慈しみの雨ならぬ

LINEで送る
Pocket

雪のように
観える、

何かささやかで
柔らかいものが

降っている。

降り注いで
いる。

この
世の中に。

これを
感じとっている
人は今、
どれくらい
いるのかな?

この不安定な
現在の中で。

その
雪のような
ものは、
私には

恵みのように
思える。

慈雨
という言葉が
あるが、

慈雪
とでも言うような。

私はそれを
全身を開いて
浴びる。

浴びても
何の
手応えもない。

ただ
私の身体を
すり抜けるように
して、

それは
降り続ける。

それでも
私は
浴びる。

天を
見上げながら。

そういえば
昔の私は
よく
空を見上げた。

お客様との
重要な仕事の
直前には、
必ず時間をとって
空を見上げた。

青空で
あれば、

その青空と
同化できる
くらいまで。

私は
私を
超えたかった。

でないと
太刀打ちできないと
わかって
いたから。

私が最もよく
わかっていたのは
自分の
小ささ。

無力さ。

弱さ。

そんな私が
立ち向かおうと
している。

「私」である
うちは
それは無理だった。

ただ、
どうしても
自己満足には
なりたくなかったので、

常に私は
その時の「私」では
対処できない方に
向かって
歩き続けた。

今もそれは
続けている。

あと私は
現役を
22年続ける、

決めている。

22年後は
78歳だ。

そこまで
昇り続ける。

だからまだ
未熟の未熟だ。

もっともっと
私は私を
超える。

そういった
生き方に
対して、

まぁまぁまぁ、


その慈雪は
語りかけているようだ。

まぁまぁまぁ、
そう
焦らんと。

昇り続けよう
などと
思わなくても
あんたはずっと
昇り続けている
じゃないか、
生まれてから
ずっと。

・・・そう
慰めてくれて
いる。

まぁまぁまぁ、


声を出して
みる。

私の声なのに
私の声では
ないように、

それは
私の心に
染み込んでいく。

つづく

コメントを残す

*