チームパフォーマンスコーチ

たった一人が変わることで、100人が変わることもある

弓江さんに引き続き、木村さんも

無事に脱皮をしました。

(→前回記事)

 

古い皮を脱ぎ捨てた二人は、

今、極めて「普通」の状態で

私の目の前にいます。

 

私はようやく、今回の二人コーチングの

準備が整ったな、と思えました。

 

ここからがようやく「本題」です。

 

今回の二人コーチングの目的は、

半分の人数で再スタートしようとしている

新規事業プロジェクトチームの

組織活性化戦略を見出すことです。

 

今、二人は脱皮しましたが、

これからはこのチームも

脱皮をするはずです。

 

むしろ、脱皮をしなければ先に進めない

とも言えます。

 

木村さんは、

チームの脱皮を果たすためにも

私(たけうち)に、もう一歩深く

チームと関わってほしいと要望されました。

 

では私は実際に

どのような形で何をすればよいか?

を見出そうとしています。

 

「弓江さん、

チームの脱皮のためには、

まずは木村さんと弓江さんの脱皮が必要、

ということでしたが、

今、お二人は無事に脱皮ができました。

次に必要なことは何だと思いますか?」

 

「・・・それがよくわかりません。

今、ご質問を受けて思ったのですが、

私はチームの脱皮というものがどういうことかを

まだイメージできてないのです。

チームの脱皮というのは通常、

どのように成されるのですか?」

 

「チームとは人の集まりです。

ですから、人が脱皮することでチームが

脱皮します。

しかし、チーム員全員が脱皮しなければならない

ということではありません。

どのチームにも必ず、“要”(かなめ)となる人が

います。

“要”とは、影響力の大きな人のことを

言います。

つまり、その人が変わることで、チーム全体が

変わるくらいの影響力を持った人のことです。」

 

「それは、リーダーということですか?」

 

「もちろん、リーダーという可能性もありますが、

この“要”というのは、現実現象レベルというよりも

実在レベルの話です。

ですから、現実の立場云々には捕らわれない

話です。

例えば、100人の組織でも、

リーダー以外のたった一人が大きく変わることで

組織全体が劇的に変わる誘発剤になる、ということも

充分にあり得るのです。

そういった影響力を持つ人が誰か?

を見極めて、その人の大きな変化、つまりは脱皮を

促します。」

 

「その“要”というのは、

私達のチームの場合、木村と私(弓江)以外の

メンバーの中にもいる可能性がある

ということですね?」

 

「そうです。

ここにいるお二人以外にも“要”となる人が

いると思います。

その人を見つけることは重要です。」

 

ここで木村さんが口を開きました。

 

「私達のチームは、人数が半分になり、

今は我々二人を入れても6名となりました。

こんな少人数でも、“要”と言われる人が

いるのでしょうか?」

 

「はい、います、きっと。

もちろん人数が少ないので、全員が“要”である、

という見方もできます。

しかし実際にそうであったとしても、

それでも、“要の中の要”という人はいるはずです。

まずはその人に強烈な刺激を入れることで

チームの脱皮は非常に楽になります。」

 

「チームが脱皮すると

どうなるのでしょうか?」

 

「個人の脱皮と基本的には同じです。

個人の脱皮は、余分な皮を脱ぎ捨てることで、

これまでの考え方・価値観に変化が起きます。

何を大切にすればよいか?という

考え方の優先順位が変わったりします。

しかもそれは、非常にスッキリと

よりシンプルなものになります。

それにより、その人の行動パターンが変わります。

その人の発揮する能力も変わります。

そして、必然的に成果の出方も大きく変わります。

それと同じことが、

チームとして起こる、ということですね。」

 

「まさしくそれは私の望んでいることです。

私は今ここで、もっともっとチームの

考え方も行動パターンもシンプルなものに

したいのです。

もっと一貫性を持ちたいのです。」

 

「そうなるための最も楽な道を

見出しましょう。

そのためには、“要”社員を特定することです。」

 

弓江さんが言われます。

 

「ということは、次に必要なのは、

私達の次に脱皮すべき、

チームの“要”が誰か?を

見つけることですね。」

 

「ということになりますね。

では、そのためには

どうすればよいと思いますか?」

 

「私は、たけうちさんに

チーム員のことをもっとよく知っていただいた方が

よいと思います。

誰が“要”となり、誰が脱皮すればよいかを

木村と私(弓江)だけでは特定することは

現時点では難しいと思います。」

 

「わかりました。

では、そうしましょう。

つまりは、チーム員の現状把握ということですね。

そのためには、私が実際にチーム員の皆さんに

お会いした方がよいですが、

その前に、お二人から見たチーム員お一人お一人

の印象をお聴きしたいのです。

恐らくそれだけで、誰が“要”か?の

おおよその見当はつけられますので。」

 

つづく

 

目標は、達成するのが当たり前

木村さんと弓江さんの二人コーチングに

話を戻しましょう。

(→【本物のエネルギーは、落ち着きと覚悟を生む】)

 

弓江さんは、

脱皮を果たしました。

 

弓江さんが脱ぎ捨てた古い皮は、

「正義」

でした。

 

そしてそれを手放した直後に彼女は

「私が皆を引っ張る」

という覚悟を持ちました。

 

彼女は言いました。

「私にしかできないことが

ある気がします」と。

 

その一言を聴いた瞬間に、

今度は木村さんの脱皮が

一気に進んだのを私は感じ取りました。

 

「木村さんも今、

もうほぼ脱皮を完了したようですね。」

 

「あぁ、そうですよね。

何となくわかります。」

 

「木村さんが脱ぎ捨てようとしている

古い皮は、今、実在レベルでは

どのような状態だと思いますか?」

 

「ほとんど脱げましたが、

私の右腕に脱いだ皮がまだ

こびり付いています。

右腕がとても重いです。」

 

「木村さん、よく観察してください。

その右腕についている皮は

いったい何でしょうか?」

 

木村さんは目を閉じて

右腕に集中しました。

 

そして、

「あの、・・・これでしょうか。

“我が想い”という言葉が浮かんできますが。」

 

「へぇ、面白いですね。

“我が想い”を脱ぎ捨てるのですか。

“我が想い”というと、真っ先に思い出すことは

何ですか?」

 

「売上を当初の目標の1.5倍上げてやろう、

という私の気持ちを思い出します。」

 

「木村さんは今、

それを手放そうとしているんですね。」

 

「いや、・・・それはまずいと思います。

それを手放してしまったら、

目標達成できなくなる気がします。

今のモチベーションも消えてしまう気がします。」

 

「本当にそうですか?

一度、手放してみてはいかがですか?」

 

「いや、しかし・・・」と、

しばらくの時間、

木村さんは拒んでいました。

 

しかしどうにも右腕が

重くなってきました。

 

「いやぁ、もう右腕が不快で

しょうがないです。」

 

「やはり木村さんは、その“我が想い”を

手放したいのでしょ?」

 

「そうなんでしょうか。

・・・いやぁ。でも、もう嫌だなこの感じ。」

 

「思い切って手放してしまっては?」

 

「ちょっと怖いですが、

どうもそうするしかないようです。

わかりました、手放します。」

 

「どのように手放します?」

 

「・・・自分でやります。」

 

そう言って木村さんは、

自身の左手で、右腕にこびり付いているものを

ベリッと引き剥がすようにしました。

 

その瞬間、

フッと私も、体が軽くなった感覚を得ました。

 

「できたような気がします。」

 

「そうですね。できましたね。

どうですか?

“我が想い”を手放した感じは?」

 

「いや、なんか、いたって普通です。」

 

「売上1.5倍については、

いかがです?

どう思いますか?」

 

「あぁ・・・、不思議です。

さっきまで、結構、自分は自然体で

売上1.5倍をやろう、と思えていたつもりでした。

でも今、さらに力が抜けました。

いや、力が抜けるというよりも

力を入れようが入れまいが、どうでもいいような・・・。

だって、達成するのは当たり前のような

気がするんです。

やることをやるだけ。

達成するのが普通のこと。

そんな感じがします。」

 

その時私は感じました。

 

木村さんはニュートラルに淡々とした

表情になっていたのですが、

その奥に、とてつもないパワーが

宿っていることを。

 

あぁこれは、

本当に物事を成し遂げる人の空気感だ

と思いました。

 

何の気負いもなく

淡々と凄いことを成し遂げていく

深いパワー。

 

これこそが、

木村さん本来の空気感であると

私は確信しました。

 

つづく

 

問いと向き合わずして、人生の喜びはない

「自問自答」について

もう少しお話しします。

(→前回記事)

 

通常の「思考」によって導き出すよりも

「自問自答」によって得られる答えの方が

自分自身の真本音に

より近い答えが出やすいです。

 

それはなぜか?と言いますと、

私達の真本音の中には

たくさんの「問い」が詰まっているからです。

 

私達人間の本質とは、

「問いを持った存在」

であると、という言い方もできます。

 

「問い」とは

「願い」です。

 

「願い」とは

「問い」です。

 

一つの強烈な「願い」を持つということは

その願いに近づくための「問い」が

必須となります。

 

その「問い」を大切にし続けることが

「願い」への道を開きます。

 

真本音とは、

「揺るがぬ願い」の結晶体です。

ということは、

そこには様々な「問い」が

セットで存在しているのです。

 

そういう視点で言えば、

真本音で生きるとは、

「自らの問いに素直に生きる」

ということになりますし、

「自らの問いの答えを、

生きることを通じて得ようとする」

ということにもなります。

 

「問いへの探求」。

 

これが私達の根本欲求の一つですし、

それこそが

「進化への道」

でもある、ということです。

 

ですから私はコーチングをする時に

必ず、

「このクライアントさんは

真本音でどのような問いを抱きながら、

生きている人だろうか?」

という見方をします。

 

そして、その問いを

必死にキャッチしようとします。

 

真本音の問いに常に結びつくような

問いを投げるようにします。

 

すると、

そういった問いを投げること自体が

そのクライアントさんの真本音度合いを

著しく高めます。

 

その問いを受けることで、

真本音が喜ぶからです。

 

皆さんの中にも必ず

あるはずです。

 

自分自身がどうしても渇望して止まない、

根源的な問いがあるはずです。

 

あぁ私は、この問いの答えを見つけるために

生きているのではないか?

 

というものがあるはずです。

 

例えば、私の場合、

真本音の問いの一つは

 

『自由とは何か?』

 

というものです。

 

この問いを初めて意識したのは、

19歳の時です。

 

当時、私は登山に夢中になっており、

登山のパーティーのリーダーをした時に、

メンバーの心がバラバラになってしまった

という経験をしました。

 

その原因はリーダーである私自身に

あったのですが、

その時、私が感じたのは、

そこにいる誰もが「自由ではない」

ということでした。

 

全員が好きで登山をしているにも

関わらず、

そして、自らの意志でパーティーに

参加しているにも関わらず、

誰も、自由ではなかったのです。

私自身も含めて。

 

その現実の中で自然に湧いてきたのが

 

『自由とは何か?』

 

という問いでした。

 

あれからすでに30年経っていますが、

今もその問いは

私の探求テーマです。

 

この問いとずっと向き合い続けることで、

私の人生は形創られてきた

とも言えます。

 

そしてそういった問いに素直に

向き合ったからこそ、

紆余曲折の多い人生でしたが、

私は後悔なく、ここにいます。

 

この問いは、

私が人生を終えるまで、

絶えることはないでしょう。

 

問いに向き合うことそれ自体が

私の喜びであり、

内側から自然にパワーが湧いてくる

私のエネルギーの源です。

 

もちろん、

私の真本音の問いはそれだけでは

ありません。

 

人生を進むうちに、

たくさんの問いが明確になってきました。

 

不思議なことに、

真本音の問いは、

増えれば増えるほど、

喜びが大きくなります。

 

問いが増えるということは、

迷いが増えるというようなイメージが

ありますが、全く逆で、

問いが増えれば増えるほど、

私には、「確信」が増えました。

迷いがなくなりました。

 

問いが増えれば増えるほど、

人生が明確になり、

すべきことが明確になり、

ビジョンが明確になりました。

 

それが

「真本音の問い」

です。

 

ですから私が、多くの方々にメッセージしたいのは、

問いから逃げないでください、

ということです。

 

自分の中にある問いから

目を背けずに、

問いに対して真摯に向き合ってください、

ということです。

 

残念ながら、

初対面でお会いする人々の内、何割かは、

私がキャッチしたその人自身の真本音の問いを

そのままダイレクトに投げると、

その瞬間に、拒絶反応をされたり、

「そんな難しいことは、私にはわかりませんから」

と逃げ腰になってしまいます。

 

ですから、

その人の真本音の問いをこちらがキャッチできても

すぐにその問いをご本人にお伝えするわけには

行かないケースが多いです。

 

その場合は、

その人の真本音度合いを上げることによって

その人の「準備」を整え、

その上で初めて、その人自身の真本音の問いを

投げる、ということをします。

 

それでようやく、ご自身の問いと向き合うことに

なるのですが、

その時点が、その人の真本音の人生の

スタートとなります。

ようやくの、スタートです。

 

すぐに問いを投げられない人の割合は、

私の経験で言えば、

約8割です。

 

つまり8割の人が、

自分自身の人生の探求テーマと

向き合っていないということです。

 

真本音の道とは別の道を

進んでいるということです。

 

