チームパフォーマンスコーチ

本当はエネルギーは枯渇しない

真本音度合いが高まると、

モチベーションが高まるのですか?

 

・・・こんなご質問も

よくいただきます。

 

もちろん、モチベーションは高まりますが、

それは一般的に言われる

モチベーションとは

少し異なるかもしれません。

 

モチベーションとは直訳すると

動機付け

となりますが、要するに

やる気とか熱意とか

そういった捉え方をすれば

わかりやすいですね。

 

一般的にはモチベーションとは、

何かの現象(現実)が起こる

結果として

高まります。

 

例えば、

何か嬉しいことがあった。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

自分のやりたい仕事に巡り会えた。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

自分の夢を見つけることができた。

だからモチベーションが高まった。

とか。

 

私の年代では、

給料が上がることで

モチベーションが高まるという

傾向がありましたが、

今の若い人達は

給料よりも、やりがいや使命感や

社会的意義などで

モチベーションが高まる、というのは

最近よく聴く話です。

 

いずれにせよ、

一般的にはモチベーションとは

何かの事象の結果として

高まるもの、

と言えます。

 

が、真本音度合いが高まることで

引き起こされるモチベーション

というのは、

そういったものとは少し異なります。

 

真本音度合いが高まることで、

ただそれだけのことで、

私達は心の中心部分から

エネルギーが湧き続けるように

なるのです。

 

心の中心部分から、

ということはつまり

魂から、

という表現でも良いです。

 

どちらかと言えば、

真本音度合いが低い場合は、

自動車と同じように、

ガソリンを入れなければ、

エネルギーは高まりません。

 

自動車はガソリンが切れれば

動けなくなります。

 

同様に私達も真本音度合いが低ければ、

何かモチベーションを高めるような

事象が起こらなければ

エネルギーは湧き起こらないのです。

 

しかし真本音度合いが高まれば、

現実的に何が起ころうが、

または、何も起こらなくても、

もっと言えば、

たとえ毎日、望まない結果が続いたとしても

私達の中心から湧き起こるエネルギーは

絶えることがありません。

 

常に内側から

まるで泉のように

エネルギーが湧き続けるのです。

 

要するに、エネルギーを

自家発電できるようになるのです。

 

ということはつまり、

今自分が置かれている環境は関係なくなる

ということです。

 

どのような環境においても

充分なエネルギーを

私達は得ることができる、

ということです。

 

実際に私達の真本音は

「環境」を選びません。

 

「環境」や「状況」には

ほとんど関知しません。

 

それよりも、

今この瞬間における自分自身の

「生き方」

を大事にします。

 

つまり、

自分が本当に望む生き方を

今、ここでできているかどうか?

を大事にします。

 

ですから極端に言えば、

夢がなくとも、

望む仕事に就いていなくとも、

好きな人と一緒にいなくとも、

私達は真本音の望む「生き方」を

実践し続けているうちは、

ずっと、心の中心から(魂から)

エネルギーが湧き続けるのです。

 

その結果として、

今ここにおける「環境」や「状況」を

自分の望むものに

変えていくことができます。

 

「環境がこうだから自分はこうなる」

のではなく、

「自分はこうだから、環境をこうすることができる」

というように、

人生のハンドルを自分自身で

握ることができるようになります。

 

「良い環境にないから、

私の人生はひどいことになった」

というのは

真本音度合いの低い人の

セリフです。

 

周りや環境のせいにしているのは

真本音度合いの低い証拠です。

 

そして、

以前にも書かせていただきましたが、

真本音度合いが高いということは

イコール、

その時点における最も高い次元の

自分の意識に基づいて生きる

ということです。

 

ということはつまり、

高い次元になればなるほど、

私達は、

「環境」や「状況」に関わらず、

自分の人生を生きることができる

ということなんですね。

 

つづく

 

自分の想いを数値化しよう

「数字」

というのは

3次元の象徴かもしれません。

 

つまりは、

分離の象徴です。

 

「すべてが一つ」であれば、

数字そのものが

存在し得ません。

 

分離しているからこそ

生まれるもの。

それが「数字」。

 

これは決して悪いものでは

ありません。

 

3次元世界においては

「数字」があるからこそ、

様々なことが明確になります。

 

よく、

「数字」を大切にしない人が

います。

 

例えば、

目標設定において

「数値化したくない」

という人がいます。

 

「目標を数値化することで、

自分が縛られる感じがします」

とか

「自分が追い詰められる

気がします」

とか。

 

しかし、

「数字」を決めずして、

何も明確にすることは

できません。

 

「数字」とは

カタチの一つです。

 

「数字」があることで

カタチが、ありありと

明確になります。

 

高い次元では

「数字」はありませんが、

高い次元の「意志」を

3次元化すれば、

(つまりは、3次元意識で表現すれば)

そこには自ずと

「数字」が入ってきます。

 

つまりは、

私達の真本音は、

高い次元であるがゆえに、

この3次元世界においては

「数字」を大事にしているのです。

 

ですから

私達の真本音は、

明確に

期限を決めています。

 

何年何月何日までに

それを達成するか?

を決めています。

 

そして、

達成する規模も

数値として

明確に決めています。

 

ですから、

目標設定においては、

真本音を素直に表現すればするほど、

「数値化」できるのです。

 

「数値化」することで

縛られる感覚がする

追い詰められる感覚がする

というのは多くの場合、

それが

反応本音レベルで設定された数値

だからです。

 

ただその一方で、

真本音の意志として

決めた数値でも、

それに戸惑う人がいます。

 

それがあまりにも

高い数値であることも

可能性としてはあるからです。

 

「えっ、こんなことは

無理だよ。」

 

と一瞬、思います。

 

しかしそう思っているのは、

私達の反応本音です。

 

真本音で決めた数値は

どれだけそれに戸惑っても、

真剣にそれを

目指すことです。

 

目指せば目指すほど、

だんだんと自分が

開放されていくのが

わかります。

 

もしわからないのであれば、

まだまだ

「スピード」が足らないのです。

 

真本音で決めた数値であれば、

それを意識すればするほど、

私達はスピードアップし、

ある一定以上のスピードになれば、

途端に、

私達は開放感を得ます。

 

その数値を浮かべるだけで

安定感と

安心感を

得るようになります。

 

ですから私達は、

私達の中ですでに設定している

「数字」を

恐れずに

見つめましょう。

 

その「数字」を大切にすればするほど、

私達は

自らの次元を高めることが

できるのですから。

 

つづく

 

真の成長とは、これまでの自分を壊すこと

私達は、

「これまでの自分の範疇」

であれば、

誰もが

存分に成長し続けることができます。

 

しかし、

ぐんぐんと成長をし続けると、

ある時、

一つの「境界」がきます。

 

その「境界」の先に進めば、

新しい世界、新しい自分が

待っています。

 

とは言え、それは自分とは

別物の自分

ということではなく、

本来の自分に一気に近づく

ということです。

 

その「境界」を越えれば、

とてつもない開放感と

自由を

手に入れることもできます。

 

ところが。

 

その「境界」を越えるためには、

「これまでの自分」を

手放さなければなりません。

 

もう少し激しい表現を使えば、

「これまでの自分」を

破壊する必要が

あるのです。

 

・・・これが、なかなか

できません。

 

「境界」まではぐんぐん進めますが、

「境界」の先へ

行けないのです。

 

「境界」の前で立ち止まり、

もといた世界に

戻っていってしまう人も

多いです。

 

しかし、

一度「境界」を見てしまった人が

もとに戻っても、

元通りの自分になれるわけでは

ありません。

 

だって、「境界」を

見てしまったのです。

 

その先の世界を

何となく感じ取ってしまったのです。

 

もとの世界に戻っても、

「なんで先に進まなかったんだよ!」

と、

自分で自分を責め続けることに

なります。

 

それが結構

きつい。

 

もとに戻っても、

以前よりも苦しみは

大幅に増してしまいます。

 

じゃあいっそのこと、

「境界」まで行くことすら

やめればいいじゃないか。

 

そう考える人も

いるかもしれません。

 

しかしながら、

それもできないのです。

 

なぜなら、

私達人間は

進化のために存在しているから

です。

 

私達の本能の中心には

進化欲求

があります。

 

それがある以上、

つまりは、人間である以上、

遅かれ早かれ

必ず「境界」の前まで

行ってしまいます。

 

しかも今は、

「早く境界まで行きたい!」

「早く境界を突破したい!」

と真本音レベルで望んでいる人が

本当に増えています。

 

その欲求が

世の中全体に新たな潮流をも

生み出しています。

 

まるで川の水が

川上から川下へ流れるように、

私達は止まっているつもりでも、

どんどん「境界」に向かって

進み続けてしまうのです。

 

ですから本当は

私達に選択肢は

ないのです。

 

「境界を突破する」

という選択肢しか

ないのです。

 

その事実を

受け止めること。

 

他には選択肢はないのだ、

と、ある意味

あきらめること。

 

それを

『覚悟』

と言います。

 

あきらめた方が

楽です。

 

思い切って「境界」を越えて、

その先の世界へ

行きましょう。

 

その先の自分、

つまりは、

もう一つ上の次元の自分に

なりましょう。

 

その方が

幸せです。

 

・・・というよりも、

それこそが、私達人間の

真の幸せです、

と言った方ががよいですね。

 

一度、「境界」を突破できた人は

「境界を突破」するとは

突破する直前は大変だけども、

突破した瞬間から

いかに気持ちがよくなるか、

を知ることができます。

 

その喜びを知った人は

次々に「境界」を突破し続けます。

 

つまりは、

どんどん次元の壁を

乗り越えて行くのです。

 

次元とは、

無限に高まります。

 

突破しても突破しても

次々に「境界」は

現れます。

 

そのうちに、

「境界」があるからこそ

幸せだ、

と思えるようになります。

 

そんな人が

今、急速に増えています。

 

もっともっと

増えるといいなぁ、と

私は強く思います。

 

つづく

 

未来は予測できないが、未来のことはすべてわかっている

私達のいるこの3次元の世界は

すべてが分離している世界です。

 

「私」と「あなた」は別物ですし、

私が今使っているパソコンも

携帯電話も

机も椅子も本棚もプリンターも

そして私のいる部屋や建物も

すべてそれぞれが別個の存在として

ここにあります。

 

それがこの世界の特徴です。

 

すべての物が分離しているのと同様に

時間も分離しています。

 

本来、高い次元においては、

過去も

今も

未来も

すべては「一つ」です。

 

こういった書き方をすると

3次元世界の私達には

わけがわからなくなります。

理解不能になります。

 

それは当たり前のことで、

低い次元からは

高い次元のことを

決して理解できないように

なっています。

 

ですが、

あえて無理矢理に

3次元の我々にもある程度

想像できそうな表現で

書き続けますね。

 

この世界では

「時間」

は分離しています。

 

つまりは、

過去と今と未来が

別個のものとして

存在しています。

 

私達の「現実」としては

「今この瞬間」

しかありません。

 

1秒前の過去も

1秒後の未来も

「現実」にはありません。

私達の

頭の中や心の中にしか

ありません。

 

「今この瞬間」

という唯一の「現実」が

分離して、

それが連続的に

流れています。

 

例えば、

今、私がこの文章を書いているのは

2018年1月16日午前2時18分

のことです。

で、

2018年1月16日午前2時18分27秒

2018年1月16日午前2時18分28秒

の「現実」は

別物です。

それぞれが分離しています。

 

その分離しているものが

連続しているわけです。

 

もっと言えば、ちょっと変な表現ですが、

2018年1月16日午前2時18分27.0001秒

2018年1月16日午前2時18分27.0002秒

というように

「今この瞬間」をもっと細かく区切っても

同じように分離しています。

 

もっともっと無限大に細かく区切っても

同様に分離しています。

 

「今この瞬間」は

「今この瞬間」でしかありません。

 

すべての分離された「今この瞬間」が

連続して起きているので、

時間がつながっているように

感じるだけなのです。

 

2018年1月16日午前2時18分27.0001秒

の現実と

2018年1月16日午前2時18分27.0002秒

の現実は

まったく別個のものなのです。

 

これが3次元世界の

特徴です。

 

しかもこの世界では、

時間は

過去から未来へと

一方向にしか流れません。

 

過去に戻ることはできませんし、

未来に一気に飛ぶことも

できないようになっています。

 

分離された「今この瞬間」が

一方向に一定のスピードで

流れ続ける、

というのがこの世界であり、

高い次元から見ると、

とてつもなく縛られた世界です。

 

例えば、

3次元世界よりも少しだけ上の次元では、

時間は分離されていますが、

過去から今、そして未来へと

一方向に流れなければならない

という制約はありません。

 

自由に過去にも未来にも

行けるのです。

 

そしてさらにもっと上の次元では、

そういった

過去・今・未来

という分離そのものがなくなります。

 

「すべてが一つ」

です。

 

ここまで来るともう

私達の想像では

理解ができません。

 

ただ一つ言えるのは、

未来とは決して

未知のものではない、

ということです。

 

高い次元では

未来も「ここ」にあるのです。

 

