進化

意識を向ける④

 

昨日の続きです。

(→ 意識を向ける③)

(→ 意識を向ける②)

(→ 意識を向ける①)

 

世界に意識を

向け、

 

世界から観た

自分に

意識を向ける。

 

これをずっと続けると

どうなるでしょう?

 

私はちょっと

不思議な体験を

した。

 

一言で言えば、

 

自分の中にも

「世界」がある

「わかった」

のだ。

 

そしてその

自分の中の世界は、

 

自分の外の世界と、

 

完全に

一致する。

 

・・・と。

 

もう一度、言おう。

 

自分の中の世界と

自分の外の世界は

完全に一致する、

 

ある瞬間に

理屈ではなく

感覚として

わかったのだ。

 

それを

「思い出した」

と言うと、

かなりピンとくる。

 

内側の世界と

外側の世界が

完全に一致して、

 

その境目にある

のが

「人間」。

 

するといったい

人間とは

何なのだろうか?

 

そんな疑問が

湧いた。

 

なぜ、

同じ世界が二つあり、

しかも

そこに境目が

あるのだろう?

 

何のために?

 

この疑問を持ちながら

私は日々の

コーチとしての活動を

続けた。

 

すると

また一つわかった。

 

私も含めて

ほとんどの人が

 

内側の世界と

外側の世界が

「一致していない」

と。

 

本当は

完全に一致するはずの

二つの世界が、

一致していないと。

 

そこに

境目があることで

二つの世界は

分離され、

 

分断され、

 

断絶している、と。

 

そしてそれにより

内側の世界も

外側の世界も

それぞれが

それぞれなりに

不調和を起こしている、

と。

 

その不調和により

さらに

二つの世界は

分離・分断・断絶度合いを

高め続けている、と。

 

本当は

二つの世界を

一致させれば良いのに。

 

たった

それだけの

ことなのに・・・。

 

そこでまた

ハッと気づいた。

 

二つの世界を

一致させること

こそが、

 

私達人間の

役割なのではないか。

 

二つの世界を

一致させることで、

 

二つの世界が

より調和する。

 

それをすること

こそが、

人間の役割なのでは、

 

存在意義なのでは

ないか。

 

そしてもし

二つの世界が

完全に一致できたら、

 

人間は

ただの境目ではなく、

 

世界そのもの

 

なれるのではないか。

 

そして

すべてが一つに

なれるのではないか。

 

それを我々は皆、

心の根底では

願い続けているのでは

ないか。

 

それが我々の

共通の願いなのでは

ないか。

 

そこから私は、

 

二つの断絶したもの

不一致になっているものを

一致させていく。

 

・・・その過程を

「進化」

と呼ぶことにした。

 

そして

そのために

我々人間が発する

エネルギー、

かつ

世界が発する

エネルギーを

「愛」

と呼ぶことにした。

 

そして、

 

愛のエネルギーを

高め、

進化に向かうための

 

その時その瞬間、

その人の発することの

できる

最大最高の

そして「最善」の意識を

 

「真本音」

 

と呼ぶことに

したんだ。

 

 

※この項終わり

 

ブログはつづく

 

本当の組織を生み出そう

 

組織にも

真本音は発生する。

 

それはまさしく

「発生」だ。

 

個人であれば、

真本音は

生まれた時から

存在している。

 

しかし組織の場合は

そうではない。

 

組織を構成する

人達が、

組織に魂を

宿すのだ。

 

すると

変な言い方だが、

人から組織が

自立する。

 

ある瞬間から

組織そのものに

魂の意思や願いが

芽生える。

 

それが

組織の真本音

だ。

 

・・・・・・

 

組織のサポートを

させていただいていると、

 

あっ、もうすぐこの組織に

真本音が生まれるな。

 

・・・というのが

ありありとわかる。

 

その時の空気感は

独特のものだ。

 

ただし、そこで

本当に無事に

真本音が生まれるか

どうかは、

わからない。

 

生まれそうで

生まれない

という組織も多い。

 

そこには

大きな段差が

あり、

 

いわゆる

組織としての脱皮

が必要だ。

 

実は私は

そのサポートを

させていただくのが

一番楽しい。

 

まるで生命が

生まれる瞬間のような

感動を

得られるからだ。

 

・・・・・・

 

組織が真本音を

持つと、

 

組織はその真本音に

基づいて

成長(進化)しようと

し始める。

 

経営者がどのような

意思を持つか

とはまた別次元で、

 

組織が組織の

意思と願いを

持つのだ。

 

その組織は、

自らの社会的使命、

社会的役割を

果たそうとし始める。

 

それをちゃんと

キャッチできるかどうか?

が、

その組織が

持続的な成長を

続けられるかどうかの

境目となる。

 

ところが。

 

組織自身のその

真本音と、

 

組織を構成する

経営者や社員さん達の

意思に、

 

ギャップが生まれる

ケースも多い。

 

多くの場合は、

組織そのものが

望む進化のスピードに、

経営者や社員さん達が

ついて行けなく

なるのだ。

 

組織の進化に

人の進化が

追いついて行けない、

ということ。

 

その歪みによって

ストレスを抱えて

しまっている組織も

多い。

 

しかし逆に、

組織そのものの真本音

と、

経営者や社員さん達の

真本音が、

 

見事に調和、融合

している組織も

ある。

 

こういった組織は、

皆が

幸せだ。

 

社員さん達は

自らが主役となっている。

 

自らの人生を

良くすることと、

組織の成長や

働きがいが

一致してくるのだ。

 

あまり年齢で

区別をつけるのは

好きではないが、

 

でもやはり傾向として、

若い人達の会社に

そういった会社は

増えている気がする。

 

そんな会社が

増えるのは、

それ自体が

社会貢献だなと

私は思う。

 

・・・・・・

 

組織は

創業者のもの、

ではない。

 

経営者のもの、

でもない。

 

組織は

組織である。

 

社会に生まれた

一つの「存在」

である。

 

意思や願いを持つ

「存在」

である。

 

と、

最近私は強く

感じるようになった。

 

皆で

ここに「存在」している

組織を

大切に育む。

まるで、

子育てのように。

 

一人一人が

自らが所属している組織に

そんな愛着を

自然に

持てるようになるといいな、

強く思うね。

 

つづく

 

人間は、面白い

 

自分にできる

範疇の中でのみ

生きていたら、

 

人生は

進まない。

 

進化とは

冒険である。

 

人間の本質とは

進化である。

 

だから人は

冒険を求める。

 

もちろん

私達には安全欲求

がある。

 

安心したいし、

安全でいたいし、

安定していたい。

 

しかし

本当の安定を

手に入れると、

 

刺激が

欲しくなる。

 

それが

健康的な人間の

業だ。

 

私のクライアントさんで

とても力を持った

コーチがいる。

 

3年ほど前に

出会った頃は

収入がほとんどなく、

来月からどのように

生活していこうか?と

彼は悩んでいた。

 

ところが今は、

出会う人ほぼすべてから

信頼され、

 

お客様が

増え続け、

 

一度、お客様になれば

皆が「ファン」になり、

リピートが続き、

 

しかも

コーチとしての能力も

直観力も

研ぎ澄まされ、

短時間で仕事に

対応し、

 

収入も凄いが、

時間もたっぷり

あり、

 

人生そのものを

謳歌している、

 

・・・という状態に

なれた。

 

この状態は

これからも拡大し、

 

何をどうすれば、

お客様に喜んで

いただき、

 

どうすれば

自分がさらに

成長でき、

 

どうすれば

これまで以上に

人生を謳歌できるか?

 

それらがすべて

わかるように

なりました、

 

と彼は

目を輝かせた。

 

言ってみれば、

質も量も

人生の成功者と

言えるだろう。

 

自分の望む人生を

手に入れた

のだから。

 

ところが・・・。

 

「僕は、

このまま成長を続ける

人生では

満足できません。」

 

と、

前回のコーチングで

彼は言った。

 

逆に私は

彼に言ったものだ。

 

このままの流れで

行けば、

さらに成長も進化も

できるんだよ。

 

幸せな人生

だよ。

 

調和の人生

だよ。

 

このまま

行っても、恐らく

世界中の多くの人達が

喜んでくださるビジネスが

展開できるし、

 

今以上に

日々の充実感が

増すんだよ。

 

・・・と。

 

ところが彼は

 

「いえ、

やはり、このままの流れの

成長では

満足できません。」

 

・・・と。

 

一般的な意味での

真本音100%の人生を

彼は

手に入れたし、

 

真本音の願いを

実現できる人生の流れにも

入った。

 

にも関わらず、

さらに彼は

「逸脱」

したいのだ。

 

それを見て、

 

あぁこれが

人間なのだな、

 

と改めて私は

感嘆した。

 

じゃあ、私も

あなたへのサポートの

仕方の次元を

変えなければならない。

 

これまでとは違った

質の

コーチングに入るよ。

 

と私は

彼に伝えた。

 

その瞬間からもう

彼の内側から

これまでとは違った質の

エネルギーの波が

放たれ始めた。

 

彼は言った。

 

「恐らくここからの

私の人生は、

五里霧中です。

何をどうやればいいのか、

今は全くわかりません。」

 

と。

 

「五里霧中」。

 

これが

彼の選んだ道だ。

 

真本音の道はもう

観えているのに、

 

さらに

もっと先の次元の

道を行こうとする。

 

するとまったく

何もわからなくなる。

 

それはそれは

不安である。

 

でも、

彼はその道を

望むのだ。

 

こういう人を

私は

 

『変態』

 

と呼んでいる。

 

真本音の道にも

二つある。

 

「普通の真本音の道」

 

 

「変態的な真本音の道」

 

だ。

 

後者の道に

入る人が、

 

一人、

また一人、

 

今はまだほんの

数えるほどだが、

 

増えてきた。

 

面白い。

 

実は、

私の魂が最も

震える瞬間であり、

 

私自身の

コーチング力は

こういった人のためにこそ

活用されるべきではないか、

最近は

思い始めている。

 

面白い。

 

とても

面白くなってきた。

 

今後の世の中の

展開そのものも、

これから

こういった「変態達」によって

 

とても面白いものに

なるのだろう。

 

つづく

 

垂直に上昇する人よ

 

右肩上がりの

成長、進化

では収まりきらず、

 

「垂直上昇」

 

する勢いで

進む人が

一人、また一人と

増えてきた。

 

この成長の仕方は

生半可では

できない。

 

余程の覚悟と

 

「準備」

 

が必要だ。

 

まだ数えるほど

であるが、

その「準備」が整った

人が

出てきたのだ。

 

大変、嬉しいと

同時に

感動的だ。

 

・・・・・・

 

「垂直上昇」

と聴いて、

 

ひょっとして

自分のことか。

 

と思われた人は

その可能性が高いため、

以下のことを

注意いただきたい。

 

「垂直上昇」は

通常の成長とは

本質的に異なるため、

 

「これまで培ったものを

これからも大切にしよう」

 

という気持ちを

まずは

「捨てる」

くらいの意識を持つこと。

 

過去の延長線上に

未来はない、

という成長の仕方だから。

 

階段を

駆け上がるのとも

違う。

 

ただただ

ロケットのように

一気に垂直に上昇し、

 

一気に

宇宙に飛び出る、

という

荒技を繰り出すわけ

だから、

 

これまでいた

「地球」という星から

まったく別の星に

行ってしまうくらいの

意識でいた方が良い。

 

いったん人生を終えて、

生まれ変わる

・・・という意識よりも

何十倍も

激しいことをしようと

しているという

自覚をした方が良い。

 

昨日の自分と

今日の自分は

まったくの別物である、

 

という

自覚をした方が良い。

 

だから

過去の自分の考えに

こだわっている

場合ではない。

 

これまでと

同じやり方を

している場合でもない。

 

もちろん、

環境を変えたり

仕事を変えたり

する必要はないのだが、

 

しかし

この環境にいる

「自分自身」は、

完全に変わるのだ。

 

要するに

メチャクチャだ。

 

メチャクチャなことを

自分はしようとしている、

という

自覚をきちんと

することだ。

 

そんな自分に

委ねてしまうこと。

 

ある意味、

あきらめてしまうことだ。

 

・・・・・・

 

と同時に、

顕在意識のレベルでは、

 

「自分の原点」

 

を常に大事に

することだ。

 

どれだけ垂直上昇

しようとも、

「原点」は変わらない。

 

むしろ

「原点」があるからこそ、

垂直上昇が

できるのであり、

 

その「原点」が備わった

からこそ

準備が整った

ということになる。

 

本当に

これから垂直上昇しようと

する人は、

 

「原点」

と聴いただけで、

何のことか、ピンと来る

はずだ。

 

そう。

 

今、その、

ピンと来たもの、

それが

あなたの「原点」だ。

 

そこに常に

戻ること。

 

24時間いつも

そこを

意識し続けること。

 

それができれば、

垂直上昇は

無事に成されるだろう。

 

・・・・・・

 

あとは、

 

垂直上昇する者は

他の

垂直上昇する者と

引き寄せ合う。

 