これが今の世の中の現状です。

 

これを何とかしたいと、

私は思っています。

 

これも私の探求テーマの

一つです。

 

つづく

 

すべては、自問自答から始まる

自問自答。

 

私達現代人にとって

今最も必要なのは、これかもしれないと

最近、私は強く思います。

 

「自問自答」とは、

「思考」とは異なります。

 

まず、「自問」とは

自らに問いかけることです。

 

まるで自分自身を他人のような感覚で

自らに問いを投げます。

 

それが難しいようであれば、

鏡を見ながら、鏡の中の自分に

問いかけるとよいでしょう。

 

そして、「自答」とは、

問いを受けた自分の中から

自然に湧き上がってくる答えを

「待つこと」です。

 

決して、

頭で答えを形作ってははいけません。

 

私達の本当の答え、

つまり、真本音の答えは、

頭の中にはありません。

 

とは言え、

思考は大事です。

 

私は、思考とは

「思考を超えた答えを見つけ出すための

有効な手段である」

と思っています。

 

懸命に思考することで、

思考を超えた答えが見つかります。

 

思考をしながら、

思考の範疇の答えを見つけ出しても

私達人間は本当の意味では

納得できません。

 

確信を伴った直観的な答えに

たどり着いた時に、

初めて納得します。

 

確信とは、

迷いのない答え。

淀みがゼロの答えです。

 

それは、

思考の範疇からは決して

出て来ません。

 

しかし、とことん思考をすることで

思考以外のところからやって来ます。

 

そういった意味で、

思考は大事ですが、

思考に捕らわれてはいけません。

 

そして、

自問自答を毎日のように繰り返すことで、

その、思考そのものもいつしか

必要なくなります。

いえ、正確に言えば、

思考はするのですが、

最低限の思考だけで大丈夫になります。

 

要するに、

確信的な直観を

意図的に引き起こすことができるように

なります。

 

直観力とは、

物事をよく考えない(思考しない)人からは

生まれません。

 

しかし、とことん思考をする人は

思考をそれほどしなくてもよいくらいの

直観力が養われます。

 

そしてそのためには、

自問自答を繰り返すのが

最適・最速です。

 

これまで、頭の中でグルグルと

考えていたことがあれば、

自分をまるでクライアントのように捉え、

自分自身に問いを投げてみましょう。

 

今の自分には

どのような問いを投げることが最善か?

を考えてみましょう。

 

すると、

問いを投げることがいかに重要か?

そして、

最適な問いを見つけることがいかに重要か?

をお分かりいただけると思います。

 

コーチングとは、

その、問いの部分をサポートすることですが、

コーチングを受けることで

自問自答力を増すこともできます。

 

それはつまり、

直観力を増すことです。

 

自らの進化のための自問自答。

 

自らの真本音の答えを

見つけ出す自問自答。

 

そういった力を養うことが

私のコーチングの目的の一つです。

 

そして、

自問自答力のついた人達が集まり、

お互いに問いを投げ合うことで

一人一人の自問自答の範疇を超えた

発想を掘り起こし合う。

これが、チームコーチングの本質です。

 

つまり、

自問自答できるチーム(組織)を創る。

 

これが私が大切にしている

組織サポートの本質です。

 

まずは。

 

答えがすぐに見つからなくてもよいので、

自分自身に問いを投げること。

 

投げ続けること。

 

そのためには、

どのような問いを投げることが

今は最善なのか?を

それこそ、必死に考えること、ですね。

 

つづく

 

無理をしない、とは、勇気を出すこと

私達一人一人の真本音は、

自分の進化のために

次はどのような一歩を進めば良いか?

という「最善の一歩」を

常に私達に教えてくれます。

(→前回記事)

 

「最善」とは、「現実的」ということでも

あります。

 

つまり、

決して無理をしません。

 

無理をしないということは、

自分の現時点の能力を使えば、

必ず道を開くことができる

ということです。

 

ところが。

 

真本音で判断する一歩が

わかったとしても、

その一歩を踏み出せない人が

多いのです。

 

なぜならその「一歩」は

かなりの勇気を必要とする場合が

あるからです。

 

つまり、

真本音では「できる」「やれる」と判断しても、

顕在意識では「できないのではないか」と

思ってしまうのです。

 

そこで、

「怖いかもしれないけど、

勇気をもって真本音の選択通りに

動いてみてください」

と後押しするのが私のサポートです。

 

実際に、

そのクライアントさんがもし勇気を奮って

真本音通りの一歩を進んだら、

必ず道は開くのです。

それどころか、

一度その経験をすると、

自分が感じていたその「怖さ」が

どうでもよくなってしまいます。

 

「なんだ、こんな簡単なことだったのか」

と思えます。

 

そりゃそうです。

私達の真本音は

「簡単にできること」

しか選択しないからです。

 

しかし逆に言えば、

そういった「やれば簡単にできること」を

「できない」と思い込み、

「やらない」状態で生き続けている人が

実に多いということです。

 

それこそ、宝の持ち腐れです。

 

宝の持ち腐れをしている人達が

チームや組織を組めば、

もちろんですが、

宝の持ち腐れのチームしかできません。

 

でも同じメンバーが

宝の持ち腐れをやめて、

真本音で進み始めたら、

そのチームの進み方は本質的に

変化します。

 

成果も根本的に変わって来ます。

 

要するに、キーワードは、

 

『真本音に素直になる』

 

であり、そのためには

 

『真本音度合いを高める』

 

のです。

 

それにより、

 

『進化のスピードが加速する』

 

ようになり、結果として

 

『みんな幸せを感じながら進む』

 

という状態に入ります。

 

そうなると、成果が出るのは

あまりにも当たり前のことになります。

 

いついかなる時にも

どんな組織やチームや個人に対しても、

私は以上の基本軸に沿った

サポートをします。

 

これを外すことは

あまりにも不自然であることを

実感しているからです。

 

不自然に成果を出しても

人は疲弊します。

 

疲弊すれば、

長続きしません。

 

進めば進むほど、

加速すれば加速するほど、

パワーが高まるのが

自然の摂理です。

 

ビジネスでこそ、

自然の摂理を大事にしたい、

いや、大事にすべきであると

私は考えています。

 

人が集まり、

組織が成り立ちます。

そして、

組織が集まり、

社会が成り立ちます。

 

すべては、

「人」が原点です。

 

一人一人が

自然の摂理に基づいた

自然の道を進むことが、

社会全体の自然な進化に繋がるのは

当然のことであると、

私は考えています。

 

今、自分は、次の一歩を

どう進むのか?

 

それを自らの真本音で決める

その一つ一つが、

「社会」を左右するのです。

 

つづく

 

加速すればするほど、楽になる

私達人間は誰もが、

「進化をしたい」という本能を持っていますが、

自分が望む進化スピードを実現している人は

ほぼ、いません。

(→前回記事)

 

本当はグングン前に進みたいのに、

思うように進めない、

もしくは、進むことを恐れてしまい

躊躇している自分がいる、

・・・ほぼすべての人がその状態です。

 

私達には「加速」が必要です。

 

しかしどうすればよいのか?

誰もわかっていません。

 

私がコーチとして活動してきた

この21〜2年間は、

その方策を探求し続けてきたという

言い方もできます。

 

もちろん、今も探求中です。

 

ただ、一つ明確にわかっていることが

あります。

 

真本音度合いを高めることが

すべての基本にあるということです。

 

私達人間の揺るがぬ心、真本音とは、

私達の存在意義であり本能の中枢を成す

「進化欲求」に対して非常に素直です。

 

進化のためにどうすればよいか?

を最も大切にしています。

 

しかもそれは理想論ではありません。

 

自分の進化のために、

今の現実に対して、

自分は何をすればよいのか?

を極めて現実的に判断します。

 

その洞察力は

神秘的ですらあります。

 

逆に言えば、

私達人間は誰もが凄い洞察力を

もともと持っているということです。

 

しかしその洞察力は、

真本音度合いが高まらないと

発揮されません。

 

そして、

真本音度合いが高まり、

その洞察によって出された「次の一歩」を

踏み出し続ければ、

私達は必ず、周りと調和します。

 

先ほど書きました通り、

真本音とは極めて現実的な判断をしますので、

真本音で動くことで、

不必要な混乱や混沌は争いや諍いは

激減します。

そこには、必要な試行錯誤が必要なタイミングで

起こるだけです。

 

結果として、その一歩一歩は

進化に対しての最速の道となります。

 

それは「理想」ではありませんが、

「最善」です。

 

つまり、今できる最善、最速の道を

私達の真本音は選択するのです。

 

ですからそういった意味でも、

私は、クライアントさんの真本音度合いを

高めることを、コーチングの要諦としています。

 

そして「脱皮」とは、

そういった真本音度合いの高まった人達が

引き起こす「現実」です。

 

「脱皮」を起こすことで、

ステージが一気に変化します。

 

それは喩えて言えば、

今まで地面を歩いていた自分が、

突然、東京スカイツリーの展望台に

登ったようなものです。

突然に視界が変わります。

今まで見えていなかったものが

見えるようになります。

 

いえ、

本当に大きな脱皮をした場合は、

もっと凄い変化があります。

東京スカイツリーどころか、場合によっては

飛行機の視点とか、成層圏の視点とか、

地球を見降ろす宇宙の視点まで

行ってしまうかもしれません。

 

脱皮とは、それくらいに劇的な

変化があることなのですが、

しかし、本人の顕在意識はその変化に

気づいていません。

 

気づいていないのだけれども、

しかし、視界そのものは

これまでとはまったく比べ物にならないほどに

広がっているのです。

 

ですから、本人の気づかないところで

発想そのものが大きく変化します。

本人は気づいていないのに、

周りから見ると驚くべき発想を

生み出す時があるのです。

 

しかしそれは私達人間にとっては

実に自然な振る舞いです。

 

なぜなら私達は

それだけ大きな進化を望んでいるからです。

でも今のところ、どれだけ脱皮をしても

まだまだ私達の望む進化スピードには

追いつけません。

 

本当に望む進化スピードに

もし追いつくことができたとしたら、

私達人類はとてつもなく素晴らしい世界を

創ることができるでしょう。

 

話があまりに大きくなり過ぎますと

現実味がなくなってしまいますが、

私達誰もにできるのは、

自分自身の「次の一歩」を決めること。

 

その「次の一歩」を

真本音で決めることです。

 

それを粛々と続けることで、

私達は本来私達の望む進化スピードに

近づいていけるでしょう。

 

そのためのサポートが

私のサポートです。

 

そしてそういったサポートのできる人を

私は増やしていきたいのです。

 

真本音で生きること、

進化を加速させること、

それは、決して難しいことではありません。

 

むしろ、それは

最も楽な道のりです。

 

最も自分が自然体になり、

最も自分が自分らしくなり、

最も人間としての幸せを感じることのできる

明るく楽しい道なのです。

 

つづく

 

人の影響力は、ここで決まる

人が人に与える影響力の大きさ

というのは、どこで決まると思いますか?

 

能力ですか?

 

経験ですか?

 

人格ですか?

 

生き方ですか?

 

立場ですか?

 

役割ですか?

 

個性ですか?

 

それらすべては確かに

重要な要素です。

 

しかし私は、

人が人に与える影響度を左右している

要素として、超重要なものとして、

 

「その人の成長度」

 

があると、いつも実感しています。

 

「成長」とは

このブログでも申し上げている通り、

単なる「膨張」ではなく、

「進化」のことを指します。

 

現時点における力の大きさよりも

今、その人がどれだけ日々進化しているか?

によって、私達人間は

本質的な影響を受けます。

 

なぜなら、私達人間の根本欲求は、

・・・つまり、本能の中心にあるものは

「進化」だからです。

 

私達は本能的に

「進化」しているものに対して

畏敬の念を覚えます。

 

どこまで進化したか?ではなく、

どれだけの勢いで進化し続けているか?

