この恥ずかしい気持ち

LINEで送る
Pocket

みっともない
姿を晒す
のは
嫌なことかい?

私は
嫌だなぁ。

嫌だけど、
みっともない姿を
晒さない、
という目的のために
生きることは
もっと嫌だ。

恥ずかしい、
という
感情はもちろん
あるが、

その感情は
スイッチさえ
入れれば、
いつでも
横に置ける。

そんな自分

創り上げてきた
つもりだ。

で、
その上で
やっぱり

恥ずかしい
ことは
恥ずかしい、

恥ずかしさ
から
逃れるような
人間的な生き方も
大切に
している。

・・・・・・

手を
差し伸べて
もらった時に、

素直にその手に
すがることを、
私はずっと
恥ずかしい

思ってきた。

昔はね。

それが
取れたのは
いつだった
かな?

自分の
あまりの力の
なさを
知った時かな。

自分の
弱さを思い知った
時かな。

きっと
そういう体験の
連続の中で、

ある時に
ふと、
変わったのだと
思う。

助けて
もらえるものなら
助けて
もらおう、と。

今ではもう、
多くの皆さんの
支えの上に
ただ
寝そべっている
だけの私を

よく
イメージするよ。

・・・・・・

ここにある
剥き出しの
心。

何のベール
もない。

脚色なし

自分の心。

それを
見つめるのは
それだけで
恥ずかしい
ものだ。

だが、
見つめる。

しっかり
と。

それを
毎日
続けてきて
良かった。

おかげで
本質が
観えてきた。

真本音の
ことではない。

反応本音の
本質が、ね。

そこには
「何も」
なかった。

そう。

「何もない」
のだ。

・・・・・・

反応本音の
本質は、
「何もない」。

それが本当に
わかった
時、

私は私を
変える勇気を
持てた。

何もない
なら
変える必要も
ない、

と思われる
かも
しれないが、

私には
逆の感覚が
来た。

何もない
なら
縛られる必要も
ない、
もっと
自由自在に
なるべきだ、
と。

そして
そうならないと
私の人生は
本来のもの
とは
別物になって
しまう、と。

そこから、
私の真本音は

これまでとは
様相の
異なる
働き方を始めた。

・・・・・・

今では
以前よりも
何十倍も、

私は私の
反応本音を
大切にしている。

大切に
味わい、

大切に
委ねてもいる。

恥ずかしい
時は

恥ずかしい!
と。

反応本音に
縛られながら、

私は常に
自由
を感じている。

つづく

コメントを残す

*