ここまで書きますと、

何割かの人は

私が何を書きたいか

ご理解いただけているかも

しれません。

 

高い次元の自分で生きる、

とは、

「今この瞬間だけを生きる」

のとはまったく別の生き方が

できる、

ということです。

 

高い次元では

過去も今も未来も

一つです。

 

ということは、

3次元世界の我々でも理解できる

表現を使えば、

未来を完全にわかった上での

今の行動を決めることができる

ということです。

 

ということは、

望む未来を実現するための

今の行動を決めることができる

ということなのです。

 

真本音で生きる、

ということは

自分自身の現時点での最高次元での

自分として生きる

ということです。

 

ということは、

真本音で生きれば生きるほど、

私達は

自分自身の望む未来を

実現しやすい

ということになります。

 

しかも、高い次元においては

時間の分離もありませんが、

「私」と「あなた」の分離も

ありません。

 

ということは、

高い次元での「私」の望む行動は

高い次元での「あなた」の望む行動と

完全に一致します。

 

つまり、

自分も周りも望む行動、

自分も周りもより幸せになれる行動を

今この瞬間に選択する

ことができるということなのです。

 

真本音で生きれば生きるほど、

周りとの調和が

高まっていく理由が

そこにあります。

 

そして、

真本音で生きれば生きるほど

すべての物事が

自然にスムーズに進んでいく理由も

そこにあります。

 

真本音のレベル、

つまりは、高い次元の意識のレベルで言えば、

私達は自分の未来を

完全に決めています。

だって、

過去も今も未来も

「一つ」だから。

 

その決めている通りのことを

粛々と

今この瞬間に実践すれば

よいだけのことなんです。

 

ですから、

真本音で生きるとは

とてつもなく

楽なことなのです。

 

つづく

 

前向きとか後ろ向きとか、気にするな

「誰の真本音も

前向きなのですか?」

 

よく、そうご質問いただきます。

 

確かに皆さんの真本音出しをすると、

言葉としては前向きなものが

出ます。

 

しかし実は真本音とは、

前向きとか後ろ向きとか、

そういった次元にはないものです。

 

前向き・後ろ向き、

プラス指向・マイナス指向

といったものは、

私達の反応本音レベルの「解釈」に

過ぎません。

 

ですから、

「前向きに生きています!」

ということを強く語る人ほど、

その前向きな心の裏側に

(その人曰くの)後ろ向きな気持ち達が

潜んでいます。

 

前向きな心と、後ろ向きな心が

せめぎ合っています。

 

その結果、

前向きな心がわずかでも勝てば、

その人は前向きな行動を

とります。

 

逆に、

後ろ向きな心がわずかでも勝てば、

その人は後ろ向きな行動を

とります。

 

どちらにしても

勝った・負けた

の世界です。

 

どちらが勝っても負けても、

正直言いまして、

大差はありません。

 

前向きと後ろ向きの「葛藤」が

存在し続けていますので、

その葛藤によって

パワーが大量に奪われ続けてしまいます。

 

葛藤とは引っ張り合い、

綱引きと同じだからです。

 

ですので、その人は

疲弊し続けています。

 

疲弊した状態で

どれだけ前向きに生きようとしても

その前向きさは

たかが知れているのです。

 

私達の真本音は

そのような疲れる生き方は

望んでいません。

 

真本音で生きるとは、

自己統合へと続く道です。

 

つまりは、

自分の心と魂のすべてのパワーが

一つの方向に

結集されます。

そこに、

葛藤も引っ張り合いも

ありません。

 

常にエネルギーが満ち足りた

状態となるのです。

 

そういった状態になると

私達人間は、

前向きとか後ろ向きとか

そんなことはどうでもよくなります。

 

そんなことを気にするよりも、

自分の人生の願い、

自分の人生の目的、

自分の人生のミッション

などに楽しく向かっていこうと

自然に思います。

その結果、

自分も周りも幸せ度合いが

必然的に高まります。

 

「いやぁ、今日は俺、

全然やる気出ないなぁ。

サボりたくてしょうがないよ」

と言いながら、笑える人。

 

そう笑いながらも、

自分が決めている行動を

いつもの通りにしっかりと

実践する人。

 

意識の次元が高まれば、

誰もがそうなります。

 

心の状態がどうのこうの、

ということは

関係なくなるのです。

 

そうなるともう

自由です。

 

そしてそうなると逆に、

心の動きの一つ一つを

楽しめるようになります。

 

どのような心があっても、

すべての心を

愛せるようになります。

 

それが本当の

自己承認です。

 

次元が高まったとしても、

低い次元の心が

消えるわけではありません。

 

高い次元から低い次元まで、

あらゆる意識が存在するのが、

私達人間です。

 

私はそこに

人間の神秘と尊厳を

感じます。

 

高くても低くても

すべての自分を愛せる。

それこそが、

高い次元の意識です。

 

そしてそういった意識は

心配しなくても

すべての人の中に

すでに存在しています。

ただそれが

眠ったままの人が多い

というだけのこと。

 

何度も同じことを

書いてしまいますが、

そういった眠ったままの次元の自分を

呼び覚ます一番の近道が、

自らの真本音に素直に生きる、

ということなのです。

 

つづく

 

言葉が素晴らしいだけでは、害にしかならない

区別をつける

というのは、

大切なことです。

 

この世の中には

似て非なるもの

が非常に多いです。

 

つまりは、

表面上は一見、ほとんど同じに

見えるけれども、

本質はまったく異なるもの

というものが多いです。

 

本質がまったく異なる

と言った場合、

それは要するに

次元が異なる、

ということになります。

 

例えば、

ある人がある一言を言ったとして、

その一言が

どの次元から出た言葉か?

によって、

本質は大きく異なります。

 

「我社はお客様の満足のために

存在します」

・・・と言ったとして、

この言葉がどの次元から

出ているかによって、

まったく同じ言葉でも

まったく本質は異なる

ということですね。

 

こういった

似て非なるもの

の区別がつくようになると、

生きることは

とても楽になります。

 

そして私は、

すべての人が、

こういった区別がつくように

なるといいなぁ、と思っております。

私のコーチングサポートは

クライアントさんが

こういった区別をつけられるようになる、

というのも重要な目的の一つです。

 

区別がつくようになれば、

例えばビジネスで言えば、

誰と協業すれば良いか?

とか、

組織で言えば、

誰を「要」(かなめ)として

育てれば良いか?

など、

重要な方向性が瞬時に

判断できるようになります。

 

以前にも書かせていただきましたが、

組織というのは

100人いたとしたら、100人全員を

変えようとしても

変わりません。

それには

膨大なエネルギーと時間が

かかります。

お金もかかってしまうでしょう。

 

しかし、

100人の中の「要」となる人を

見つけ、

その人達を集中的に育てれば、

その人達を中心に

組織はどんどん活性化します。

 

その方が

時間もお金も労力も

圧倒的に少なくて済みます。

 

ですので私は

組織活性化戦略としては

まずは、

「要」となる人を抽出する

ことを重要視しています。

 

では、

どんな人を「要」とするのか?

と言いますと、実は

組織上の立場とか

仕事の能力が高いかどうか、

というよりも

次元で決めることが

多いのです。

 

つまりは、

意識の次元の高い人を

「要」とするのです。

 

意識の次元の高い人は、

次元の高いエネルギーを

注げば、

すぐに変化を始めます。

 

次元の高いエネルギーを注ぐ

というのはつまり、

真本音のメッセージや

真本音による指示を

与える、ということです。

 

例えば、社長が、

会社の理念やビジョンを

真本音で語ったとします。

 

「こんな会社にしたい」というお話を

真本音で語ったとします。

 

するとそれに真っ先に共鳴

するのが、

意識の次元の高い人達です。

 

しかもそれは、

共鳴だけでなく、

行動の変化としても

現れます。

 

真本音で語ったり、

真本音で行動したときに、

そこに真っ先に敏感に反応するのは

意識の次元の高い人です。

 

そういった人達は

たとえ現時点では仕事の能力が

低くても、

すぐに自ら主体的に

能力を高めるようになります。

 

社長の真本音の想いに

共感し、

自らも「そうしたい!」と

強く思うからです。

 

これまでも申した通り、

次元が高いということは、

「すべてが一つ」ということですので、

次元の高い人達は

次元の高い社長の言葉を

「社長の想い」ではなく

「自分の想い」として

受け止めることができるのです。

 

残念ながら現時点においては、

「会社の理念やビジョンの浸透」

という視点で言えば、

真本音ではない理念やビジョンを

創り、

・・・つまりは、次元の低い

理念やビジョンを創り、

それを無理矢理に

次元の高低に関わらずに

すべての社員さん達に

強引に浸透させる、

というやり方を取っている会社が

多いです。

 

それでは理念は浸透

するかもしれませんが、

その理念は社員さん達を

縛るだけのもの

になってしまいます。

 

我社はこういうことを大事に

しているから、

しょうがないから

そうするか。

・・・みたいに、

自分を縛るもの、

自分を制御するもの

として理念を認識するように

なります。

 

よく私は企業研修などで

皆さんにお訊きします。

 

「皆さんにとって

理念は居心地のよいものですか?

自分をどんどん開放できる

ものですか?

それとも、自分を縛るものですか?」

・・・と。

 

私の研修は

皆さんが本音で喋れる場を

創りますので、

皆さん、結構本音を教えて

くださいます。

 

ほとんどの人が、

「我社の理念は、

言葉としては素晴らしいなと

思いますし、共感もできますが、

実は居心地のよいものでは

ありません」

と答えます。

 

これが、

理念の浸透

の実態です。

 

しかし私は、

これでは何の意味もない

と思っています。

いや、むしろ

このような浸透の仕方をするくらいなら

理念などない方がよい

とすら思います。

 

理念やビジョンは

自分事になってこそ

価値のあるものです。

 

自分事になることで、

「この理念があるからこそ

私は自分らしさを発揮できる」

という状態になります。

 

理念があるからこそ、

発想が広がり、

理念があるからこそ、

伸び伸びと行動ができる。

・・・という状態になるのが

理念の本来の存在意義です。

 

そうなるためには、

言葉だけ素晴らしい理念を

創るのではなく、

真本音の理念を

創ることです。

 

そして、それをまずは

意識の次元の高い人達に向けて

発信することです。

 

高い次元では、

すべてが自分事になります。

そこに

「浸透」は必要ありません。

 

それは

「自分のもの」

なのです。

 

ですから、

次元の高い理念を発信すれば、

次元の高い人は

すぐに自分事として

自らの発想と行動を変えます。

 

そういった人を

集中的にサポートすることで

その人達は

大きく成長(進化)します。

 

人の成長(進化)には

高いエネルギーが発生します。

そのエネルギーは

周りに伝播します。

 

それにより、

周りの人達も成長(進化)を

始めます。

 

これが、

組織活性化の原則です。

 

つづく

 

個人も組織も、内側からなら変わっていける

この3次元の世界では、

3次元の現実を生きている

私達の顕在意識が

自分の選択と行動を

牛耳っています。

 

もちろん、

無意識に動いてしまうことも

ありますし、

顕在意識レベルの判断を

潜在意識が大きく左右するという

事実もあります。

 

しかし多くの場合、

最後は

顕在意識の自分、

つまり今ここにいる自分自身の心が

自分の選択と行動を決めています。

 

ですから、

次のようなケースが

起こり得ます。

 

せっかく真本音度合いが高まり

自分の真本音の発想や想いが

わかるようになっても、

その通りに行動することができない、

というケースです。

 

なぜなら真本音による発想は

顕在意識の私達からすると

一見、突拍子もない場合が

あるからです。

 

これまでの自分の行動パターンからすると

信じられないような選択を

しようとする時があるのです。

 

そういった場合、

それでも素直に真本音通りに

行動する人と、

そこで、行動を躊躇し

止めてしまう人に分かれます。

 

真本音で望む選択を

行動する直前で止めてしまうのは

紛れもなく

私達の顕在意識です。

 

つまり、

真本音 対 顕在意識

という構図となります。

 

その場合、

私は思い切って真本音の通りに

動いてみることを

いつもお勧めしています。

 

それは一見、怖いことかも

知れません。

しかしその行動は

自分自身の真本音の望むもの。

ですから、その行動をとることで

私達は、明らかに何かから開放された

清々しさを感じます。

 

なぜ清々しいかと言いますと、

それがその時点での

自分自身の最高次元の選択

だからです。

 

最高次元の自分の選択を

大切にするということは、

自分の進化への最短の道を行く

ということです。

 

私達人間の本能の中心にあるのは

進化への欲求

ですので、それに即した選択は

私達の魂と心を著しく

元気にしてくれます。

 

しかしその元気というのは

気合いを入れるような元気ではなく、

あくまで自然体で

あくまで淡々と

あくまで力の抜けた

元気であり、

しかし確かに内側から

深いエネルギーが湧き続ける

元気です。

 

それを私達は

清々しさとして

自覚します。

 

そういった瞬間を

いかに毎日の中で

増やして行くか、です。

 

そして、

次元が高まれば高まるほど

すべては一つ、

ということになっていきますので、

(→前回記事参照)

高い次元の私達の選択は

私達の周りの人達の幸せにも

直結します。

 

自分も周りも

清々しくなる、

という状態が起きやすく

なるのです。

 

私のコーチングサポートの基本は

ここにあります。

 

・まずはその人の真本音度合いを高め、

・真本音の想いと実際の行動を結ぶ

ということです。

 

これをまずは個人個人で行ない、

そして最善のタイミングで

チーム(組織)全体に広げます。

 

そうすることで

チーム(組織)は

内側から変化を始めます。

 

それは、そこにいる人達自身にとっては

あまりに自然な変化の場合が

多いです。

しかし、側から見ていますと、

かなり劇的な変化に見えます。

 

チーム(組織)というのは本来、

そこにいる人達が

より魅力を増し元気になり、

結果として一人では成し得ない成果を

上げるものです。

 

チーム(組織)となることで、

そこにいる人達が疲弊するのであれば、

何かが不自然なはずです。

 

その不自然さを解消していくのは、

外部からの圧力では

到底不可能です。

 

自らが内側から

変えていく。

 

それが最も自然であり、

そのためのきっかけ創りこそが

私が最も大切にしているものです。

 

つづく

 

出会うのも必然、出会わないのも必然

真剣に生きる人であればあるほど、

出会いというものを

大切にしています。

 

ご縁というものを

大切にしています。

 

奇跡の出会い、

という言葉も時々聴きます。

 

私も本当にこれまで

素敵な出会いがありました。

 

多くの人に救われましたし、

多くの人に力をいただきましたし、

多くの人に支えられました。

 

あの出会いがなければ、

今の展開はないだろうな、と

言える出会いばかりです。

 

出会いとは

人生の宝物ですね。

 

しかしその出会いとは

偶然でしょうか?