に畏敬の念を覚えるのです。

 

それは、

本能的な信頼

です。

 

本能的な信頼を感じる人の言葉は

私達の心、というよりも

魂に響きます。

 

ですから私はいつも

コーチを目指す人達に言い続けています。

 

「クライアントさん以上に

コーチが進化をし続けなさい」

と。

 

クライアントさんの進化スピードよりも

遅い進化スピードのコーチは

クライアントさんに良い影響は

起こせないのです。

 

そういった意味で、人のサポートというのは

非常に厳しいものです。

 

サポートされる側よりも

サポートする側の進化の度合いが

高くなくては、

本質的なサポートができないからです。

 

このように書くと、恐らく多くの人は

うわっ、進化というのは大変そうだ、

そんなのは自分には無理だ、

と思われるかもしれません。

 

しかし先ほども書きました通り、

進化とは人間の本能の中枢です。

 

ということは、

進化とはとても

「気持ちいいもの」

なのです。

 

「進化」とは

安定です。

 

「進化」とは

安心です。

 

止まっている方が安定したり

安心できるのではありません。

 

人は、進化し続けている時こそが

最も安定し、安心できるのです。

 

ですから、

進化し続けている人は

端から見れば

「あの人、凄いなぁ」となりますが、

本人にとってはまったく

凄いことをしているという認識は

ありません。

 

むしろ、自然体で淡々と

普通に毎日を生きているだけであり、

それが最も幸せであり

安定・安心であるのです。

 

そういったことを

クライアントさん以上にコーチは

実感として知っていることが

重要です。

 

私ももうすぐ50歳ですので、

さすがに最近は年下のクライアントさんが

増えてきましたが、

以前は、私のクライアントさんは

10歳も20歳も年上の方ばかりでした。

 

しかも経営者が多かったものですから、

人生経験も、経営経験も

私以上の人達ばかりでした。

 

本当に素直に尊敬できる方達が

多かったです。

 

そんな方々をクライアントさんにするわけですから、

私にできることはただ一つ。

クライアントさん以上のスピードで

自分自身が成長(進化)すること

でした。

 

もちろんそれは

勝った負けた、

ということではありません。

 

でも私は、

自分の進化スピードを加速

し続けました。

 

加速して、加速して、加速して・・・。

 

その中で初めて知ったのです。

 

どれだけ加速しても、

まだ足りない、と。

 

まだ自分は満足できない、と。

 

まだ、自分が本来望んでいる

進化スピードには程遠い、と。

 

それは、

私個人だけに当てはまることでは

ありません。

 

すべての人が、

自分の進化スピードは

まだ遅過ぎる、という

ジレンマを持っていると

ある時に気づいたのです。

 

その時から私のコーチングの

テーマの一つが決まりました。

 

どんなクライアントさんにも

当てはまるテーマです。

 

それは、

「その人の望む進化スピードまで上げる」

ということです。

 

すべての人が、

自分の進化スピードに

満足していないのです。

 

本当に満足している人とは、

現時点ではまだ一人もお会いしたことが

ありません。

 

それだけ私達人間は、

「進化」したい存在なのです。

 

今のスピードは

気持ち悪いのです。

 

もっと気持ちよく

なりたいのです。

 

だからこそ、です。

 

だからこそ、

コーチは、クライアントさん以上の

スピードで

進化し続けることが必要であると、

私は思います。

 

クライアントさん以上に

気持ちのよい人生を送るのが、

コーチの必須条件です。

 

つづく

 

本物のエネルギーは、落ち着きと覚悟を生む

「脱皮」をするということは、

これまで自分を覆っていた殻や

一つの枠から解放される

ということです。

 

解放されると人は

どうなるでしょうか?

 

実は、

解放されると人は

とても「落ち着く」のです。

 

ニュートラルになります。

 

淡々となります。

 

「普通」の状態となります。

 

自然体です。

 

一見、逆のことが起こりそうですね。

解放されて自由になれば、

もの凄くエネルギーが湧いてくるとか

モチベーションが高まるとか

走り回りたくてしょうがなくなるとか、

場合によっては

自分で自分を制御できなくなるとか、

・・・そんなイメージがあると思います。

 

しかしまったくそうではありません。

 

本人が、「あれっ?」と思うくらいに

「普通」です。

 

本当に脱皮したのだろうか?と

疑うくらいです。

 

しかし確かに、

何となく軽くなりますし、

シャンとします。

 

地に足がついたような

安定感もあります。

 

自分が何か別物に変化することも

ありません。

あくまで、自分は自分。

何も変わりません。

ですので、

多くの人が、拍子抜けします。

 

しかし私は、

そうした「拍子抜けした状態」を見ることで、

「脱皮」が上手く完了したことを

確認できます。

 

ただし、

何も変わっていないのは

表面上だけ。

 

その人の内側のエネルギーは

明らかに高まっていますし、

(深まっている、という表現の方が的確です)

その人の空気感は

安定と共に、「明るくなった」ようにも

感じます。

 

「正義」という古い皮を手放した弓江さんが

まさしくその状態でした。

(→前回記事)

 

私は弓江さんに

質問を投げました。

 

直観的に出た質問です。

 

「弓江さん、

今、弓江さんは立っていますか?

座っていますか?」

 

「座ってますね。」

 

「座って、何をしようと

していますか?」

 

「覚悟を決めようと

しています。」

 

「何の覚悟ですか?」

 

「立ち上がる覚悟です。」

 

「立ち上がるということは、

どういうことですか?」

 

「走り出すということです。」

 

「走り出す、とは?」

 

「私が皆を引っ張る

ということです。」

 

えっ?

と、この答えに弓江さん自身が

驚きの声を上げました。

 

「私が、みんなを引っ張るんですか?」

 

「今、ご自分でそう言いましたね。」

 

「できるんでしょうか?」

 

「どう思います?」

 

「・・・できますね。

そう思えます。

むしろ、私にしかできないことが

ある気がします。」

 

この弓江さんの一言で、

今度は、木村さんが脱皮し始めたのが

わかりました。

 

弓江さんの一言が刺激となり、

彼は一気に古い皮を

自ら剥いだのです。

 

つづく

 

脳で感知できる世界は、とても狭い世界

「実在」と「イメージ」とは

まったく異なるものです。

 

「イメージ」とはあくまでも私達の頭の中で

創り出したもの。

悪い言葉で言えば、妄想と同じです。

 

しかし「実在」は、実在と言うだけあって

実際にそこに存在するものです。

 

ただし、私達が生きているこの3次元の

現実世界の事象としては、

捉えることができない、と言うだけのことです。

 

私達が現実世界で捉えているものはすべて

私達の脳で捉えているものです。

 

視覚・聴覚・体感覚。

つまりは五感と言われるものはすべて

脳という機関を通じて捉えているものです。

 

しかし、私達の脳で感知できる周波数は

非常に限られています。

脳で感知できないものの方が

圧倒的に多いのです。

 

脳では感知できないが、

確かにそこに存在しているもの。

それが「実在」と私が呼ぶものです。

 

それは霊感ですか?

と訊かれることもありますが、

霊感ではありません。

 

もちろん、幽霊というものも

脳では普通は感知できない周波数だと

思いますので、実在の一つかもしれませんが、

私自身は幽霊を感知することはありませんので、

よくわかりません。

 

もし、幽霊というものがあっとしても、

それは恐らく、エネルギーレベルとしては

かなり弱いものだと思いますので、

私が感知できないだけかもしれません。

 

私は、エネルギーレベルの高い実在を

感知することができます。

エネルギーレベルの高い実在というのはつまり、

人の「真本音」です。

 

そしてそういったエネルギーレベルの高いものを

感知する能力は、

本当は誰もが持っています。

しかし、

使わないだけなのです。

使い方を知らない、とも言えますが。

 

「真本音」とは圧倒的にエネルギーの高いものです。

ですから、「実在」を感知する能力がつけば、

「真本音」の存在感は

否が応でもわかります。

 

本当の意味で、

「実在」を感知するためには、

脳を使わずに感知する力を高めることです。

その力が伸びれば、

脳を使わずに物事の本質をつかむことが

できるようになります。

 

脳(五感)を使って捉える物事が、

いかに薄く、淡いものであるか、ということも

まざまざと知ることになります。

 

その能力は、

きちんと訓練をすれば誰もが伸ばすことが

できますが、

そのためには、まずは

五感(脳)を使って実在を捉える、というのが

ファーストステップです。

 

二人コーチングの場で、

弓江さんの脱皮をサポートするにあたり、

弓江さん自身に、古い皮がどうなっているかを

見てもらったり、

木村さんに、その皮をもぎ取ってもらったりしたのは、

「実在」を感知する力を伸ばす訓練の一つ

でもありました。

 

弓江さんも木村さんも

かなり的確に「実在」を捉えていました。

 

そして実際に、

弓江さんは「脱皮」を果たしました。

(→前回記事)

 

弓江さんは、

「正義」という名の古い皮を

手放しました。

 

そこから解放されたのです。

 

結果的に、

弓江さんの古い皮は私が受け取りました。

私は腰がドーンと重くなるのを感じました。

そして、言いようのない苦しみを覚えました。

 

この苦しみは、

無意識に弓江さんが味わい続けていた

ものです。

 

私はすぐに、その古い皮を

浄化しました。

 

今はコーチングのその場で

同時並行で浄化できますが、

以前の私にはそれができませんでした。

 

一日のコーチングが終わって

家に帰ってから必死に浄化をする、

という毎日が何年も続きました。

 

時には、浄化が

次の日の朝までかかることもありました。

いえ、

何日もかかることもありました。

 

浄化力というのも

訓練によってかなり高まります。

 

今はその場で大半のものは浄化できますので、

随分と楽になりました。

 

私は、コーチには、

・「実在」を感知する力

・「実在」に変化を起こす力

・「実在」を浄化する力

が必要であると思っています。

 

そういった力を持ったコーチを

養成するというのも

私の使命の一つだと思っています。

 

つづく

 

正義、って重いんだねぇ

私達人間のほとんどの苦しみは

幻影です。

 

幻影と言っても、

実際に起きている現実は、

現実です。

 

しかし本当は、

その現実が私達に苦しみを与えている

わけではありません。

 

現実とは

どこまで言っても

現実でしかあり得ません。

 

その現実をどう受け止めるか?

を私達は自ら決めています。

 

自ら、解釈をしています。

 

その段階で、

自らに苦しみを与えます。

 

例えば、

とても厳しい現実が目の前にあったとしても、

もし似たような経験が過去にあったとすれば、

その人の苦しみは減退するでしょう。

 

自分は過去に、このような現実を

乗り越えたことがある、

という経験は、私達の苦しみを

減退させます。

 

しかしだからと言って、

今の現実が変わるわけではありません。

 

私達の現実を受け止める解釈が

変わるだけのことです。

 

つまり私達は私達自身の解釈により

苦しみを増減させています。

 

「人生は苦しい」

と思う人の多くは、

自分でその苦しみを創り出している

だけのことです。

 

私達はそういった解釈の世界から

脱け出すことが

本当は誰もができます。

 

ただ、現実をあるがままに

感じ取るだけの日々の始まり。

 

するとその瞬間から、

現実はまったく違った世界を

私達に見せてくれます。

 

現実を、あるがままに感じ取ることが

できればできるほど、

私達は、自分自身がいかに自由であるか?

を知ることになります。

 

脱皮をするというのは、

現実をあるがままに捉えられない原因となる

強い解釈の衣を

一つ脱ぎ捨てることである、

という言い方もできます。

 

今、弓江さんは

「正義」という解釈を脱ぎ捨てようと

しています。

(→前回記事)

 

実在レベルで表現すれば、

弓江さんが脱ぎ捨てようとしている

「正義」は、

弓江さんの左足に絡みついています。

それを取り払えば、

弓江さんはその「正義」から自由になれます。

 

しかしそれが

なかなか取れません。

 

「どうすれば、

取り払えそうですかね?」

 

「木村リーダーに

取ってもらおうかな。」

 

「わかりました。

それはなかなか良いアイデアですね。

では木村さんに取ってもらいましょう。」

 

思わず、木村さんが言います。

「えっ、私にできますか?

どうすればいいんでしょう?」

 

「簡単ですよ。

今、弓江さんが言われた“正義”は、

単なるイメージではなく、実在です。

ですから木村さんにもわかるはずです。

意識を弓江さんの左足に

向けてみてください。

何か見えませんか?」

 

「見える、というよりも、

確かに何か異物があるような

感覚がありますね。」

 

「それで充分です。

木村さん、その異物は

どうすれば取れると思います?」

 

「えっ? ・・・そうですね。

どんなやり方でもいいですか?」

 

「もちろん、いいですよ。」

 

「私が、私の手ですくい上げても

いいですか?」

 

「できそうですか?」

 

「はい。」

 

そう言われた木村さんは、

弓江さんの左足の踵の近くに手を伸ばし、

一気にその「正義」をもぎ取ってしまいました。

 

「あっ、軽くなった!」

 

と弓江さんがびっくり。

 

「たけうちさん、

今、私の両手にその“正義”がありますが、

これ、どうしたらいいでしょう?」

 

「どうされたいですか?」

 

「たけうちさん、

受け取っていただけます?」

 

私は笑いました。

 

「しょうがないですね。

じゃあ、私がいただきます」

と言いながら、

私は、木村さんから弓江さんの「正義」を

受け取りました。

 

ド〜ンと腰の辺りが

重くなりました。

 

実はこういった展開、

しょっちゅうあるんです。

 

私はよく、

脱皮をした人の古い皮を

受け取ります。

そして浄化をします。

 

その古い皮があまりにも重く、

苦しいものであればあるほど、

私の場合は、腰に来ます。

 

まるでギックリ腰になったかのような

感覚が来るのです。

場合によっては

立てなくなってしまうこともあります。

 

それだけその古い皮は

その人にとって重いものであった

ということです。

 

これは「イメージ」の話ではありません。

あくまでも「実在」の話ですので、

こういったことが起こるのです。

 

そして、重い皮をもらうたびに、

私はいつも思うのです。

 

人間というのは、

こんなに重いものを抱えながら

生きているんだな、と。

 

つづく

 

本当は、自力で脱皮できればいいんだけど・・・

「脱皮」とは、

大きく「進化」すること。

 

そして「進化」とは、

より「自由」になることです。

 

ですから「脱皮」をすればするほど、

私達は、何かから開放されます。

人としての根本的な幸せを

感じるようになります。

 

しかし「脱皮」そのものについては

不安定さと恐怖心が

伴います。

 

これをたった一人で

乗り越えることのできる人は

なかなかいません。

 

通常は、

「今、自分は脱皮しようとしている」という

自覚はありません。

「脱皮」そのものの概念すら

ないでしょう。

 

何もわからない状態です。

 

ですから、

突如として襲ってくる不安定さと恐怖心を

何とか消そうとするのが

ほとんどの人です。

 

