チームパフォーマンスコーチ

意志の誕生

水中に
渦ができている。

縦に長く。

深く深く
渦巻いている。

渦の回転に
乗って、
まるで人魚のように
人が
泳いでいる。

渦の回転を
楽しんでいる。

彼らは
何者か?


近づいてみる。

あぁ、
生まれたばかりの
「意志」達だ。

渦に体を
慣らし、

泳ぎ方を
覚えたら、

いよいよ
自力で
一つの方向に
進んで行くのだ。

新しい
「意志」達よ。

ずっと
健康であって
ほしいな。

私にできることは
君らの健康を
できるだけ
守ること。

意志が意志として
育まれる
ように。

残念ながら、

この世界では
たくさんの
意志達が死ぬ。

知らぬ間に
亡き者となる。

悲しい世界だ。

それを少しでも
変えていきたい。

だから私は
君らを守る。

そう決めた。

・・・ここで
目が覚めた。

よし、
今日も私は
私の「意志」と共に
進もう。

つづく

混乱の中心

もしあえて
「混乱」の中に
突入するので
あれば、

その中心部分まで
行った方がいい。

中途半端な
関わり方は
むしろ危険だし、

本質を見誤る
可能性もある。

避けられる混乱
であれば、
ヒョイっと
避ければ良いが、

どうしても
突入せざるを得ない
のであれば、

中心まで
行こう。

中心に到達
できれば、

そこはまるで
台風の目のようだ。

ほとんどの
混乱の中心は
ポッカリとした
静けさがある。

そこから
起きている現象の
すべてを
はっきりと観察し、

いったい本当は
何が起きているか?

真の原因が
観えてくるものだ。

中心近くは
ダメ。

中心近くが
最も激しい。

静かな場所まで
ちゃんと
たどり着くこと。

そして
中心から
外に向かって影響を
与えていく。

内側から
混乱を壊すのだ。

時には、
内側から混乱を
溶かすことも
できる。

中心に入ることで
初めて、
その「ツボ」が
観えてくる。

混乱の中で
混乱しながら
対応する
なかれ。

私が最も
気をつけていること。

つづく

変なやつ

波紋が広がっている
のが見える。

小さな波紋だが、
その中心には
何があるのだろう?

よく目を
凝らすと、

面白いものが
見えた。

誰かが
踊っている。

変な
踊りだ。

でもとても
心地良い
旋律を感じる。

よくよく見ると、
波紋の広がり方も
ちょっと変だ。

なるほど、
こういった広がり方も
あるのか、
と。

ウケを狙っている
わけではない。

本人は至って
真面目だ。

だからこそ
変なんだ。

「変」と言うと
貶しているように
思われがちだが、

逆だ。

変な踊りが
増えるといい。

みんながもっと
個性的に
なればいい。

どのような踊り
でも、
自分が心底
真面目にやるなら、

それなりに
波及していく

そんな世の中に
なれたのだから。

時代は
変わっているんだ。

変な時代
にね。

つづく

この時のために

サーっと
水平線が
広がっている。

広く広く。

その他は
何もない。

ただの
大海原。

日は昇る
寸前だ。

私はただ
一人。

夜明けを
待っている。

今日は
どんな一日に
なるだろうか?