垂直上昇する者同士の

出会いや

コラボが

自然発生するだろう。

 

それに

委ねれば良いし、

楽しめばいい。

 

ここからの人生は

これまでとは

根本的に異なる

展開を

見せるだろう。

 

ここからが

本当の

本来の

人生のスタートであると、

 

自覚しよう。

 

つづく

 

真摯に一日に向かおう

 

人の「美しさ」とは

不完全なところに

こそ

あると思う。

 

人は

進化するもの。

 

というよりも、

「進化」を

カタチにすると

「人」になる

私はいつしか

思うようになった。

 

進化に必要

なのは

不完全さ。

 

人は常に、

(私達の真本音は

常に)

 

不完全であることを

望んでいる。

 

そういった

意味で、

「完全」や

「完成」は

ない。

 

もちろん、

形の上で

 

いったんの

完全、

 

いったんの

完成、

 

はある。

 

が、

その直後から

私達は

また

歩き始める。

 

完成した、

完全だ、

と思ったのも

つかの間、

 

すぐに私達は

「次」を

求める。

 

それが

人間なのだと

思う。

 

・・・・・・

 

昨日、

私はこのブログで

「美しい一日」

について

書いた。

 

それは

101%ではなく

100%の一日

である、

 

と書いた。

 

そしてそれこそが

「最大速で進む」

ことに

なると。

 

しかし、

その「100%」

とは、

 

その日

その時に

私達が感じる

「100%」であって、

 

例えば

その次の日に

同じレベルの

一日を創れたとして、

 

もう私達は

それを「100%」だとは

思えなく

なるだろう。

 

つまりは、

私達の「100%」

そのものが

進化をする。

 

それが

私達人間の

本質だ。

 

だから

もう一度言う。

 

私達は

無理をして

101%以上を

目指すのではなく、

 

100%を

しっかりと実現

することにより、

 

最大速で

進化を続ける

のだ。

 

そしてその

「100%で進む自分」

であることを

 

『等身大』

 

と言う。

 

等身大の自分

こそ、

自分の本来の

魅力が

溢れる自分

である。

 

そして当然だが、

その

「等身大」そのものが

進化をしていく。

 

等身大で

いることこそが

最大速の進化

呼ぶのだ。

 

・・・・・・

 

今日の私は

「何をしようか?」

 

そして

今日の私は

「何をしないか?」

 

毎日、

一日一日

しっかりと

決めよう。

 

その上で

真摯に

一日に向かって

行こう。

 

これを

本当にきちんと

できると、

 

だんだんと

肩の力が

抜けてくる。

 

本質的な

気楽さが

生まれる。

 

一日の

満足が

高まるからだ。

 

不安というものが

激減する。

 

自分は

やることを

ちゃんとやっている、

 

という実感は

私達を

とても強くする。

 

真摯に生きる

ことこそが、

 

私達を

最も楽に

してくれるのだ。

 

つづく

 

感謝しながら行けばいい

 

まっすぐな

道があり、

 

レールまでが

引かれている。

 

あとはそこを

気持ちよく

進むだけ

なのだが、

 

なぜか、

そのレールに

乗ることを

しない。

 

それどころか、

道そのものから

外れ、

まったく

見当違いの方向に

向かってしまう。

 

人間であれば、

そういったことは

十分に

考えられるし、

 

誰しも

そのような経験は

あるかもしれない。

 

よく

「レールの引かれた

人生なんて

いやだ!」

という表現が

使われるが、

 

そもそも

そのレールを

引いたのは

 

ほとんどの場合、

その人

自身だ。

 

その人の

真本音だ。

 

レールがあることを

素直に

感謝すればいいのに、

よく私は思う。

 

レールがあることを

素直に

喜べばよいのに、

とも。

 

そうすれば

そのレールも

道も

すべてを

ひっくるめて、

 

楽しめるし、

 

その上での

「冒険」が

できる。

 

なぜなら

「レール」とは

進化をするもの

だから。

 

「レール」そのものが

進化をするのだ。

 

だから

「レールがあるから

つまらない」

というのは、

あまりにも

つまらない

捉え方だ。

 

はっきり言って、

「レールの進化」

とてつもなく

面白い。

 

そしてその

進化は、

 

まったくこれまでに

なかった

新たなものを

生み出す。

 

レールの人生

とは

惰性の人生

ではない。

 

レールをとことん

極めることで、

 

ゼロからイチを

生み出す

ことすら

できるのだ。

 

そして

それができれば、

さらにまったく

新しいレールを

 

この世に

もたらすことが

できるのだ。

 

それこそが

人生の醍醐味

だと

思わないかい?

 

つづく

 

本当の成長を欲しているんだ

 

人生を進めている

つもりになっていても、

実は

まったく進んでおらず、

同じ場所で

足踏みをし続け、

 

足踏みをすることで

汗をかき、

 

汗をかくことで

「私は頑張っている」

自己満足している

人は、

残念ながら

とても多い。

 

以前にもよく

書かせていただいたが、

 

成長には

2種類があって、

それをあえて

名付けると、

 

・進化

・膨張

 

となる。

 

「進化」とは

次元を高めること。

 

「膨張」とは

同じ場所で

規模や能力など

のみが

大きくなることだ。

 

単なる膨張を

しているだけで、

満足をしている人が

多いのが

今の社会だ。

 

私は、

膨張のことを

成長とは

思っていない。

 

本来の成長とは

進化があっての

もの。

 

そして、

進化のないサポート、

つまりは

膨張のためだけの

サポートは

一切やらないと

決めている。

 

しかし

とても残念なことだが、

 

進化など

どうでもいい。

とりあえずは、

膨張さえすれば

それで

いいではないか。

 

思っている人は

とても多い。

 

経営者も

含めて。

 

注意していただき

たいのは、

 

能力の成長

 

も、

それのみであれば

膨張である

ということだ。

 

言い換えれば、

実力のみの成長

単なる膨張だ。

 

以上を踏まえた

上で

あえて断定すれば、

 

今の若者の

何割かは、

 

進化への欲求が

極めて高い。

 

逆に言えば、

単なる膨張に

対して

やりがいや生きがいを

感じなく

なって来ている。

 

膨張のために

頑張れ!

を言われても、

無気力・無関心に

なる。

 

私は、

登校拒否になって

しまっている

未成年者のサポートを

させていただくことも

あるが、

 

彼らの何割かは、

(本質的には)

膨張のみを

強いろうとする

社会に対しての

拒絶感を持っている。

 

しかし

そういった彼らでも、

進化を感じられる

物事に対しては、

途端に

エネルギーを

発揮したりする。

 

進化に対しては

苦労をしてもいい。

 

どころか、

 

進化のために

努力や苦労をしたい!

望んでいる人は

多い。

 

しかし、

それが一体

どういうことなのか、

 

どうすれば

いいのか、

 

まったくもって

わからない。

 

大人達は

そこのところを

何も教えてくれない。

 

だから

単なる無気力

無関心になる。

 

という状態だ。

 

もちろん、

そのような状態でも

私は

自らの人生は

自ら進むことで

拓いていくことが

重要だと思っている。

 

進化への欲求が

あるならば、

自ら動けよ。

 

とも思う。

 

しかし人は、

あまりにも

何もわからなければ、

何もできなくなってしまう

ものだ。

 

「守破離」という

成長の段階があるが、

 

彼らはまだ

(多くの若者はまだ)

「守」の段階だ。

 

例えば2歳の子供に、

「進化のために

自ら人生を創りなさい」

と言っても

ほぼ不可能なのと

同じだ。

 

ちゃんと彼らに

「教える」

ことのできる大人が

必要だ。

 

その役割を果たすのは、

これからの時代に

おいては、

私は

 

「企業」

 

だと思っている。

 

ビジネスや仕事を

通じて、

生活を成り立たせ、

その土壌の上で

進化を起こす。

 

そういった「企業」が

増えることこそが、

これからの時代を

創る若者達を

活性化させる

最も重要な方法だと

思っている。

 

逆に言えば、

そういった「企業」が

増えなければ、

若者達の本来の力は

発揮されない。

 

若者達の本来の力

を発揮できる

「企業」

を増やさねば

ならない。

 

しかし、

現時点では

どうすれば進化できるか?

を明確に知る「企業」は

 

実に少ない。

 

だから、

そういった「企業」を

増やすことに

私は邁進する。

 

そしてこれは当然

私一人でできることでは

なく、

進化をサポートできる

「コーチ」を

増やすことも

必須だ。

 

そして

「コーチ」の

最低条件は、

 

進化とは何か?

 

どうすれば

進化できるか?

 

を知っていること

だ。

身をもって。

 

それを知るために

絶対的に必要なのが、

 

進化のための

セルフコーチング

 

だ。

 

進化のための

自分との向き合い方

 

であり、

 

進化のための

自己マネジメント

 

だ。

 

セルフコーチング法を

広めることが、

やはり

肝要だな。

 

つづく

 

上手くやろうとすんなよ

 

混乱。

 

そして、

 

混沌。

 

これらは、普通、

誰もが

嫌うものだ。

 

混乱するよりは

スムーズに進みたい。

 

と、普通は

思うだろう。

 

もちろん私も

そうだ。

 

ただ、

私はあえて

混乱や混沌を

その人や

その組織に

もたらすことを

大事にしている。

 

ちょっと極端に

言えば、

 

混乱・混沌をもたらす

人が「コーチ」である。

 

くらいに

思っている。

 

もちろんそれは

良い混乱

であり

良い混沌

だ。

 

「良い」とは

つまり、

「進化へとつながる」

ということ。

 

結果として

これまでよりも

次元を高めた

「調和へとつながる」

ための

混乱であり

混沌だ。

 

・・・・・・

 

混乱・混沌を

恐れる人は

結果として、

その心の内では

混乱・混沌が

大きくなる。

 

という傾向を

私は企業サポートの

現場で、

いやというほど

見てきた。

 

例えば、

人間関係を上手く

収めよう、

いつも努力している

人ほど、

 

表面上の関係を

繕うだけで、

心の内面では

そこにいる皆の中に、

日々、

混乱・混沌、

そして怒りや苛立ちが

増幅する、

 

という現実を

創り出してしまう。

 

しかも本人は

それに気づかない。

 

しかし、

望んでいない

出来事が

日々、

次々に起こってしまう。

 

自分は毎日

こんなにも

頑張っているのに、

なんで

悪いことばかりが

起こるのだろうか。

 

と、

その人は

悩んでいる。

 

実は自分が

すべての原因で

あることに

本当に

気づいていない。

 

混乱・混沌への

恐れは、

ますますの

混乱・混沌の増長と

共に、

麻痺すらも

起こす。

 

だから私は

わかりやすく

混乱・混沌が

起こりやすい状況を

創っていく。

 

いや、

そう書くと大変

おこがましいな。

 

私が創る

のではない。

 

私はただ、

「自業自得」が

働きやすい状態に

サポートする

だけだ。

 

真本音度合いが

高まれば、

自業自得が

起こりやすくなる。

 

自業自得と言うと、

悪い印象が

あるかもしれないが、

私はこれこそが

健康な状態

だと思っている。

 

調和に向かう

ことをすれば、

ちゃんと物事が

調和し、

 

不調和に向かう

ことをすれば、

ちゃんと物事は

不調和していく。

 

この状態が

できて初めて、

人は

健康的に進化を

始めるからだ。

 

子どもの育成

と同じ。

 

悪いことを

すれば

叱られるし、

 

良いことを

すれば

褒められる。

 

それを

親が行なうのでは

なく、

「現実」が

わかりやすく

行なってくれる。

 

これが

自業自得が機能

している状態だ。

 

自業自得が

機能するように

なれば、

 

必然的に

これまで

誤魔化し誤魔化しで

来たことが

そうはいかなく

なる。

 

次々に

不調和が起こり、

混乱・混沌が

増えてくる。

 

しかしそれは

本当に

一時的なものだ。

 

混乱・混沌の

おかげで、

自分が何を

修正し、

何をさらに進めれば

良いか?

よ〜くわかる。

 

それがわかれば、

日々、

面白いように

現実は

調和していく。

 

こういったことを

意図せずに

意図的に

もたらす

(意味、わかっていただけるかな?)

のが

「コーチ」だと

私は思っている。

 

つづく

 

新しい世界に行こうではないか

 

新しい世界に

最初に降り立つ

というのは、

とても勇気の

要ることだ。

 

そこには

何があるのか、

さっぱり

予測ができない。

 

予測ができる

ということはもう

その時点で

新しい世界では

ない。

 

予測ができる

ということはもう

その時点で

「超えていない」。

 

完全に、

自分の範疇を

超えているので

あれば、

予測は不可能だ。

 

むしろ

予測をしない

方がいい。

 

自分の範囲よりも

大きな場所に

いるのだから、

自分の範囲で

考えることは

危険である。

 

予測し意図を持つ

ことはむしろ

死を意味するかも

しれない。

 

だから

開き直る。

 

しかない。

 

開き直って、

予測ではなく、

「創造」に

集中する。

 

つまりは、

 

私は何をここで

創り上げたいか?