そしてそのための手立てを打ちます。

それにより実際に

不安定さと恐怖心を減退させることも

あるでしょう。

 

しかし、それをしてしまうと

「脱皮」は完了できません。

 

「脱皮」のチャンスを逸し、

「脱皮」をしないままに人生を進む

ということになります。

 

それはそれで一つの人生

かもしれません。

 

しかし、

脱皮のチャンスを逸し、脱皮せずに進む

というのは、

脱皮のチャンス以前の自分に比べて

苦しさが増します。

 

なぜならその人は

「なぜ、脱皮をきちんとしないんだ!」

と自分で自分を責め続けるように

なるからです。

 

もちろんそれは無意識に行われることですから

本人は認識していません。

しかし明らかに

以前よりもその人は人生における苦しみが増し、

その苦しみに耐えながら生きる

ということになります。

 

脱皮のチャンスを逸してしまったことによる

苦しみ。

 

これは私達が想像する以上に大きな

ものです。

 

できれば私はすべての人が、

この苦しみを味わわずに人生を

進ませる、

つまりは、きちんと脱皮を続ける人生を生きる、

・・・そんな状態になればいいなと

思っています。

 

極端に言えば、

それができるだけで、

世界はもっと平和になるのではないかと

私は思います。

 

脱皮には

的確なサポートが必要です。

 

本当は、サポートなしでも行ければ

よいのですが、

現在の世の中においては、

どうしても、サポートが必要です。

 

それが、コーチの存在意義の一つである

と私は思っています。

 

多くの人が健全に脱皮を続け、

世の中の次元がもう少し高まれば、

自力で脱皮できる人の割合も

もっと高まるのではないかと思います。

 

そうなるためにも、

今はコーチが、的確なサポート役が

必要なのだと思います。

 

木村さんと弓江さんは今、

二人コーチングのその場で、

自らの脱皮を完了させようとしています。

 

まずは、弓江さんが

今まさに脱皮しようとしています。

 

実在レベルの表現を使えば、

弓江さんは、これまでの古い皮をほぼ

脱ぎ捨て、

その皮は今、

左足に絡まっている状態です。

 

そしてその皮に意識を向けると、

それは、

「私の“正義”ですね」

と、弓江さんは自覚しました。

(→前回記事)

 

通常のコーチングでは、

「では弓江さん、その“正義”とは

具体的にどういったものですか?」

というような質問をするかもしれません。

 

しかし、脱皮時においては、

あえてそれ以上のことは訊きません。

“正義”という言葉に反映される

あらゆるもの、

というくらいのザクッとした認識で

充分なのです。

 

理屈では脱皮できません。

顕在意識はあまり

働かさない方が良いのです。

 

「弓江さん、

その左足に絡まっている“正義”を、

完全に取り去ることはできますか?」

 

弓江さんはしばらくの間、

左足に意識を向けていましたが、

「う〜ん、難しいですね。

どうしても取り払えません」

と、苦しそうに言いました。

 

「どうすれば、

取り払えそうですかね?」

 

すると彼女は、

面白いことを言いました。

 

「木村リーダーに

取ってもらおうかな。」

 

「えっ? 私ですか?」

と、木村さんは少しびっくりした表情。

 

「わかりました。

それはなかなか良いアイデアですね。

では木村さんに取ってもらいましょう。」

 

つづく

 

古い皮を脱ぎ捨てずして、真の成長はあり得ない

「脱皮」とは、

「実在」と「現象」の一致度合い、

つまりは「一貫性」が

一気に高まること。

それはイコール、

「真本音度合い」が一気に高まること

でもあります。

 

その「脱皮」をサポートするためには

あえて、

「実在」と「現象」の不一致部分を見つけ、

そこに刺激を入れ、

より「不安定」にさせることです。

 

不安定は「自然崩壊」を生み、

これまでの自分が崩壊するからこそ

「脱皮」は成されます。

 

それを、チームとして起こすための

戦略を見出そう、というのが

今回の木村さんと弓江さんの二人コーチングの

目的です。

(→前回記事)

 

その目的を果たすために、

まずは私は木村さんと弓江さんの

悪い意味での不安定さを

抜きました。

二人の自己満足的な「気合い」を

抜いたのです。

(→【自己満足の気合いでは、何も見えなくなる】)

 

話は、そこからの続きとなります。

 

私は弓江さんに問いました。

 

「弓江さん、

今、改めて思うことを教えていただきたいのですが、

今の木村リーダーの状態はいかがですか?」

 

「はい。

木村リーダーご自身がすでにほぼ

脱皮しかかっていると思います。」

 

「何%くらい脱皮できていると

思いますか? 直観的に。」

 

「80%くらいでしょうか。」

 

弓江さんの言葉は

スッと私の中に入ってきますから、

その通りなのでしょう。

 

「では、木村さん。

木村さんからご覧になって、

今の弓江さんの状態はいかがですか?」

 

「弓江も私と同じく、

80%くらい脱皮しかかっていると

思います。」

 

この言葉も

スッと伝わってきます。

 

「わかりました。

では、お二人にお訊きしますが、

お二人の脱皮は、チーム全体の脱皮と

同時並行で行われるべきものですか?

それとも、

まずはお二人が脱皮することで、

それがチームの脱皮につながるという

順番ですか?」

 

「それは後者ですね。」

とすぐさま木村さんが答え、

弓江さんが大きく頷きました。

 

「では、

お二人の脱皮は、

今この場で行なわれるべきですか?

それともこの場では、刺激のみを与え、

今後の日常業務の中で

行なわれるべきですか?」

 

「今もうここで

脱皮しちゃいたいですね。

そのための今日のこの場だと思います。」

と木村さん。

 

私が抱いていたもともとの順番と

一致しています。

 

「わかりました。

では、まずはそれを最初の目的として

この二人コーチングを進めましょう。」

 

私がそう宣言したその瞬間に、

私は弓江さんの脱皮が

一気に進んだ感覚を得ました。

 

ほぼ99%、

脱皮が完了したのだと

直観しました。

 

「おっ、弓江さん、

もうほぼ脱皮が完了しそうですね。

わかります?」

 

「はい、何となくわかります。」

 

「弓江さんの今回の脱皮は

何からの脱皮でしょうね?

弓江さんが脱ぎ捨てようとしている古い皮とは、

何でしょう?」

 

「う〜ん、何でしょうか?」

 

「まず、今脱ぎ捨てようとしている

古い皮の実在はわかります?」

 

「あっ、わかります!

なんか、ほとんど脱ぎ捨てることが

できているのですが、

左足に脱ぎ捨てた皮がまだ

引っかかっているようです。」

 

これは単なる弓江さんのイメージ

ではありません。

あくまでも彼女は、

実在を感じ取っているのです。

 

ですから、彼女の言うことは

私にもよく「実感」できます。

 

私も弓江さんの左足に

違和感と重さを感じ取っていたのです。

 

これが「イメージ」と「実在」の

違いです。

 

「実在」とはあくまでも、

本当にそこに実在しているものです。

 

真本音度合いが高まれば、

誰もが当たり前のようにそれを

感知することができるようになります。

 

「弓江さん、

その左足に引っかかっているその皮は

何でしょう?」

 

彼女はじっと自分の左足に

意識を向けていました。

 

そしておもむろにつぶやきました。

 

「あぁこれは、

私の“正義”ですね。」

 

つづく

 

融通の効かない人には一貫性がない

前回の記事で

「実在」と「現象」について

述べました。

(→前回記事)

 

私達人間が真の意味で

「自由である」

と感じられるのは、

この「実在」と「現象」が一致している時

です。

 

現実レベルで見て、

どれだけ自由な環境で

自由に動いていたとしても、

それが自分自身の「実在」の想いと

一致していなければ、

その人は決して自分のことを

「自由である」

とは感じません。

 

私はよく、

「実在の自分」

「現象の自分」

という言い方をします。

 

その表現を使えば、

「実在の自分に素直に生きている」

状態にあれば、

私達は「自由」を感じるのです。

たとえ、

どのような環境においても。

 

そして、

「実在の自分」と「現象の自分」が

一致していることを

「一貫性が取れている」

と言います。

 

ですからシンプルに言えば、

一貫性が取れている人は自由

です。

 

私はこの「一貫性」を

コーチングにおいては非常に

大事にしています。

 

ちなみに。

 

「一貫性」と「頑固」は

本質的に異なります。

 

「頑固」とは

一貫性の取れていない人の

振る舞いです。

 

一貫性の取れていない人が

自分を守ろうとするために、

融通が効かなくなり、

「頑固」になります。

 

「自我」と「自己」という視点から言えば、

(→【自我による発想など、たかが知れている】)

「頑固」とは、自分だけを守ることですから

「自我」によるものです。

周りとは分離しています。

だから、

周りに迷惑が及びます。

 

それに対して、「一貫性」とは

柔軟です。

 

「一貫性」の取れている人ほど、

周りの意見をよく聴き、

取り入れ、自分のものとすることが

できます。

 

「一貫性」の取れている人は、

何を大事にすれば良いか?

何を変えてはいけないか?を

本質的によくわかっています。

 

変えてはいけないものを

わかっているからこそ、

それ以外に関しては非常に柔軟に

なるのです。

 

「変えてはいけないもの」を

大事にするために、

あらゆるものを変え続けるのです。

 

そこに執着はありません。

 

組織やチームで言えば、

頑固な組織(チーム)か?

一貫性のある組織(チーム)か?

の見極めが非常に重要です。

 

さて。

 

そろそろ木村さんと弓江さんに

戻りましょう。

 

私は、

新規事業プロジェクトチームが

脱皮をするための、

戦略を見出そうとしています。

 

そのための二人コーチングです。

 

チームメンバーは

半分に減らされました。

しかしそれにより、

チームとしての調和性は上がっています。

 

きちんとした脱皮が成されれば、

チームの生産性は何倍にも

アップするでしょう。

 

脱皮段階は、

個人もチームも非常に不安定に

なります。

 

しかしその不安定こそが

大事です。

 

不安定を助長するくらいの方が

良い脱皮ができます。

 

そのためには、

不安定をさらに不安定にするための

刺激を入れる必要があります。

 

どこにどのような刺激を入れることが

最も効果的か?

・・・それが戦略です。

 

そしてその、刺激の入れ所とは、

チームとしての「実在」と「現象」の不一致点

であることが望ましいです。

 

「実在」と「現象」の不一致点を見出し、

そこを突くことで、

個人にとってもチームにとっても

良い意味での「崩壊」が起こります。

 

脱皮とはある意味、

これまでの自分を壊すこと。

 

壊すべきをちゃんと壊すことで、

これまで以上の「一貫性」を

手に入れることができるのです。

 

そして、

より「自由」になれます。

 

そういった意味で、

コーチとは時には「破壊者」であることが

必要です。

 

私は今、

「破壊者」であろうとしています。

 

つづく

 

虚構の中でどれだけ頑張っても、それは虚構だ

この後の二人コーチングの展開を

語るためには、どうしても

次のご説明をしておかなければなりません。

(→前回記事)

 

「実在」と「現象」、

についてです。

 

以前にこのブログでも書かせて

いただきましたが、

さらに詳しいお話をしなければなりません。

 

簡単に言えば、

「実在」とは、

私達の心の中の世界で起きていること

です。

 

「現象」とは、

私達の現実世界で起きていること

です。

 

「実在」と「現象」とは

本来、繫がっています。

 

「実在」で起きたことが

「現象」で起こります。

 

例えば、心の中で

「こんな家を建てたい」と思うから

現実世界で、

そのような家が建ちます。

 

「実在」で起こらないことは

「現象」化しません。

 

それが原則です。

 

ところが、

今の世の中はそうとも

限りません。

 

「実在」では存在しないことが

「現象」化することが

往々にしてあります。

 

つまりは、

心の中で本当には思っていないことが

現実化します。

 

例えば、

実在では「こんな家を建てたい」と

思っている家とは全く異なる家が

建ったりします。

 

もしくは、

本当は実在では「家を建てたい」などとは

これっぽっちも思っていないにも関わらず、

現実では、家を建てることもあります。

 

なぜならそれは

外からの影響を受けるからです。

 

例えば、自分の知り合いが

家を建てた。

その家に遊びに行った。

その時に、「あぁこんな家を建てないな」と

思った。

その通りに、建てた。

・・・しかし、その人の心の中では

本当は「家を建てたい」などとは

これっぽっちも思っていなかった。

なのに、たまたま知り合いの家を見たがために

それをきっかけとして家を

建ててしまった。

・・・そんなケースです。

 

それはそれでいいではないか、

と思う人も多いかも知れません。

 

しかし、

そう単純な話ではないのです。

 

「実在」で、

・・・つまりは、心の中で、

本当に望んでいるのとは別のことを

「現象」化する、

・・・つまりは、実現することにより、

私達の中では、

「実在」と「現象」の不一致が

起こります。

 

「実在」と「現象」の不一致が起こることで

私達には、多大なるストレスが

発生してしまうのです。

 

もちろんストレスが一概に

悪いわけではありません。

 

私達にとって「必要なストレス」というのも

あります。

 

しかし、

「実在」と「現象」が不一致を起こすことで

発生するストレスは、

私達の人生にとっては

百害あって一利なし、・・・なのです。

 

「実在」と「現象」の不一致によるストレスは

私達自身を混乱させます。

自分を見失う、ということになります。

 

こういった人は、

自分は何のために生きてるのか?