 

いえ、

そうではないですね。

 

真剣に生きる人ほど、

出会いはすべて必然であることを

どこかでよくわかっています。

 

自分にとって

本当に必要な人と出会うかどうか?

は、高い次元の私達の意識が

決めています。

 

次元が高まれば高まるほど、

「すべては一つ」

となります。

 

次元が低くなるほど、

すべては分離します。

つまり、「私とあなたは別の存在」

と認識します。

 

私達のいるこの現実世界は

「3次元世界」です。

人の存在という視点で言えば

最も低い次元です。

 

ここでは、すべてが

分離しています。

 

ですから、出会いとか

自分に降りかかる物事の多くは

「偶然である」と認識します。

 

分離しているのですから、

たくさんの分離した存在の内の

ほんの一部と出会うのであれば、

確かにそれは偶然と言えるでしょう。

 

しかし高い次元から見れば、

すべては一つであり

つながっています。

 

誰と誰がどう出会うかは、

必然的に決めることができます。

 

実際に、

私達の真本音は、

自分自身の準備が整うことで

「では、そろそろあの人と出会おうか」

と決めます。

 

決めることで、

出会います。

 

出会うことで、

物事が大きく進展します。

 

しかし逆に、

まだ自分の準備が整っていないな、

と思っている内は、

決してその出会いを実現させません。

 

出会いとは、

自分だけでなく、相手もいることですから、

自分と相手と、

両方の準備が整うことが

条件となります。

 

一方の準備が整っても

もう一方が整っていなければ、

その出会いは実現しません。

 

そういったコントロールを

高い次元の私達は

し続けています。

 

高い次元においては、

「私」も「あなた」も

ありません。

「すべてが私」です。

 

こういった話を書くと、どうしても

スピリチュアル的な表現に

なってしまうのですが、

事実はやはりそうなのです。

 

例えば、今日私は、

嬉しいことに5人の方と出会いました。

すべて、ある一人の人からのご紹介だったのですが、

私は昨日からもう、

自分が喜びで溢れていることを

感じていました。

 

なぜならこの5人は、

私にとっても、その5人の皆さんにとっても

人生に多大なる影響を与え合う関係である

ということが明確にわかっていたからです。

 

あぁやっと準備が整ったな、

だから出会うことができるんだな、

ということがわかったからです。

 

ですから今日の私のテーマは、

喜び過ぎないこと

でした。

 

あまりに喜び過ぎると、

エネルギーが溢れ過ぎてしまいます。

 

エネルギーが溢れ過ぎると、

私達の心がそのエネルギーに

呑まれてしまうのです。

 

そうならないように、

今日は一日、ずっと私は私を抑えていました。

 

しかしそれでも実際にお会いすると

嬉しくてしょうがありませんでした。

 

お会いした瞬間から

私達は一つであるという

実感ばかりが湧き上がってきて、

いかんいかん、

この世界では私達は分離しているんだから、

と何度も自分に言い聞かせました。

 

出会いはすべて

必然です。

 

それはすべて

高い次元の自分が

コントロールしています。

 

そして高い次元の自分とは、

すべてが一つ

である自分です。

 

これを、

理屈でなく

当たり前の「感覚」として

実感できるようになると、

世の中はもっと

健康的に進めると思うのです。

 

出会いを大切にするのは

当然です。

だって、

目の前のその人は

自分自身なのですから。

 

これも理屈ではありません。

 

そう考えなさい、

ということでもありません。

 

あぁそうなんだ、と

当たり前の感覚として

実感することなのです。

 

つづく

 

事実をありのままに書くと、嘘っぽくなる

想像を絶する展開、

という書き方をすると

なんと大袈裟な、

という印象になるでしょうね。

 

このような文章を書いている時

私はいつも思うのです。

 

事実をなかなかその通りには

書けないなぁ、と。

 

なぜなら、事実をその通りに書けば、

なんか嘘っぽくなるんです。笑

 

本当にそんなことあるの?

という疑問符が、

初めての人にはついてしまうでしょう。

 

でも、

事実は小説よりも奇なり

という言葉があるように、

本当は

私達人間が頭の中で想像するよりも

遥かに凄いことが

実際には起こります。

 

で、私はそういうことを

日々、当たり前のように

体験しています。

 

すげーなぁ。

こんな展開になるんだなぁ・・・。

と感嘆することが

毎日の日課のようなものです。

 

人間とは本来、

想像を絶するものです。

 

ですから私は、

想像することを、ある時から

やめてしまいました。

 

どれだけ想像しても、

それ以上のことが起こるからです。

 

想像するだけ損だな、

と、ある時から思うようになりました。

 

そして

想像するだけ、自分を枠にはめてしまうな

とも気づいたのです。

 

私達は私達自身を

あらゆる方法によって

枠にはめています。

 

枠とは限界です。

 

限界にはめることで、

想像を絶する展開を

起こらないようにしています。

 

しかも

想像を絶する展開を起こそう!

と意図すればするほど

それは、自己満足になります。

 

自己満足の想像を絶する展開は

想像内の展開に過ぎません。

 

しかも自己満足は、

自分の次元を著しく下げることにも

なります。

 

すべての意図を手放した時、

初めて想像を絶する展開は起こりますし、

それが起きているその瞬間は

想像を絶する展開、とは

認識しません。

 

その時その瞬間には

当たり前のこと

当たり前の展開が

起きているように思います。

 

普通に

物事が進んでいる。

 

そう思えるのです。

 

でも、ちょっと時間が経った後で

振り返ると、

すげーなぁ、なんでこんなことになったんだ?

とびっくりします。

 

しかもそれはもう

起きてしまったことなので、

後には引けません。

 

先に進むしかなくなるのです。

 

で、ある意味あきらめて

先に進みます。

 

するとそこにはまたもや

凄い展開が待っています。

 

真本音で生きるということは

そういうことになります。

 

そして、

真本音とは

その時の自分自身の最高次元の意識

と言うこともできます。

 

私はすべての人が

真本音度合いが100%になれればいいなぁ

と思っています。

 

そうすれば、

すべての人が

その時その瞬間の最高次元の自分として

物事の判断と決断が

できるからです。

 

すると、

その人にとっての

想像を絶する展開が起こります。

 

しかし、想像を絶してはいても、

その人の心が壊れてしまうほどのものでは

ありません。

 

あくまでも、

その人の範疇です。

 

ちょっと変な言い方になりますが、

その人の魂での範疇

になります。

でも、

その人の心では

想像を絶しています。

 

魂では範疇であり、

しかし心では想像を絶する。

 

その絶妙さ。

 

それを味わえるのが、

その時その瞬間の最高次元の自分で生きる

と言うことです。

 

真本音で生きる

と言うことです。

 

そうなると人は

人生をとてつもなく面白く

感じます。

 

一般的によく言われることですが、

人は、

安定を求めます。

その一方で、

安定を手に入れると逆に

冒険を求めます。

 

例えば、

毎日安定した日々を送ることが

できるようになった人は、

ジェットコースターに乗るような

刺激が欲しくなる、

と言うことですね。

 

これはよく言われることですが、

しかし本当は

安定と冒険は反対のことを言っているのではなく、

安定と冒険は一致するのです。

 

なぜなら人は

自分に出せる最速で前に進んでいる時

こそが

最も安定を感じるからです。

 

魂では範疇にあり、

しかし心では想像を絶する展開を

生きる。

 

これは、

安定と冒険を同時に実感できる

私達人間にとって

最も幸せな人生です。

 

そしてその人生は、

誰もが、

そう、人類全員が

手に入れることが可能なのです。

 

つづく

 

1歳児が100kgのバーベルを持ち上げるよりも・・

一つの「次元」を上がるということは

とてつもなく大変なことです。

 

どれくらい大変か?

という喩えがまたかなり

難しいのですが、

あえて喩えてみましょう。

 

例えば、

まだヨチヨチ歩きの1歳の子に、

100kgのバーベルを持ち上げなさい、

という方が、

100倍も楽なのです。

 

なぜなら少なくとも、

その1歳の子には

持ち上げるべきバーベルが

見えているからです。

 

例えばさらに難易度を上げて、

1歳の子に

バーベルというものをまったく見せずに、

バーペルの説明をして、

100kgという重さの説明をして、

さらに、

そこにバーベルが存在しないにも関わらず、

さぁ今、100kgのバーベルを持ち上げなさい、

と今ここで

強要したとします。

 

その状態でそこに存在しない

バーベルを持ち上げることよりも、

次元を上がるということは

さらに何倍も難しいことでしょう。

 

なぜなら、

今の次元でない一つ上の次元については

まったく何もわからないからです。

 

その存在があることすら

わかりません。

 

無、

と同じです。

 

無を理解したり、

無を実践しようと思っても、

それは無理な話です。

 

しかし確かに「次のワンランク上の次元」は

そこに存在し、

そこを登ることができて初めて、

次元を上がれたことを

私達は認識します。

 

そしてこれまでの自分が

一つ下の次元にいたことを

知るのです。

 

上の次元に行けば、

下の次元は見えるようになります。

 

しかし、

下から上は

無、と同じ。

 

まったくわかりません。

 

まったくわからないので、

努力のしようもありません。

 

逆に言えば、

次元を高めようと努力すると、

ただの「膨張」が始まってしまいます。

 

「次元を高めるために頑張るのだ」

とやれば、

それらはすべて自己満足となり、

次元はむしろ下がっていくのです。

 

しかし私達人間は

誰もが皆、

自らの次元を高めることを

本能的に望んでいます。

それが、

進化だからです。

 

次元を高めようとすればするほど

次元が高まらないのであれば、

じゃあ一体、私達はどうすればよいのか?

 

次元を高める最善最速の方法は

自らの真本音で生きることです。

 

真本音度合いを高める

ことです。

 

私が普段、

次元の話を一切せずに、

真本音の話ばかりをしている理由は

そこにあります。

 

じゃあこのブログでも

次元の話は必要ないではないか、

ということになりますが、

実は、そうもいかないのです。

 

「次元」という存在と意味を

顕在意識レベルで知ることをしなければ、

私達が今望む進化スピードは

出せないということが

わかったからです。

 

一つの次元を上がるのは

本当に大変です。

 

一つ一つの次元のギャップは

それこそ宇宙と同じくらいに無限に

あるのかも知れません。

 

しかしこの次元という

一種の「仕組み」を

私達は知識として知らねばなりません。

 

そのためにも、

この3次元世界の表現で

高い次元のことを表現しなければ

なりません。

 

恐らく次回から私は

あらゆる角度から、

「次元」について語ることになると思います。

 

しかも、

あまりにも当たり前の表現を使って、

まるで次元を高めることが

普通の成長であるかの言い回しで

語ることになると思います。

そうしないと、

顕在意識レベルでの理解が

できないからです。

 

ですが、

どのような私の説明をご覧いただいても、

ぜひ、次のことは

覚えておいていただきたいのです。

 

今、自分がいる場所よりも高い次元のことを

本当の意味で私達が理解することは

不可能である、と。

 

そして、

たった一つの次元を上がること自体も

まるで別宇宙に行くかのような

難易度の高いことである、と。

 

それをおわかりいただいた上で、

短絡的表現としての

次元のお話を、

あくまでも知識として

インプットしてください。

 

つづく

 

今の世の中の多くの成長には終わりがある

真本音で生きる、とは

「進化」の速度を最大にする

ということになりますが、

では、「進化」とはどういうことでしょうか。

 

以前に、「成長」には

2種類あるというお話をしました。

 

一つは、

単なる「膨張」。

もう一つが、

「進化」です。

 

まず、「膨張」とは。・・・

 

これは、規模や能力などが

ただ高まっていくだけの状態です。

 

現時点でのこの世の中では、

「成長」と言われるものの多くが

「膨張しているだけ」です。

 

「膨張」には必ず

終わりがきます。

 

「膨張し切る」ことで

それは破裂するからです。

 

例えば、昔よく言われた

企業の30年説など、

企業が終わりを迎えるのは、

それは「膨張」の結果です。

 

長期的にせよ、短期的にせよ、

必ず終わりが来るのが

「膨張」の特徴です。

 

それに対して

「進化」には終わりがありません。

 

もちろん、

「形」は変わっていく可能性は

あります。

 

「形」とは、

この世における「現象」です。

 

「現象」は変われども、

「実在」は受け継がれます。

 

「形」は変われども、

「命」は受け継がれるのです。

 

そして「進化」とは

シンプルに言えば、

「次元を高めること」

です。

 

少しずつでも

次元が高まり続けているのであれば、

それは「進化」です。

 

それに対して、

何がどれだけ変化しても

「次元が変わらない」のであれば、

それは単なる「膨張」です。

 

では、

「次元」とは何でしょうか?