 

その、

願いのみに

意識を集中し、

行動を集中させる

しかない。

 

あとは、

人智を尽くして

天命を待つ。

 

煮るなり焼くなり

好きにしてくれ。

 

と、

開き直るしかない。

 

そして

その状態に

入った時に初めて、

 

一瞬、

 

すべてがわかる。

 

という体験が

ある。

(かもしれない。)

 

理屈で

わかるのでは

ない。

 

完全に

意識化できる

わけでもない。

 

でも

たった一瞬でも、

 

すべてがわかる

 

のだ。

 

その一瞬の

確信のみで、

私達は

毅然と進む

ことができる。

 

・・・・・・

 

私達は

今、

ここにいる。

 

という

紛れもない

現実がある。

 

そもそも

その現実を

受け入れていない

人が多い。

 

そういった人は

皆、

自分の「思考」の

世界に

入り浸っている。

 

目の前の

Aさんの表情を

見ることよりも、

 

Aさんとは

こういう人だ、

 

と解釈する方を

優先する。

 

Aさんを

見つめているような

振る舞いはするが、

 

実は

Aさんではなく、

Aさんに対する

自分の解釈のみを

見つめている。

 

これでは

Aさんとの関係性に

変化は

訪れない。

 

Aさんと共に

「新しい世界」

入ることもない。

 

一生。

 

本当に、

そんな人生で

よいのか?

 

自分の狭い

解釈の世界の中に

いるだけの

人生で

よいのか?

 

それで、

人生を終える

瞬間に、

満足感は

得られるのか?

 

自分の人生の

目的を果たせたと、

魂の悦びに

震えることは

できるのか?

 

・・・・・・

 

私達は

生きている。

 

生きる

とは

進化である。

 

進化の悦びを

得る、

ために

今ここにいる、

 

というのが

私達人間の

厳然たる事実

である。

 

と、

私は

人と向き合う現場で

確信できた。

 

ありがたい

経験だった。

 

人と向き合い

ながら、

自分と

向き合うことが

できた。

 

今のこの

お仕事に

本当に感謝

している。

 

明日向き合う人

と、

私はどのような

会話をするのだろう?

 

そして

どのような

「新しい世界」への

扉を

開くのだろう?

 

いったい

何を

創造したいと、

願うのだろう?

 

つづく

 

その道ではないよ

 

無理矢理に

進むことは

良くない。

 

川が

川上から川下へ

流れていくように、

 

自然の摂理に

沿って

流れて行けば

いい。

 

普通に

流れればいいのに、

私達はついつい

余分なことをする。

 

時には

川下から川上へ

上ろうとしてしまう。

 

当然、

それには困難が

伴う。

 

その困難を

越えることが

成長である、

と考える向きも

あるが、

 

どうしても

私にはそれは

自己満足に

見えてしまう。

 

ちゃんと自然に

流れて行けば、

その流れに

乗ることで

発生する

「進むための課題」

が来る。

 

自然に流れる

からこそ、

 

進むからこそ、

 

目の前に

立ちはだかる

課題が来る。

 

どうも

その課題から

逃げるために、

あえて

川下から川上へ

向かい、

 

「俺は

すごいだろ」

 

「俺は

頑張っているだろ」

 

「俺は

挑戦しているだろ」

 

とやっている

人が多いのが

現実ではないだろうか。

 

あなたのその

悩みや課題は、

あなたが今、

本当に取り組む

ものなのか?

 

それが

あなたの人生

であり、

 

あなたの

真本音の願い

なのか?

 

・・・・・・

 

自然に流れる

というのは

楽なことであるが、

 

しかし

楽なことでは

ない。

 

「進む」

という意味では

楽に進めるので

あるが、

 

いつも言うように、

人間とは

「進化を望む」

生き物だ。

 

進化のために

乗り越える壁を

私達は

自ら自分に

課す。

 

それが

楽ではない。

 

楽だったら

課題とは

言えないから。

 

しかし。

 

楽ではないが、

それとしっかりと

真正面から

向き合えば、

 

それに

真正面から

取り組めば、

 

その一歩一歩

魂に満ちるような

充実感が

生まれる。

 

それを感じながら

日々、進むことは

とても

楽である。

 

楽では

ないけど、

とても

楽。

 

という状態に

入る。

 

「進む」

とは

「安定」

である。

 

自転車が

前に進んでこそ

安定するように、

 

前に進むことで

感じることのできる

安定こそを

私達は皆、

求めている。

 

・・・・・・

 

進めば進むほど、

不安定さを

感じる

その方向に、

 

本来の

道はない。

 

それは

あなたの進む

道ではない。

 

もっと

安定を

求めればいい。

 

ただしその

安定は、

止まることによる

安定ではない。

 

進もうと

決意することだけで

安定感を得る、

その道だ。

 

川下から

川上へ進もうと

している人は、

自分を

偽っている。

 

本当は

その道は違う、

とわかっているのに

自分を偽り

その道に進もうと

する。

 

もう一度

言おう。

 

あなたの

その道は

あなたの

道ではない。

 

もっと

あなたには

安定の道が

あるはずだ。

 

もっと

ぐんぐんと

進める道が

あるはずだ。

 

もう、

自己満足の

進み方をするには

もったいない

時代に入った。

 

これからは

川の流れが

とことん速くなる。

 

早くその流れに

乗ることだ。

 

あなたの

人生の流れ

だ。

 

それを

つかむことだ。

 

そのためには、

本当は

あなた自身が

よくわかっている

あなた自身の

真の課題に、

 

勇気を持って

向き合うことだ。

 

つづく

 

想像のつかない世界へ

 

海の中を

自由に泳ぐ力と

 

空を

自由に飛べる力の

 

どちらかを

あげる、

 

と言われたら、

あなたは

どちらを選ぶかな?

 

私は

山とか自然が

大好きなので、

たくさんの自然を見るために

空飛ぶ力が

手に入るといいなぁ、

思うが、

 

その一方で、

 

まったく未知の世界

である

海を自由に泳ぐ力

もほしいなぁ、

とも

思うね。

 

で、結局

「未知」

の方を選ぶと

思う。

 

だって

想像がつかない

から。

 

若い頃、私は

海外を

1年半ほどかけて

ゆっくり旅した

ことがある。

 

ヒマラヤにも行き、

エベレストを

この目で

見てきた。

 

標高5〜6000mの

空気が

どんなものか、を

体験することも

できた。

 

もちろんすべての

世界や自然を

見たわけではない。

 

すべての国を

見たわけでも

ない。

 

でも、

何となくであるが、

想像は

できる。

 

この地球の

地表世界が

どんなものか、は。

 

そして、

宇宙にももちろん

行ったことは

ないが、

写真やテレビでは

知っているので

 

やはり

想像はできる。

 

しかし、

海の世界は

謎である。

 

実際、

現時点では人類は、

海の世界はまだ

ほとんど何も

知らないらしい。

 

その

「想像できない」

というのは

魅力である。

 

自分の範疇を

超えた世界。

 

想像の範疇

すら超えた

世界。

 

私はそういった

ものに

憧れる。

 

あなたは

どうだろうか?

 

・・・・・・

 

未知なものに

憧れる

というのは

私達人間の本能

の一つである。

 

深い谷間に

生まれた人が、

 

谷を挟んでいる

山の尾根の

その向こうには

何があるのだろうか?

 

見てみたくなる、

その気持ちは

誰にも湧いてくる。

 

健康であれば。

 

なぜなら

私達は

「進化」の反映

だから。

 

「進化したい」

という願いや

祈りが

カタチとなって

現れたものが

 

私達人間だ。

 

・・・・・・

 

いや、

私は進化など

したくない。

それよりも、

毎日、

安定していたい。

平穏な日々が

同じ日々が

毎日永遠に

続いてほしい。

 

・・・と

言う人もいるだろう。

 

もちろん

私の中にも

それはある。

 

未知の領域

ではなく、

安心の領域に

留まりたいという

欲求がある。

 

しかし

私は思うのだ。

 

この

安心欲求というのは、

 

あくまでも、

 

進化欲求を

助長するために

存在しているのでは

ないか、と。

 

どういうことかと

言えば、

 

もし私達に

進化欲求しか

なければ、

 

未知の領域への

欲求しか

なければ、

 

私達は

危険極まりない

行動・選択ばかりを

するだろう。

 

それでは

生き延びることは

できない。

 

結果として、

進化もない。

 

進化とは

持続性が

必須である。

 

持続して初めて

進化は

自然に成されていく。

 

私達の進化は

私達だけで

終わるわけでは

ない。

 

私達の次の世代

に引き継ぎながら、

 

命を

つなぎながら、

 

永遠に続いて

いくものが

進化である。

 

そのためにも、

安心欲求は

必須である。

 

そして

それがあるからこそ、

進化は

着実に

成されていく。

 

安心が

あるからこその

進化。

 

進化を望む

からこそ必要な

安心。

 

人間とは

まったくもって

よくできている。

 

・・・・・・

 

人と向き合う

ことは

人間探究の旅

である。

 

しかしそれは

自己満足では

まったく

意味がない。

 

探究して

見つけたことは

その次の瞬間に

すぐに

活かす。

 

気づき、

活かす。

 

そしてまた

気づき、

活かす。

 

その連続。

 

それが

「コーチ」という

仕事である。

 

「コーチ」という仕事は

常に自分を

未知の領域へと

いざなってくれる。

 

昨日もまた、

コメント

いただきました。

 

ありがとうございます。

 

まだ返信

できていない人も

います。

 

最善のタイミングで

返信させて

いただきます。

 

コメントは

いつでも

お待ちしております。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

コーチ探し、始めます

 

「コーチ」とは

人をサポートする

役割であるが、

 

まずもって

自らが

その見本とならねば

ならない。

 

「自分の人生を生きる」

見本である。

 

「真本音で生きる」

見本である。

 

「一つ一つに魂を込める」

見本である。

 

ただし、

完璧でなくても

いい。

 

第一、

私達人間に

「完璧」

はない。

 

なぜなら私達は

進化する存在

だからだ。

 

進化に

完成はなく、

完璧もない。

 

だから「見本」

とは、

「誰よりも

進化スピードが

速い」

という

見本である。

 

クライアントさん

よりも、

自分自身の

成長・進化度合いが

高いからこそ、

 

良いコーチングが

できる。

 

最大速で走る人

のみが放つ

空気感と

エネルギーが

ある。

 

それが、

人に本質的な

影響を与える。

 

それが

本来の「コーチ」

である。

 

・・・・・・

 

・・・と、

私は信じて

ずっとやってきた。

 

もちろん

私自身、

とても不甲斐ない

人間であるし、

 

誰よりも

弱っちいところや

ヘナチョコのところを

たくさん

持ち合わせている。

 

以前は

そんな自分に

ダメ出しをしたり、

そんな自分を

責め続けていたが、

 

今はそんな

無駄なことに

時間は費やさない。

 

あるがまま

でいい。

 

でも、

最大速で日々、

進もうとする。

 

それを

一日一日

真本音で、

真剣に

やり続ける。

 

理想通りに

物事は進まないし、

 

理想的な

自分でもない。

 

でも、

誰もが

最善を尽くす

ことはできる。

 

私はそれを

やり続けた。

 

もちろん最初は

ずっとずっと

肩に力が

入り過ぎていたが、

 

幸いなことに

私は

不器用だった。

 

だから、

上手く事を進める

術を知らず、

 

たくさん

ぶつかり、

たくさん

悩み、

たくさん

挫けた。

 

で、ある時に

フッと

力が抜けて、

 

自然体が

どういうことか?

感覚として

知ることができた。

 

もちろん今も

私は

発展途上である。

 

数年後の私から

今の私を見れば、

 

何たる未熟者か、

 

と思うだろう。

 

でも

それでいい。

 

今の私だからこそ

できることがあるし、

 

今の私だからこそ

出せる最善が

ある。

 

最善を尽くすのは

疲れることでは

ない。

 

最善を尽くすこと

こそが、

自然体で

楽で

肩の力を抜ける

状態だ。

 

ということを

多くの人に

経験してもらいたい。

 

そして、

不器用でも

弱っちくても

いいから、

 

とにかく

前に前に

進み続ける。

 

最大速で

進み続けようとする。

 

出せる

最善を尽くす。

 

そんな人に

「コーチ」に

なってもらいたい。

 

そんな

気概のある人、

 

私に

ご連絡ください。

 

このブログの

コメント欄に

コメントをいただければ、

返信いたします。

 

これまでは

あえてそれを

してきませんでした。

 

でもここからは

少し変えます。

 

ただし、

真剣さの感じられない

ものについては

返信しないかも

しれませんので、

ご了承ください。

 

コメントいただいた

方の中で、

直観的に

「会わねば」

と感じた方とは、

 

直接お会いさせて

いただくかも

しれません。

 

つづく

 

迷いの真っ只中にいます

 

人生は

試行錯誤の連続

である。

 

悩み、迷い、

それでも決断し、

やってみて

結果が出て、

また、迷う。

 

その連続。

 

真本音度合いが

高まると、

それがなくなるのですか?