自分は何のために生きていきたいのか?

自分は何のために生きることで

幸せを感じるのか?

などが、わからなくなります。

 

本質的な「幸せ」と「不幸せ」の区別が

つかなくなるのです。

 

すると、良かれと思ってやっていることが

自分にとっても周りにとっても

苦しみしか与えない、ということが

非常にたくさん起こり得ますし、

しかも、自分が苦しんでいることに

自分が気づいていないということも

起こります。

 

麻痺している状態です。

 

一生、麻痺しながら

幸せだと思い込みながら生きる人生も

それはそれでよし、

と考える人もいるかも知れません。

 

しかし、残念ながら

自分が苦しんでいることに自分が

気づいていなくても、

それでも、自分が苦しんでいることは

結局は自分が一番よくわかっているのが

私達人間です。

 

自分の人生は

自分のものだからです。

 

自分の人生を良くしたい、

と願うのも私達の本能です。

 

ですから、頭では自覚していなくても

本能的には、自分の苦しみを

自分が一番理解しています。

 

そして、苦しんでいるにも関わらず

それを改善しない自分自身を

自分は「嫌い」になっていきます。

 

自分で自分を嫌う。

 

言葉で言うのは簡単ですが、

それは想像以上に辛いことです。

 

自分を嫌う人は、

目の前に幸せがあったとしても、

それを「幸せである」とは感知しなくなります。

なぜなら、

自分が嫌いだから。

自分に幸せを与えたくないから、です。

 

それを続けることで、

私達の心と魂は、どんどん疲弊し、

傷ついていきます。

 

実は、

そういった人がとてつもなく多いのが

今の世の中です。

 

心と魂が傷ついた人同士が

チームを組んだとしても、

そのチームで「本当の喜び」を得られるはずが

ありません。

 

「実在」と「現象」の繋がりのないままで

「無理矢理のその場しのぎの喜び」を

作り出すのが、関の山です。

 

そういった組織やチームが

非常に多いです。

 

ですから私がまずはいの一番に

手をつけるのは

「実在」と「現象」の一致

です。

 

つまり、

本当に自分が心の中で思っていることと

現実で起こることを

一致させていくのです。

 

それをせずして、

本質的な人の進化も組織の進化も

あり得ません。

 

非常に残念なことですが、

今の世の中においては、

「実在」のない「現象」で生きている、

つまりは、

虚構の中で生きている人が

多いです。

そんな組織も多いです。

 

足元がないのです。

 

足元がない状態で、

いくら表面だけを取り繕っても

それは、虚構のままです。

 

下半身の弱い力士が

上半身だけを鍛えているのと

同じことです。

 

たまたまの成果には繋がるでしょうが、

本当の、必然的な成果は

あり得ないでしょう。

 

もっと私達人間は

強くなれるはずです。

 

組織ももっと

強くなれるはずです。

 

そのためには

下半身を鍛えるのです。

 

「実在」と「現象」を

一致させるのです。

 

つづく

 

自我による発想など、たかが知れている

「自我」と「自己」の違いって、

わかります?

 

「自我」とは、

自分と他者、

自分と社会、

つまりは、自分と自分以外のすべてのもの

が分離しています。

すべてと分離した上での自分。

自分だけの自分、です。

 

「自己」とは、

他者との繋がり、

社会との繋がり、

あらゆるものとの繋がりの中における自分

です。

すべてとの繋がりを実感した上での自分。

全体の中の自分、です。

 

「自己実現」とは

ここからきている言葉です。

 

私達人間とは、

社会的生き物です。

 

繋がりを前提として

存在しています。

 

繋がりがなければ生きていけない

ということを前提として

生まれた存在です。

 

逆に言えば、

繋がりを通じて進化をしていこう

ということを前提として

生まれた存在です。

 

ところが、

繋がりを無視したり、

すべてから自分を分離させ、

自分だけが幸せになればいい

という想いのもとに行動を続けるケースが

あります。

 

ビジネスにおいても

それ以外においても。

 

概して、そういった人は

疲弊しています。

なぜなら、私達人間の本能や

存在意義に逆行した生き方だからです。

 

自分一人が幸せになるよりも、

自分も家族も幸せになる方が

私達からはパワーが生まれます。

 

大切な人を大切にしたいという気持ちは

私達の、繋がりを求める本能から

来るものです。

 

その本能を、

ビジネスの場でもそのまま発揮すればよい

と私は思っています。

 

その方が明らかに、

皆のエネルギーは高まります。

心の内側からパワーが自然発生するのです。

 

木村さんと弓江さんの2回目の

二人コーチング。

(→前回記事)

 

お二人ともかなりの気合いが入って

いました。

しかしその気合いから私が感じ取ったのは

「周りとの分離感」でした。

 

つまり、自分だけの自分、

「自我」としての気合いだったのです。

 

これでは、いずれ必ず二人は疲弊します。

しかも、分離感の中では

不調和の発想しか生まれません。

 

これは実は

非常によくある現象です。

 

ひょっとすると、コーチによっては

この「気合いの入った状態」を

非常に良い状態である、

と認識し、コーチングを進めてしまうかも

知れません。

 

しかしそれでは、

一時的に良い結果は出せるかも知れませんが、

間違いなくそれは一過性のものとなります。

 

それは、不安定の始まりです。

 

不安定とは、

一時的に良くて、

その後に間違いなく「反動」が来る状態です。

そして一度、落ちて、

そこでまた「気合い」を入れて復活し、

結果を出すけれども

またその後、反動により落ちて、・・・

を繰り返します。

 

つまりそれこそが

反応本音レベルの人生、であり

反応本音レベルの仕事、です。

 

「それが人生だ」と

思っている人も多いようなのですが、

そこから私達は脱け出し

自由になることができるのです。

 

気合いの入った二人から

私が感じ取ったのは、分離感です。

私と二人も繋がっていませんし、

二人同士も繋がっていませんでした。

 

その状態で出て来る発想も行動も

たかが知れています。

 

彼らはもっと

素晴らしい現実を

生み出したいはずです。

 

ですから私は

彼らの「気合い」を

彼らから抜きました。

 

その「気合い」とは、

反応本音レベルの気合い。

 

それを抜けば、

真本音状態となります。

真本音状態となれば、

繋がりは自然発生します。

というよりも、

もともと私達は繋がっているのですから、

もともとある繋がりを、

あるがままに感じ取ることが

できるようになります。

 

その状態で物事を進めることこそが、

チームの、組織の、

本来の意味であると

私は思うのです。

 

つづく

 

自己満足の気合いでは、何も見えなくなる

「あぁ、お二人とも

だいぶ不安定になっていますね。

それでは、良い判断が

できないでしょう。」

 

木村さんと弓江さんの2回目の

二人コーチングの冒頭で、

私はそのようにお伝えしました。

(→前回記事)

 

二人にとっては

予想外の一言だったようです。

 

少しの間、二人は無言でした。

私の言葉に戸惑っていたのでしょう。

 

冷静な口調で弓江さんが

言いました。

「私達は今、不安定ですか?

私にはその自覚がありませんでした。」

 

木村さんも口を開きました。

「むしろ、いい状態だと

思っていましたが・・・。」

 

「いい状態、だと感じていた

理由はわかります?」

 

「すごくエネルギーが湧いてきています。

モチベーションが高いです。

集中力もあります。

前向きですし、絶対にやってやろうという

意志が高いです。

今日のこのコーチングも楽しみで

しょうがなかったです。」

 

「弓江さんはいかがですか?」

 

「そうですね。木村リーダーとほぼ同じです。

これまでとは少し違うレイヤーの意識に

自分はいるという気がしていました。」

 

「なるほど。

では、一つ今から問いをお二人に投げますので、

直観的にお答えいただけますか?」

 

「はい。」

 

「お二人の真本音は今、

どこにいますか?」

 

最初に弓江さんが答えました。

 

「あっ、なんか、私から離れている

気がします。

私の後ろの上の方、3mくらいの

ところにいるような気がします。」

 

「木村さんはいかがですか?」

 

「私も離れている気がします。

私は50mくらい後ろの方にいます。」

 

「では、その真本音の位置から、

今ここにいるご自分自身を

観察してみてください。」

 

二人は言われた通りにしました。

 

「どうです?

どのように見えますか?」

 

最初に木村さんが

言いました。

 

「なんか、自分の全身から炎が

上がっています。

その炎の中にいます。

でも、炎の中なので、外の世界がきちんと

見えていない気がします。

自己満足的な・・・。」

 

次に弓江さん。

 

「何でしょうか。

自分は、自分の内側のみを見ている

ような気がします。

外に意識を向けていません。

自分のエネルギーを楽しんでいますが、

それだけのようです。

私も自己満足しているのでしょうか。」

 

「お二人は、

新規事業プロジェクトのメンバーが

減ったことが、本当に嬉しいのですね。

なぜなら、直観的に

これで調和性の高いチームになると

思えたから。

そして、これで実績も上がるはずだと

思えたから。

さらに、人数が減らされたのに、

計画以上の実績を上げることができれば、

我ながら凄い!と思えたのではないですか?」

 

「その通りです。」

と木村さん。

 

「それはそれで、問題はありません。

でも、その直観が嬉しくて、

逆に意識が自己満足的な方向に

向かってしまった。

と同時に、

言った以上は、必ず実績を上げなければ!

と気合いを入れた。

気合いを入れること自体は大事ですが、

それは自己満足的な気合いですね。」

 

二人の心がギュギュッと

固くこわばったのがわかりました。

 

「まぁでもそれも人間でね。

そういった心になることをやめてください、

と言う話ではないのですよ。

大事なのは、

そういったご自分を真本音の視点から

客観的に見て、どうしたいか?ですね。」

 

「いやぁ、自己満足は嫌ですね。」

と木村さん。

 

「私は自己満足をするような人間ではないと

これまで思っていましたが、

結構しちゃうのですね。」

と弓江さん。

 

「自己満足するご自分を責める必要もありませんし、

否定することもありません。

それをあるがままに見つめることが大事です。

では、そういった自己満足的な自分に対して

どうしてあげたいですか?」

 

木村さんが言いました。

「私は自己満足な自分も可愛らしいと

思います。

ただ、その自分の中に閉じこもっているのは

嫌ですね。

そこから出たいです。」

 

次に弓江さん。

「私もなんか、こういう自分がいたのだと

思うと、ちょっと自分を可愛らしく思います。

でも、その中にはいたくないですね。」

 

「じゃあ、どうしましょうか?

その真本音の視点から、今の自分自身に

声をかけてあげてください。」

 

「まぁそんなに力まずに。

やるべきことをしっかりと見出して、

一歩ずつ着実に進もうよ。」

と木村さんが自分自身にメッセージしました。

 

弓江さんは、

「気合い入れ過ぎじゃない?

そんなことでは、本質を外してしまうよ。

もっと楽に力を抜いて進もうよ。」

とメッセージ。

 

その瞬間、お二人から一気に

肩の力が抜けた感覚が伝わってきました。

 

「気合い」が抜けたのです。

 

「では、お二人とも、

真本音を自分の体の中に

戻してあげてください。」

 

二人がそうすると、

その瞬間に、場の空気感が

一変しました。

 

二人の目が「自然体」に

戻りました。

 

そして、まっすぐに私を

見つめてきました。

 

見つめていますが、それは

とても軽やかです。

心地よい風が吹いてくるようです。

 

この瞬間、前回の二人コーチングと同じく、

私達は、「一つ」になっていました。

 

「ようやく元に戻れましたね。

では、コーチングを始めましょう。」

 

つづく

 

人の性は、時として気合となって現れる

「進化」には

「揺らぎ」がつきものです。

 

太陽に黒点があるように、

あらゆる物事に「完成」はありません。

 

なぜなら

「完成」とは

「衰退」の始まりだからです。

 

「完成」した途端に、

それは「進むこと」を止めます。

「完成」なので、

当然そうなります。

 

しかし私達人間の本能は、

止まることを極度に嫌がります。

「進むこと」こそが人間の本質であり、

人間の存在する意味なのですから

当然です。

 

ですから私達は本能的に

「完成」を最も嫌います。

 

必ずどこかに「綻び」を残しておき、

その綻びの不安定さを原動力に

次の進化へとつなげます。

 

それが私達人間のみならず、

すべての自然の摂理です。

 

ところが、その一方で

私達は「完成」を望みますから、

(「完成」を望まなければ「進化」はしませんから)

ある時ある瞬間に、

「完成できた」

と思い込むことがあります。

 

それにより、

これまでの歩みが一気に止まり、

急速に「停滞」から「衰退」に向かう、

ということが頻繁に起きてしまいます。

 

「完成した」と思い込むことを私は

「傲慢」

と表現することがありますが、

急速に「進化」することで逆に

「傲慢」になってしまうというものも、

私達人間の性の一つであると思っています。

 

ですから、コーチの役割の一つは、

「傲慢」からの開放です。

「傲慢」ではなく、「真摯」に進化に向かうこと。

それこそが、私達人間の本能レベルでの

喜びであるということ。

それを日常の取り組みにおいて

実感していただくこと。

そのためのサポートが

コーチングであると私は考えています。

 

木村さんと弓江さんの

二人コーチングを私は再び

行ないました。

(→前回記事)

 

それは、

私の側から見れば、

「チームの活性化戦略を見出す」

という目的がありましたが、

お二人から見れば、

「さらなる進化のための

綻び(揺らぎ)を見出す」

という目的もありました。

 

お二人は今、

急速な「進化」を望んでいます。

今こそ、大きくブレイクスルーする時。

今こそ、脱皮する時。

・・・そうお考えです。

 

ですから、その脱皮の端緒としての

二人コーチングでもありました。

 

前回の二人コーチングから

約1ヶ月ぶり。

 

お二人はかなり、

気合いが入っていました。

 

それはとても

素晴らしいことです。

 

しかし、気合いが入っている場合、

私はそれを「抜く」ことを

大切にしています。

 

気合いは大切ですが、

気合いは時には

「脱皮」を妨げます。

 

気合いとは

「意図」だからです。

 

私達は「意図」を持つことで、

自分の「意図」の範疇でしか

成長できなくなります。

 

私達の「進化」とはもっと

ドラスティックです。

 

意図を超えたところで、

真の「進化」は行われます。

 

まずは二人を

二人の「気合」から解放

しなければなりません。

 

私はあえて、お二人に

二人コーチングの冒頭で

強烈な一言をお伝えしました。

 

「あぁ、お二人とも

だいぶ不安定になっていますね。

それでは、良い判断が

できないでしょう。」

 

嘘ではありません。

本当にそうだったので、

その通りに申し上げたのです。

 

つづく

 

直観とは、準備があってこそのもの

私は木村さんからの依頼で、

新規事業プロジェクトチームに

もう一歩深く関わることになりました。

 

そして弓江さんとの面談によって

弓江さんという社内コーチを育成しながら

チームに関わる、という方向性を

見出しました。

(→前回記事)

 

目的は、

チームの「脱皮」を果たすことで、

当初の売上目標の1.5倍を達成する

こと。

それを、木村さんと弓江さん中心に

推進するサポートをすること。

 

そのために私は

具体的に何をすればよいでしょうか?

