。」

 

真本音が完全に埋もれてしまっている人

というのは、実は結構います。

そういった人は皆、

「現実逃避」

に入ります。

 

変な表現ですが、

「現実逃避に真剣になる」

のです。

 

そうなるともう、

自ら真本音度合いをどんどん

落としていくことになります。

 

ただし前芝さんの場合は、

まだそこまでのひどさは感じませんでした。

 

彼の場合はまだ、

ある程度の刺激によって

真本音が顔を覗かせそうです。

 

しかし、どのような刺激を

入れれば良いか?については

直接お会いしなければわかりません。

 

私はもう一つ、

お二人に訊きました。

 

「前芝さんの本来の個性、

天性の個性、

先天的な個性

は何だと思いますか?」

 

つづく

 

コミュニケーション能力を駆使して進もう

新規事業プロジェクトチーム。

木村さん、弓江さん以外の「要(かなめ)」となる

チーム員を特定するために、

私はチーム員の皆さんとお会いすることに

なりました。

 

しかしその前に、

木村さんと弓江さんのお二人から、

それぞれのチーム員に関しての印象を

聴くことにしました。

(→前回記事)

 

これは、いつも私が行なうことです。

 

まずはリーダーやマネージャーが抱いている

部下の皆さんへの印象をお聴きした上で

その皆さんと実際にお会いするという

ステップです。

 

ひょっとするとコーチによっては、

印象を聴くことで、要らぬ固定観念を

生んでしまう、

それよりもまずは、固定観念のない状態で

本人とお会いしたい、

と考える人もいるかもしれません。

 

しかし私の場合は、

まずは「印象」を聴くことを

大事にしています。

 

なぜならそれは「印象」でしか

ないからです。

 

どれだけ「印象」を聴いていたとしても、

本人と、本当の意味でしっかりと向き合えば、

その「印象」に捕らわれることは

ありません。

 

むしろ、もし「印象」とまったく異なるものを

感じた場合には、

「実際に見たもの」と「リーダーの持っていた印象」の

差が明確になります。

 

その差を知ることが、

チーム(組織)活性化の突破口となることが

往々にしてあるのです。

 

さらに私の場合は、

リーダーの方達がお話しされる「印象」の

内容そのものは、ほとんど気にしません。

 

ちょっと失礼な言い方になりますが、

「印象」そのものは、どうでもいいのです。

 

それよりも、

「印象」を語っていただきながら、

私は、そのリーダーから受ける、その部下の「実在」を

感じ取ります。

 

「実在コミュニケーション」と

私が呼んでいるものの一種なのですが、

リーダーがその人のことを語ることで、

そのリーダーを通じて、その部下本人の

「実在」のレベルにおける

現状把握をするのです。

 

例えば、その部下本人の

現時点での真本音度合いは

どれくらいか?

 

どれくらいの真剣さで

仕事に向かい合っているか?

 

チームへの調和度合いは

どれくらいか?

 

その人は、自力成長(進化)できる人かどうか?

・・・などなど。

 

本人に合わずとも、

感じ取ることができます。

もちろん、本人に実際にお会いしたほうが

よいですが、

人を介しても、ある程度わかることは

あるのです。

 

これは決して超能力的なことではなく、

人間誰しもがもともと持ち合わせている

コミュニケーション能力の一つです。

 

私達人間のコミュニケーション能力は

凄いのです。

その本来の力を

使っている人はほとんどいないのが

残念なのですが。

 

私は、できれば、

すべての人がそういった本来持っている

コミュニケーション能力を

使えるようになればいいな、と

思っています。

 

ですので、私はクライアントさんに対して、

「実在コミュニケーション力」を高めることも

コーチングの大事な目的の一つと

しています。

実際に、

私の継続サポートを受けている人の何割かは

この力が、かなり伸びます。

 

そうすると、

すべての展開が本当に楽になるのです。

 

木村さんと弓江さんから

チーム員の皆さんの印象を聴くというのは、

お二人の「実在コミュニケーション力」を高める

最初のステップという意味もあります。

 

新規事業プロジェクトチームのメンバーは

木村さん、弓江さん以外に

4名います。

 

少人数ですので、

逆に、綿密な実在コミュニケーションも

できるでしょう。

 

目的は、

「戦略」を見出すため。

 

以前にも書かせていただきましたが、

「戦略」とは、

最も楽に進めるであろう道のことです。

 

そのためにも、

「要」となる社員さんを特定するのです。

 

つづく

 

たった一人が変わることで、100人が変わることもある

弓江さんに引き続き、木村さんも

無事に脱皮をしました。

(→前回記事)

 