 

と、時々

訊かれるが、

 

それは

なくならない。

 

何も

変わらない。

 

えぇ〜?

じゃあ、意味ないじゃん。

思われるかもしれないが、

そうではない。

 

試行錯誤には

2種類あるからだ。

 

つまりは、

どれだけ試行錯誤しても

前には進めない

という

試行錯誤がある。

 

同じところを

グルグル回り続ける

試行錯誤だ。

 

これは本当は

試行錯誤とは

言わない。

 

停滞、

と言った方がよい。

 

もう一つは、

手応えのある

試行錯誤だ。

 

これは、

試行錯誤自体に

とてつもない充実感を

得る。

 

とはいえ、

あくまでも試行錯誤

なので、

本気で悩むし

本気で迷う。

 

しかし、そこを越えて

自分なりの決断ができると、

目の前の視界が

一気に開ける。

 

それはまるで、

すべてから

解き放たれ、

すべてから

自由になれたような

そんな感覚。

 

これを私は

「脱皮」

と呼んでいるが、

 

この、脱皮を伴う

試行錯誤が

本来の試行錯誤だ。

 

真本音度合いが

高まるということは、

 

「停滞の試行錯誤」が

なくなり、

 

「脱皮の試行錯誤」のみが

始まる

 

ということになるのだ。

 

・・・・・・

 

もちろん、

悩むのも

迷うのも

苦しいことだ。

 

できれば、

悩みも迷いも

まったくない

人生がいい、

と思うだろう。

 

しかし人間、

面白いもので

そういった意味での

安定を得ると、

途端に

生きがいを失くし、

「自分」を失くす。

 

生きがいとは、

生きる意味を

感じていること。

 

生きる意味を

感じない人生は

誰もが

放棄したくなる。

 

「私は安定を

求めます」

誰もが言う。

 

安定のために

がんばっている人は

多い。

 

しかし、

そういった意味での安定を

実際に手に入れてしまうと、

残念ながら

冒険したくなるのが

人間だ。

 

実はここで言う

安定

は、本来の安定では

ないからだ。

 

・・・・・・

 

本来の安定とは、

自転車のような

ものである。

 

つまりは、

進み続けることで

安定する。

 

止まってしまうと

倒れてしまう。

 

それが自転車であり、

人間も

同じようなものだ。

 

ということを、

何万人という人達と

向き合うことで

私は実感した。

 

私達は

「進むことによる安定」

最も望む生き物

なのだ。

 

恐らくこれが

宇宙の摂理

だ。

 

だから私は

人間の本能の中心は

「進化」

であると思っている。

 

・・・・・・

 

進化が始まると、

誰もが

イキイキする。

 

目は輝き、

その人らしさが溢れ、

「毎日が楽しくて

しょうがありません」

と言う。

 

進化が止まると、

途端に人は

元気を失くすし、

輝きを失くす。

 

それは

あまりにも

顕著だ。

 

顕著すぎて

笑ってしまう。

 

そして、

進化にどうしても

必要なのが

「試行錯誤」

である。

 

もちろん

「脱皮の試行錯誤」

だ。

 

真本音で生きる、

とは

そういった

私達人間の本能に

素直に生きる、

ということで、

 

それにより

多くの人達の人生は

冒険的になる。

 

冒険、

と言っても

決して、無茶は

しない。

 

真本音は

「できることしか

しない」

のだ。

 

しかし、

素直にそれを

やり続けると、

側から見れば、

 

「あの人

無茶だ」

 

と思われることは

しばしばあるが。

 

でも本人は

決して

無茶はしていない。

 

できることを

着実に

日々、行ない続けて

いるだけ。

 

しかもそれは

自分にとって

最も「適度」な

刺激を伴いながら。

 

だから、

楽しい。

 

真本音の人生に

入ると、

すべてが楽しくなる。

 

そういった人生は

誰もが、

つまりは全員が

手に入れることが

本当はできる。

 

・・・・・・

 

実は、

今の私は

試行錯誤の真っ只中

にいる。

 

迷いの

真っ只中だ。

 

手がかりが

つかめない。

 

まったく

つかめない。

 

だからこそ、

とてつもなく

面白い。

 

と、

素直に感じることが

できるのは、

ずっと真本音で

生きてきた成果かな、

とも思う。

 

つづく

 

完成がゴールではない

 

仕事の合間に

目を閉じますと、

時々私は

大自然の風景を

観ることがあります。

 

それはまるで

目の前に本当に

展開しているかのように、

 

というよりも、

実際の現実よりも

さらにリアルに

存在感いっぱいに、

 

目を瞑った私の眼前に

現れます。

 

すると、

とてつもなく

心が洗われます。

 

今日、私が観たのは

広大な海。

 

海を観続けていたら、

海から島が

隆起してきました。

 

その島はどんどん

拡大し、

成長し、

ついには大陸に

なりました。

 

するとその大陸に

緑が芽生え、

それは大陸全体に

広がりました。

 

そこで様々な

生命が生まれます。

 

海にも

数え切れないくらいの

生命。

 

そして、

空にも鳥が

飛び交い、

 

大自然は

生命に満ち溢れます。

 

そんな光景を

目の当たりにしながら、

私はその「大自然」の

祈りの声を

聴いた気がしました。

 

その祈りとは、

言葉にすれば、

 

『すべてのものが

未完成で

あり続けますように』

 

でした。

 

・・・・・・

 

大自然は

未完成です。

 

もちろん

私達人間も

未完成です。

 

どれだけ成長しても

どれだけ進化しても

未完成のままです。

 

そこにこそ

価値も意義も

あります。

 

完成は

ありません。

 

人間として

完成する、

ということは

あり得ないのです。

 

それなのに、

多くの人が

自分の未完成ぶりを

嘆きます。

 

嘆くだけでなく、

未完成な自分を

責め続ける人も

います。

 

未完成だからこそ

素晴らしいのに。

 

未完成なのが

人間であり

大自然であるのに。

 

そこを否定する

というのは、

宇宙のすべてを

否定するのに

等しい

傲慢さです。

 

・・・・・・

 

未完成を楽しむ、

というのが

人生を楽しむという

ことの本質でしょう。

 

未完成だからこそ

私達は

進むことができます。

 

昨日とは

違う自分。

 

昨日よりも

成長した自分。

 

を、永遠に

楽しむことができます。

 

それをもし

「疲れる」と感じるならば、

その人は、実際には

成長できていない

からこそ、

疲れるのです。

 

成長・進化とは

パワーです。

 

無尽蔵の

エネルギーの

源です。

 

今のレベルが

どうか?

 

よりも、

 

今の成長度合いが

どうか?

 

によって、

その人の放つ

魅力もパワーも

変わってきます。

 

本当に

魅力ある人とは

成長・進化し続ける

人のことです。

 

完成された人

のことでは

ありません。

 

もちろん、

完成など

あり得ないのですが。

 

・・・・・・

 

未完成であることを

見くびっては

いけません。

 

未完成であることは

私達の誇り

です。

 

人間の尊厳

です。

 

未完成は

完成を超える

存在です。

 

つづく

 

達成で終わる喜びだけでは・・・

 

真本音で生きる

ことは

幸せですか?

 

と問われる

ことがあります。

 

もちろん幸せ

ですよ。

 

と答えるのですが、

 

では、

何が幸せですか?

 

と問われると、

一瞬、返答に

窮することがあります。

 

なぜなら、

何が?

と言われても、

すべてが、

としか言いようが

ないからです。

 

しかし、

すべてが

という答えほど

曖昧な表現も

ありません。

 

もっと明確に

ならんかな?

と思うのですが。

 

・・・・・・

 

すると、

次にはこう

問われたりします。

 

ということは、

すべてが理想通りに

いくのですか?

と。

 

いや〜、

もちろんそうなると

良いのでしょうが、

残念ながら

理想通りに事が進むことは

ほぼ、

ないのです。

 

「理想」は

大事なのですが、

「理想」とは所詮、

今の自分が解釈する

最高の状態

にしか過ぎません。

 

例えば、

10年後の自分の理想と

今の自分の理想は

変化する可能性が

ありますね。

 

下手をすると

真逆になることさえ

あります。

 

自分にとっての「理想」

とはどのようなものか?

というのは、

実はかなり曖昧です。

 

ただ、

今の自分なりの「理想」

を描くこと自体は

大事なのですけどね。

 

・・・というようなことを

踏まえた上で

もう一度言うと、

理想通りに進むことなど

ほぼ、ありません。

 

この3次元の世界に

おいては、

理想がそのまま

現実化するという状態は

滅多には実現しません。

 

そのように

できています。

 

もっと言えば、

そのように

私達の真本音が

決めているのです。

 

つまりは、

私達の真本音は

理想通りにいかないことを

望んでいます。

 

かと言って

不幸になることを

望んでいるわけでも

ありません。

 

理想と現実の

ギャップを楽しむ、

ことを

真本音は望んでいますし、

 

私達の解釈でしかない

理想を

超えていくことをまた、

真本音は望んでいる

のです。

 

以前は

ああいうことが理想

だったのに、

今の私は変わったなぁ。

今は、

こういうことが理想だな。

 

・・・という変化を

私達の真本音は

楽しみます。

 

そして、

「理想通りに物事が

進むこと」

を望むのではなく、

「自分にとって

本当に必要な

試行錯誤を続けること」

望んでいるのです。

 

ですから、

真本音の人生には

次々に課題が

現れます。

 

しかしその課題に

真正面から向き合い、

最善だと思う一歩一歩を

進むことに、

私達の真本音は

無上の悦びを得るのです。

 

なぜなら

私達の本能の中心は

「進化」だからです。

 

物事の「達成」とは

「進化」のための

ステップに過ぎません。

 

「達成」はとても

大切です。

 

しかし、

「進化」につながらない

「達成」では、

私達の真本音は

悦びません。

 

「進化」につながる

試行錯誤と

一つ一つの達成を

私達は

真から望んでいるのです。

 

・・・・・・

 

そういった意味で、

真本音で生きると、

日常で起こる

あらゆる現実が

「幸せ」となります。

 

一歩一歩の

試行錯誤にこそ、

深い悦びを感じます。

 

もちろん、

何か達成した時も

強い喜びを得ますが、

 

真本音で生きている人は、

達成の喜びの

その瞬間に、

もう次の未来へと

視線を向けています。

 

反応本音レベルで

それをしようとすると

非常に疲れてしまう

のですが、

 

真本音でそれを

続けることは、

私達の中に眠っている

無尽蔵のパワーを

掘り起こすことに

直結します。

 

う〜ん。

 

しかしやはり

言葉にするのは

難しい。

 

説明しようとすると、

なんか堅く

なっちゃうね。

 

説明なしに

ただただ感覚的に

お答えすると、

 

真本音で生きるとは、

すべてにおいて

満たされた幸せを

感じることなんです。

 

まぁ、

体験するしか

ないかな。

 

人間であれば、

誰もが当たり前のように

体験できることなので。

 

つづく

 

真本音で始めよう

 

人が

人として

最も魅力的なのは、

 

「進もうとする意志」

 

に素直に生きている

時なんだな、

と、

 

やはり私は

つくづく思います。

 

現時点での

自分のレベルが

どうであるか?

よりも、

今、どれだけ自分が

進化に対して

真剣か?