 

私は、組織(チーム)を活性化したり

育成する上で、必ず

戦略を立てます。

 

戦略とは、

最も楽な道を見出す

ことであると私は考えています。

 

つまり、

目的を果たすための

最も楽で効果的なサポートの道筋は何か?

を、私はあらかじめ見出します。

 

私はそれを、

「組織(チーム)活性化戦略」とか

「組織(チーム)育成戦略」

と呼んでいます。

 

それを基本的な道筋として実行に移しますが、

もちろん戦略通りに物事が進むかどうかは

わかりません。

しかし、

物事に柔軟に対応するためには、

その基本線となる道筋が必要です。

 

基本があるからこそ、

応用が効き、

柔軟性が発揮できるのです。

 

それは一回一回のコーチングにおいても

言えることです。

 

私は仕事柄、

私以外のコーチやコンサルタントの方に

お会いする機会がありますが、

彼らのあまりの準備の少なさに

びっくりすることが、正直あります。

 

彼らは「その場のアドリブや臨機応変さが

大事である」と言うのですが、

本質的なアドリブとか、臨機応変さと言うのは

しっかりとした準備があってこそのものであると

私は思います。

 

最も楽な道は何か?

その答えを、自分の中で確信を持てるまで

準備をする。

その上で、現場に入る。

だからこそ、現場では

自由になれる。

直観も大いに働く。

・・・それは、当たり前のことであると

私は思っています。

 

私は、

木村さんの新規事業プロジェクトチームの

活性化戦略を自分なりに明確にしたかったので、

再び、木村さんと弓江さんの

二人コーチングをすることにしました。

 

正確に言えば、

木村さんと弓江さんが

もう一歩、「脱皮」することが、

真の活性化戦略を立てる上では、

重要だと思ったのです。

 

言葉を換えれば、

もう一歩「脱皮」した木村さんと弓江さんと共に

活性化戦略を見出したいと

思ったのです。

 

これ自体も、

活性化戦略の一端と言えますが。

 

木村さんと弓江さんの

真本音レベルの相性は

実にいい。

一人一人を個別でコーチングするよりも

二人同時にコーチングした方が

恐らく数倍の効果が上がるでしょう。

 

お二人もそれを自覚されていたようで、

なかなかに凄い気合いで、

二人とも私の前に現れました。

 

つづく

 

コーチングより、指導してください

木村さんとお話しした後、

(→前回記事)

私は少し弓江さんともお話をしたく

なりました。

 

あえて1対1で

お話ししたいと思いました。

 

弓江さんはすぐに時間を

取ってくださいました。

 

さっそく私は本題に入りました。

 

「弓江さん、突然の展開でしたね。

プロジェクトメンバーが半分に縮小されることになり、

今はどんなことを感じていらっしゃいますか?」

 

「木村とも話していたのですが、

実はそれほど驚いたわけではありません。

何となくこうなることは

わかっていたような気がします。」

 

「特に気負いもなさそうですね。」

 

「はい。

むしろ、スッキリした気分です。

今の縮小されたメンバーだけの方が

正直言いまして、やりやすいです。」

 

「木村さんは、これで生産性が

上がるのではないか、と言われてました。」

 

「私もそう思います。

もちろん、残されたメンバーは未熟です。

能力も経験も高めなればいけませんが、

それはさほど難しいことのように

思えません。」

 

やはり弓江さんは

今回のこの展開をニュートラルに

受け止めているようです。

 

しかも私は彼女から

一種の覚悟のようなものを感じました。

 

「何となくですが、

今の弓江さんからは覚悟のようなものを

感じるのですが、自覚ありますか?」

 

「覚悟ですか・・・。

それほど大仰なことではないと思いますが、

私は、たけうちさんがおっしゃったように

チームにおけるコーチとしての在り方を

貫こうと思っています。」

 

「具体的にはどういったことに

注力されるのですか?」

 

「まずは、木村リーダーのサポートです。

彼が、これまで以上に本来の彼を出せるように、

私は彼の隣で寄り添います。

そして、メンバー一人一人の育成です。

私自身が前線に立つというよりも、

前線に立つ彼らを育成するということが

私の役割だと思っています。

彼らの成長が、すべてを決めますね。

そう思っています。」

 

一言一言が

とても腑に落ちる感覚がありました。

すべて真本音で語っているようです。

 

「私は木村さんから、

もう一歩深くプロジェクトに関わってほしい

という依頼をいただきました。

チームメンバーにも直接関わってほしい、と。

弓江さんはどう思いますか?」

 

「ぜひお願いします。

私はコーチとしての在り方をしたいと

言いましたが、

そんな私自身がまだまだ未熟です。

たけうちさんにお願いしたいのは、

私を指導してほしいということです。

私をコーチングするというよりも、

私のメンバーへの対し方を現場でご覧いただき、

私を厳しく指導してほしいのです。」

 

なるほど。

 

この一言を聴くために、

私は弓江さんとお会いしたのだなと

思いました。

 

「弓江さん、直観でお答えください。

今のチームの力を数字で表すと

いくつになると思いますか?」

 

「・・・。 7、です。」

 

「では、チームの本来の力を

数値で表すと?」

 

「・・・。 あぁ、大きいですね。

2,470という数字が浮かびます。」

 

「面白い数字ですね。

しかし、7 と 2,470 ですか。

まだ今のチームは、まったく本来の力を

発揮していないのですね。」

 

「そうですね。

確かに、彼らの力はまだほとんど

眠ったままです。

脱皮しなきゃ、ですね。」

 

「その脱皮、弓江さんが起こしますか?」

 

「えっ? 私にできますか?」

 

「はい。

当初は私が直接皆さんの脱皮のサポートをしようと

思っていましたが、

弓江さんが彼らの脱皮をサポートする、

ということを大切にしていこうかな。」

 

「もしそれが可能であれば、

ぜひお願いします!」

 

大事な方向性が

見つかりました。

 

つづく

 

今のあなたに、大地はありますか?

あなたの心の中には

「大地」が存在していますか?

 

一度、心の中をしっかりと

確認してみてください。

 

その「大地」は

どれくらいの広がりをもっていますか?

 

無限ですか?

それとも、有限ですか?

 

その「大地」には

何が存在していますか?

 

その「大地」は

生命力に溢れていますか?

 

もし「大地」そのものがない場合、

今は、どのような場所に

あなたはいますか?

 

どのような不安定さを

感じていますか?

 

真本音で生きている人は

無限の「大地」を感じるはずです。

 

人によっては

「大地」よりもさらに安定した何かの存在を

感じるかもしれません。

 

もし「大地」の安定感を得られないのであれば、

現時点で言えば、

あなたの真本音の度合いは

それほど高くはありません。

 

その状態のまま先に進もうとすれば、

不安定さから生まれる恐怖感によって

物事の判断をしてしまうでしょう。

 

恐怖感による判断は、

不調和を生みます。

 

後悔を生みやすいです。

 

まずは「大地」を得ることが

大切です。

・・・いえ、正確に言えば、

すべての人にすでに「大地」は存在していますから、

その「大地」を見つけることが

肝要です。

 

そして。

 

人と同じく、組織やチームにも

「大地」が必要です。

 

「大地」が存在しているチームであるかどうか?

によって、

そのチームの生み出す成果は

雲泥の差となります。

 

面白いことに、

例えば、3人のチームがあったとして、

その時点では確固たる「大地」が

存在していたのにも関わらず、

そこに、新たなメンバーが一人加わるだけで、

その「大地」が一瞬で失われる。

・・・そんなことも日常茶飯事です。

 

つまりチーム(組織)とは

人数が揃っていれば良い、というものでは

決してありません。

 

「大地」を持ったチームであるのか否か?

「大地」を持つためには、

誰をチームに入れて、

誰を入れてはならないか?

ということが重要なのです。

 

そういった意味から言えば、

木村さんの新規事業プロジェクトチームは

人数を半分に減らされたことにより、

「大地」を手に入れることができたのです。

 

木村さんは直観的に言われました。

 

「新規事業プロジェクトは、

メンバーが半分になったことにより、

私は生産性が何倍にも上がると確信しています。

そして、少なくとも当初の目標の

1.5倍以上の売上・利益は達成できるはずです。」

(→前回記事)

 

この木村さんの直観を、

私は何の淀みもなく

受け取ることができました。

 

そういう時は、

本当にその通りになります。

 

新規事業プロジェクトチームは、

ここにきてようやく、

「本来のカタチ」になったのです。

 

そしてその「本来のカタチ」に見合った

ペア編成を、

木村さんと弓江さんはあらかじめ1ヶ月前に確定し

実行に移していた、ということになります。

 

こういったことは

すべて後でわかることです。

 

あぁなるほど、そういうことだったのか、と。

後で、わかります。

 

現在進行形のその場では、

決してわかりません。

 

その場でわかったとしたら、

それは単なる「解釈」です。

 

私達にできることは、

自分自身の真本音度合いを高めることで

自分の中に「大地」を見出し、

その「大地」を感じながら進むこと。

 

今この瞬間を

進むこと。

 

それのみです。

 

つづく

 

自力でできることを、サポートしてはならない

新規事業プロジェクトチームの

縮小が正式決定しました。

(→前回記事)

 

そして間もなく・・・。

 

私は木村さんに呼ばれました。

 

「一つお願いしたいことが

あるのです。」

 

「なんですか?」

 

「もう一歩深く、

私達をサポートいただけませんか?」

 

「もう一歩深く、ですか?」

 

「はい。

ここまでは、私や弓江をサポートして

いただきましたが、

これからは、私のチームそのものを

サポートしていただきたいのです。」

 

「そう思われた理由を

教えていただけますか?」

 

「私はこのプロジェクトを必ず

目標達成させたいのです。

しかし残念ながら、メンバーは半分に

縮小することになりました。

しかし私は残されたメンバーが

ポテンシャルをしっかりと発揮できれば

必ず達成できると思っています。

そのためのサポートをお願いしたいのです。」

 

私は木村さんの中に、

わずかですが、淀みを感じました。

 

「今、木村さんがおっしゃったのは、

確かに木村さんの望んでいることだ思いますが、

それは私がいなくても、

自力でできるのではありませんか?

