意志を問われている

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風が

吹いている。

 

強い風だ。

 

一方向から

というよりも、

 

様々な方向から

突風も伴い

吹き荒れている。

 

最も

危険な風だ。

 

私達は

今その中に

立っている。

 

ここからさらに

進むかどうか?

 

吹き荒ぶ風の

中を

あえて進まねば

ならない

ことはない。

 

風の動きを

感じながら、

 

風が止む瞬間に

前に一気に

進む。

 

実は私はそれを

最もお勧めするが、

 

しかし

その方法でしか

進めない、

 

というのも

あまりに選択肢が

狭い。

 

風が吹いて

いようと

いまいと、

 

どの状態でも

進める私達で

ありたい。

 

現実や状況は

よく観察し、

 

現実や状況は

よく受け入れ、

 

できることと

できないことを

区別し、

 

自らの能力も

客観的に見つめ、

 

その時その瞬間の

選択をするのが

最善だ。

 

最善の道を

行けばいい。

 

だが。

 

それをいつでも

逸脱できる

私達でも

ありたくないか?

 

いつでも

逸脱できる私達

だからこそ、

 

最善の選択を

し続けられる。

 

そういうもの

ではないか?

 

「最善」を

「守り」の口実に

してはならない。

 

「最善」とは

あくまでも

進むための選択だ。

 

進まないのを

風のせいに

してはならない。

 

あらゆる

現実の中で

 

自分自身の

 

私達自身の

 

意志は

意思は

 

何か?

 

ということだ。

 

私達は今、

その意志(意思)を

問われているんだ。

 

つづく

 

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