 

やはりここに

尽きるのだと

私は思います。

 

本日、

 

『ザ・セルフ』

 

という新しい講座が

始まりました。

 

始まりというのは、

やはり

いいですね。

 

これまで

進んで来たけれでも、

さらに加速して

進みたい人。

 

これまで

進もうとして来たけれど、

それが叶わず、

自分がどの方向に

進めば良いか?が

わからない、

しかし、

それをとにかく見つけて、

進みたい!と

願う人。

 

いずれにしても

進化に対して

とても真剣です。

 

そういった人達と

共に過ごす場は、

やはり

とてつもなく

私は幸せです。

 

『ザ・セルフ』は

恐らく、

私のライフワークに

なると思います。

 

本当にまだ

始まったばかりで、

これからが

試行錯誤の繰り返し

でしょうけども、

 

この講座自体が

様々なカタチに進化

しながら、

広がり深まって

行くのだと思います。

 

赤ん坊が

生まれた感覚。

 

この赤ん坊を

これから皆さんと共に、

ゆっくりじっくりと

育てて行くつもりです。

 

・・・・・・

 

今年は私は

株式会社真本音を

立ち上げました。

 

そして今回、

新たな講座も

始まりました。

 

さらに、

新しいクライアント企業様での

サポートも

何社か始まっています。

 

今の私のテーマは、

 

「始めよう」

 

なのだと思います。

 

ですから、

さらにこの後も

様々なことを

始めます。

 

実は、

 

最近、一つ新たな夢が

できました。

 

もちろん、本当は

その夢は

私の中に最初から

存在していのだと

思いますが、

 

それがほんの

数日前に

顕在化しました。

 

その夢は

私のもともとの

人生ビジョンと

直結するものです。

 

夢が顕在化

したことで、

新たな理念も

言語化できました。

 

新たな私として

日々が

始まっています。

 

こういった

毎日は、

本当にヒリヒリするくらいに

楽しいですね。

 

つづく

 

どんな人だって本当は花開く

 

人は一気に

 

「花開く」

 

ことがあります。

 

これまでのその「花」は

閉じていたのですから、

「花」が開けば、

その人はまるで

別人に生まれ変わった

かのように

周りからは見えます。

 

もちろんそれは、

ただその人の中に

眠っていたものが

開いただけのこと

ですから、

 

その人は

その人のままです。

 

別の存在に

なるわけでは

ありません。

 

しかも当の本人は

自分が大きく変化した

という自覚を

まったく持たないケースさえ

あります。

 

昨日までの自分と

今日の自分は

何も変わらない。

 

と本人は

思っているのに、

周りからは

「あの人、生まれ変わった」

と見られるのです。

 

人の面白さと

人間関係の面白さは

こんなところにも

あります。

 

・・・・・・

 

「私、花開きたい!」

 

と本人が意図している

うちは、

残念ながら

本当の意味で「花開く」

ことはありません。

 

よく

「私はこんなところが

変わりました!」

と喜び勇んで

報告してくる人がいますが、

 

残念ながらその多くは、

自己アピールの域を

出ません。

 

とはいえそれが

いけないことであると

私は思っていません。

 

自己アピール自体は

全然OK。

 

ただ、

自己アピールに余念の

ない人が、

肝心の「花開く」チャンスを

自己アピールのために

逸してしまっている場面も

多く拝見しました。

 

そうならないといいな、

とは思います。

 

・・・・・・

 

人が本当の成長(進化)を

遂げているときは、

その人の意識は

「自分」には

向いていません。

 

その人の意識は

内側へは向いていません。

 

常に

「外」に向かっています。

 

「社会」に

向かっています。

 

この世の中で

自分がすべきことや

本当にしたいことに

集中しています。

 

しかしこういった書き方を

すると

次のような誤解も

生まれやすいです。

 

「ということは、

自分とは向き合わない

方がいいのか」

 

「周りのことだけを

考えればいいのか」

 

というような誤解です。

 

これについては

まったく逆です。

 

自分自身と

向き合い続ける人ほど、

社会とも現実とも

向き合えるのです。

 

本当に

自分と向き合っている

人は、

 

自分の素敵な部分も

自分の素敵ではない部分も

すべてを

「あるがまま」に

捉えることができます。

 

それが本当にできると

実に面白いことが

起こります。

 

つまりは、

そこまで自分と向き合うと、

 

「自分のことなど

どうでもよくなる」

 

のです。

 

成長しようが、

しまいが。

 

プラス指向だろうが、

マイナス指向だろうが。

 

元気があろうが、

疲れていようが。

 

「どちらでもいいや」

 

となるのです。

 

そして、

「それよりも

自分のやるべきこと

やりたいこと

を粛々と進めよう」

となるのです。

 

この状態こそが、

意識が外に向いている

状態です。

 

逆に、

自分自身と

中途半端にしか

向き合っていない人は、

多くの場合、

 

自分の都合の良い

部分にしか

目を向けなくなります。

 

ということは、

自分の見たくないものには

フタをします。

 

そして

フタをしている自分を

本当はよくわかりながらも

それを

誤魔化そうとします。

 

誰に対して誤魔化すかと

言えば、

自分自身に対して

誤魔化そうとします。

 

その結果、

 

「私はこんなところが

成長できた!」

 

という自己アピールに

なったり、

 

「私はこんな

社会貢献をしている!」

 

という、

これも自己アピールに

過ぎない状態と

なったりします。

 

つまりこれは、

意識が内側に

向かっている状態です。

 

内側を誤魔化すために

外に向かう

フリをしているのです。

 

当然ですが、

 

本当に意識が

外に向かっている人は

外(現実)がよく

観えていますから、

結果として「調和」が

次々に起こります。

 

そして、

外に向かっているフリ

をしている人は、

きちんと外(現実」が

観えていませんから、

「不調和」が

起き続けます。

 

似て非なるもの。

 

この違いは

大きいですね。

 

・・・・・・

 

意識を外に向ける

ためには、

 

まずは徹底的に

自分自身と向き合う

こと。

 

私が

セルフコーチングを

推奨する理由は

ここにあります。

 

自分と向き合う

とは

現実と向き合う

同義語なのですね。

 

それができる人こそが

自然に花開きます。

 

そんな人を私は

増やしたいのです。

 

つづく

 

周りは進まなくても、自分は進もう

 

今の世の中、

残念ながら

「進もうとしない人達」

は、たくさんいます。

 

「進もうとしない」

とは、

進化の道を行こうとしない

ということです。

 

そういった人は

進化よりも

膨張への道を

ひた走っています。

 

膨張とは、

規模のみが大きくなったり

影響力のみが大きくなったり、

つまりは

中身が伴わない

成長のことを言います。

 

次元の上がらない

現実レベルだけの成長を

言います。

 

例えば、

企業で言えば、

売上や業績が上がり続けると、

「このまま行けばいい」

と思ってしまいがちです。

 

現実レベルで

「上手くいく」

という状態に入ると、

人は

進化を止めてしまう

可能性があるのです。

 

しかし、

膨張の先には必ず

「破裂」

があります。

 

膨張しきった上で

破裂するのです。

 

現実が壊れて

いくのです。

 

例えば、

わかりやすい例では、

売上が上がって

いい気になっていたら、

ある日を境に突然に

商品が売れなくなってしまった

とか。

 

業績が上がって

いい気になっていたら、

ある日、突然に

社員さんが大量離脱

してしまった、とか。

 

中身のない成長には

必ず

「終わり」

が来るのです。

 

それが、

自然の摂理です。

 

・・・・・・

 

永続的成長。

 

それが「進化」の

道です。

 

「次元を上げ続ける」

道です。

 

ところが、そこに本気で

進んで行く人は

現時点では

まだまだ少ないのが

今の世の中です。

 

本当は、

進化の道に

入った方が、

私達人間はとても

楽なんですけどね。

 

とても心が

満たされるし、

人としての根本的な幸せを

日々、感じ続けることが

できるのですけどね。

 

それがあるが故に

永続的に、そして自然に

成長できるのですけどね。

 

でもなかなか

そうはならない人が

多いです。

 

でも、一方で

一部とは言え、

進化の道を本気で

進もうとしている人も

います。

 

今はそういった人が

急増している状態です。

まだまだ割合的には

少ないですが。

 

ところが。

 

最近、一つ困った傾向が

現れてきています。

 

進化の道に入った人が、

周りの人達を見て、

皆があまりにも

進化とは真逆な方向に

進もうとしているので、

 

「失望」

してしまっているのです。

 

ガックリ

してしまっているのです。

 

そしてある意味、

クサってしまっているのです。

 

進化の道に入る人は

自然の流れとして、

周りの人達も

進化の道に入れるように

サポートを始める人が

多いです。

 

「共に進化して行こう!」

と思うのですね。

 

そして、

周りの人達に力を注ぐ

ようになるのですが、

 

その周りの人達が

あまりにも

進もうとしないので、

クサってしまうのですね。

 

気持ちは

わかります。

 

実は私も

何度も何度も

クサりかけました。

 

気持ちはわかりますが、

 

ここは

あきらめずに

がんばりましょう。

 

私達がクサってしまったら、

それで終わってしまいます。

 

すべてが

止まってしまいます。

 

まずは、

私達は私達自身を

幸せにしましょう。

 

周りがどうこうではなく、

まずは

私達自身が

自らの進化の道を

自ら、味わい

楽しみ尽くしましょう。

 

その姿が

周りの人達に与える

影響は

測り知れないです。

 

そして、

何が起ころうとも、

何か起きなくても、

私達は

自らの行動の一つ一つは

 

真本音で

決め、

真本音で

実行しましょう。

 

それを日々、

今この瞬間、

やり続けるだけです。

 

物事は、

意図したように進まない

ことばかりです。

 

であれば、

意図を手放して

しまいましょう。

 

そしてただ純粋に

今この瞬間の

自らの真本音の意志に

自分自身を

委ねてしまいましょう。

 

それをし続ければ、

意図通りには

進まなくても、

願いは必ず

叶うのですから。

 

つづく

 

もっと自然な成果を出そう

 

私は常に

人や組織の「成長」というものを

・進化

・膨張

という二つに区別しています。

 

かなり極端な言い方で

書きますと、

 

私は

「膨張」では

まったく意味がない

と思っています。

 

そして、

膨張のためのサポートは

頼まれてもやらないと

決めています。

 

まぁ本当は

私の中では全然、極端では

ないのですが。

 

「進化」とは

次元を高めていくことを

言います。

 

面白いことに

このブログでは、

次元を高めることを

幾度となくテーマとしながらも、

これまでに一度も、

次元そのものについては

詳しくご説明していません。

 

ちょっと、かじる程度の

説明はしてるんですけどね。

 

恐らく近々

きちんと説明させて

いただくと思います。

 

取り急ぎここでは

「進化」とは

次元を高めること

だとしておきます。

 

そして、

「膨張」とは

次元は一切高まっていない

状態です。

 

同じ次元、

同じ場所にずっと

います。

 

その状態で、

規模が大きくなったり、

能力のみが高まったり、

経験のみが積み重なったり

する、という

そんな状態です。

 

つまりはですね。

 

規模のみが大きくなること、

能力のみが高まること、

経験のみが積み重なることに

私は

何の価値も置いて

いません。

 

ごめんなさい。

 

本当に極端な

言い回しです。

 

でも、私の中では

本当にそう思って

いるのです。

 

・・・・・・

 

これもよく書かせて

いただくことですが、

私達人間の本能の中心

(もしくは、根底)

にあるのは、

進化への欲求です。

 

もちろんそれが

顕在化している人も

いれば、

していない人も

います。

 

しかし根底には

必ず、これがあります。

 

そして

私達の真本音は

「いかにしたら、私は

進化できるか?」

という視点からの

発想と行動を望みます。

 

つまり、

真本音度合いを高め、

真本音に素直に

日々を過ごすことで、

自然に私達は

進化を続けます。

 

真本音度合いを高める

とは、

進化度合いを高める

こととイコールです。

 

ですから、

先ほどの私の考え方を

別の言い方で表しますと、

 

どれだけ規模が大きくなっても

どれだけ能力が高まっても

どれだけ経験を積んでも、

真本音度合いが

高まらなければ意味がない、

 

ということになります。

 

・・・・・・

 

これも、いつも私が

書かせていただくことですが、

 

真本音度合いが高まる

ということは、

調和性も高まる

ということです。

 

人との調和。

 

現実との調和。

 

それらが

高まります。

 

ですから、

真本音度合いの低い

人達同士が集まれば、

戦いや争いや

足の引っ張り合いや

自己主張のし合いが

多くなります。

 

まったく同じメンバーでも

真本音度合いが高まれば、

共に向き合い、

共に新たな何かを

創り出せるようになります。

 

一般的に

協調性が高まるという

状態ですが、

それは表面的なものではなく、

本質的なものですので、

ただの仲良しこよしでは

ありません。

 

共に、刺激をし合い、

良い意味での

競争をし合い、

共に相乗効果を発揮し合う

ようになります。

 

それが、

調和性が高まる

ということ。

 

一人一人が

自分自身の真本音に

素直に生きれば生きるほど、

そういった現象が

起こります。

 

・・・・・・

 

つまり、

何が言いたいかと

言いますと、

 

真本音度合いが高まり

進化度合いが高まる

ことで、

調和は起きやすくなり、

それが組織であれば、

結果的に

成果につながりやすくなる

ということです。

 

逆に言えば、

真本音度合いを高めず、

進化もせず、

成果のみを上げ続ける

というのは

至難の業です。

 

難易度が

高いのです、

こちらの方が。

 

ですからもう、

難易度の高いことは

やめましょう。

 

・・・・・・

 

人も組織も

「変えよう」

なんて、傲慢なことは

私は思いません。

 

というか、

思えません。

 

ただ、

その人の「本来」が

そのまま表に出る。

 

その組織の「本来」が

そのまま表に出る。

 

そんな状態を

目指して

私はサポートを続けます。

 

つづく

 

プロだから得られる幸せ

 

ちょっと極端なことを

書きますよ。

 

よく、

「プロとは、

自分のできないことを

できない、と

きちんと言える人のこと」

と言われますよね。

 

そうだよな、とは

思うのですが、

しかし一方で

私は、いつも

こう思っているんです。

 

「あぁ、もうダメだ。

私の手に負えない」

 

と思ったところからが

本当のプロの仕事の

スタートだ、

と。

 

逆に言えば、

「もう自分の手に負えない」

と思っていない

ということであれば、

それは

その時点では、

まだ私はプロとしての

仕事をしていないのだ、と

 

ちょっと極端かも

しれませんが、

そう思うのです。

 

だって、

プロって、

その道では

誰よりも「進化」を続ける

存在だと思うから。

 

プロというのは

能力があるのは

当たり前。

 

期待に応えるのも

当たり前。

 

100%がんばるのも

もちろん

当たり前。

 

結果を出すのも

当たり前。

 

そういった当たり前の

さらにプラスアルファを

し続ける存在。

 

そして、

そのプラスアルファとは

これまでのやり方や

これまで培ったものを

すべて壊すくらいの

もの。

 

前と同じやり方を

しました。

 

・・・なんてのは

その時点で私は

プロではない、と。

 

前の仕事よりも

今の仕事の方が

明らかにレベルアップしている

こと。

 

進化を

続けていること。

 

誰よりも

進化の度合いが

高いこと。

 

速いこと。

 

そうなれている時に

初めて私は

「その道のプロである」

と言えると

思ってるんです。

 

極端?