もしくは、これまでと同じように

木村さんのみへのサポートでも

可能ではありませんか?」

 

少し木村さんの目が揺れました。

 

「木村さん、

真本音でお答えください。

新規事業プロジェクトは、

木村さんの自力で目標達成は難しいですか?」

 

直観的に木村さんは答えました。

 

「弓江とも協力しながら行けば、

大丈夫だと思います。」

 

今度は、スッキリ伝わってきました。

 

「ですよね。

では、私に対するご要望が、

他にあるのでは?」

 

木村さんはじっと私の目を

見つめてきました。

 

こういう時の木村さんは、

間違いなく真本音度合いが

高まっています。

 

フッと、心地よい風が

吹いた気がしました。

 

「あっそうか。

たけうちさんにご要望があります。」

 

「何です?」

 

彼はニッコリと笑いました。

 

「新規事業プロジェクトは、

メンバーが半分になったことにより、

私は生産性が何倍にも上がると確信しています。

そして、少なくとも当初の目標の

1.5倍以上の売上・利益は達成できるはずです。

でもそのためには、

全員がもっと加速的に成長する必要があります。

私も含めて。

たけうちさんの言われている脱皮は、

これから始まるんだと思います。

全員が、一人一人が、きちんと脱皮しなければ

このチームの脱皮は完成しません。

たけうちさん、至急、我々の脱皮を

サポートしてください。

一刻も早く、脱皮した我々として、

私は、1.5倍の数値を達成します。

それが、我社の未来にとってとても大事だと

思いますし、

私の人生にも、皆の人生にも大事な

転換点です。」

 

要約すると、そのような内容を

彼は呟くように私に伝えました。

 

その一言一言が、

私の胸に沁み渡りました。

 

「いいでしょう。

そういうことでしたら、やりましょう。

平井さんはご存知ですか?」

 

「はい、平井からはすでに

たけうちさんがもう一歩深く関わることについては

了解を取っています。」

 

「では、今からすぐに

二人で平井さんのところに行きましょう。」

 

私は木村さんと共に、

すぐに平井さんにお会いしました。

 

そしてその場で、

今、木村さんが宣言されたことを

そのまま木村さんの口から

平井さんに伝えてもらいました。

 

平井さんは真剣な表情で、

「わかった。任せるよ。」

と言われました。

 

「たけうちさん、お願いします。」

と平井さんは神妙な顔で言われましたが、

私は彼が今にも

笑い出しそうなのを必死でこらえているのが

よくわかり、

私も、つい笑い出しそうになりました。

 

つづく

 

人は、未来とも調和する判断ができる

木村さんと弓江さんの二人コーチングから

約1ヶ月経ったある日。

(→前回記事)

 

私は、平井さんに

「ご相談があります」

と呼ばれました。

 

平井さんは言われました。

 

「実は、

新規事業プロジェクトチームの

大幅縮小を考えています。」

 

「えっ?」

と私は驚きました。

 

「どうしても、

新規事業プロジェクトの主要メンバーを

もとの部署に戻す必要が生じました。」

 

話を聴けば、

何か問題が起きたということではなく、

これまでの既存事業の業績が

予想以上に伸びている、とのこと。

 

お客様のご要望にお応えするために、

どうしても人員の補強をしたい、

そのために、新規事業プロジェクトを

大幅縮小することは可能か?

というご相談でした。

 

ただし、平井さんとしては、

新規事業プロジェクトも成功させたい、

という気持ちも強く、

プロジェクトの人数を半分に減らしても

プロジェクトを続行することは可能だろうか?

そして、人員半分でも、

プロジェクトの当初の計画(目標)を

達成することは可能だろうか?

ということについて、私の見立てを聴きたい

ということでした。

 

「木村さんにはこのお話はされたのですか?」

 

「はい、もちろんしました。」

 

「彼はなんと?」

 

「実は驚いているのですが、

大丈夫です、と。

当初の目標も計画も変えずに行きます、と。

そう言うのです。

だから、逆に心配になりまして。

実際のところどうなのか?と

たけうちさんにお訊きしよう思ったのです。」

 

なるほど、そういうことか。

 

「弓江さんもご存知ですか?」

 

「はい。

弓江も木村とまったく同じことを

申しました。

正直、私は少しびっくりしています。」

 

「ちなみに、

実際には、どのメンバーをプロジェクトから

外すのですか?」

 

そのメンバーを聴いて、

私は合点がいきました。

 

この時、私は初めて、

1ヶ月前に、木村さんと弓江さんの二人が

なぜチームのペア編成を組み替えたのか?の

真の意味を知りました。

 

あの時の編成の組み替えが、

ここで生きてきたのです。

 

実は、あの二人コーチングの後、

木村さんは早速、ペアの組み替えを

しました。

 

すると、当初、不調和を起こすのではないか

と予測していたペアが

想定外の調和を見せ、みるみるチームの

調和性も上がりました。

 

チームメンバーも

「非常に仕事がやりやすくなった」と

喜び、チーム全体の活気は明らかに

高まりました。

 

しかもたった1ヶ月ですが、

その中で若手社員が急成長し始めました。

これまでどちらかと言えば、

先輩社員についていくだけ、という人が

主体的に動くようになったのです。

 

木村さんが懸念されていた

「真剣な人とそうでない人の差が開いている」

という問題。

その「真剣でない」と思われていた人達が

主体的になったのです。

 

ペアを組み替えただけで、どうしてこうなるのか?と

「まるで魔法を見ているようです」

と木村さんも弓江さんもおっしゃっていました。

 

でもそれは紛れもなく、

二人で決めた編成だったのです。

 

直観で決めた編成です。

 

ただ、私には

こうなることは何となく予測がついていました。

 

なぜなら、「相性」とは

反応本音レベルの相性と

真本音レベルの相性が

あるからです。

 

二人コーチングの場で、

木村さんと弓江さんが発想したペアは、

思考レベルではNGだったのですが、

それは二人が、

反応本音レベルでの相性を見ていたから

でした。

直観レベルでOKと思えるということは、

恐らく、真本音レベルでの相性が

良いのだろうな、と

私は予測していました。

 

そして、本当に

そうだったのです。

 

真本音レベルの相性の度合いのことを

私は

『調和性』

と呼んでおり、

二人が新たに編成し直したペアは

その調和性に富んでいました。

 

そして、

真本音レベルでの発想は、

その後の「想定外の現実」に対しても

調和をしていきます。

 

平井さんの話によると、

新規事業プロジェクトチームからは

主要メンバーが抜けるということ。

ということは、これまで「真剣でなかった」

若手社員中心のチームになるということです。

 

しかし、この1ヶ月の若手社員の成長ぶりを

見ていますと、

確かに、木村さんが「大丈夫です」というのも

私は理解できました。

 

1ヶ月前の二人コーチングによる

新たなペア編成が成されていなければ、

この事態に対応することは

難しかったでしょう。

 

私は平井さんに申しました。

 

「私も、木村さんと弓江さんの意見と

同じです。

彼らはきっと、やりますよ。」

 

それを聴いた平井さんの表情を

私は忘れることができません。

 

本当に嬉しそうな彼のお顔を拝見して、

ますます、

「これはいけるな」と

私は確信しました。

 

そしてその後、

新規事業プロジェクトは、

若手中心のチームとして本当に

目標達成を遂げることになります。

 

つづく

 

悩まない人は、自由になれない

私は、

「自由になる」

とは、

「直観に素直になる」

ということだと思っています。

 

もちろん、

「思考」を否定しているわけでは

ありません。

 

しかし「思考」とは

「直観力」を高めるための

一つの手段である、

と思っています。

 

何も「思考」しない人からは

「直観」は生まれません。

 

なぜなら私達の真本音は

「試行錯誤」を非常に

重要視しているからです。

 

結果のみならず、

結果に至るまでの過程(プロセス)の

一歩一歩を大切にしています。

 

ただ単に望む結果を出すのではなく、

その道のりの中で得られるものこそを

大切にしています。

 

そこで必要なのが、

「思考」すること。

言葉を換えれば、

「悩む」こと。

そして、

「迷う」ことです。

 

悩むべきことに

100%しっかりと悩み、

迷うべきことに、

100%しっかりと迷い、

考えるべきことを

100%しっかりと考えることで、

初めて、本当の「直観」は

働くようになります。

 

そしてそこで得られた

「経験」は、

次の似たような傾向の「経験」や

応用的な「経験」において

力を発揮するようになります。

つまりは、

「悩まなくても一瞬で決断ができる」

状態となるのです。

 

私が企業現場でいつも実感するのは、

本来悩むべきことから

逃げている人が実に多い、

という事実です。

 

悩みから逃げるからこそ、

直観が働かなくなります。

そしていつまで経っても

その悩みを解決できない、という

悪循環に陥ります。

 

人生が、仕事が、

ストップしてしまうのです。

 

それは、

進化のストップ、ということでもあります。

 

冒頭の言葉に戻りますと、

「自由になる」とは

「直観に素直になる」ということ。

そのためには、

悩みや迷いから逃げないことです。

 

きちんと「直観」の働く状態に

自分を持っていくということです。

 

さて。

 

木村さん、弓江さんの二人コーチングの

場面に戻ります。

 

二人が「直観的」に決めた

チーム員のペアの組み合わせは、

思考レベルで考えると、

とても納得のいくものではありませんでした。

(→前回記事)

 

「直観」ではOK。

「思考」ではNG。

 

こうした場合、

私はコーチとしてあえて

「断定」することにしています。

 

一般的に、コーチは

クライアントの意見を尊重して、

自分からは答えは言ってはならない

というのが原則だそうです。

しかし、私は時と場合で、

思いっきり結論を言いますし、

断定もします。

時には、「指示」に近いこともします。

 

クライアントが

「直観」か「思考」かで迷った場合、

多くの場合、私は断定します。

 

「ここは直観で行ってください」

と。

 

有無を言わせない空気感を

出します。わざと。

 

それでも抵抗するようなら、逆に

直観に従うことは

やめた方がよいでしょう。

 

しかし、木村さんと弓江さんは

私のその断定を聴いて、

とてもホッとした表情をされました。

 

「わかりました。

これでやってみます」と

木村さんは言いました。

 

そこに、理由や理屈はありません。

それを探してもしょうがない、

という場面です。

 

それをまた木村さんと弓江さんは

直観的に悟ったようです。

 

今から思えば、

この時の二人コーチングが

本当に運命の分かれ道でした。

 

つづく

 

思考を信じる? 直観を信じる?

「直観」というのは

本当に馬鹿になりません。

 

ちなみに、私は

「直感」と「直観」

を区別しています。

 

「直感」とは、広い意味でのひらめきです。

浅いひらめきから深いひらめきまで

すべてを含んでいます。

ですので、単なる思いつきレベルのひらめき

も含みます。

要するに、反応本音レベルのひらめきも

含みます。

 

それに対して「直観」とは、

真本音レベルのひらめきです。

それは思いつきレベルのものではなく、

「こうすればいいんだ!」という確信に

満ちています。

 

真本音度合いが高まるということは、

単純に、

この「直観力」が高まるということでも

あります。

 

ただ、どれだけ「直観」が出たとしても

自らその発想を捨ててしまう人も

多いです。

 

どうしても、これまでの経験則や

一般常識に捕らわれた

「思考的」「理論的」な発想の方を

優先してしまうのです。

 

「思考」ではなく「直観」に素直に

動いてみる。

 

それを私はお勧めします。

 

ただし、あくまでもそれは

真本音度合いが高まっている人に

対してのみ言えることです。

 

真本音度合いが低い状態では、

単なる思いつきレベルの「直感」が出やすく、

それに素直になることで

酷い目に遭うこともあるでしょう。

 

クライアントさんのその発想が、

「直感」か「直観」か?

その区別がつくのも、

コーチの必要な力の一つです。

 

「富士山が噴火する」イメージを

共有した木村さんと弓江さん。

 

二人がそのイメージを大切にしながら

直観的に発想した

チーム員のペア分けを、

私はまさしく「直観」であると

感じ取りました。

 

ところが、そのペアの組み合わせは、

通常では考えられないものと

なったのです。

(→前回記事)

 

まず第一に、

「バランスが悪いですねぇ」

と木村さん。

 

各ペアによって能力の差が著しく、

明らかに活躍できるペアと、

そうでないペアが

明確にわかるそうです。

 

能力の偏りが激しい、ということです。

 

そして第二に、

「明らかに相性の悪いペアがあります」

と弓江さん。

 

どう見ても、その二人が上手くいくはずがない

というペアがあるそうです。

 

さらに第三に、

「チームリーダーである私との

調和性の低そうなペアもあります」

と木村さん。

 

以上のような悪い印象が出てくる場合、

本当はやめておいた方が良いでしょう。

しかしその一方で、

「どうしてもこの組み合わせが

ベストである」

という確信に満ちたような感覚も

二人の中にはあり続けました。

 

「思考」ではNO。

「直観」ではYES。

 

・・・という状態です。

 

こういった場合、

どうすれば良いか?

 

私の答えは明確です。

 

先ほど書きました通り、

「直観」に従うのです。

 

つづく

 

あえて思考ゼロのまま、発想を進めてみる

木村さんと弓江さんの

二人コーチング。

脱皮時の原理原則に則り、

新規事業プロジェクトチームのペアの組み合わせを

改めて考え直そう、ということになりました。

 

では、どのような基準で

ペアを組み直すか?