 

「あの人、次元が変わったね」

とか

「この組織は明らかに

以前とは違う次元になった」

とか、

本当に時々ですが、

そのような表現を聴くことがあります。

 

普段、何気なく

さりげなく、

私達は「次元」という言葉を使いますが、

そもそもそれは

何でしょうか?

 

この説明は実は、

かなり難易度が高いのですが、

ちょっとそれに挑戦してみようかなと

思っています。

 

なぜなら

私のさせていただいている

人や組織のサポートは、

「次元を高める」ことだからです。

 

単なる「膨張」のためのサポートは

一切行なっていません。

絶対に、

したくありません。

 

「次元が高まる」ことで、

自然に成果が高まる、という状態創りが

私のミッションです。

 

ですので本当は、

私のサポートの本質を表現するためには

「次元」のお話を抜きにすることは

できないのです。

 

ちょっとドキドキしますが、

「次元」について、

ゆっくりじっくりと

語っていくことにします。

 

今、

平井さん、木村さん、弓江さんのお話も

止まってしまっていますが、

どうしても、「次元」という概念を

取り入れなければ、

先に進めないのです。

 

「先に進む」のが

2018年のテーマです。

 

明日から挑戦してみます。

 

つづく

 

徹底的に人と向き合い続けて実感すること

前回、前々回と、

「若者を妨げてはならない」

というお話を書かせていただきました。

(→前回記事)

 

が、ここからは、

ただし、・・・・

というお話をしなければなりません。

 

ただし、

条件があるのです。

 

すべての若者を妨げてはならない、

ということではなく、

一つ重要な条件があるのです。

 

それは、

真剣な若者、

もしくは、

真剣になろうとしている若者

に限る、

ということです。

 

言葉を換えるならば、

自律している若者、

もしくは、

自律しようとしている若者

に限る、

ということです。

 

「自律」については、

また改めてじっくり書かせていただく

ことになると思います。

が、ここでは深追いしないままに

書き進めたいのですが、

実は、

すでに自律している若者は

結構いるのです。

 

ただし本人は

「これが自律である」

とは認識していません。

むしろ、

大人達、先人達を見ながら、

自律している自分を

「ダメな生き方だ」と認識してしまい、

せっかくの自律の芽を

自ら踏み潰してしまっている、

という状況にあります。

 

人生の先輩の生き方・行き方を

学ぶことで、

自律から依存の生き方に

自ら修正してしまっているのです。

 

これを私は

社会の損失だと

強く思います。

 

「それこそが自律で、

それこそが重要なんだ」

ということを教える大人が

必要です。

 

少し強烈な表現を使いますが、

私達の世代は、

「依存し合うことで成り立つ社会」

を創ってしまったのでは

ないでしょうか。

 

そして残念ながら、

多くの若者達は、その依存社会に

染まってしまっています。

 

しかし、そこに染まらずに

経験が少ないにも関わらずに

毅然と進もうとしている若者も

いるのです。

それが、

・自律している若者

・自律しようとしている若者

です。

 

私は、そういった彼らを

妨げたくない、かつ、

後ろから後押しができるとよいなぁ、

と思っています。

 

彼らを導くのは

彼ら自身。

 

私が、他者が

導くのではありません。

 

彼らが自らを

存分に導けるような

後押しこそが、

今の世の中には必要です。

 

さて、もう一度ここで

ただし、・・・です。

 

自律している、もしくは

自律しようとしている若者の比率は、

私の実感値だけで申せば、

恐らく2割くらいです。

(結構、多いでしょ?)

 

あとの8割は

鍛えなければなりません。

 

しかし8割の内の半分以上は、

きちんとした刺激を与えれば、

自律、もしくは、自律しよう

とし始める可能性が高いです。

 

しかし適切な刺激がなければ、

依存的人生へまっしぐら

でしょう。

 

依存ではなく自律の道へ

大きく転換するための

適切な刺激を与えるのも、

私達世代の役割であり、

私のやりたいことでもあります。

 

私はこれまで、

本当に多くの人と

向き合ってきました。

 

もちろん、

自分自身とも

徹底的に向き合い続けました。

 

その中で一番実感するのは、

人の持つ

神秘さ

です。

 

人は、

神秘です。

 

人というのは、

向き合えば向き合うほど、

理解すれば理解するほど、

神秘のベールに包まれている“何か”を

より強く実感します。

 

私はその神秘さを、

この世の中でもっともっと

発現させたい。

 

先日出会った

ある20代半ばの社長が、

言われていました。

 

「私は、

シンギュラリティの先の世界を

見届けたい。

そこに責任を持ちたい」

と。

 

この想いは

私も同じです。

 

人が為すことに対して

人として責任を持つ。

 

そのために自分には何ができるか?を

真剣に試行錯誤する。

 

この当たり前の感覚と行動力を

持つ人を

私は増やしたい。

 

これが今の私の

重要なミッションの

一つです。

 

つづく

 

経験がなければできない、は古い

「心を込める」というのと

「魂を込める」というのでは

本質的にまったく異なるものがあると

私は思っています。

 

かなり短絡的な表現になるのですが、

・心の意志とは、反応本音

・魂の意志とは、真本音

という区別の仕方をするのも

ある意味、わかりやすいかもしれません。

(本当はちょっと違いますが・・・。)

 

真本音で生きる、

とは

魂を込めて生きるということに

なりますが、

魂を込める、というと

かなり力の入ったイメージや、

精も根も尽き果てる

という印象がありませんか?

 

実際にはまったく

逆なのです。

 

魂を込めることで

私達の心はとても自由になります。

力が抜けます。

 

魂が込められているので、

心の次元で力を入れる必要が

なくなるのです。

 

ですから、

魂を込めて生きている人、

つまりは、真本音で生きている人

の多くは、

とても自然体です。

 

人の個性にもよりますが、

どこか飄々としており、

取っつきやすく、

いい意味で、いい加減で

一緒にいてまったく疲れません。

(立場上、あえて疲れる雰囲気を

出している人もいますが。

それはあくまで、立場上です。)

 

しかしそういった人と向き合うと、

私はその人から

とてつもないパワーが伝わってくるのを

感じます。

 

そのパワーは表面上のことではないので、

お腹の底からジンジンと

伝わってくる感覚です。

 

表面上で気合いを入れまくっている人とか、

言葉レベルで

「魂を込めろ!」とか「命を込めろ!」

と言っている人の多くからは

私はまったくパワーを感じません。

むしろ、

無理に表面上だけ取り繕っている感じで

パワーを奪われます。

 

魂を込めて生きている人は

一見、力が抜けていますが、

一緒にいるだけで、

内側からこちらもパワーが湧いてくるのが

わかります。

そういった人と一緒にビジネスができると

とても幸せです。

皆がどんどん

元気になるからです。

 

ビジネスとは「結果」が大事ですが、

「結果」だけが大事なわけでは

ありません。

 

パワーがどんどん高まりながら

「結果」が出ているのか、

反対に、

疲弊をしながら「結果」が出ているのか、

を私はいつも重要視します。

 

いくら結果が出ていても、

疲弊度が日々増しているようなら、

何かを抜本的に変えなければ

なりません。

 

ある意味、私は

「結果は出ているけど日々、疲弊度が増している」

という状態を最も問題視します。

 

「人のパワーが日々高まり続けることで

自然に結果が出続ける」

という状態創りが、

本来のビジネスだと思うのです。

 

こういったことを言うと、

「いやいや、ビジネスとは

そんな甘いものではないのですよ」

という声を、

私はこれまでさんざん聴いてきましたが、

私はそれこそが、

「反応本音時代のビジネス」

であると思っています。

 

時代は変わったのだと言うことを

まずは私達自身が

認識しなければなりません。

 

私達はもっと「幸せ」に

物事を進めることができるのです。

 

そしてそれを「若者」達は

本能的によくわかっています。

 

結局、何が言いたいのかと言いますと、

そういった「若者」達を

妨げてはならない、ということです。

 

「若いから甘い」

「若いから何もわかっちゃいない」

という認識こそが、

これからの時代では、古いです。

 

「経験がなければ、できない」

という時代も

終わったのです。

 

むしろ、私達の世代の「経験」とは

「反応本音の時代を生き延びるための経験」

です。

 

時代が変わった今、

その経験に捕らわれることこそが

命取りです。

 

時代は、

変わったのです。

 

「反応本音の時代」は

とうに終わり、

「真本音の時代」に

入っているのです。

(→前回記事)

 

人の働き方。

ビジネスの仕方。

組織の在り方。

それらを、

これまでの経験則を超えて、

抜本的に変革するのが、

今の私達のテーマでしょう。

 

そしてそれは今は、

まだまったく進んでいません。

 

世界の最先端と言われる

企業や組織においても、

それはまだまったく

進んでいないのです。

 

・・・という現実と

まずはしっかりと向き合わねばならないと

私は今、

日々、痛感しています。

 

つづく

 

若者達を妨げてはならない

世の中には「潮流」というものが

あります。

 

一人一人の個人が集まることで

組織が成り立つのと同様、

社会も一人一人によって

成り立っています。

 

ですから、

個人の心の状態の集積が

社会全体の潮流を生み出すことが

とても多いです。

 

社会全体の「潮流」が

根本的に変化したことがこれまでに

一度、ありました。

 

それは、約4年半前です。

 

2013年7月から8月にかけて。

「潮流」は大きく変化しました。

 

2013年7月以前を私は、

「反応本音の時代」

と呼んでいます。

そして、

2013年8月以降を

「真本音の時代」

と呼んでいます。

 

反応本音の時代とは

「現象のみの時代」と

言い換えることもできます。

 

現象とはつまり、

現実です。

 

一方、真本音の時代を

「実在→現象の時代」

と言い換えることもできます。

 

実在とは、

心の中の世界を言います。

 

つまりどういうことかと言いますと、

真本音の時代に入ってからは、

心の中の想いと現実が

結びつきやすくなったということです。

 

実在→現象化が

起こりやすくなったのです。

 

それ以前の時代は、

心の中を無視してもいいから

とにかく現象(現実)を創り出す力のある人が

成果を生み出しやすい時代でした。

 

私の言葉を使えば、

たとえ真本音の想いがあったとしても、

それを現実化するのが

非常に難しかったのが、

反応本音の時代です。

 

そこでは、自分の想いが

本当か、それとも刹那的か、

ということには関係なく進んでも

成果にはさほどの違いが見られない

時代だったとも言えます。

 

しかし、

真本音の時代に入ってからは、

今、ここにおけるこの行動は、

本当の想いから生まれたものなのか否か?

によって、成果の出方に大きな影響が及ぶ

ようになりました。

 

想いが現実(カタチ)に影響を与える

度合いが、

圧倒的に大きくなってきています。

 

実は、それこそが

本来の世の中の在り方で、

それ以前の反応本音の時代は、

想いと関係なく現実が創られてきましたので、

ある意味、とても不自然な時代

でした。

 

不自然な時代から

自然な時代へと

「潮流」が変化したのです。

 

ところが、

2013年8月から真本音の時代に入ったこと自体は

よかったのですが、

それはあまりに根本的な変化であったために、

私達自身がその変化に

ついていけない状態が続いていました。

 

一言で言えば、

「戸惑い」の状態にありました。

 

「潮流」が変わったことは

誰もが、心の奥底では感じ取っていたのですが、

では具体的に何をどう変えれば良いのか、

自分がどう変われば良いのか、を

誰もがわからずに、試行錯誤を

続けました。

 

その試行錯誤は

かなり激しい試行錯誤でした。

 

真本音の時代に入れたことを

感じ取った当時の私は、

これで世の中は安定する、と

喜んだのですが、

そこからの4年半は、安定どころが、

混乱と混沌ばかりが起きました。

今もそれが

続いています。

 

これからも

続くでしょう。

 

私達はまだ、「戸惑い」の中に

います。

 

しかし、私は今、

とても強く感じています。

 

真本音の時代という

自然な時代に適応し始めている人が

確かに増え始めていることを、です。

 

特にそれは

20代前後の若い人達を中心に

増え始めています。

 

これは、

希望です。

 

真本音の時代において、

自らの本当の想いをカタチにしていく

若者達。

 

昨年末から、私はそういった人達との

出会いを重ねてきています。

 

私は願います。

 

真本音の時代を

誰よりも躊躇なく生きることのできる

彼らを

妨げないようにしたい、と。

 

彼らが、もっともっと自由に

自然に、

想いをカタチにできる場を

世の中に提供したい、と。

 

そのためにできることは

何だろうか?