ひんやりした
空気の
一粒一粒が
何かしら緊張している
ようにも
感じる。

体の強張りを
ほぐしたいなと
思いながらも、

そのままに
して、
ただ私は
待つ。

今日は
多くの人達の
転機となる
大切な瞬間が
来るだろう。

もちろん
私にも。

その瞬間を
捕らえられるかどうか
よりも、

その瞬間の
直後の
スタートダッシュが
命だ。

そこで
次のステージの
進み方が
決まってしまう。

集中力と
瞬発力が
決め手となるときは、

やはり
緊張する。

でも
こんな瞬間は
なかなか体験
できない、
とても貴重なもの。

こういった機会に
恵まれた幸運を
喜ぼう。

これまでの
生き方が
試される。

この時のために
私達は
備えてきた。

今こそ
力を発揮する
とき。

自分の全感性
を使いきり。

つづく

拍子抜け

こういう展開に
なるといいな、

自分なりに
予定していたものが、

まったく
予定通りに
進まなかった時、

ガックリ
するよね。

力が
抜ける。

やる気が
削がれる。

その状態から
どのように
立ち直ろうか?と
焦るが、

実は
焦る必要はない。

そのままで
いいじゃないか。

やる気の
削がれた
力の抜けた
そのままで。

エネルギーの
高まっている
状態が
いつも良いとは
限らない。

拍子抜け状態
のまま

そのまま
やってごらんよ。

それはそれで
きっとまた
面白い展開に
なるよ。

つづく

激流の底の清流

表面上、
どれだけ荒れ狂う
激流に
見えても、

その本質を
あるがままに
観れば、

とても静かな
清流だったり
する。

表面のみに
捕らわれること
なかれ。

・・・これは
私がずっと自身に
戒めてきたこと。

特に
我々人間は
表面と本質が
真逆の時すら
多い。

表面に
捕らわれ過ぎる
が故に、
闘い・戦いが
起こる。

混乱が
次の混沌を
生む。

目を凝らす。

耳を澄ます。

体で感じる。

五感だけでなく、
もっと
「素」
のものを
そのまま受け取る。

それを私は
「実在」
と呼んでいる。

実在を受け取る
力は
誰にでもあるんだな、

強く実感するのが
最近の日々。

私の周りの人達
だけだろうか?

最近は
皆の感性が
垂直上昇的に
高まっている。

仕事が本当に
やりやすくなった。

表面の混乱に
呑み込まれない
からね。

つづく

答えとの関係

大切な答え

今ここに
ある。

その答えは
最初は
言葉には
ならない。

その
存在感
のみ。

それを感じ取ると、
それを 
両掌に
大切に掬う。

胸の中心に
大切に抱く。

そして
一つになる。

ジワーッと
した
温かさ。

この答えが
もたらしてくれる
ものを

まずは
あるがままに
感じる。

その上で
ゆっくりと
言語化する。

適当な
言語化では
ない。

最も適切な
言葉を
丁寧に探しながら、

感じながら、

言語化する。

言語化された
瞬間から
その答えは
自立・自律を
始める。

それを受け取る
私自身も
その答えに対して
自立・自律
する。

どれだけ
良い答えであっても
その答えに
依存してしまえば、
それは
本末転倒だ。

答えに対して
失礼だ。

自らの答えで
あるが故に、

私達は答えに
依存しては
ならない。

真の答え
とは
真の自律関係で
関わり、

それをすることで
初めて
共に進める。

答えとは
単なる言語
ではない。

魂のある
共に進む
仲間だ。

これもまた
セルフコーチングの
基本の基本。

つづく

自由かな

まるで
何かに背中を
押されている
ようだ。

そちらに
そちらに

同じ方向に
同じ方向に

進んでいく
自分がいる。

意識としては
左斜め前方に
進みたいのに、

いつの間にか
右斜め前方に
進んでいる、
みたいな。

もちろん、
そういった展開
そのものを
楽しんでいるのだが。

今日は
何が起こるか
わからない。

明日も
どんな展開か。

明後日以降
に関しては
真っ白な状態。

・・・という
感覚だ。

もちろん
これはこれで
楽しい。

未来がわからない
という
この感覚を
私は
昔から最大の
楽しみにしている
節がある。

予想外の
展開。

これ以上に
面白いものは
ない、と。

真本音度が
高まると、

一瞬、

未来を見通す
ような
瞬間は結構
頻繁に訪れるが、

その瞬間と、

未来がまったく
わからないという
感覚は、

両立する
ものだ。

むしろ
その二つが
あるので
より
面白いとも
言える。

この、
制限だらけの
世の中。

限界だらけの
現実の
中で、

自由に生きる
とは
どう生きれば
良いのか?