古い皮を脱ぎ捨てた二人は、

今、極めて「普通」の状態で

私の目の前にいます。

 

私はようやく、今回の二人コーチングの

準備が整ったな、と思えました。

 

ここからがようやく「本題」です。

 

今回の二人コーチングの目的は、

半分の人数で再スタートしようとしている

新規事業プロジェクトチームの

組織活性化戦略を見出すことです。

 

今、二人は脱皮しましたが、

これからはこのチームも

脱皮をするはずです。

 

むしろ、脱皮をしなければ先に進めない

とも言えます。

 

木村さんは、

チームの脱皮を果たすためにも

私(たけうち)に、もう一歩深く

チームと関わってほしいと要望されました。

 

では私は実際に

どのような形で何をすればよいか?

を見出そうとしています。

 

「弓江さん、

チームの脱皮のためには、

まずは木村さんと弓江さんの脱皮が必要、

ということでしたが、

今、お二人は無事に脱皮ができました。

次に必要なことは何だと思いますか?」

 

「・・・それがよくわかりません。

今、ご質問を受けて思ったのですが、

私はチームの脱皮というものがどういうことかを

まだイメージできてないのです。

チームの脱皮というのは通常、

どのように成されるのですか?」

 

「チームとは人の集まりです。

ですから、人が脱皮することでチームが

脱皮します。

しかし、チーム員全員が脱皮しなければならない

ということではありません。

どのチームにも必ず、“要”(かなめ)となる人が

います。

“要”とは、影響力の大きな人のことを

言います。

つまり、その人が変わることで、チーム全体が

変わるくらいの影響力を持った人のことです。」

 

「それは、リーダーということですか?」

 

「もちろん、リーダーという可能性もありますが、

この“要”というのは、現実現象レベルというよりも

実在レベルの話です。

ですから、現実の立場云々には捕らわれない

話です。

例えば、100人の組織でも、

リーダー以外のたった一人が大きく変わることで

組織全体が劇的に変わる誘発剤になる、ということも

充分にあり得るのです。

そういった影響力を持つ人が誰か?

を見極めて、その人の大きな変化、つまりは脱皮を

促します。」

 

「その“要”というのは、

私達のチームの場合、木村と私(弓江)以外の

メンバーの中にもいる可能性がある

ということですね?」

 

「そうです。

ここにいるお二人以外にも“要”となる人が

いると思います。

その人を見つけることは重要です。」

 

ここで木村さんが口を開きました。

 

「私達のチームは、人数が半分になり、

今は我々二人を入れても6名となりました。

こんな少人数でも、“要”と言われる人が

いるのでしょうか?」

 

「はい、います、きっと。

もちろん人数が少ないので、全員が“要”である、

という見方もできます。

しかし実際にそうであったとしても、

それでも、“要の中の要”という人はいるはずです。

まずはその人に強烈な刺激を入れることで

チームの脱皮は非常に楽になります。」

 

「チームが脱皮すると

どうなるのでしょうか?」

 

「個人の脱皮と基本的には同じです。

個人の脱皮は、余分な皮を脱ぎ捨てることで、

これまでの考え方・価値観に変化が起きます。

何を大切にすればよいか?という

考え方の優先順位が変わったりします。

しかもそれは、非常にスッキリと

よりシンプルなものになります。

それにより、その人の行動パターンが変わります。

その人の発揮する能力も変わります。

そして、必然的に成果の出方も大きく変わります。

それと同じことが、

チームとして起こる、ということですね。」

 

「まさしくそれは私の望んでいることです。

私は今ここで、もっともっとチームの

考え方も行動パターンもシンプルなものに

したいのです。

もっと一貫性を持ちたいのです。」

 

「そうなるための最も楽な道を

見出しましょう。

そのためには、“要”社員を特定することです。」

 

弓江さんが言われます。

 

「ということは、次に必要なのは、

私達の次に脱皮すべき、

チームの“要”が誰か?を

見つけることですね。」

 

「ということになりますね。

では、そのためには

どうすればよいと思いますか?」

 

「私は、たけうちさんに

チーム員のことをもっとよく知っていただいた方が

よいと思います。

誰が“要”となり、誰が脱皮すればよいかを

木村と私(弓江)だけでは特定することは

現時点では難しいと思います。」

 

「わかりました。

では、そうしましょう。

つまりは、チーム員の現状把握ということですね。

そのためには、私が実際にチーム員の皆さんに

お会いした方がよいですが、

その前に、お二人から見たチーム員お一人お一人

の印象をお聴きしたいのです。

恐らくそれだけで、誰が“要”か?の

おおよその見当はつけられますので。」

 

つづく