 

それを今、私は

真剣に考えています。

 

つづく

 

もう妥協の自由から抜けませんか

私達はなぜそこまでして

『超加速』を望むのか?

(→前回記事)

 

そのもう一つの答えは、

私達は「自由」になりたいからです。

 

真の「自由」を手に入れたいのです。

 

しかし、

真の「自由」とは何か?

をわかるようでわかっていないのが

現在の私達かも知れません。

 

「自由」とは何か?

これも私の30年来の探究テーマですが、

でもよくよく考えると、

このテーマは、人類共通かも知れません。

 

「自由」を実現しよう、とすることが

人類の根本欲求の一つであり、

そしてそれは「進化」を望むことと

恐らくイコールです。

 

「自由」については、

様々な視点からいろんな議論ができると

思いますが、

ただ、ここで私が確信を持って

お伝えできることが一つあります。

 

それは、

真の「自由」とは

進む者しか手に入れることはできない

ということです。

 

しかもその進むスピードとは、

私達の真本音が望むスピードです。

 

つまり、

真本音の望むスピードで進むことにより、

私達は真の「自由」を実感できる、

ということです。

 

私達は、

どれだけ現象レベル(現実レベル)で

「自由」を得ても、

本当の意味で満足することは

ありません。

 

環境的な自由を手に入れても、

必ず私達の心は何かによって

縛られるのです。

 

現象レベル(現実レベル)では、

どれだけ「自由」を求めても、

求めれば求めるだけ、

「自由」は遠のきます。

 

しかしその中で、

妥協してしまう人がいます。

「まぁこれだけ自由だからいいじゃないか」

と自分を納得させます。

 

それは、「妥協の自由」です。

 

真の「自由」とは、

私達の魂も心も満たされるものです。

 

そしてそこには、「スピード」が

必須要因なのです。

 

「スピード」とは、

人生を進めるスピードであり、

進化するスピードです。

 

真本音で

「今、こうしよう」と思ったことは、

今、行動に移すのです。

 

それを一瞬でも後回しにしたら、

その時点で、真の「自由」からは遠のきます。

 

しかし本当に

決めたことを決めた通りに

決めたタイミングで行なうことができれば、

その瞬間、私達は真の「自由」を得ます。

 

その連続が、

「自由な人生」となります。

 

それをし続ける人は、

本人が意図せずとも自然に

「超加速」をしているでしょう。

 

つまり「超加速」とは、

しなければならないもの、ではなく、

自然にしているもの、であり、

それができている状態が「自由」です。

 

本人は極めて「幸せ」であり

「自由」なのです。

 

そしてそれは私達人間が最も

「安定」を感じている時でもあります。

 

「超加速」とは

それをする前の私達にとってみれば

とても怖いことかも知れません。

 

しかし、いざ「超加速」してみれば、

それが最も安定であり安心なのです。

 

私達の真本音は

そういった、最も安定で安心の道を

行こうとしているのです。

 

つづく

 

その空虚感はどこから来るのか

『超加速』

・・・それは、新たな自分との出会いです。

 

しかし「新たな自分」と言っても

別物の自分になるわけではありません。

 

「本来の自分」を取り戻す、

ということです。

(→前回記事)

 

ではなぜ私達は、

そこまでして、「超加速」をしようと

するのか?

 

なぜそこまでして

「本来の自分」を取り戻そうと

するのか?

 

まず最も単純な答えは、

それこそが、幸せだからです。

 

私達は、「本来の自分」を取り戻すために

生まれてきた、と言っても過言ではありません。

 

そのためにわざわざ、

「本来ではない自分」として

ここにいます。

 

わざと「本来ではない自分」として現れ、

「本来の自分」に戻っていく。

それをすることで、

「本来の自分」を進化させることが

できるのです。

 

その「進化」こそが、

私達の根本的な欲求であり、

本能の中心に位置するものです。

 

「人間は進化のために存在する」

と言い切っても良いのではないか、と

私は多くの方々と徹底的に向き合う中で、

そして自分自身と徹底的に向き合うことで

知ることができました。

 

「進化の過程にいる」という実感を得ることで、

私達は「根本的な幸せ」を

感じることができます。

 

何かが足りない。

どうしても空虚感が拭えない。

どれだけ現実が幸せな状態になっても

満たされない。

・・・それらはすべて

「進化」の実感がないからです。

 

「進化」の実感がないことで、

私達は生きる意味を見失いなす。

虚脱感や虚しさに

苛まれるのです。

 

単純なことなのです。

 

ですから、2018年以降は、

皆が一気に「本来の自分」を取り戻し、

進化を遂げ、

進化した自分としてさらに先に進もう、

・・・そう考えています。

そしてそのために、

今、何をすれば良いか?

の答えが、私達の真本音の意思です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

その問いを常に、

自分自身に投げ続けることです。

 

「思考する」のではなく、

「自問自答する」のです。

 

つまり、

頭の中で理論的な答えを無理に

見つけるのではなく、

・自分に問いを投げ続け、

・自然に浮かぶ答えに

・素直に動く

のです。

 

さて、

私達はなぜ、「超加速」しようと

しているのか?

その答えは、

他にもあります。

 

つづく

 

これまでの延長線上から逸脱しよう

『超加速』についてのお話を

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

「超加速」を

少し別の視点から表現しますと、

私達は、これまで自身が現してきた

「最高の自分」を

大きく超えようとしている

という言い方もできます。

 

これまで自分自身が

発することのできた最高の輝き。

最高の魅力。

最高の力。

 

それらを大きく

逸脱しようとしています。

 

これまでとは次元の異なる

自分自身を

この世に発現しようとしています。

 

ですので「超加速」とは、

これまでの延長線上のお話では

ありません。

 

喩えて言うならば、

これまで地上を走り回っていた私達が

「超加速」をすることで、

空を飛べるようになる、とか。

 

これまで地球上を飛び回っていた私達が

「超加速」をすることで、

大気圏を突破し、ついには宇宙に

出てしまう、とか。

 

これまでの「世界」を完全に

逸脱するのが「超加速」です。

 

そのため、加速の仕方は、

過去の私達の経験則の中には

存在しません。

 

「これまではこのようにやってきたから」

という過去のやり方を参考にしているようでは、

「超加速」は決してできません。

 

「これが私だから」という

これまでの自分に固執しているようでは、

「超加速」はできません。

 

まったく新しいやり方、

まったく新しい在り方、

まったく新しい行き方、

それらを実践する者こそが

「超加速」をします。

 

そのためには、

私達は私達自身の真本音に

委ねるしかありません。

 

すべての答えは、

私達の真本音がわかっていますから。

 

とはいえ、

真本音というのは、もちろん

「私以外の何か」ではありません。

例えば神様のような存在が

私達を導いてくれるわけではありません。

 

真本音とは、

本来の私、です。

 

本来の自分自身の意思に

耳を傾けるということです。

 

つまりは、

「超加速」とは

本来の自分自身の望む生き方を実践する

ことにより成されます。

 

そのための最も基本的な問いが

あります。

 

それは単純です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

・・・です。

 

本当の自分の意思をキャッチしてください。

そして今この瞬間、

その意思に素直に動いてください。

 

動かなければ、

何の意味もありません。

 

想いだけをどれだけ持っていても

行動に移さなければ

何もないのと同じです。

 

その、行動に移せるかどうか、こそが

「超加速」できるかどうか、の

境目です。

 

あぁ今、私はこれをしようと思っている、

とわかったその瞬間に

行動に移すことです。

 

ほんのわずか、遅れるだけで

もうそれは「超加速」とは

言えません。

瞬発力が

大事なのです。

 

ではなぜ、

そこまでして「超加速」を

しなければならないのか?

 

その答えは

明確です。

 

つづく

 

加速を超えた『超加速』をしようとする人がいる

焦りは禁物。

・・・こんな言葉があります。

 

確かにそうです。

 

焦ることで逆に、

物事の進展は著しく遅くなります。

 

しかしその一方で、

私達は「加速」をしなければ

なりません。

 

「しなければなりません」と書くと、

しなければならない義務という

受け取り方になるかも知れませんが、

そうではなく、

今、多くの人達の真本音が

「加速」を強く望んでいます。

 

真本音の望みを叶えるためにも、

真本音の望み通りに進まなければ

ならないのです。

 

「加速」と言うと、

ちょっと怖い気がしますか?

 

実際にその多くは、

怖さが伴います。

 

今は、自分自身が経験したことのないような

激しい「加速」を望む人が多いですから、

それは、挑戦です。

 

まるで未開の大地に入るようです。

 

あまりに凄い加速なので、あえて

『超加速』

と呼んでもよいでしょう。

 

実は、2017年は、

その「超加速」に挑戦しながらも、

あまりの怖さのために反対に

止まってしまった人が多かったのです。

 

止まった人達は皆、一様に

激しく後悔しています。

 

一度、止まってしまうと、

再び進み始めるのには相当の

時間とエネルギーが必要だからです。

 

もう一度始めからやり直しのような

事態になり、

止まってしまった自分を責めながらも

しょうがないので、

本当にゆっくりゆっくりと進み始めています。

 

私達はこれまでの人生を辿りながら、

今、私達の真本音の望む「超加速」を

するための準備をしてきました。

 

2017年は、

何割かの人達が「超加速」に

挑戦しましたが、

それはまだ全体で言えば、

ほんのわずかな人数です。

 

2018年は、

一気に多くの人達が

「超加速」に挑戦します。

 

それをサポートするのが、

私の役割であり、2018年のテーマでも

あります。

 

この文章をお読みいただき、

あぁその「超加速」をする人というのは、

私のことかも知れないな、

と、

ほんのわずかでも思ったとしたら、

ほぼそれは、間違いありません。

 

そういう方々に

私はまずは、お伝えします。

 

焦りは禁物です。

 

「超加速」をするからこそ、

リラックスをしましょう。

 

顕在意識のレベルで、

気負ったり、変な気合いを入れてしまうと、

逆に心も体も固くなります。

 

大切なのは、

自分自身に委ねるように

することです。

 

私達の発想と行動は、

私達自身の真本音が

導いてくれます。

それに

委ねるのです。

 

そして、

えっ? なんで私はそんな行動を

とろうとしているのだろうか?

と、

これまでの自分のパターンとは

まったく異なる選択を

自分がしようとしているときは、

それを客観的に楽しんでください。

 

心はリラックスしながら、

一つ一つを楽しむ。

 

それをし続ける人こそが、

「超加速」に乗れる人です。

 

そうなんです。

「超加速」とは、

とてつもなく、楽しいものなのです。

 

つづく

 

節目に大きく変わるものがある

明けましておめでとうございます。

 

皆さんにとって

2017年とは、

どのような一年でしたでしょうか?

 

そして、

2018年を

どのような一年にしたいですか?

 

私達の人生には

様々な節目があります。

 

節目とは私達にとって

とても大切なものです。

 

もちろんそれは、

真本音レベルでも言えることです。

 

例えば、

今この文章を書いているこの瞬間に、

ちょうど0時00分になりました。

つまり、

2017年が終わり、

2018年が始まりました。

 

その瞬間の私自身の真本音に

意識を向けますと、

まずは、色が変わったのが

わかりました。

 

先程までの私の真本音が発していた色は

「赤」でした。

 

それが、2018年が始まった瞬間から

「薄い青」に変わりました。

薄いと言っても、本当に薄いわけではなく、

本当はとても濃いのですが、

光が強過ぎて、薄く見えるのです。

 

と同時に、

これまでその光は、

一点に、とても強いエネルギーを

集中させていましたが、

今は、まるで台風のように、

周りに向かってエネルギーを放出し始めています。

 

ただしそれは、

まだまだ非常にゆっくりです。

しかし、

だんだんと、日にちが進むに連れて、

回転は速くなるでしょう。

 

この私の真本音の変化が

何を意味するか?については、

これからゆっくりとセルフコーチングを

することにします。

 

ただ、この台風のようなエネルギーを

見つめていますと、

ある一つの言葉が浮かんできます。

 

それは、

『出会い』

です。

 

恐らく、これから私は

数多くの人達と、出会っていくことに

なるでしょう。

 

そして恐らく、その出会い方は、

そのスピードは、

これまでの比ではないと思えます。

 

きちんと出会うべき人と出会えるために、

私は、一日一日、

すべきことを着実に行なっていくでしょう。

 

もちろんこれまでもそうして来ましたが、

これからは、

ちょっと枠を外すかも知れません。

 

このように、

何かの節目を越える度に、

私達の真本音は、

テーマを変えます。

 

人生における揺るがぬ願いやビジョンは

変わらずにあり続けますが、

そこに向かうためのテーマは、

その時その時に変化します。

 

皆さんも

同じです。

 

そう言えば、

先日、ある方から

「真本音というのは、魂のことですか?」

と尋ねられました。

 

正確に言えば、少し違うところもあるのですが、

まぁでも、

そう捉えていただいても間違いはありません。

 

真本音とは、

自分自身の魂であると捉えてみて、

自分は心ではなく魂では、

2017年は、何を大切にしてきて、

2018年は、何を大切にしようとしているのか?