未来を
見通せるから
こそ
自由。

未来が
わからないから
こそ
自由。

その両方が
あるからこそ
自由。

・・・かな。

つづく

一つの祈り

「意図」を手放す
というのは
難しいことだと
思う。

でも、

自分の中の
すべての「意図」を
一つずつ
拾い上げ、

ただ観察する

という
状態に置くと、

すべての「意図」から
自由になる
ことができる。

人間は
「意図の生き物」
だな、と
その度に
思う。

こんなにも
数々の「意図」に
囲まれ
縛られて
生きているのか、
と。

それらの
中には、
自分自身の
生み出した「意図」
もあれば、

環境や
周りの人から
与えらえたもの
もある。

いずれにしても
意識的にも
無意識的にも
大小無数の
「意図」に
縛られてながら
生きているのが
人間だな、と。

セルフコーチングの
力が増せば、
それらから
丁寧に自分を
解放することが
できる。

すべての「意図」を
自分自身から
ちょっとだけ
離し、

すべてを観察できる
状態になると、

「自分」と「意図」
とは
まったくの別存在
なのだと
わかる。

「意図」を
なくした
自分。

ただの
「存在」だけと
なった
自分。

そんな自分にも
意志は
ある。

いや、
そんな自分には
一つの
意志だけが
残る、
と言ってもいい。

その意志こそ
自分自身そのもの
かも知れない。

私はその意志を
「願い」
と呼んでいるが、

「祈り」
と言っても
良いかも。

いずれにしても
それは
言葉には
ならないものだ。

言葉を超えた
意志、

一つの祈り。

私は
迷うといつも
そこに
戻る。

戻る場所に
戻り、

すべてを
見渡す。

これぞ
セルフコーチングの
基本であり
原則だ。

つづく

自由意志

完全に
すべての制約を
取り払い、

完全に
自由になれたら、

今の私が
本当にやりたいことは
何だろう?

・・・この問いの
答えを明確に
素直に答えられる人は
残念ながら
少ない。

こんなこと
考えても無駄だ。

とか、

こんなこと
考えちゃうと逆に
現実とのギャップが
ありありとわかり
苦しくなる。

とか。

そんなことより
今目の前にある
現実に
ちゃんと向かうことだろ。

とか。

中には、
本当に素直な自分の
心を知るのが
怖い。

とか。

様々な理由で
私達はこういった問いと
向き合わなくなる。

でも私は
やはり、
とても大切な問いだと
思うのだ。

私がこの問いと
真剣に向き合ったのが
20年くらい前。

以後、ずっと
向き合い続けて
いる。

今はお陰様で、
この問いの答えと
ほぼ一致する毎日を
送ることが
できている。

真摯にこの問いと
向き合い続けた
結果だと
思っている。

年齢は
関係ない。

ちゃんと
自分を自由に
できるのは、
自分自身だけだ。

本当の意志に
生きる。

そんな日々を
創り出せるのは
自分自身だけだ。

つづく

新たなマイペース

一日一日に、
もし
密度というものが
あるならば、

今はその密度が
非常に濃く
なってきているのでは
ないか。

一日一日の
進み度合い、

本質的進み度合い
という尺度が
もしあるならば、

それは今、
飛躍的に高まって
いるのではないか。

特にこの数日、

その実感が
とてもある。

これは
私だけに限る
ことではない、
もちろん。

世の中全体に
対する
「感覚」だ。

私の表現を
使えば、

これまで日々、
自らの真本音を
大切に
生き続けてきた人は、

そのような状態に
数日前から
入っているのでは
ないか。

誰もが。

嬉しいことだな。

人にはそれぞれ
その人なりの
ペースがある。

マイペース
という言葉が
あるが、

皆、マイペースを
持っている。

それを今は、
皆が
逸脱し始めて
いる。

逸脱して
新たなマイペースを
創り出そうと
しているようだ。

新たなマイペースが
持続的に続けば、

人生展開も
ビジネス展開も

劇的に変わり
続けるだろう。

良い節目に
今の私達は
あるようだ。

つづく

一滴から始まる

最初はとても
小さな流れだ。

それでいい。

最初から
規模を求めては
ならない。

小さくとも
たとえ一滴でも、

その一滴に
ちゃんと
魂が込められて
いるか?

自分にとって
本当に納得の
一滴か?