 

いやでもこれって

当たり前ですよね。

 

・・・・・・

 

私は企業様のサポートに

入らせていただいた場合、

そこにいらっしゃる社員さんの

どなたよりも

私自身が成長(進化)しよう

と思っています。

 

公開講座をやる場合も

同じです。

 

参加されるいかなる受講生さん

よりも

自分の方が進化度合いが

高い、

ということを

私自身の存在意義の

必須項目として

決めています。

 

それが実際に

できているかどうかは

わかりませんが、

この本気の意欲がなくなったら、

その時点で私は

この仕事をプロして

辞めようと

いつも思っています。

 

私は、

少なくとも

人の心や人の成長に

関わる仕事をしている人間は

これが当たり前だと

思っています。

 

厳しすぎる?

 

いやぁ、やっぱり

当たり前のことでしょ。

 

だって、

これがなければ

毅然と皆さんに

何も伝えられないからねぇ。

 

私が毅然と

していられるのは

私の能力云々ではなく、

私は自分の進化意欲の高さを

知っているからだと

思うのです。

 

現時点の自分が

どうなのか?

よりも、

どれだけ今、

進化し続けようと

しているか?

実際に進化が

できているか?

これこそが大事だと

思うのです。

 

そしてそれは

決して辛いことでは

なく、

そう思いながらお仕事が

できるのは、

とてつもない幸せです。

 

なぜなら、

人の本能の根底は

この「進化意欲」

ですから。

 

・・・・・・

 

真本音度合いが

高まることで、

どのような変化が

起きるか?と言いますと、

 

それは

いろいろありますが、

 

私がいつも感動するのは、

真本音度合いが

高まることで、

その人の「進化意欲」が

目を覚ます瞬間です。

 

もっと成長したい。

 

もっと進化したい。

 

今のままの自分では

もの足りない。

 

もっと挑戦して

まだ知らない自分を

発掘したい。

 

そういった自分の欲求に

素直になり始めるのです。

 

それがグングン高まる

様子を拝見していますと、

本当に感動します。

 

で、

私もそうあろうと

余計に思えます。

 

そして、

自分の進化意欲に

素直になっている時、

人は本当に

心も魂も穏やかになり

安定し、

安寧を得るのです。

 

つづく

 

もっと成長したいよー!

 

私は、

私自身の力のなさと

自分の未熟さに

いつも

愕然とします。

 

またまた謙遜して・・・、

と思われるかも

しれませんが、

本当に

そう思うのです。

 

と同時に

こうも思うのです。

 

未熟なのが

人間なのだ、と。

 

未熟にこそ

人間としての

魅力が

いっぱいに詰まって

いるのだと。

 

とはいえ、

未熟さは

心と魂を搔きむしるくらいに

悔しいです。

 

もっと自分に

力があれば!

本当に思います。

 

目の前の

Aさんの力になれない

自分自身の

未熟さを思い知った時、

私は

傲慢だとわかっては

いるのですが、

何もできない自分を

本当に責めてしまいます。

 

私はここにいて、

Aさんの何が問題か?

がわかっているのに、

私には

何もできないのか・・・。

 

この悔しさを

現場でいつもいつも

私は

味わい続けてきました。

 

その悔しさと

申し訳なさが

私の道を創ってきた

という言い方も

ある面では

その通りに正しいのです。

 

・・・・・・

 

私は

もっと成長したい。

 

もっともっと

成長したい。

 

この世で

できることを

もっと増やしたいし、

もっと深めたい。

 

毎日毎日

そう思っています。

 

恐らく私の

この想いは、

世の中全体の

真本音の想いと

一致します。

 

高い次元においては

すべての人が

「一つ」

です。

 

すべての人の

真本音はつながっており、

いつも

同じ思いを共有

しています。

 

今、

すべての人の

共通の想いの

根底にあるのは

 

搔きむしるほどに

何とかしたい!

と思う

成長意欲です。

 

そこに共鳴している

からこそ、

私の中からも

その成長意欲が

ダムが決壊したかのように

放流されています。

 

・・・・・・

 

今の私の

最大のテーマは

後継者育成

です。

 

私と同じことの

できる人の

育成です。

 

おかげさまで

何人かの人達が

私と共に進もうと

してくれています。

 

私が彼らに

最も伝えたいのが、

この

成長への貪欲さ

です。

 

進化への

貪欲さです。

 

もちろんこれは

伝えてわかってもらう

類のものではありません。

 

しかし

すべての人に

そういった進化への

貪欲さは

既に最初から

存在しているのです。

 

その自らの欲求に

気づけるかどうか?

 

気づいた者は

その欲求に

素直に進むでしょう。

 

一見、

あまりに無茶なことでも

笑いながら

その方向に

進むでしょう。

 

私の後継者には

そここそを

受け継いでほしい

ですね。

 

・・・・・・

 

今日、私は

自分にできる

最大のことを

し尽くしました。

 

もうこれ以上の

一日はないな、

と思います。

 

そういった一日一日を

少なくとも

この8年間は

続けています。

 

でも・・・。

 

それでも私は

もっともっと

何とかならないか?

もっともっと

できることは

あるのではないか?

本当に強く

思うのです。

 

一日一日の

満足感は

半端ないです。

 

もちろん

後悔もありません。

 

でも、

これまでのままでは

いやだ!

とも、

一方で思うのです。

 

私は

もっと脱皮したい。

 

脱皮すべきものが

なくなったとしても、

それでももっと

脱皮したい。

 

そう思える

この素直な気持ちこそが

人間な本性なのだな、

と思い、

私は明日からも

これを大切にしながら

生きていきます。

 

つづく

 

その焦りは、どこから来る?

 

今、

あなたの人生を

あなた自身が進む

スピードは、

 

あなたが本来

望んでいるスピードに

達していますか?

 

それとも、

まだまだ

達していませんか?

 

私達人間は、

自分が本来

望んでいるスピードに

達すると、

まるで止まっているかの

ような

静けさと

安定感と

安心感を

得ることができます。

 

とても楽チンに

なります。

 

不思議ですね。

 

でも、

よくよく考えると

全然不思議では

ありません。

 

私達は

「進む存在」として

生まれてきたのですから。

 

「進化」の形が

「人間」なのですから。

 

・・・・・・

 

今、

自分が本来望む

スピードを

ますます高めようと

している人が

急増しています。

 

たとえ、

まだ望むスピードに

達していなくても。

 

達する前に

もう

もっと加速しようと

真本音で決めてしまう

のです。

 

そんな人が

急増しています。

 

ですからある意味

大変です。

 

今のこの潮流を

感じるにつけ、

凄い時代になったものだ

私は感嘆しています。

 

しかし一方で、

望むスピードと

現時点でのスピードの

乖離が

ますます大きくなる

傾向にもあります。

 

それは

潜在意識レベルでの

「焦り」を

生みます。

 

その「焦り」が

蔓延しているのも

ここ最近の

特徴です。

 

・・・・・・

 

自分が

「進化」のスピードを

速めようとしている。

 

という事実を

まずは知ること、

実感することが

大切なのですが、

 

そのためには、

自分自身としっかりと

向き合わねば

なりません。

 

自分の「加速欲求」を

知らずに、

ただ漠然と

「焦り」ばかりを感じ、

 

自分が何に焦っているか

がわからないままに

ますます焦り、

 

この焦りは

ここから来るのだと、

このことで悩んでいるから

自分は焦っているのだと、

まるでトンチンカンなところで

悩みを設定している人が

多いです。

 

悩みの観点が

まったく違っていますから、

その悩みの答えを

たとえ見つけられたとしても、

焦りはまったく消えない

どころか、

ますます高まって

しまいます。

 

今のこの時代ほど、

自分と向き合う

ということが

必要な時代はありません。

 

自分自身のことなのに、

まったく

自分が理解をしていない。

 

自分が何に

焦っているかさえも

理解していない。

 

この状況から

一刻も早く脱却した

世の中にしたいものです。

 

つづく

 

少しずつでも進むことに価値がある

人は着実に

成長します。

 

本当の成長とは

次元を高める

ことです。

 

次元の高まらない

成長を

「膨張」

と言います。

 

そして

次元の高まる成長を

「進化」

と言います。

 

膨張と進化の区別こそが

人や組織のサポートの

真髄であると

私は思っています。

 

膨張には

必ず終わりがきます。

 

破裂

の瞬間が来ます。

 

しかし

進化には終わりが

ありません。

 

よく、

「次元」というのは

何次元まであるのですか?

というご質問を

いただきます。

 

次元は

無限にあります。

 

本当に無限です。

 

3次元の世界における

「規模」を表す手段として

「数字」というものが

ありますが、

最高次元を

「数字」で表すことは

できないのです。

 

それくらいに

無限です。

 

・・・・・・

 

数字で表せられない

くらいの最高次元から

今の私達を観れば、

それは

赤子のような未熟さ

でしょう。

 

いえ、

赤子までもいかない

でしょう。

 

しかしそれでも

私達人間の本当の価値は

次元の高低に

あるのではありません。

 

私達の価値は

「成長」(進化)

にこそあります。

 

昨日よりも今日、

今日よりも明日、

・・・と、

わずかずつでも

進化を続けていること。

 

そこにこそ

価値があります。

 

私は

コーチを目指している人に

必ずいつも

お伝えしています。

 

「コーチは

クライアントさん以上の

成長(進化)をしなさい」

と。

 

なぜなら

進化し続ける人にしか

進化のサポートは

できないからです。

 

自分の経験に

満足したり、

自分の能力に

満足したり、

自分の功績に

満足し、

「俺のようになりなさい」

となった瞬間に

その人のサポートは

まったく

意味を成さなくなります。

 

進化を放棄しているにも

関わらず、

他者に影響を与えようと

する行為を私は

「傲慢」

と呼んでいます。

 

私は

傲慢な人を見ると

とても腹が立ちます。

 

きっと

以前の私が

傲慢の塊だったから

でしょうね。

 

・・・・・・

 

人は

着実に

成長(進化)

します。

 

その進化は

無限に続きます。

 

よく

人の可能性は無限大

と言われますが、

本当にそうです。

 

私は

人と向き合う時、

いつもその人の目の奥に

無限の深さを

感じ取ります。

 

誰とお会いしても、

この人は

無限の可能性を

持っているんだな、と

実感します。

 

人間とは

無限の可能性

なんです、

やっぱり。

 

ですから、

私達はもっともっと

胸を張って

進化していきましょう。

 

今の自分のレベルがどうか?

ではありません。

 

昨日よりも

ほんのわずかでも

前に進んでいれば、

そこに価値があるのです。

 

進み続けることで

私達は

安心し、安定し、

幸せ感や満足感を

高めます。

 

人間とは

そういうものです。

 

それが

人間の本質です。

 

進化の楽しさを

知る者が

コーチになるといいなぁと

思います。

 

つづく

 

きちんと後悔と向き合ってますか?