 

そんな目線で、

自分自身と向き合ってみると

よいですね。

 

2018年、

皆さんにとって、羽ばたく一年と

なりますように。

 

つづく

 

表面を観察し、その奥にあるものを理解する

前芝さんには実は、先天的に

リーダー的要素や、開拓者としての性質が

備わっているにも関わらず、

まったくそれに気づかず、

むしろムードメイカーや縁の下の力持ち、

もしくは、人のサポート役としての彼を

ずっと育てようとしていたことに、

木村さんも弓江さんも少なからず

ショックを受けたようです。

(→前回記事)

 

しかしそれは

本当によくあることなのです。

 

表面にいつも現れる個性が、

その人のすべてではありません。

しかし、

そんなことはわかっているにも関わらず、

私達はついつい、

その人の表面上の振る舞いのみに

目を奪われます。

 

その振る舞いが、その人そのものである、

と勝手に思い込みます。

 

私が、どこの企業様のサポートに入っても

必ず、

『真本音と反応本音』

という概念をお伝えするのは、

その「思い込み」を超える目的が

あるのです。

 

「人の心には、

真本音と反応本音がある。」

・・・これは、視点を

与えているわけです。

 

この視点を持つだけで、

表面上に現れる振る舞いのほとんどは

「反応本音だな」

という見方になります。

すると、その後に必ず、

「では、その人の真本音は何だろう?」

という、一歩理解を深めようとする

眼差しが自然発生します。

 

もしくは、

「今のこの人の振る舞いは、

真本音によるものだろうか?

反応本音によるものだろうか?」

という目線で、

人を見ることもできるようになります。

 

こういった「区別」をしようとする

視点を持つだけで、

物事の見え方は随分と変わります。

 

そして、

真本音と反応本音という言葉自体を

社内の共通言語とすることによって、

ミーティングなどの議論も、

明らかに深まります。

 

例えば、営業ミーティングでも、

お客様の声にそのまま御用聞きのように

お応えするのではなく、

「あのお客様は真本音では

何を望んでいらっしゃるのだろうか?」

ということを徹底的に発想し合います。

すると、

非常にシンプルでかつ、奥の深い

ご提案につながります。

 

ただし、

その人の真本音を理解するためには

その人の反応本音と

反応本音に基づく振る舞いを

あるがままに観察することが重要です。

 

観察によって、

直観的に、その人の真本音を

キャッチすることができるからです。

 

その人の真本音とは、こちらの解釈によって

明らかになるものでは

決してありません。

 

「その人の真本音とは何だろう?」と

考え続けることは大事ですが、

考えながら理屈で導き出すものでは

ありません。

思考と観察を繰り返しながら、

自然に直観として明らかになるものです。

 

こういった、

真本音キャッチの方法も訓練が

必要です。

が、コツさえわかれば、誰もができるように

なります。

 

私は、すべてのビジネスマンが

これができるようになれば、

世の中にはもっともっと

本質的に人が幸せになれるビジネスが

増えるはずだと確信しています。

 

木村さんと弓江さんは

少し自信をなくしてしまったようですが、

こういった一歩一歩も訓練の内です。

 

私たちは、さらに真本音の視点から、

前芝さんについて

発想を続けました。

 

つづく

 

本来の個性とは別のものを、自分であると思い込む

どうも前芝さんは、側から見ていても

人生のテーマがわからなくなってしまうくらいに

真本音度合いが低まっているようです。

 

「前芝さんの本来の個性、

天性の個性、

先天的な個性

は何だと思いますか?」

(→前回記事)

 

「先天的な個性ですか・・・。

ここまで考えていると、

彼については何が何だか

わからなくなってきましたね。

私が個性だと思っていたものも、

とても表面的なものだと

感じてしまいます。」

・・・と、弓江さん。

 

「ちなみに、

その表面的な個性というのは

どのようなものですか?」

 

「はい、

先ほど申したのと同じになってしまいますが、

素直さとか、明るさとか、

ムードメイカーの力とか。」

 

「でも、どうもそれは今となっては

本質的な個性ではないということですね?」

 

「そうですねぇ。

彼の本当の個性は何だろう?・・・」

 

ここで木村さんが

口を開きました。

 

「実はですね、

ちょっと私は彼に関しては

感じていることがありまして・・・。」

 

「どのようなことですか?」

 

「はい、今ふと思ったんです。

今の今まで明確に気づいていたことでは

ないのですが、今、

あっそっか、とちょっと思ったことがあります。」

 

「ほう。」

 

「実は私は、

彼は笑っている時よりも、

真剣な表情をしている時の方が、

魅力的ではないか、と。」

 

「おぉ、なるほど!」

 

「本当に時たまですが、

ハッとするくらいの魅力的な顔をする時が

あるんです。

もちろんその逆に、

暗さの漂う表情をする時もあります。

そのギャップが激しいですね。」

 

「彼はどんな瞬間に、

その真剣で魅力的な表情を見せるか、

わかります?」

 

「う〜ん、どんな時でしょう・・・。」

 

「一番最近で、その表情を見たのは

いつか思い出せます?」

 

木村さんはしばらく

じっと考えていました。

 

「・・・、あぁそうか。思い出しました。

先日、前芝と一緒にあるお客様と

打合せをしていたのです。

その時に、お客様が前芝のことを

頼りにしている、というようなことを

おっしゃったんです。

その言葉を受けた瞬間の彼の表情が

とても良かったのです。」

 

私はこの時、

前芝さんの「実在」に意識を向けながら、

木村さんのお話を聴いていました。

 

すると木村さんのその言葉の直後に

前芝さんの先天的な個性が

直観的に、彼の「実在」から伝わってきました。

 

「あぁ、わかりました。

彼の先天的な個性が!」

 

「ホントですか!」

 

「なるほどぉ。

これはなかなか・・・。」

 

「何ですか? 彼の個性は?」

弓江さんはとても興味深げな表情です。

 

「開拓者、です。」

 

「開拓者!?」

 

「はい。

道なきところに道を創ろうとするのが、

彼の本当の個性であり、強みです。

恐らく、これは間違いありません。」

 

「へぇ・・・、そうなんですか。

まったく、今の彼とは真逆ですね。」

 

「はい。

先ほどわかった彼の人生のテーマである

“純粋に人をリードする”

というのも、この個性に基づいている

ものだと思います。」

 

「そうかぁ・・・。」

と木村さんは深い溜息をつきました。

 

「いやぁ・・・。

彼自身もそんな個性が自分にあるとは

思ってもいないと思いますが、

私もまったく気づいていませんでした。

でも、今言われると、一方では

確かに!と思えるから不思議です。」

 

「私も、今言われて、

まったく違和感がありません。

やはり何となくわかっていたんですね、

私達も。」

 

「しかし、ついさっきまで私は前芝の個性を

リーダーとは真逆なものだと

思っていましたら、その真逆なものを

育てようと思い続けていました。

本来の彼の個性ではない部分を、

周りが育てようとしていた、ということですね。

こういったことはよくあることなのですか?」

 

「はい、とても多いです。

本来その人が持っている個性とは

まったく別のものを、

本人も周りも育て続けるケースですね。

残念ながら、企業ではとても多いです。

で、その別のものを

自分の個性だ、と誤解しながら生きるのです。」

 

つづく

 

現実逃避に真剣になっている人がいる

「前芝さんの人生のテーマ、

真本音のテーマとは何でしょう?」

 

との問いに、木村さんと弓江さんは

ほぼ同時に

 

「彼に、それがあるとは

思えません。」

 

と答えました。

(→前回記事)

 

弓江さんが言います。

 

「真本音がない人というのは

いるのでしょうか?」

 

「それはないですね。

真本音がなければ、人間として

ここに存在すること自体ができません。」

 

「でも、真本音のテーマ、と問われて

わかったのですが、

彼から真本音をまったく感じないのです。」

 

木村さんも頷いています。

 

「それは恐らく、

真本音が反応本音の中に完全に

埋もれてしまっているのでしょう。

それだけ彼の状態や

これまでの生き方が

彼にとって良くないということですね。」

 

私は前芝さんの「実在」に意識を

向けました。

 

完全に埋もれてしまっている真本音でも

確かに存在はするのです。

 

しばらくじっと彼の「実在」に意識を

向け続けていると、

何となく、彼の真本音のテーマが

伝わって来ました。

 

「前芝さんの実在から直観的に

わかった彼の真本音のテーマですが、

それは恐らく、

”純粋に人をリードする”

だと思います。」

 

「リード、ですか!」

と、二人はびっくり。

 

「今の彼と真逆ですね。」

 

「だから真本音が隠れてしまった

のでしょうね。」

 

「ということは、彼の真本音度合いは

今はかなり低いということですね?」

 

「そうです。

低いです。」

 

「ということは、

彼が要(かなめ)になるということは

あり得ないということですね?」

 

「いえ、そうとも限りません。

真本音度合いの低い人が

真本音度合いを高めることで、

一気に開花し、

組織の要となって大活躍した、

という例がいくつかはあります。

反動が大きい分、影響も大きいのです。

ただし、それはあくまでも

稀なケースですが。」

 

すると、

木村さんが言いました。

 

「たけうちさん、

埋もれてしまっている彼の真本音を

掘り起こすことはできるのでしょうか?」

 

「それはもちろんできますよ。

ただし、どれだけ時間がかかるかは

未知数です。」

 

真本音が完全に埋もれてしまっている人

というのは、実は結構います。

そういった人は皆、

「現実逃避」

に入ります。

 

変な表現ですが、

「現実逃避に真剣になる」

のです。

 

そうなるともう、

自ら真本音度合いをどんどん

落としていくことになります。

 

ただし前芝さんの場合は、

まだそこまでのひどさは感じませんでした。

 

彼の場合はまだ、

ある程度の刺激によって

真本音が顔を覗かせそうです。

 

しかし、どのような刺激を

入れれば良いか?については

直接お会いしなければわかりません。

 

私はもう一つ、

お二人に訊きました。

 

「前芝さんの本来の個性、

天性の個性、

先天的な個性

は何だと思いますか?」

 

つづく

 

見せかけの人生は苦しいだけ

「前芝さんって、

人のことが好きなのでしょうか?」

 

この唐突な私の問いに、二人は

えっ?という顔をされました。

(→前回記事)

 

弓江さんが口を開きました。

 

「多分、もうちょっと前に同じ問いを

私が受けていたら、

前芝は、人のことが好きです、

と答えていたと思います。」

 

「でも今は違うと?」

 

「はい。

前芝に対する印象が、私はかなり

変わった気がします。

極端な言い方になってしまいますが、

彼は、人が嫌いなのではないかと

今は思ってしまいます。」

 

「なぜ、彼は人が嫌いなのでしょう?」

 

「恐らく、自分のことが

嫌いなのではないかと・・・。」

 

「でも、彼自身はそのことに

気づいていないわけですね。

自分が自分を嫌っていることに

フタをしている・・・。」

 

「はい、そう思うと、

いろいろと合点のいくことがあります。」

 

「例えば?」

 

「いつも彼は明るい雰囲気なのですが、

ふとした瞬間に、暗さが漂うことが

あるのです。

ちょっとした表情に現れるんです。

険しさとか、深刻さとか。

これまで別段、それを私は気にして

いませんでしたが、

今は、そこに違和感を覚えます。」

 

「なるほど。」

 

「それから、ミーティング時や報告を受ける時に

彼の意見が、ちょっとおかしくなることが

あるのです。」

 

「おかしくなる?」

 

「はい。上手く説明できませんが、

本質とズレズレの意見が突然、

彼の口から出ることがあるのです。

そんな時は一瞬、

なんで今ここでそんなことを言うのだろう?とか

なんでそんなに話をズラすのだろう?とか

少し私はイライラすることもあります。」

 

「なぜズレるのでしょう?」

 

「これも想像ですが、

恐らく彼は、人から叱られるのが

とてもいやなのだと思います。

叱られないための無難な意見を言おうとして

的外れになるのだと思います。」

 

ここまでの弓江さんのその分析は

私もかなりしっくり来るものがありました。

 

