本当に肯定さえすればいいの?

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人って

みんなそうだと

思うのですが、

 

自分のことを

否定されたり、

無視されたりすると

辛いですよね。

 

心の中には

反応本音がいっぱい

発生しますし、

 

否定されたら、

その人のことを

今度は自分が

否定したくなります。

 

そしてその通りに

争いや戦いに

入ってしまうことも

あります。

 

しかしそうならないように

我慢しよう

という人も多いですね。

 

いずれにしても

我慢しよう、

というのも反応本音ですので、

反応本音のコミュニケーション

になるのには

変わりはありません。

 

否定される人生は

いやですね。

 

無視される人生も

いやです。

 

・・・・・・

 

じゃあ、

自分が否定されないために

自分は人を肯定しよう、

 

という考え方も

ありますが、

 

実際は、

否定と肯定は

表裏一体です。

 

同じ次元

です。

 

否定か

肯定か

という場所にいる限り、

心が穏やかになることは

ありません。

 

自分を

肯定しよう。

 

人を

肯定しよう。

 

と、よく言われますが、

もちろんそれは

大事なことではありますが、

 

でもやっぱり

私は

違和感を覚えます。

 

だって、

肯定しよう!

って、疲れませんか?

 

不自然だと

思いませんか?

 

・・・・・・

 

否定をやめよう。

肯定もやめよう。

 

という話では

ありません。

 

否定と肯定は

必要です。

 

仕事においても、

間違った仕事の仕方を

していたら、

きちんと否定しなければ

なりませんし、

 

良い仕事の仕方を

していたら、

きちんと肯定することも

大事です。

 

しかし

本当の意味で、

 

あるがままに

否定し、

 

あるがままに

肯定する

 

ためには、

否定と肯定を

超えた次元に

自分自身の基点を

置くことが大切です。

 

否定も肯定も

超えた場所に立つ人

こそが、

純粋に

必要な否定と

必要な肯定が

できる、

ということです。

 

・・・・・・

 

我欲による

否定は

人を傷つけます。

 

そして、

我欲による

肯定も

実は人を

傷つけることになります。

 

もちろんそれは

我欲が基点ですから

そうなります。

 

どの意識が

基点かによって

否定も肯定も

根本的に

意味が変わってきます。

 

・・・・・・

 

否定も肯定も

超えた次元。

 

それは、

 

すべてをあるがままに

見つめる

 

という意識の次元です。

 

「見つめる」

を本当は

「観つめる」

と書きたいですね。

 

何の評価も判断も

解釈もせずに、

 

ただ、そのものを

観つめる。

 

その意識の次元を

「7次元」

と私は呼んでいます。

 

真本音度合いを

高めることで、

この7次元の意識が

芽生える人が

出てきます。

 

7次元意識で

物事を観れる人が

組織の中の3%を

超えると、

その組織は

劇的な変化を始めます。

 

まずはその状態を

創ることが、

私の組織サポートの

目的の一つです。

 

つづく

 

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