別に
完璧であれ

言っているわけでは
ない。

最初は当然
不完全だ。

不完全でも
そこに
ちゃんと魂が
宿っているか?
だ。

ここを妥協すると
後々に
大変なことになる。

規模だけが
膨張し
破裂する。

それなら
やらない方が
ましだ。

一滴の魂。

これを
育て、深め、
広げる。

そうではないか、
ビジネスの
面白さは。

つづく

問いすら要らない

心が澄んで
いるときは、

「問い」が
要らない時が
ある。

「問い」の前に
もう
「答え」が来る。

その気配を
感じたら、

澄んだその状態
のまま、

「定位置」で
じっと待とう。

心が澄んでいれば
「定位置」が
わかるはずだ。

心の中の
「定位置」。

そこに座って
静かに待てば、

「答え」は
静々と
目の前に
やってくる。

何も
問わない。

何も
訊かない。

何も
聴かない。

ただ
静かに
しているだけ。

すると、
言葉になる前の
「答え」が
わかる。

「答え」の
存在がわかる
という感じだ。

あとはその
存在と
一つになるだけ。

すると
「思い出す」感覚で
それは
言語化される。

もしくは時には
言語化すら
されずに
ダイレクトに
自分が勝手に
何かの行動に
移るかもしれない。

いずれにしても
「思い出した」
その答えは

私達を
突き動かす。

突き動かすと
言っても
勢いでは
動かない。

静かに
でも
エネルギッシュに、

まるでそれが
当然のこと
であるかのように

周りから見れば
凄まじいくらいの
確信に満ちた
行動を
とるようになるんだ。

つづく

がんばる、とは

がんばるぞ!


言いながら、

その場で
凄い勢いで
回転し始める
人がいる。

凄い勢い
なのだが、

その場での
回転なので、

何も進まない。

何も動かない。

そして、
結構
短時間で疲れる。

疲れて
倒れて
やっぱダメだ、
と。

がんばる、
とは
闇雲に動く
ことではない。

もちろん
行動することは
大事だが、

一つ決めて
一つ動く

ことが
大切だ。

一つをちゃんと
丁寧に
自分の意志・意思で
決める。

そのためには、
情熱のエネルギーに
呑み込まれるのでは
なく、

エネルギーは
大切にとっておき、

静かに
落ち着いて
自分がまずは
何からどう始めるか?

しっかりと考え、
決めるわけだ。

一つ決めたら、
その一つに
しっかり
集中する。

自分の全エネルギーを
そこに注ぐ。

その集中力が
大事。

そしてちゃんと
休む。

しっかり休んで
ペース配分を
気をつけて、

力を抜くべきところでは
力を抜いて、

本当に集中すべき
瞬間に
全力を出せるように
する。

それによって、
自分のがんばりが
持続する。

がんばるとは、
そういうことだ。

闇雲に動くだけの
自己満足的な
がんばりは
もうやめよう。

もう
そんな時代では
ない。

つづく

教え過ぎだ

研ぎ澄まされた
感性を
持っているのに、

それを使わない
人は
多い。

特に
若い人達。

もったいない。

まだ
自信がないのだ。

経験が
少ないから。

本当に良くないな
と思うのは、

経験のある者が
経験のない者を
諭し過ぎだ
ということ。

教え過ぎ
だ。

教え諭すことで
その人の
せっかくの感性が
鈍る。

感性を
使わないように
使わないように
促している。

黙りなさい。


ついつい
言いたくなるし、

実際
よく言ってしまう。

人の感性を
甘く見ては
ならない。

とはいえ、

感性を過信
するのも危ない。

もっと
あるがままに
その人を
見つめることは
できないだろうか。

そういう人が
増えてきて
ほしい。

基本を教える
ことは
大事。

基本がなければ
応用も効かない。

それは重々
わかっている。

それをわかった
上で、

でも本当に
最低限だけの
アドバイス、一言に
止め、

あとは
多少、ゴツゴツと
ぶつかってもいいから、

その人の歩みに
任せる、

その人の感性に
任せる、

そんな大らかさを
もっと
持たないか。

特に
ここからの
時代は。

つづく

限界を知る

限界がある
のが
人間だ。

いつどんな時でも
無意識に
自分の限界を
設定している。

それは
自己防衛の
ためでもある。

だから
悪いことではない。

一方で、

人は無限に
可能性を伸ばして
いく。

だから
「限界なんて勝手に
決めちゃダメだ」

ついつい
考えがちだ。

しかし
それは違う。

「限界」を
しっかり認識する
からこそ、
可能性を「無限」に
伸ばすことが
できるのだ。

「無限だ無限だ」

どれだけ唱えても、

人間である以上、
私達は
勝手に「限界」を
都度都度
一つ一つ
設定する。

だから、

自分が今、
どのような「限界」を
自ら設定しているか?