人は、何かを避けるためにものを言ったり、

何かを誤魔化すための意見や、

その場しのぎの刹那的なやりとりをすると、

ほぼ必ず、「的外れ」になります。

 

意識が相手に向かわないからです。

上手くこの場をやり過ごそうとする

自分自身の意図にばかり

意識が向くからです。

 

そう考えると、どうやら前芝さんは

人からの評価を気にし過ぎる傾向に

あるのかもしれません。

 

そしてこの傾向は、

本来の自分を包み隠して、

自分を演じることをする人ほど

顕著に現れます。

 

かなりひどい言い方をすれば、

見せかけの自分で生きる人は、

見せかけのコミュニケーションを取ってしまう、

ということになります。

 

実は、前芝さんだけでなく、

一見、いつも明るい雰囲気や

素直さを出している人の中にこそ、

そういったタイプの人がいることを、

私は数多く見てきました。

 

そしてそのタイプの人は概して、

非常に濃いストレスを内面に抱えている

可能性があります。

 

私は、次の問いを

投げました。

 

「では、前芝さんの人生のテーマ、

真本音のテーマとは何でしょう?」

 

木村さんも弓江さんも

しばらくじっと考えていましたが、

二人はほぼ同時に

同じことを言いました。

 

「彼に、それがあるとは

思えません。」

 

つづく

 

それは本当の素直さだろうか

「素直な自分であろう」

とすることと、

「本当の素直」

は、

実は根本的に似て非なるもの、

まったくの別ものです。

 

私達人間が、「本当の素直」を手に入れれば、

すべてが楽になります。

自由になります。

何の気負いも無理もなくなります。

 

しかし、「素直な自分であろう」とすると、

私達は疲れます。

「あろう」とすればするほど、

心の奥にストレスが生じ続けます。

 

一見、表面的には両者は

似ているかも知れません。

しかし、

見る人が見れば、

真逆であることが、感じ取れるはずです。

 

残念ながら、前芝さんは、

「素直な自分であろう」タイプのようです。

(→前回記事)

 

「弓江さんは前芝さんに

どんな風に成長してもらいたいですか?」

 

「そうですね・・・。

私は彼はムードメイカーだと思っています。

彼がいると場が明るくなります。

そういった部分はそのままで、

でも、もっと強くなって欲しいですね。」

 

「それは、どのような強さですか?」

 

「揺るがない大木のような

強さです。

何が起きてもビクともしないような。」

 

「今はその要素はあまり

ないのですね?」

 

「そうですね。

今日この場で初めて気づいたのですが、

いつも彼はビクビクしているのかも

知れません。

そういった雰囲気は出しませんが。」

 

「なぜ彼はビクビクしているか

わかりますか?」

 

すると木村さんが言われました。

 

「これはちょっと以前の私に

似ているのかも知れません。

自分を演じている、というか。

仕事の中での自分を形作っている

というか。

それを良かれと思ってやっていると

思うのですが、それは実は

とても辛いことです。

自分を演じる、って

どこかにいつも後ろめたさを伴うものですから。

私はそれを身をもって知ったわけですが。

彼も同じかも知れません。」

 

「なるほど。

彼は何か趣味はあるのかな?」

 

「そういえば、そういった話をしたことが

ないですね。

彼のプライベートなどはよくわからないです。

一緒に飲みに行って、馬鹿騒ぎをすることは

ありますが、よく考えたら、

馬鹿騒ぎするだけで、私は彼のことを

何も知りませんね。」

 

恐らく前芝さんは、

意図的に仕事とプライベートを区別して

いるのでしょう。

それはそれで悪いことではありませんが、

区別し過ぎて、自分自身が苦しくなるのは

勿体無い話です。

 

人は、どんな時も

本来の自分を発揮しながら活躍できることが

自然な喜びとなる生き物です。

 

「弓江さん、

ここまでの話以外で、彼の長所は他に

ありませんか?」

 

「う〜ん・・・。

彼は、敵をつくらない、というところでしょうか。」

 

「誰とでも連係できる?」

 

「はい。

でもそれは一方から見れば、

短所にもなってしまいますね。

ただの八方美人になる場合もありますから。」

 

弓江さんは最初、

前芝さんのことを「要になり得る」と

言われていましたが、少し

自信がなくなってきたようです。

 

ただ、ここではそういった結論は

あえて出しません。

 

ここで私は直観的に

一つの質問を口に出しました。

 

「前芝さんって、

人のことが好きなのでしょうか?」

 

二人は、

えっ?という顔をされました。

 

つづく

 

心は込めているのに、魂が込められない

新規事業プロジェクトメンバー一人一人について

私は、木村さんと弓江さんと

語り合っています。

 

まずは、日下部さんについて

充分な語り合いができたと、

私達の中で、完了感が生まれました。

(→前回記事)

 

「たけうちさん、

次は、前芝(まえしば)について

考えたいのですが。」

 

「じゃあそうしましょう。

どんな方ですか?」

 

「まだ若いです。25歳の男性社員です。

しかし私は、彼がどう頑張るか?で

新規事業プロジェクトだけでなく、

全社に与える影響が大きい気がしています。」

 

「ということは、弓江さんからしてみれば、

彼こそが、要となる社員だと思うんですね?」

 

「そうです。」

 

「どんなところで、

そう思われるのですか?」

 

「彼はとにかく、素直なんです。」

 

「へぇ。」

 

「若い、ということもあるでしょうが。

でも、根っからの素直さがあるように

思うんです。」

 

「なるほど。

具体的にはこれまで、どんな場面やどんな瞬間に、

彼の素直さを感じましたか?」

 

「例えば彼は、お客様からの受けが

とても良いのです。

みんなが彼のファンになります。

彼の力になりたい、と思うようです。」

 

「おぉ、それは凄いですね。

彼のどんな振る舞いが、そうさせていると

思いますか?」

 

「たけうちさんの言葉を借りて言えば、

彼は、向き合う、ということが

できるのだと思います。

いつも堂々とお客様と向き合って、

しかも、相手の話を親身になって聴いて、

しかも、言われた期待には必ず答えようとします。

自分が言ったことも、必ず実行します。」

 

「それは、なかなか期待できる人ですね。」

 

「ただ・・・。」

 

「ただ?」

 

「はい、ただ・・・、私はなんかちょっと彼が

無理をしているようにも思うんです。」

 

「どんな風に?」

 

「ちょっと、従順過ぎると言いますか・・・。」

 

この辺りで私は、

前芝さんの「実在」を感じ始めました。

 

まるで、本人が目の前にいるかのような、

感覚があります。

 

私は、その「実在」に意識を

向けました。

 

そして私も感じました。

あぁ彼は、相当に無理をしている、と。

 

「なるほど。

私も直観的に、彼はかなり無理をしている

気がしますね。」

 

「はい。

彼の素直さは、本当に素晴らしいと

思うのですが、実はかなりストレスを

得ているのではないかと、

少し心配になります。

いつも前向きだし、笑顔も絶やさないし、

ムードメイカーなんですけどね。」

 

「では、

直観的にお答えいただきたいのですが。」

 

「はい。」

 

「彼の真本音と、今の行動は、

ズレがありますか?」

 

一瞬、弓江さんは目を閉じました。

 

そして明確に答えました。

 

「ズレズレです。

・・・そうか。

ズレズレなんだ。

あれだけ頑張ってるのに・・・。」

 

「木村さんは、どう思われます?」

 

「そうですね。

彼はある意味、とても器用なんだと

思います。

時々、世渡りが上手いなぁ、若いくせに、

と思うことがあります。

でも、かと言って、不快に思うことは

ほとんどないのですよ。

彼の素直さの方が強調されている

気がします。」

 

恐らく、前芝さんという人は、

軽薄な人ではないのでしょう。

一つ一つの物事に、心を込めて

取り組むことは間違いないと思います。

 

しかしそこには、

魂が入っていない・・・。

 

心は込められているのに、

魂は、入っていないのです。

 

実は、こういったタイプの人を

私は随分と多く見てきました。

 

実は、こういった人ほど、

若いうちはまだ良いですが、

年齢を重ねるに従い、

かなりの強烈なストレスに

苛まれるようになるのです。

 

つづく

 

人生のテーマからずれた生き方は、人を疲弊させる

「弓江さん、

日下部さんの人生のテーマは

何だと思います?

彼は、どんなテーマに向かって

生きていくことが、

彼自身の喜びであり、真の成長に

つながるでしょうか?」

 

この唐突な問いに、

弓江さんは目を白黒させました。

(→前回記事)

 

しかしさすがに弓江さん。

私の唐突な問いにも慣れてきたようです。

 

私が問う、ということは、

その人から今、答えが出る、という

確信を持った上での投げかけです。

どれだけ唐突に感じる問いでも、

必ず答えが出るはずだ、

・・・と、

弓江さんは信じられるようになったようです。

 

彼女は、一度目を閉じてから、

心を落ち着かせ、

すぐに答えました。

 

「ちょっと意味不明なのですが、

“夢”という言葉が浮かんできます。

夢に向かう、ということでしょうか。」

 

それを聴いて、私はピンと来ました。

 

「日下部さんという人は、

探究心が旺盛な方ですか?」

 

「あっ、そうですね。

それは言えると思います。」

 

「夢に向かう、ということよりも、

“夢の探究”ということではないでしょうか?」

 

「“夢の探究”・・・。

それは、どういうことでしょうか?」

 

「日下部さんは、恐らく、

物事の本質を突き詰めることに

喜びを感じる人だと思うのです。

ですから例えば、

夢とは何だろうか?

とか、

我々のチームは、どのような夢を持つことで

活性化するだろうか?

とか、

少し客観的に、夢というものを

突き詰めていく。

そんなテーマを持っている人のような

気がします。」

 

「それは、単純に自分の夢に向かいたい!

というのとは少し違うのですね。」

 

「そうですね。

彼からは、客観性を感じます。

客観的になればなるほど、彼は力を発揮する

のではないでしょうか?」

 

「あぁなるほど! それは確かに言えます。

彼はいつも、参謀的な立場に立つと

いつもイキイキしていたように思います。

ということは、彼は今、

客観的になれていないのかな?」

 

「その可能性はありますね。

チームのメンバーが半分になってしまった

からなのか、それとも

他の何かしらの理由があるのか。

それはわかりませんが、

今の彼の心の立ち位置は、本来の彼のものとは

異なっている可能性はありますね。」

 

すると木村さんが

口を開きました。

 

「あぁ、何となく、すごく腑に落ちます。

彼には今、このチームの未来が

見えなくなってしまっているのかな?

ひょっとすると、売上云々のことだけでなく、

もっとチームの未来について、

我々は語り合った方が良いのかもしれません。」

 

「それは良いですね!

あとは単純に、日下部さんに、

このチームは、どんな夢に向かっていけば

良いと思う?

・・・という問いを投げ続けるのも

彼の活性化につながるかもしれません。」

 

ここまでお話しできた時点で、

私の中に「完了感」が湧いて来ました。

 

日下部さんに関しては、

ここまでの語り合いでOK、という

真本音レベルでの合図です。

 

あとは、実際に日下部さんとお会いして

そこで何を感じるか?を

大切にすればよいでしょう。

 

日下部さんについて、

この二人コーチングの場で見えて来た

仮説としては、

まとめると、以下のようになります。

 

・・・・・・

日下部さんはどうやら、

チームのメンバーが半分に減らされた辺りから、

真本音度合いを落としているらしい。

具体的には、

物事に対して逃げ腰になり、

助けを求めるような精神状態にありそうだ。

そうなってしまった根本的原因として考えられるのは、

彼自身の真本音のテーマである

『夢を探究する』

という意識が、薄れてしまっている状態であり、

彼自身の特性としての、

『客観的な視点を持つ』

という本来の立ち位置から

今の彼はズレてしまっているから。

・・・・・・

 

これはあくまでも仮説です。

しかし、彼の「実在」を感じ取った上での仮説

ですから、

彼と向き合う上での一つの重要な視点には

なるでしょう。

 

あとは実際に彼と向き合うことで、

見えてくることは多いと思いますし、

その視点から彼と向き合うことで、

彼がチームにとっての「要」となり得るかどうか?が

判別できるはずだと、私は読みました。

 

つづく

 

ほんの些細な変化の奥にこそ、何かがある

「ところで弓江さん。

日下部さんは、何かから逃げているようにも

私は感じるのですが、

心当たりはありませんか?」

 

「どうしてわかるんですか?」

 

弓江さんはまた同じセリフを

吐きました。

(→前回記事)

 

「今、たけうちさんから『逃げている』という

言葉を聴いて、あぁなんかぴったりだ、

と思いました。

最近の彼は、確かに逃げている感じが

します。」

 

「どんな時にそれを感じますか?」

 

「これもちょっとしたやりとりの中で

感じることですが。

仕事の役割分担の打合せをする時などに

何となく、逃げ腰なんですよね。

木村リーダーは感じません?」

 

木村さんが答えます。

 

「確かにそうですね。

ちょっと前まで彼はもっと積極的だったと

思うんだけどなぁ。

私が指示を出せば、もちろんそれは

きっちりとやってくれるんですが、

何と言うか、・・・あっそうそう、

覇気がないんですよ。」

 

「それはいつ頃からですか?

