新しい世界に行こうではないか

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新しい世界に

最初に降り立つ

というのは、

とても勇気の

要ることだ。

 

そこには

何があるのか、

さっぱり

予測ができない。

 

予測ができる

ということはもう

その時点で

新しい世界では

ない。

 

予測ができる

ということはもう

その時点で

「超えていない」。

 

完全に、

自分の範疇を

超えているので

あれば、

予測は不可能だ。

 

むしろ

予測をしない

方がいい。

 

自分の範囲よりも

大きな場所に

いるのだから、

自分の範囲で

考えることは

危険である。

 

予測し意図を持つ

ことはむしろ

死を意味するかも

しれない。

 

だから

開き直る。

 

しかない。

 

開き直って、

予測ではなく、

「創造」に

集中する。

 

つまりは、

 

私は何をここで

創り上げたいか?

 

その、

願いのみに

意識を集中し、

行動を集中させる

しかない。

 

あとは、

人智を尽くして

天命を待つ。

 

煮るなり焼くなり

好きにしてくれ。

 

と、

開き直るしかない。

 

そして

その状態に

入った時に初めて、

 

一瞬、

 

すべてがわかる。

 

という体験が

ある。

(かもしれない。)

 

理屈で

わかるのでは

ない。

 

完全に

意識化できる

わけでもない。

 

でも

たった一瞬でも、

 

すべてがわかる

 

のだ。

 

その一瞬の

確信のみで、

私達は

毅然と進む

ことができる。

 

・・・・・・

 

私達は

今、

ここにいる。

 

という

紛れもない

現実がある。

 

そもそも

その現実を

受け入れていない

人が多い。

 

そういった人は

皆、

自分の「思考」の

世界に

入り浸っている。

 

目の前の

Aさんの表情を

見ることよりも、

 

Aさんとは

こういう人だ、

 

と解釈する方を

優先する。

 

Aさんを

見つめているような

振る舞いはするが、

 

実は

Aさんではなく、

Aさんに対する

自分の解釈のみを

見つめている。

 

これでは

Aさんとの関係性に

変化は

訪れない。

 

Aさんと共に

「新しい世界」

入ることもない。

 

一生。

 

本当に、

そんな人生で

よいのか?

 

自分の狭い

解釈の世界の中に

いるだけの

人生で

よいのか?

 

それで、

人生を終える

瞬間に、

満足感は

得られるのか?

 

自分の人生の

目的を果たせたと、

魂の悦びに

震えることは

できるのか?

 

・・・・・・

 

私達は

生きている。

 

生きる

とは

進化である。

 

進化の悦びを

得る、

ために

今ここにいる、

 

というのが

私達人間の

厳然たる事実

である。

 

と、

私は

人と向き合う現場で

確信できた。

 

ありがたい

経験だった。

 

人と向き合い

ながら、

自分と

向き合うことが

できた。

 

今のこの

お仕事に

本当に感謝

している。

 

明日向き合う人

と、

私はどのような

会話をするのだろう?

 

そして

どのような

「新しい世界」への

扉を

開くのだろう?

 

いったい

何を

創造したいと、

願うのだろう?

 

つづく

 

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