後悔のない人生が

いい。

 

誰だって

そう思いますよね。

 

私だって

そう思います。

顕在意識では。

 

でも、

人生に後悔は

付きものです。

 

なぜなら

人生の意味とは

「進化」だからです。

(→前回記事)

 

思惑通り行かずに

後悔をする。

 

そして後悔するからこそ、

次の展開が起こる。

 

その展開により

感動と共に

進化が起こる。

 

それにより

次のステージに

進む。

 

・・・というのが

人生の普通の進み方

です。

 

かと言ってもちろん

わざと後悔する必要は

ありません。

 

大切なのは、

今、自分の中にある

「後悔」に

きちんと

光と当てることです。

 

・・・・・・

 

後悔の仕方には、

・悪い後悔の仕方と

・良い後悔の仕方が

あります。

 

悪い後悔の仕方とは、

一言で言えば、

「後悔」を後悔のままに

しておくことです。

 

「あぁ、なんで私は

あんなことをしてしまった

のだろう・・・。」

 

と思うその気持ちを

その気持ちのままに

持ち続けることです。

 

何かに後悔し、

「あぁ、なんで私は

あんなことをしてしまった

のだろう・・・。」

と思う。

 

その次の日も

まったく同じように

「あぁ、なんで私は

あんなことをしてしまった

のだろう・・・。」

と思う。

 

さらにその次の日も

まったく同じように

「あぁ、なんで私は

あんなことをしてしまった

のだろう・・・。」

と思う。

 

さらにさらに

その次の日も・・・。

 

というように、

延々と同じ後悔の気持ちを

そのまま抱えている場合が

あります。

 

これでは逆に

「後悔」の意味が

ありません。

 

この場合は、

後悔し続けることで、

人生が止まって

しまいます。

 

「後悔」とは

「進化」のきっかけとなる

宝物です。

 

ですからそれは

宝の持ち腐れ

となります。

 

・・・・・・

 

もしくは、

もっと悪い後悔の仕方

があります。

 

それは、

後悔を誤魔化す

ことです。

 

つまりは、

「私は後悔など

していない」

と思い込んだり、

もしくは

「私は後悔など

してはいけない」

と、無理な前向きさを

創り出すことです。

 

これは

最も良くないです。

 

よく

言われますね。

 

「過去など

振り返らないで

未来のみに進もう」

と。

 

これは実は

最も良くないです。

 

これは

「現実逃避」の

典型的なパターン。

 

もちろん、

未来に向かうことは

大事です。

 

未来に意識を

向けることも

大事。

 

しかし、

過去の自分の後悔に

フタをしたまま

未来に向かえば、

それは

「現実逃避としての

未来」

にしかなり得ません。

 

これは

私達の真本音が

最もイヤがることです。

 

・・・・・・

 

良い後悔の仕方とは、

まずは

自分の心の中に湧く

その後悔の念に

「光を当てる」

ことです。

 

つまりは、

その気持ちを

しっかりと見つめる

こと。

観察すること。

 

そして、

100%、

感じ取ること

です。

 

それは辛そうだなぁ、

と思われる人も

多いかもしれません。

 

しかし、

これが最も

楽な方法です。

 

なぜ、後悔が

辛くなるか?

 

それはその後悔から

逃げようとする

からです。

 

逃げれば逃げるほど、

後悔は

追いかけてきます。

 

逃げれば逃げるほど、

後悔は

それに反発するかのように

巨大化します。

 

「後悔」とは

反応本音です。

 

反応本音とは、

逃げたり打ち消そうとすることで

反発的に

増大します。

 

逆に、

そこにしっかりと

光を当てて、

しっかりと向き合うことで

それは

開放され、浄化されて

いきます。

 

心を開放するの

です。

 

もしそれにより、

泣きたくなれば

そのまま

泣けばよいのです。

 

涙は

健康の証です。

 

子供はよく

泣きます。

 

心が健康

だからです。

 

しかし大人は

泣くことを

忘れます。

 

心が不健康な

証拠です。

 

私は

真本音度合いが高まることで

すぐに涙を流せるように

なりました。

 

心が健康になったな

と思います。

 

さて。

 

良い後悔の仕方については

さらに

詳しくご説明していきます。

 

つづく

 

逃げてもいいじゃないですか

皆さんは人生において、

「逃げる」

という経験をどれくらい

されたでしょうか?

 

「逃げる」

という経験は誰もに

ありますね。

 

私は逃げたことが一度もない

という人は

いないはずです。

 

もしいたとしたら、

単なる嘘つきか、

余程、人生において挑戦というものを

したことのない人です。

 

でも残念ながら

どれだけ挑戦しない人生を

送ろうと思っても、

それを私達の真本音は

許しません。

 

人の根本的本能は

「進化」への欲求です。

 

進化のためには

挑戦は必須です。

 

挑戦をしないということは、

進化という根本欲求を

無視するということですから、

人として、

それは無理な話です。

 

でもひょっとすると、

これまでは

とことん挑戦しない人生、

というのもある意味可能だったかも

しれませんが、

これからは

無理です。

 

また改めて詳しくお話しすることに

なると思いますが、

世の中全体の潮流として、

今、全体の真本音度合いは

着実に、

ジワリジワリと

アップし続けています。

 

どれだけアップしたか?

というよりも

「アップし続けている」という

この流れ自体が重要で、

この状態にあるということは

世の中全体が

自然の摂理に素直な方向に

向かっているということで、

その状況の中では、

自分の真本音や

根本的欲求を無視することは

極めて難しくなるのです。

 

話をもとに戻しますが、

私自身のことで言えば、

私は見事なくらいに

「逃げる」という経験を

重ねてきました。

 

真本音と出会う前の私は

「逃げる」ばかりの人生だった

かも知れません。

 

真本音と出会ってからも

逃げずに立ち向かうとは

どういうことか?を

かなり長い間、

試行錯誤し続けてきました。

 

ですから、

「逃げる」人の心境とか、

心の動きとか、

本当によく理解できます。

 

そして、

「逃げる」ことで

どれだけその後に

苦しみが待っているか?

どれだけその後に

混乱や混沌が待っているか?

もよくわかります。

 

本当に「逃げ続ける」人は、

そういった混乱や混沌さえも

「なかったこと」にします。

 

本当は混乱のさなかに

いるにも関わらず、

「今の私は平和」であり、

「今の私は幸せ」だと

言い張ります。

 

誰に対して言い張っている

かと言いますと、

自分自身に対して

言い張っています。

 

そして、

自分の苦しみから

目を逸らし続けます。

 

私もそうでしたから、

よくわかります。

 

私は

思います。

 

逃げても

いいじゃないか、と。

 

逃げようとしていることを

自覚し、

自ら意図的に

それを選択しているのならば。

 

「あぁ自分は今、逃げているな」

と分かった上で、

「でも今はあえて逃げてしまえ!」

と自分で決める。

 

それであれば、

いいじゃないか、と

私は思います。

 

自覚、

が大事です。

 

私が最もよくないと思うのは、

逃げているくせに

逃げていないふりを

する生き方。

 

逃げている自分を

自分自身に対して

隠している生き方。

 

自分で自分を

ごまかす生き方。

 

・・・です。

 

私は、

潔さとは、

すべてをあるがままに観ること、

あるがままを認めること、

あるがままを受け入れること

だと思います。

 

それさえできていれば、

何とかなります。

 

「逃げよう」と思って

逃げているのであれば、

それは、

人生のハンドルを自分で

握っていることになります。

 

逃げても

いいじゃないですか。

 

自分の意思であれば。

 

進むもよし。

止まるもよし。

曲がるのもよし。

逃げるのもよし。

走るのもよし。

歩くのもよし。

 

真剣に進むのもよし。

やみくもに進むのもよし。

傲慢になるのもよし。

怠慢になるのもよし。

 

すべてちゃんと

自覚し、

自分の意思であれば。

 

ごまかさずに

いるのであれば。

 

私は、

そう思います。

 

自分をごまかさずに

進む人には

ある時ある瞬間から

必ず真本音が発動します。

 

真本音の願いや

真本音の意思が

ある時から

実感できるようになります。

 

それは

少しずつ、少しずつ

かも知れません。

 

でも着実に

実感の度合いは

高まります。

 

今、世の中全体の

真本音度合いが

ジワリジワリと高まっているように、

その潮流に乗るように

ジワリジワリと

本来の私達を取り戻して

行けるようになるのです。

 

自分で自分を

ごまかすのは、

百害あって一利なし。

 

どんな自分でも

良いではないですか。

 

そんな大らかさで

自分を見つめてみませんか。

 

つづく

 

人の中心に何があるか?を知り、生き続けることができました

人の本能の中心には

「進化」

があります。

 

・・・ということを私はよく

言いますし、

このブログでも書いてきました。

 

では、

進化の中心とは

何でしょうか?

 

これを言語化することは

非常に難しいのですが、

現時点でこの世の中で

一般的に用いられている言葉の中で

最も近いものを選ぶとすれば、

 

『祈り』

 

となります。

 

「祈り」と書くと、

途端に宗教チックになったり

スピリチュアルな臭いがしますが、

でもやはり、

最も近い言葉はこれかな。

 

これまでのブログでも

何度も書かせていただきましたが、

私はもともと

ひどい人間でした。

 

いまだに、

かつての私以上に

反応本音やエンティティの凄い人に

出会ったことがありません。

 

かつての私以上に

執着の凄い人に

出会ったこともありません。

 

あのままの私でもし

進んでいたら、

私は間違いなく私の命を

絶っていたでしょう。

 

その場合、だいたいいつくらいに

それをしていたかも

今となってはリアルに

わかります。

恐らく10年以上前に

私は自分が自分でいることに

耐えられなくなっていたと

思います。

 

そんなにひどい私でしたが、

幸いなことに

自分の真本音を実感する

瞬間に出会えました。

 

それ以降、

私は私の人生理念を

「向き合う」

という言葉として設定し、

何があっても

どんな状況でも

自分自身と向き合い続けることを

誓いました。

 

激しい反応本音達。

 

目もくらむような

エンティティ達。

 

(エンティティとは、

ある一定以上の濃度に高まった

ストレスの集合体を言います。

日本語に訳せば、

「生き霊」となります。

そう書くと、怖いですが、

すべての人にエンティティは

あります。常に。)

 

それらと向き合うことは

吐き気をもよおすなどという

生易しいものでは

ありませんでした。

 

でも私はそれを

それこそ取り憑かれたように

毎日続けました。

 

その結果たどり着いたのが

「祈り」

でした。

 

私は私の中心に

確固たる「祈り」があることを

ついに自覚ました。

 

その「祈り」とは

言葉になるものでは

ありません。

 

しかし確かにそれは

「祈り」です。

 

「祈り」は永遠に

続くものです。

 

何かが達成されることで

成就するものでは

ありません。

 

しかしその「祈り」に

触れるだけで、

すべてが満たされる

気がしました。

 

私は

自分自身と「向き合う」のと

同じくらいの真剣さで

私以外の人々と

「向き合う」ことを大切に

しました。

 

多くの方々から

毎日、多くのストレスや

エンティティを

受け取りました。

 

これも私の宿命なのですが、

私ほど、

他者のストレスやエンティティを

自らの中に吸収してしまう人も

まだ一度も見たことが

ありません。

 

その人のエンティティを

受け取ると、

私はその人が苦しんでいるのと

まったく同じ苦しみの感覚を

覚えました。

その人が実際に

何に悩んでいるのか?までは

当然わかりませんが、

その人の苦しみそのものは

感覚として、その通りに感じるのです。

 

これが私の体質でした。

 

100人の研修を行なえば、

100人の苦しみを

私はいつも受け取って

きました。

 

それらとすべて

向き合い続けてきました。

 

向き合うことで

それらはすべて浄化される

のですが、

その浄化をするために

朝まで眠れなかった日など

数えきれないほどあります。

というか、

それが日常化していました。

 

私自身の苦しみ。

 

人間の苦しみ。

 

それらのすべてと

向き合い続けることが

私の宿命なんだと

完全に(良い意味で)諦めたのが

2007年のことです。

 

私には

何もできない。

 

人を救うなんてことは

当然できないし、

世の中をどうとかしようなどとは

おこがましい、の極致だ。

しかし、

私はただ

「向き合う」ことを

し続けよう。

私にできる最大の行為が

「向き合う」ことだ。

 

・・・そう決めて、

とにかく

「向き合う」ことに徹し、

それのみをしよう、と決め、

あとは自分の中から

あらゆる「思惑」や「意図」を

手放しました。

 

するとようやく

実感できたのです。

 

あぁそうか。

 

すべての人の中心に

「祈り」

はあるのだな、と。

 

それは決して言葉にすることは

できないけれども、

それを大切にした生き方の

できている人は

その人の心も人生も

満たされるのだな、

と。

 

「真本音」とは、

その人の「祈り」から

発せられる全意識です。

 

「祈り」に基づいた

生き方をするのか?

 

それとも

それを自ら裏切る

生き方をするのか?

 

それにより、

その人の人生の

「満たされ度合い」は

根底から変わります。

 

どれだけ

現象レベルでの成功を

手に入れても、

その人が自らの「祈り」に

沿わない生き方をしている以上、

その人が真に

満たされることは

永遠にありません。

 

であれば逆に、

自分の「祈り」に基づいた

人生を送ること。

 

「祈り」に基づいた

ビジネスを展開すること。

 

それができれば

どんなに良いだろう。

 

どんなに

幸せだろう。

 

これが私の

サポートのすべてです。

 

人が、

自らの、言葉にならない

「祈り」を実感し、

それを大切にした生き方や

仕事の仕方や

ビジネスの展開が

できるようになる姿は

私のエネルギーの源泉です。

 

そんな人を

一人、また一人と

増やしていきたいというのが

私がここにいる理由の

すべてかな。

 

つづく

 

人は、課題に取り組みたい生き物

どれだけ意識の次元が

上がったとしても、

私達の前には

次から次へと

「課題」が現れます。

 

こう書くと、

えぇ!そうなの?

次元上がれば何の悩みもなく

過ごせるんじゃないの?