最近ですか?」

 

「そうそう、最近ですね。

やはりプロジェクトメンバーが半分に

減らされた後からかなぁ・・・。」

 

「と言うことは、彼は、

メンバーが半分になってから、

何となく逃げ腰になり、しかも

助けを求めているような雰囲気になった、

と・・・。」

 

「あからさまに彼の態度が変わった

と言うのではありません。

ほんのちょっとした感覚に過ぎないですが、

そのような変化は確かにありますね。

どうしたんだろう? 彼は。」

 

ここでも私は、

日下部さんの変化には、

プロジェクトのメンバーが半分に減ってしまった

ということ以外にも原因があるように

直観しました。

 

いずれにしても、

日下部さんの「実在」からは

淀みを感じます。

 

するとここで突然、

弓江さんが呟きました。

 

「たけうちさん、

日下部の真本音は何でしょうか?」

 

私は内心、

おっ!、と思いました。

 

「どうしたのですか?」

 

「いえ、ふと気になったんです。

彼は今、自分の真本音を大切に

できているんだろうか?って。」

 

実は、どうやら日下部さんは

最近になって、真本音度合いが

著しく落ちているのではないか?ということを

私も感じたのです。

私がそう感じたのとほぼ同時の、

弓江さんのその一言でした。

 

どうやら弓江さんも

日下部さんの「実在」を感じ取り始めている

ようです。

もっとも、弓江さん本人に

その自覚はないでしょうが。

 

そうなると、このやり取りは

さらに一歩深めることができます。

 

私はさらに一歩深い問いを

弓江さんに投げてみました。

 

「弓江さん、

日下部さんの人生のテーマは

何だと思います?

彼は、どんなテーマに向かって

生きていくことが、

彼自身の喜びであり、真の成長に

つながるでしょうか?」

 

この唐突な問いに、

弓江さんは目を白黒させました。

 

つづく

 

気づいていることに、気づいていない

「弓江さん、

実は、今私が直観的に感じたことなのですが、

今、日下部さんは何か助けを求めていませんか?

そのような気配を感じたことはありませんか?」

 

日下部さんの「実在」を感じ取った私は、

直観的にそのように弓江さんに

投げてみました。

(→前回記事)

 

すると弓江さんは

とても驚いた表情をされ、言いました。

 

「どうしてわかるんですか?」

と。

 

ただし、この「どうしてわかるんですか?」

という言葉は、

あらかじめ弓江さんが

日下部さんが助けを求めていることに

気づいていた、

ということではありません。

 

私からその言葉を聴くことで、

あぁ、そう言えばそうだった、と

その瞬間に気づいたのです。

それは

薄々何となくそう感じており、

薄々気づいていたことを

しっかりと指摘されることで自覚する、

ということです。

 

こういったことは、

非常によくあります。

 

逆に言えば、私達人間は、

薄々感じているが、明確には気づいていない

ということが実に多い、ということです。

 

よく私は、

「気づいていることに、気づいていない」

という表現を使います。

 

私達は日々の中で

本当にたくさんのことに気づきながら

生きています。

にも関わらず、

自分の気づきを、きちんと自分が

拾い上げていません。

ちょっと意識すればすぐに自覚できることを

自覚しないままに進んでしまいます。

それにより、

人生のターニングポイントとなるチャンスを

逸してしまっている人は

とても多いのです。

 

『気づき力』

という言葉も、私はよく使います。

 

「気づいていることに

きちんと気づく力」

です。

 

気づき力が高まれば、

人生も仕事も

一気に質が高まります。

 

そのためには、常に自分自身の心と

向かい合っているという習慣が

必要です。

 

私はそれを

『セルフコーチング』

とも呼んでいます。

 

この時の弓江さんも、

私からの指摘によって

「きちんと自覚していなかったけど、

でも何となく気づいていたことに

今、気づいた」

のです。

 

そして、それが

「どうしてわかるんですか?」

の一言によって現れました。

 

弓江さんは続けます。

 

「そう言えば、

新規事業プロジェクトチームの人員が

半分に減らされてから、

日下部の様子がおかしかったのです。

おかしいと言っても、ほんのちょっとの

ことですが。」

 

「どのようなご様子なのですか?」

 

「時々、ちょっと思いつめたような

表情をします。

何となく、空気が重いですし。

会話をすればいつも通りなのですが。」

 

「日下部さんは、

どんな助けを求めていると思います?」

 

「本人と話をしてみなければわかりませんが、

恐らく、日下部は必要以上に

責任感を持っているのではないでしょうか。

人数が減らされたので、

自分がやらねば、と思っているのだと思います。

それ自体は良いことですが、

ちょっと深刻になり過ぎて、

神経がまいっているのかもしれません。」

 

「木村さんは、どう思います?」

 

「そうですね。

さっき弓江が言ったように、

彼はこだわりが強いところがあります。

それだけ、新規事業プロジェクトにも

彼なりのこだわりがあり、

自分がやらねば、という気持ちがかなり

高まっているのは事実だと思います。

まぁ、私がみんなを鼓舞しましたので、

それを真面目に受け止め過ぎているのかも

知れません。」

 

しかし私は、

このお二人が言ったこと以外にも

彼が助けを求める要因があるような感覚が

ありました。

 

しかしさすがに、これ以上のことは

わかりません。

ここは、実際に日下部さんとお会いすることで

明確になることだと

私は思いました。

 

日下部さんと直接関わる上での

一つのテーマです。

 

このように、

事前にリーダーからの「印象」を聴いておくことで、

実際にその人とお会いする時の

テーマや視点を得られることも多いのです。

 

それが、一歩も二歩も深い

チームコーチングにつながっていきます。

 

私はさらに、

日下部さんの「実在」に

意識を向けました。

 

すると今度は、

彼が何かから目を逸らしている感覚を

得ました。

 

私はまた弓江さんに訊きました。

 

「ところで弓江さん。

日下部さんは、何かから逃げているようにも

私は感じるのですが、

心当たりはありませんか?」

 

「どうしてわかるんですか?」

 

弓江さんはまた同じセリフを

吐きました。笑

 

つづく

 

その場にいなくとも、感じ取ることができる

木村さんと弓江さんの

二人コーチング。

 

私は今、お二人から

新規事業プロジェクトチームメンバー

お一人一人についての印象を

お聴きしようとしています。

(→前回記事)

 

「まずは木村さんにお訊きしますね。

木村さんが今、直観的にお顔の浮かぶ

チーム員はどなたですか?」

 

すぐさま木村さんは答えました。

 

「日下部です。」

 

「年齢は?」

 

「29歳の男性です。」

 

「彼についての印象をざっくばらんに

お話しください。

詳しい情報は要りません。

本当に、印象だけで結構です。」

 

「・・・そうですね。

真面目な人間です。

でもちょっと真面目過ぎるというか・・・。

物事をきっちりとやろうとし過ぎているところが

あります。」

 

「弓江さんは、いかがですか?」

 

「確かに真面目ですね。

ただ、私から見ますと、真面目さよりも

ちょっとこだわりが強過ぎる気がします。

言われたことをそのまま行なうよりも、

自分なりの考え方に歪曲してしまうというか。

頭の良い人だと思いますが、

時々、かなりずれたことを言ったりやったりします。」

 

「良いところはありませんか?」

 

「妥協しないところですね。

サボろうとか、適当にやろうとか、

そういったところがありません。

実にコツコツと、決めたことをやり続ける

というところがあります。」

 

「彼との仕事はやりやすいですか?」

 

木村さんが答えます。

 

「やりやすい時と、そうでない時の差が

大きいかも知れません。

私の意図と、彼の意図が合致する場合は

とてもやりやすいですが、

そうでない場合は、そこを修正するのに

かなりの時間がかかります。」

 

「弓江さんはいかがですか?」

 

「仕事のやりやすさは、何とも言えませんが、

彼としゃべるのは、結構楽しいです。

時々、意見がぶつかることもありますが、

彼は彼なりに考えて、しっかり意見を言うので、

有意義な時間になります。」

 

「彼の仕事における悩みは何だと思いますか?」

 

そこで、二人とも「えっ?」という表情に

なりました。

あまりそういった視点で考えたことが

なかったのでしょう。

 

やはり木村さんから答えました。

 

「う〜ん、そうですね。

どちらかと言えば、彼は自分の考えを

押し通すことが多いですから、

いかに周りを説得させるか?という

悩みが多いのではないでしょうか。」

 

弓江さんが言います。

 

「あまり彼が悩んでいる感じは

私はしません。

悩むことよりも、突き進むことの方を

彼は大事にしているように思いますね。」

 

この辺りから、私は

日下部さんの「実在」を強烈に感じ始めました。

まるで彼が

この場にいるかのような存在感を

覚えるようになりました。

 

これも、いつものことです。

ここからが、「実在コミュニケーション」の

スタートです。

 

私は、日下部さんの「実在」から、

すごく重いものを感じ取りました。

 

そこに意識を向けると、

あえて言葉にすれば

「助けてください」

と言われているような気がしたのです。

 

「弓江さん、

実は、今私が直観的に感じたことなのですが、

今、日下部さんは何か助けを求めていませんか?

そのような気配を感じたことはありませんか?」

 

その瞬間、弓江さんの顔が

驚きの表情となりました。

 

つづく

 

コミュニケーション能力を駆使して進もう

新規事業プロジェクトチーム。

木村さん、弓江さん以外の「要(かなめ)」となる

チーム員を特定するために、

私はチーム員の皆さんとお会いすることに

なりました。

 

しかしその前に、

木村さんと弓江さんのお二人から、

それぞれのチーム員に関しての印象を

聴くことにしました。

(→前回記事)

 

これは、いつも私が行なうことです。

 

まずはリーダーやマネージャーが抱いている

部下の皆さんへの印象をお聴きした上で

その皆さんと実際にお会いするという

ステップです。

 

ひょっとするとコーチによっては、

印象を聴くことで、要らぬ固定観念を

生んでしまう、

それよりもまずは、固定観念のない状態で

本人とお会いしたい、

と考える人もいるかもしれません。

 

しかし私の場合は、

まずは「印象」を聴くことを

大事にしています。

 

なぜならそれは「印象」でしか

ないからです。

 

どれだけ「印象」を聴いていたとしても、

本人と、本当の意味でしっかりと向き合えば、

その「印象」に捕らわれることは

ありません。

 

むしろ、もし「印象」とまったく異なるものを

感じた場合には、

「実際に見たもの」と「リーダーの持っていた印象」の

差が明確になります。

 

その差を知ることが、

チーム(組織)活性化の突破口となることが

往々にしてあるのです。

 

さらに私の場合は、

リーダーの方達がお話しされる「印象」の

内容そのものは、ほとんど気にしません。

 

ちょっと失礼な言い方になりますが、

「印象」そのものは、どうでもいいのです。

 

それよりも、

「印象」を語っていただきながら、

私は、そのリーダーから受ける、その部下の「実在」を

感じ取ります。

 

「実在コミュニケーション」と

私が呼んでいるものの一種なのですが、

リーダーがその人のことを語ることで、

そのリーダーを通じて、その部下本人の

「実在」のレベルにおける

現状把握をするのです。

 

例えば、その部下本人の

現時点での真本音度合いは

どれくらいか?

 

どれくらいの真剣さで

仕事に向かい合っているか?

 

チームへの調和度合いは

どれくらいか?

 

その人は、自力成長(進化)できる人かどうか?

・・・などなど。

 

本人に合わずとも、

感じ取ることができます。

もちろん、本人に実際にお会いしたほうが

よいですが、

人を介しても、ある程度わかることは

あるのです。

 

これは決して超能力的なことではなく、

人間誰しもがもともと持ち合わせている

コミュニケーション能力の一つです。

 

私達人間のコミュニケーション能力は

凄いのです。

その本来の力を

使っている人はほとんどいないのが

残念なのですが。

 

私は、できれば、

すべての人がそういった本来持っている

コミュニケーション能力を

使えるようになればいいな、と

思っています。

 

ですので、私はクライアントさんに対して、

「実在コミュニケーション力」を高めることも

コーチングの大事な目的の一つと

しています。

実際に、

私の継続サポートを受けている人の何割かは

この力が、かなり伸びます。

 

そうすると、

すべての展開が本当に楽になるのです。

 

木村さんと弓江さんから

チーム員の皆さんの印象を聴くというのは、

お二人の「実在コミュニケーション力」を高める

最初のステップという意味もあります。

 

新規事業プロジェクトチームのメンバーは

木村さん、弓江さん以外に

4名います。

 

少人数ですので、

逆に、綿密な実在コミュニケーションも

できるでしょう。

 

目的は、

「戦略」を見出すため。

 

以前にも書かせていただきましたが、

「戦略」とは、

最も楽に進めるであろう道のことです。

 

そのためにも、

「要」となる社員さんを特定するのです。

 

つづく