あるがままに
認識し、

それを
尊重する。

それが
「限界寸前」まで
自分を伸ばすことに
繋がる。

そして、

「限界寸前」まで
行ったら、
次に
目の前の「限界」を
(「枠」を、と言ってもいい)

一つ突破する
段階に入る。

何が限界か?
を知っていれば、

それを突破する
ために、
何をすれば良いか?

わかる。

そしてそれを
突破する。

すると、

これまであった
「限界」(=枠)
からは自由になるが、

しかし
その先にはさらに
次の「限界」(=枠)が
設定される。

この連続だ。

この一つ一つを
誠実に進む
歩みによって、

私達は
無限に可能性を
伸ばしていける。

つづく

最初からあったのか

「正解」

わからなくなったら、

「正解かどうか?」
という
問い自体を

少し離れたところに
置いてしまうといい。

「どっちでも
いいじゃないか」
と。

もし
「答えを早く
出さねば」
という
恐怖にも似た
感情があれば、

それも
少し離れたところに
置いてしまうといい。

心は、
そこにあるものを
失くすことは
難しいが、

横に置く
ことは
少し訓練すれば
誰でもできるようになる。

これは
セルフコーチングの
基本の一つでもある。

横に置いて

その存在は
感じつつも

もう
その中には
入らない。

すると
だいぶ静かに
なれるだろう。

それでいい。

正解かどうかは
どっちでもいい。

答えをすぐに
出すかどうかも
どっちでもいい。

そうなれた
時初めて、

もう
「ここ」にある
自分の答えに
気がつく。

なんだよ。

最初からここに
あったのかよ。

・・・と。

「ここ」にある
もの。

ずっと
在り続けた
もの。

在るものを
在るんだと
気づく。

あとはそれを
観ればいい。

あるがままの
それを。

それが
「自分の答え」
だ。

真本音の。

難しいことじゃ
ないんだ
本当は。

私達はもっと
楽に生きれるんだ。

つづく

一致するなら

勇気を持って
踏み出す
その一歩は、

人生の宝物に
なるだろう。

未知の領域に
進むという
私達の本能。

本能に素直に
生きることが
今の時代は
こんなにも怖い。

“もうここまで
来たら、
勇気しかないだろう”

開き直れるか
どうか。

良い開き直りを
するために、
私はいつも
次の問いを
自身に投げている。

勇気の必要な
時に、・・・

『私の意志が
空にあるなら、
空の意志を私の中に。

空と私が今、
一致する答えは何?
次の一歩を
どうしたい?』

一致するなら
もう、
やるしかないだろ。

つづく

存在するだけ

いったい
この先に
何があると
言うんだ?

魂の
叫びであり、
問いだ。

何のために
こんなに
がんばっていると
思ってるんだ?

なぜこんなにも
現実は
変わらないのだ?