・・・と思う人も

いらっしゃるかも知れません。

 

しかし私達人間は

「課題」のない日々を、

極度に嫌がります。

 

私達は平穏無事な日々を

望んでいますが、

いざ、それが手に入ってしまうと

途端につまらなくなり、

生きる気力そのものを

失います。

 

前に進まなくなる、

からです。

 

これまでも何度も

書かせていただいてますが、

私達すべての人間の

根本欲求(本能)の中心には

「進化への意欲」

があります。

 

進化とは

「次元を上がること」

です。

 

次元を上がる実感がなくなることを

私達は皆、

極度に嫌がります。

 

自転車の運転と同じで、

前に進めている時は

安定していますが、

止まってしまうと途端に

不安定になります。

 

それが、

人間という存在の

本質です。

 

ですから

私達の真本音は

私達自身に常に

「人生の課題」

を与えます。

 

その「課題」に取り組むことで、

進化スピードは

加速します。

 

その加速感が

さらなる安定を

もたらします。

 

最近の私はどうも

不安定だ。

 

最近の私は

調子が悪い。

 

最近の私は

モヤモヤが続いている。

 

・・・そんな感覚があれば、

 

今、私の真本音は

私自身にどんな課題を

与えているだろうか?

私はその課題に、

真摯に向き合っているだろうか?

 

・・・をチェックしてみてください。

 

真本音から与えられる

課題のことを私は単純に

 

『真本音の課題』

 

もしくは

 

『真本音のテーマ』

 

と呼んでいます。

 

真本音の課題に取り組むことは

人生の悦びです。

 

その課題の解決策が

まったく見えなくても、

暗中模索だったとしても、

その課題に向かっている

というその事実だけで、

私達は悦びを覚えるのです。

 

毎日に

張りが出ます。

 

毎日に

目的意識が芽生えます。

 

内側から

エネルギーが湧き続けます。

 

そして

すべてのことに自然に

感謝の念が湧いてきます。

 

ちなみに、

私の今の真本音の課題の一つは

「後継者育成」

です。

 

私と同じような役割で

私と同じような力を持ち、

私と同じように人や組織を

サポートできる人を

世の中に増やしていくこと

です。

 

この課題に気づき

取り組み始めたのが2015年

です。

 

そこから、

様々な人と出会うことが

できました。

 

まだまだ少人数ですが、

私の人生の展開を大きく

変化させた大切な出会い

ばかりです。

 

このブログも、

出会いのきっかけとなるといいな、

との想いから

始めました。

 

昨年の8月7日にスタート

しましたが、

まだ一日たりとも、

休んでいません。

 

記事の書き溜めは

しません。

 

必ず毎日一記事ずつ

書いています。

 

その方針も自分で

決めました。

 

それが、出会いを助長してくれると

何となく思うからです。

 

実は最近、

一週間ほど39度の熱が

続いていました。

 

そうなると一記事を書くのに

4〜6時間かかります。

 

しかしどれだけ

体調がヒョロヒョロでも

その分のパワーは

必ず湧いてくるので

人間というのは

不思議なものですね。

 

真本音の課題は

私達に

根源的なパワーを

与えてくれます。

 

あなたの今の

真本音の課題とは、

何でしょうか?

 

つづく

 

真の成長とは、これまでの自分を壊すこと

私達は、

「これまでの自分の範疇」

であれば、

誰もが

存分に成長し続けることができます。

 

しかし、

ぐんぐんと成長をし続けると、

ある時、

一つの「境界」がきます。

 

その「境界」の先に進めば、

新しい世界、新しい自分が

待っています。

 

とは言え、それは自分とは

別物の自分

ということではなく、

本来の自分に一気に近づく

ということです。

 

その「境界」を越えれば、

とてつもない開放感と

自由を

手に入れることもできます。

 

ところが。

 

その「境界」を越えるためには、

「これまでの自分」を

手放さなければなりません。

 

もう少し激しい表現を使えば、

「これまでの自分」を

破壊する必要が

あるのです。

 

・・・これが、なかなか

できません。

 

「境界」まではぐんぐん進めますが、

「境界」の先へ

行けないのです。

 

「境界」の前で立ち止まり、

もといた世界に

戻っていってしまう人も

多いです。

 

しかし、

一度「境界」を見てしまった人が

もとに戻っても、

元通りの自分になれるわけでは

ありません。

 

だって、「境界」を

見てしまったのです。

 

その先の世界を

何となく感じ取ってしまったのです。

 

もとの世界に戻っても、

「なんで先に進まなかったんだよ!」

と、

自分で自分を責め続けることに

なります。

 

それが結構

きつい。

 

もとに戻っても、

以前よりも苦しみは

大幅に増してしまいます。

 

じゃあいっそのこと、

「境界」まで行くことすら

やめればいいじゃないか。

 

そう考える人も

いるかもしれません。

 

しかしながら、

それもできないのです。

 

なぜなら、

私達人間は

進化のために存在しているから

です。

 

私達の本能の中心には

進化欲求

があります。

 

それがある以上、

つまりは、人間である以上、

遅かれ早かれ

必ず「境界」の前まで

行ってしまいます。

 

しかも今は、

「早く境界まで行きたい!」

「早く境界を突破したい!」

と真本音レベルで望んでいる人が

本当に増えています。

 

その欲求が

世の中全体に新たな潮流をも

生み出しています。

 

まるで川の水が

川上から川下へ流れるように、

私達は止まっているつもりでも、

どんどん「境界」に向かって

進み続けてしまうのです。

 

ですから本当は

私達に選択肢は

ないのです。

 

「境界を突破する」

という選択肢しか

ないのです。

 

その事実を

受け止めること。

 

他には選択肢はないのだ、

と、ある意味

あきらめること。

 

それを

『覚悟』

と言います。

 

あきらめた方が

楽です。

 

思い切って「境界」を越えて、

その先の世界へ

行きましょう。

 

その先の自分、

つまりは、

もう一つ上の次元の自分に

なりましょう。

 

その方が

幸せです。

 

・・・というよりも、

それこそが、私達人間の

真の幸せです、

と言った方ががよいですね。

 

一度、「境界」を突破できた人は

「境界を突破」するとは

突破する直前は大変だけども、

突破した瞬間から

いかに気持ちがよくなるか、

を知ることができます。

 

その喜びを知った人は

次々に「境界」を突破し続けます。

 

つまりは、

どんどん次元の壁を

乗り越えて行くのです。

 

次元とは、

無限に高まります。

 

突破しても突破しても

次々に「境界」は

現れます。

 

そのうちに、

「境界」があるからこそ

幸せだ、

と思えるようになります。

 

そんな人が

今、急速に増えています。

 

もっともっと

増えるといいなぁ、と

私は強く思います。

 

つづく

 

1歳児が100kgのバーベルを持ち上げるよりも・・

一つの「次元」を上がるということは

とてつもなく大変なことです。

 

どれくらい大変か?

という喩えがまたかなり

難しいのですが、

あえて喩えてみましょう。

 

例えば、

まだヨチヨチ歩きの1歳の子に、

100kgのバーベルを持ち上げなさい、

という方が、

100倍も楽なのです。

 

なぜなら少なくとも、

その1歳の子には

持ち上げるべきバーベルが

見えているからです。

 

例えばさらに難易度を上げて、

1歳の子に

バーベルというものをまったく見せずに、

バーペルの説明をして、

100kgという重さの説明をして、

さらに、

そこにバーベルが存在しないにも関わらず、

さぁ今、100kgのバーベルを持ち上げなさい、

と今ここで

強要したとします。

 

その状態でそこに存在しない

バーベルを持ち上げることよりも、

次元を上がるということは

さらに何倍も難しいことでしょう。

 

なぜなら、

今の次元でない一つ上の次元については

まったく何もわからないからです。

 

その存在があることすら

わかりません。

 

無、

と同じです。

 

無を理解したり、

無を実践しようと思っても、

それは無理な話です。

 

しかし確かに「次のワンランク上の次元」は

そこに存在し、

そこを登ることができて初めて、

次元を上がれたことを

私達は認識します。

 

そしてこれまでの自分が

一つ下の次元にいたことを

知るのです。

 

上の次元に行けば、

下の次元は見えるようになります。

 

しかし、

下から上は

無、と同じ。

 

まったくわかりません。

 

まったくわからないので、

努力のしようもありません。

 

逆に言えば、

次元を高めようと努力すると、

ただの「膨張」が始まってしまいます。

 

「次元を高めるために頑張るのだ」

とやれば、

それらはすべて自己満足となり、

次元はむしろ下がっていくのです。

 

しかし私達人間は

誰もが皆、

自らの次元を高めることを

本能的に望んでいます。

それが、

進化だからです。

 

次元を高めようとすればするほど

次元が高まらないのであれば、

じゃあ一体、私達はどうすればよいのか?

 

次元を高める最善最速の方法は

自らの真本音で生きることです。

 

真本音度合いを高める

ことです。

 

私が普段、

次元の話を一切せずに、

真本音の話ばかりをしている理由は

そこにあります。

 

じゃあこのブログでも

次元の話は必要ないではないか、

ということになりますが、

実は、そうもいかないのです。

 

「次元」という存在と意味を

顕在意識レベルで知ることをしなければ、

私達が今望む進化スピードは

出せないということが

わかったからです。

 

一つの次元を上がるのは

本当に大変です。

 

一つ一つの次元のギャップは

それこそ宇宙と同じくらいに無限に

あるのかも知れません。

 

しかしこの次元という

一種の「仕組み」を

私達は知識として知らねばなりません。

 

そのためにも、

この3次元世界の表現で

高い次元のことを表現しなければ

なりません。

 

恐らく次回から私は

あらゆる角度から、

「次元」について語ることになると思います。

 

しかも、

あまりにも当たり前の表現を使って、

まるで次元を高めることが

普通の成長であるかの言い回しで

語ることになると思います。

そうしないと、

顕在意識レベルでの理解が

できないからです。

 

ですが、

どのような私の説明をご覧いただいても、

ぜひ、次のことは

覚えておいていただきたいのです。

 

今、自分がいる場所よりも高い次元のことを

本当の意味で私達が理解することは

不可能である、と。

 

そして、

たった一つの次元を上がること自体も

まるで別宇宙に行くかのような

難易度の高いことである、と。

 

それをおわかりいただいた上で、

短絡的表現としての

次元のお話を、

あくまでも知識として

インプットしてください。

 

つづく

 

今の世の中の多くの成長には終わりがある

真本音で生きる、とは

「進化」の速度を最大にする

ということになりますが、

では、「進化」とはどういうことでしょうか。

 

以前に、「成長」には

2種類あるというお話をしました。

 

一つは、

単なる「膨張」。

もう一つが、

「進化」です。

 

まず、「膨張」とは。・・・

 

これは、規模や能力などが

ただ高まっていくだけの状態です。

 

現時点でのこの世の中では、

「成長」と言われるものの多くが

「膨張しているだけ」です。

 

「膨張」には必ず

終わりがきます。

 

「膨張し切る」ことで

それは破裂するからです。

 

例えば、昔よく言われた

企業の30年説など、

企業が終わりを迎えるのは、

それは「膨張」の結果です。

 

長期的にせよ、短期的にせよ、

必ず終わりが来るのが

「膨張」の特徴です。

 

それに対して

「進化」には終わりがありません。

 

もちろん、

「形」は変わっていく可能性は

あります。

 

「形」とは、

この世における「現象」です。

 

「現象」は変われども、

「実在」は受け継がれます。

 

「形」は変われども、

「命」は受け継がれるのです。

 

そして「進化」とは

シンプルに言えば、

「次元を高めること」

です。

 

少しずつでも

次元が高まり続けているのであれば、

それは「進化」です。

 

それに対して、

何がどれだけ変化しても

「次元が変わらない」のであれば、

それは単なる「膨張」です。

 

では、

「次元」とは何でしょうか?

 

「あの人、次元が変わったね」

とか

「この組織は明らかに

以前とは違う次元になった」

とか、

本当に時々ですが、

そのような表現を聴くことがあります。

 

普段、何気なく

さりげなく、

私達は「次元」という言葉を使いますが、

そもそもそれは

何でしょうか?

 

この説明は実は、

かなり難易度が高いのですが、

ちょっとそれに挑戦してみようかなと

思っています。

 

なぜなら

私のさせていただいている

人や組織のサポートは、

「次元を高める」ことだからです。

 

単なる「膨張」のためのサポートは

一切行なっていません。

絶対に、

したくありません。

 

「次元が高まる」ことで、

自然に成果が高まる、という状態創りが

私のミッションです。

 

ですので本当は、

私のサポートの本質を表現するためには

「次元」のお話を抜きにすることは

できないのです。

 

ちょっとドキドキしますが、

「次元」について、

ゆっくりじっくりと

語っていくことにします。

 

今、

平井さん、木村さん、弓江さんのお話も

止まってしまっていますが、

どうしても、「次元」という概念を

取り入れなければ、

先に進めないのです。

 

「先に進む」のが

2018年のテーマです。

 

明日から挑戦してみます。

 

つづく