失望と絶望と
空虚感。

わかるわかる。

真剣だからこそ
そうなってしまう。

下を俯く
彼。

足元だけを
見つめている。

励ましの
言葉でも
かけてあげたいが、

今は
ダメだ。

彼が
望んでいない。

跪く。

倒れそうに
なる。

しかし寸前で
グッと堪える。

また
ゆっくりと
膝を立て、

立ち上がる。

それでも
やるしか
ないんですね。


薄く笑う。

疲れ果てた
顔。

ほんの僅かでも
私がエネルギーを
与えられたらな、
と思う。

が、
今は無理なんだ。

ダメなんだ。

やるしか
ない。

できることから。

膝がガクガク
しながらも
彼は
また進み始める。

私は
彼の横に
つく。

同じペースで
進む。

言葉はない。

ただ
存在があるだけ。

どうせ
存在することしか
できないなら、

より自然な
私として
ここに
いることにしよう。

つづく

見守るだけ

痙攣している。

苦しくて
痙攣している。

頑張っている
人だ。

前向きに
進もうと
し続けている。

だからこそ
痙攣する。

痙攣してまでも
進もうとする。

本当は
もっと
楽に進んだ方がいい。

本当は
もっと
楽に進めるはずだ。

そのための
アドバイスを
ぜひしたいと思う。

でも
ダメなんだ。

本人がそれを
望んでいない。

たとえ
必要のない苦しみ
だとしても、
今は
今の自分のまま
精一杯に
生きたい、行きたい、
進みたい。

そんな意志が
グッと
伝わってくる。

だから私は
口をつぐむ。

ただ、
目線だけで
応援をする。

見守るだけ。

こんなに
苦しさが
伝わってくるのに、

見守るだけ。

それが今の私に
できる
最大のこと。

つづく

愚かなまでに

水中に
ブクブクと
沈んでいく私が
いる。

どこまでも
どこまでも、
深く
深く。

だんだん
光も届かなく
なる。

暗い
静寂の
世界。

底にたどり着き、
一息入れた後、

一気に
ジャンプする。

すごい勢いで
水面まで
戻り、

その勢いの
まま、
水から飛び出た。

水圧からの
解放。

と共に、
想像以上の
眩しさ。

今度はどこまでも
上昇する。

垂直に
上昇し続ける。

大気圏を
超え、
宇宙に出る。

そして一気に
急降下。

水面がまた
見えてきた。

重力に素直に
そのまま再び
水中に
飛び込んだ。

そしてまた
ブクブクと
沈んでいく。

・・・思えば、
私のこれまでの
人生は、
こんな風だった。

前よりも深く
潜り、
前よりも高く
舞い上がろうと
した。

その繰り返しを
することで、
上下の範囲を
広げていった。

それは今も
続けている。

これまでの範疇で
上下していても
意味がない。

上がるなら
とことん上がり、
下がるなら
とことん下がる。

愚かでも
いい。

浅はかでも
いい。

ただ、
自分が設定していた
自分の限界を
常に超えたいと
願ってきた。

こういった生き方を
人に奨める
気はない。

でも私自身は
これからもずっと、

きっと
これを続けるのかな。

つづく

なら待とうか

細かい光の粒子が
私の周りを
ピョンピョン飛んでいる。

何だろう?


意識を向けると、

それぞれの
光に、
一つずつの
笑顔。

いろんな人達の
笑顔。

笑顔達が
ピョンピョンと
跳ねている。

彼らは
跳ねながら、
私に何か
メッセージを送って
きているようなのだ。

みんな
それぞれの
言い方だが、

結局は
どうも
たった一つを
伝えたいらしい。

「そこで
待っててください。
もうあまり
動かずに。」

そうなのか。

ちょっと
あたふた
し過ぎてるのかな。

つづく

今、どこだ

大空を
高く飛んで、

上空から
世界全体を
俯瞰する。

そんな視点は
いつも
大事にした方が
いい。

じゃないと
自分の現在地を
見失ってしまう。

「私は今、
どこにいるか?」


とても重要だ。

はっきりわからなくても、
感覚的でも
良いので、

現在地を
把握しよう!と
しよう。

「私は
どこに行くために、
今、
どの地点
どのレベルに
いるのか?」

明確にわかれば
わかるほど
良いが、

不明確でも
感覚的でも
いい。

何も知らずに
闇雲に進むよりは。

現在地が
わかれば、

「今ここ」
だからこその
課題がわかる。

テーマが
わかる。

私達は
ゴールに辿り着く
まではずっと
「未熟」だ。

未熟であるのが
当たり前なのが
私達人間。

未熟であることから
目を逸らすのでは
なく、

未熟の中の
どのポイントに
今は焦点を当てるべきか?

見極めよう。

それは
その地点その地点で
変わってくる。

「今ここ」
という現在地点
だからこその
テーマがある。

そのテーマに
向き合わずして、
先に進むことは
できない。

現在地を知る
ということは、
時には
まったく進めていなかった
自分を知る
ということにもなるだろう。

それはショックと
失望を生むが、

しょうがない。

進んでいるつもりで
自己満足の日々を
過ごすよりも、

ちゃんと
今を観よう。

今を知ろう。

つづく

やばいやばい

何となく
警告アラームが
鳴っているような
気がする。

こういう感覚が
ある場合は、
しっかりと自分自身を
見つめてみよう。

意識を外に出し、
外から自分を
眺める風にする。

外から
全身くまなく
チェックする。

体だけでなく、
自分自身の
空気感や、
エネルギーも。

すると
なるほど、
滞りがある。

上半身と下半身が
断絶しそうなくらいに
エネルギーの
滞留がある。

これはやばい
ところだった。

エネルギー循環は
大切だ。

私達が
「生きる」とは、
エネルギーを循環
させ続けることを
言う。

その人には
その人ならではの
健康的な循環の仕方
というのがある。

どうやら私は
それができていなかった
ようだ。

最近はちょっと
ハード過ぎた。
エネルギー枯渇が
当たり前の日々が
続き過ぎた。

何とかなるだろう
とやってきたが、
私は私の年齢を
もっとちゃんと考えた方が
良いようだ。

少しゆっくり
しよう。

自分自身のみに
意識を向け、
エネルギー循環を
復活させよう。

健康維持は
社会人として
プロとして
当たり前。

自分自身の
ケアこそ
大切に。

皆さんもね。

つづく

わからんなぁ

自分のことは
自分が一番
よくわかっている。

・・・などと
思わない方が
いい。

それは
傲慢というもの。

自分のことなど
わかるはずが
ない。

そのように
私達人間は
できている。

私達は、
人との関わり合い
の中で
初めて、
自分を知るように
できている。

つまりは
社会的生き物
だ。

とはいえ、
それを言ったら
すべての生き物は
社会的生き物
と言えるし、

生き物=社会的
とも
言えるだろうけど。

自分一人だけで
生きていく
ことはできないのが
私達だ。

そのような
仕組みに創られている
のが人間、
くらいに
捉えた方が良いだろう。

自分のことは
わからない。

だからもっと
自分のことを
知ろう。

だからもっと
多くの人達と
関わろう。

だからもっと
より深い関わりを
目指そう。

・・・そういった
方向性は
私達にとっては
非常に健康的だ。

得意な人、
苦手な人、
いろいろいる。

だからこその
社会だろう。

もっと人に
揉まれればいい。

揉まれること
自体を
楽しめるように
なるといい。

そのためにも、
自分自身の
真本音を
大切にしよう。

真本音を
自らが
大切にしながら、

いろんな人に
揉まれよう。

そうすれば、
自己理解は
どんどん進む。

進むけど、
理解が深まれば
深まるほど、

さらに
自分がわからなく
なる。

でもその
「わからなさ」の
次元が高まる。

それが
面白い。

「わからない」
ことによる
面白さ、

楽しさ。

それが
人間の楽しさ
ではないか。

つづく

勇気を持って訊こう

突出している
部分、
というのが
誰にでもある。

ここに関しては
抜きん出て
長けている、
というのが。

しかし
そういったものほど、
本人が自力で
見つけることは

ほぼ
叶わない。

人からの反応や
人からのフィードっバックを
受けて初めて
気づくことは多い。

例えば私は、
どうやら
集中力がすごい
らしい。

自分では
わからない。

でも、ある時
人から言われて
気づいた。

じゃあその
集中力を活かす
には
どうすればいいか?

という
問いを大事に
した。

すると、
仕事の方法とか
物事の進め方とか
私なりのやり方が
観えてきた。

突出した部分を
自ら尊重する
ことによって
得られる指針は
多い。

本当は近くに
良いコーチがいると
いいが、

たとえいなくても
皆に訊こう。

私はどこが
突出しているだろうか?
と。

ダイレクトに
訊いてみよう。

もちろん
「わからない」
という答えは
多いだろう。

しかし貪欲に
たくさんの人に
訊いてみよう。

今日お会いした
ある会社の
若手社員さんは、

自分に本当に
自信がない人で、
一つとして
自分の良いところが
わからないそう。

しかしその人の
偉いところは、

じゃあ自分は
他の人にどう映っている
だろうか?

ということを
貪欲に
訊きまくっているのだ
そうだ。

そういったところの
貪欲さは
きっと
自分を伸ばす。

自分のことを
他者に訊くのは
怖いところもあるが、

勇気を持って
やったもん勝ちだね。

つづく

苦手を突く

自分の得意な
ところは?


訊かれても
よくわからない
という人は
多い。

そこで、
このブログを
ご覧いただいている
皆様には、
あえて
次のことをお勧めします。

「自分が今、
一番苦手だと思っている
ことに挑戦してみよう」

・・・と。

これ、
一般的には
あまりお勧めしない
こと。

でも
このブログをずっと
お読みいただいている
皆様ならきっと、
上記の方向性は

面白い!

はず。

実は、
真本音のレベルで
自分の本当に得意なところを、
ずっと
自分自身にひた隠しに
するために

「ここは苦手だ!」

という
思い込みをさせ続けている
人は、多い。

あえて得意な部分を
使わずに生きてみよう
という、
自分自身への課題のためだ。

そこを
突いてみる、
というやり方だ。

これまで
苦手だと思って
避け続けていたことを、

今このタイミングで
やってみることで、
まったく違った印象に
なるかも。

そして思わぬ
自分自身の力を
発見するかも。

今だからこそ、

やってみよう。

つづく

出会えますように

私のモチベーションの
源泉は
いろいろあるが、

一つ大きいのは
やはり、

「出会うべき人達と
ちゃんと出会えるように
今をしっかり生きよう」

というものかな。

出会いというのは
相手のいることなので、
私一人の問題では
ないが、

それでももし、
私が今ここにおいて
本来とは違う自分の
生き方をしてしまえば、

私は自ら
大切な人との出会いを
放棄していることに
なる。

そういえば
ふと思い出したが、
あれは
小学校4年生くらいの
ことだろうか。

当時の私が
「こんなに幸せな夢は
もう人生で一度も
観れないのではないか」
と思うくらいの
本当に幸せな夢を観た。

それは
出会うべき人達と
出会えている夢だった。

おー、出会えたなぁ、

多くの仲間達と
握手をしている夢。

「あなたと出会う
ために、
頑張ってきたんだよ」

皆が言ってくれた。

ものすごく
リアリティのある
夢だった。

ひょっとすると
今でもあの夢が
人生で観た
最大に幸せな夢だった
かも。

もしこの幸せを
逃したとしたら、
私の人生は一体
何だったのか?

思えるくらい、

出会いを逃す
というのは
私にとっては
避けたいものだ。

でもやはり
相手がいること。

相手もちゃんと
本来の自分を
生きる必要がある。

だから私は
祈る。

皆が、本来の自分の
生き方を
今ここで
実践し続けられますように。

そして
今日も一日、
私は私の真本音を
大事にしよう、
と。

つづく

掴みたい

川の下流に
光が見える。

泳いでそれを
掴もうとする。

しかし
光は逃げる。
さらに下流に。

それをまた
必死に追いかける。

泳ぎに泳ぐ。

その内に
泳ぎ方が
板についてきた。

最小限の労力で
最大のスピードを
出す泳ぎ方が
わかってきた。

にも関わらず
光には
追いつけないのだ。

泳いでも
泳いでも
追いつかない。

それでも
光に
真一文字に
ついていく。

で、
ふと気がつくと

海に出ていた。

大海原。

上流も下流も
ない。

どこに行くのも
自由。

あまりに
広々とした
世界なので、

逆に
恐怖に襲われる。

でも、
泳ぐ力は
それなりについた。

もちろん
川での泳ぎ方と
海での泳ぎ方は
異なるだろう。

でも
泳ぐ、という行為
そのものについては

その本質は
もう
身についている
実感がある。

これまでの泳ぎが
通用しなくなる
かもしれないが、

でもやはり
私はさらに
先に行こう。

光はまだ
見えるのだ。

どこに行くのも
自由だが、

やはり私は
あの光を
掴みたい。

この気持ちが
続くうちは。

光は
どこに行くのか?

わからないが、
ただわかるのは

私はあの
光を掴みたい。

光は先に
進む。

私を導く
ように。

このまま私は
導かれようでは
ないか。

つづく

正面にいる

目の前に
何か
強烈な存在が
在るのではないかな?

その存在は
あなたをじっと
真正面から見つめ
続けているのでは?

私は
ここにいるよ、
と。

ちゃんと
はっきり私を
正面から見つめてほしい、
と。

それこそが
本来のあなた
なのでは?

もう
気づくべき時が
来ているのに、

必死になって
気づかないフリを
している。

怖いから
そういうことを
してしまうのが
我々人間なのだけど、

でも結局は
そうしていることが
一番苦しいのだ。

・・・ということを
しっかり
目を開けた後で
気づくものまた我々。

目を開ければ
楽し。

目を閉じたままなら
苦し。

単純なこと。

それが
我々。

だからもう
あきらめて
目を開けたら
どうかな?

つづく