 

その私の問いに対して、木村さんは

「ペアをどう変えようか?と考えようとすると、

富士山が噴火しているイメージばかりが

頭の中に出てくるんです。」

・・・と答えました。

 

そのイメージは恐らく、

木村さんの真本音発想がカタチとなって

現れたもの。

であれば、それを

大切にすべきだと私は直観しました。

(→前回記事)

 

「でも、イメージは鮮明ですが、

意味がよくわからないのです。」

 

「じゃあ面白いので、

意味がわからないままで

ペアを組み直してみましょうか。」

 

「そんなことができるんですか?」

 

私はその木村さんの質問には

直接答えず、逆に弓江さんに

訊きました。

 

「弓江さんは、

木村さんのそのイメージ、

共感できますか?」

 

「はい。

私も意味はよくわからないのですが、

すごく共感できます。」

 

「では、弓江さんの心の中で

富士山が噴火しているイメージを

描くことはできます?」

 

「はい。

さっきからもうイメージが

私の中で出来上がっています。」

 

「では、お二人とも

そのイメージをしっかりと今、

心の中に浮かべてみてください。」

 

二人がそうしているのを

私は二人同時に観察しました。

 

これは私の「感覚」になってしまうのですが、

二人同時に観察すると、

二人がまるで「一つ」のように

深い絆で繋がっているような

そんな「感覚」を覚えました。

 

「ありがとうございます。

これは大丈夫ですね。

では、そのイメージを使いながら

ペアの組み合わせを発想してみましょうか。」

 

ここで私は付箋を用意していただき、

一枚一枚の付箋に、一人ずつ

新規事業プロジェクトメンバーの名前を

書き込んでもらいました。

 

「ではまずは弓江さんから

いきましょうか。

弓江さん、先ほどの富士山の噴火のイメージを

しっかりとしながら、

この付箋を使って直観で

二人一組のペアを作ってください。」

 

最初、弓江さんは「えぇ〜?」と

戸惑っていましたが、

ふと、「あっ、なんかわかりました!」と

言いながら、

あっという間に付箋を並べ替え、

ペアを決めてしまいました。

1分もかかりませんでした。

 

「では、木村さん、

富士山の噴火のイメージをしながら、

今、弓江さんに作っていただいたペアを

ご覧ください。

どこか、違和感のあるペアはありますか?」

 

「・・・あぁ、ないですね。

これでOKだと思えます。」

 

と木村さんは言いながらも、

 

「いや、でも、・・・これ、本当に

良いのでしょうか?」

 

・・・と戸惑いの表情。

 

弓江さん自身も

やはり戸惑いの表情。

 

そこには、普通で考えれば

あり得ない組み合わせが

並んでいたからです。

 

つづく

 

これまでの最善が、これからも最善とは限らない

人やチームが脱皮する時に

大切にすべき原理原則の3つ目は、

 

『物事を深く考えない。

表面上のことだけに目を向ける』

 

・・・ということでした。

(→前回記事)

 

私は弓江さんに問いました。

 

「その原理原則を大切にすると、

これから新規事業プロジェクトが脱皮を

きちんと完了するために、

何が必要だと思いますか?

表面上のことで良いですよ。」

 

う〜ん、と弓江さんは考え込みました。

すると、木村さんが口を挟みました。

 

「そういうことで言えば、

さっき弓江が言っていた、

ペアが良くない、

ペアを変えるべき、

ということのような気がします。」

 

「あぁ、なるほど!」

 

もともと、新規事業プロジェクトチームが

脱皮をしようとしていることに

気づけたきっかけは、

「ペアを変えるべきではないか」

という検討課題が出されたからでした。

(→【一つになることで、すべてがどんどん晴れ渡っていく】)

 

新規事業プロジェクトチームは

基本的には二人一組で活動をするそうです。

そのペアの組み合わせが良くないと

弓江さんが直観的に指摘しました。

 

しかし、二人ともこれまでは

今のペアの組み合わせが最善であると

思っていたのです。

しかしこの二人コーチングの場で考えると、

今のペアに違和感ばかりが出る、

ということでした。

 

私はその二人の話を聴いて、

なるほど、今のこのプロジェクトチームは

脱皮をしようとしているのだ、

これまで最善だと思っていたことが、

最善ではなくなるんだ、

だから、脱皮のために必要な変化を

ここで起こさなければならないんだ、

ということに気づいたのでした。

 

そうするとやはり、

「ペアの組み合わせを変える」

というのは、

脱皮のためにも必要なことのように

思えます。

 

「では、一度、

ペアの組み方を発想してみましょうか。」

 

「はい、まずは。

それをしないと次の発想が出ない気が

します。」

 

「これまでのペアというのは、

・お互いの能力が補完できること

・相性がいいこと

を基準にして組んでいたのでしたね?」

 

「はい。」

 

「では、これからの基準はどうします?」

 

しばらく木村さんは

無言でいました。

そして私に何とも言えない不思議な

目を向けてきました。

 

「たけうちさん、・・・

ちょっとわけがわからないのですが・・・。」

 

「どうしました?」

 

「ペアをどう変えようか?と考えようとすると、

富士山が噴火しているイメージばかりが

頭の中に出てくるんです。」

 

それを聴いて、

弓江さんの目が、

キラッと楽しそうに輝きました。

 

その二人の様子を見て、

あぁこれは「実在」だな、と私は思いました。

 

「木村さん、いい傾向ですね。

それは単なるイメージではなく、

木村さんの真本音発想がカタチになった

ものですよ、きっと。

私の言うところの、実在、というやつです。

だいぶ、発想が柔らかくなりましたね。」

 

木村さんは少し

照れ臭そうに笑いながら言いました。

 

「でも、イメージは鮮明ですが、

意味がよくわからないのです。」

 

「じゃあ面白いので、

意味がわからないままで

ペアを組み直してみましょうか。」

 

「そんなことができるんですか?」

 

つづく

 

刹那的に生きることがベストの時もある

人や組織が「脱皮」をする時、

平常時とは真逆の原理原則が

働くことがあります。

 

その一つが、

『不安定をどんどん自分に与え、

しかも無茶をするとよい』

ということでした。

(→前回記事)

 

さらに、原理原則をご紹介しましょう。

 

それは、

 

『未来のことは考えない。

刹那的になるとよい。』

 

ということです。

 

脱皮時に、未来のことを発想をしても、

真本音の発想は、

一つも出てきません。

 

一つも、です。

 

たとえその時に「これは良いアイデアだ」と

思ったとしても、

脱皮を終えた後で振り返れば、

ほぼ間違いなく、

「どうでもいいこと」に思えてきます。

 

脱皮の時というのは、

私達は、脱皮そのものに対して

必死になります。

それ以外のことには、

エネルギーをかけないようになります。

ある意味の、省エネです。

 

特に、未来の発想に関してのエネルギーは

ほぼ、ゼロになります。

 

そんな状態での発想は、

それこそ悪い意味での刹那的な発想に

過ぎなくなります。

 

むしろ私は、

脱皮時における未来発想は、

すべて「捨てるべき発想です」と

断言してしまうことも多いです。

 

ですので、そういったことはやめて、

「今この場をこなすこと」

のみを考えればよいのです。

 

前回、私は

「脱皮時こそ、自由発想しよう」

ということを書かせていただきましたが、

その自由発想とはあくまでも、

「今、どうするか?」

ということに関する自由発想である

ということになります。

 

要するに、

「今」

に集中するのですね。

「今のみ」

に集中するのです。

 

これが、脱皮時における原理原則の

二つ目です。

 

さて、

原理原則の3つ目をご紹介します。

 

これについては、

木村さんと弓江さんの二人コーチングの場面に

戻りましょう。

 

私はお二人に脱皮についての解説を

しました。

その上で、次のように問いました。

 

「この二人コーチングの真の目的は、

これから脱皮を迎えようとしている

新規事業プロジェクトチームに対して、

何ができるか?

何をしてはならないか?

を発想することだとわかりました。

そんな視点で、

お二人から何かアイデアはありますか?」

 

二人はじーっと考えていましたが、

弓江さんが口を開きました。

 

「せっかくですので、

私は脱皮をするならとことん脱皮をした方が

よいと思うのです。

ですので、新規事業プロジェクトの理念とか

方向性とか、改めてゼロベースで考え直すというのも

面白いと思います。」

 

これは非常に素晴らしい意見ですが、

実は、

「ゼロベースで考え直す」

というのは、平常時にこそすべきことだと

私は思っています。

 

私は、本当のリーダーとは、

常に、あらゆることをゼロベースで発想し直す人である

と思っています。

ゼロベースからの発想は

非常に意義深いものが多いです。

しかしそれは

平常時にこそ、毎日続けることです。

 

では、脱皮時はどうでしょう?

 

脱皮時の原理原則の3つ目は、

 

『物事を深く考えない。

表面上のことだけに目を向ける』

 

ということなのです。

 

つづく

 

地に足をつけようとしてはならない時がある

人も組織も

『脱皮』

をする時があります。

 

そして脱皮の段階においては

平常時とは真逆の選択をしなければ

ならないことがあります。

 

平常時の原理原則が

まったく役に立たなくなるのです。

 

例えば、

「自分にどんどん不安定を与える」

ことが大事になります。

(→前回記事)

 

さらに、次のことも

大事です。

それは、

 

「無茶をする」

 

ということです。

 

平常時においては、地に足のついた選択と行動が

大切です。

 

しかし、脱皮をしている間は、

地に足をつけようとしても、

その、「地」そのものがありません。

それはまるで、

空中に浮かんでいるかのようです。

 

足元がないので、

いつでも「落ちる恐怖」に苛まれます。

そこで多くの人は、

バタバタと足を空回りさせ、

悪あがきをします。

 

しかし「地」そのものがないので

どうしようもありません。

 

ですので、脱皮の時は、

地に足をつけること自体を

あきらめます。

 

空中に漂うままにします。

落ちる恐怖や、実際に落ちる感覚もありますが、

そこは、あきらめてしまうのです。

 

そして、

どうせ地面がないのですから、

無茶をしてしまうのです。

 

こんな時こそ、

自由発想です。

 

ただし。

 

わざと「無茶をしよう」と考えることも

厳禁です。

「無茶をしよう」という意図そのものが、

すでに自分に「無茶」という枠を

はめるからです。

 

ただただ純粋な、

自由発想をします。

 

どうせ、何をしても怖いのだから、

怖さは変わらないのだから、

思い切って心を自由にするのです。

 

すると、

本当にとんでもない発想が

出ることがあります。

 

とんでもない発想が出た場合には

そこに、

立ち向かっていくのです。

 

それを実行に移そうとするのです。

 

大丈夫です。

 

脱皮とは、

私達の真本音の意図に

基づいています。

 

行動に移そうとして、

もしそれが本当に行動できたとすれば、

それは、真本音の行動です。

 

行動に移そうとして、

もしそこで体が止まってしまうのであれば、

それは、私達自身の真本音が

止めている、ということになります。

 

ですので、本当に危険なことは

行動に移すことができません。

 

何をどうしても不安定なまま。

・・・という状況の中だからこそ、

私達は、

「開き直る」

ということができます。

 

開き直った人は

強いです。

 

開き直ることで、

これまで体験したことがないくらいに

真本音度合いを高めることが

できるのです。

 

脱皮とは、

そういった自己革新のチャンスである

とも言えます。

 

『不安定をどんどん自分に与え、

しかも無茶をする』

 

それが、脱皮時における

原理原則の一つです。

 

脱皮時に

きちんとそれができる人は、

脱皮そのものの頻度も

上がっていきます。

 

すると、人生が加速します。

 

私たちは、

脱皮そのものに楽しさを

見出すこともできるようになるのです。

 

それが、

人間の凄さであると

私は思います。

 

つづく

 

不安定や絶望感があるからこそ、脱皮できる

人の成長も、組織の成長も、

比例直線的ではなく、

階段状に上がっていきまます。

(→前回記事)

 

階段の段差を登るということは、

これまでの自分(もしくは組織)とは

まったく異なるステージに上がる

ということです。

 

これまで見えていなかったものが

見えるようになり、

これまでできなかったことが

できるようになります。

これまで、考えもしなかったことを

考えるようになり、

これまで、実行に移さなかったことを

どんどん実行するようになります。

 

これを私は

 

『脱皮』

 

と呼んでいます。

 

人に『脱皮』があるように

組織にも『脱皮』があります。

 

段差を越える時、

つまり、脱皮の時は、

平常時とは真逆な原理原則が

必要となります。

 

その一つが、

「自分にどんどん不安定を与える」

ということです。

 

脱皮の時は、

平常時では考えられないくらいに

不安定になります。

 

個人の場合は、

心が非常に不安定になり、

不安や恐怖や絶望や、

・・・様々な濃い反応本音達が自分を

襲います。

 

これまで順調に成長してきた人も

そんな自分を体感することで、

自分は以前の自分に、・・・いや、

以前よりもさらに弱い自分に

なってしまったのではないか、と

自己不信に陥ります。

 

組織も同じです。

 

脱皮の段階にある組織には

ほぼ間違いなく、不調和が

連続して起こります。

 

これまで体験したことのないような

望まない現実が次々に

起こります。

 

もうこの組織はダメではないか、と

絶望感が湧いてきます。

 

そんな時に私はいつも

強調します。

 

「今は、思いっきり不安定でいてください。

絶望したままでいてください」

と。

 

「その不安定さに対策を打たないでください。

絶望のままでいてください」

と。

 

そのままでいると、

その不安定さと絶望感は

どんどん増殖します。

 

不安定と絶望感に

自分が飲み込まれそうになります。

 

でも、飲み込まれれば良いのです。

抗わずに、そのままでいるのです。

 

すると、

その不安定さと絶望感を完全に

「味わい尽くす」ことで、

これまでの自分からは想像もできないような

自分が(組織が)

何かをベリっと破いて、

現れるのです。

 

それは突然、

訪れます。

 

脱皮が成された瞬間です。

 

私は、

コーチの役割とは、

こういった脱皮を貫徹するために

見守り続けることだと思っています。

 

脱皮の最中、

コーチは何も手を出しません。

 

脱皮とは、

その人本人にしかできないことだからです。

ここで、

他人が干渉するとその瞬間に

脱皮は失敗に終わります。

 

脱皮が上手くいかないと、

その人(組織)は、

殻の中に閉じこもったままになります。

しかし、

体は大きくなっていますから、

その殻が窮屈でしょうがなく、

これまでの自分として生きることそのものに

苦痛を感じ続けます。

 

つまり、

これまで通りの自分(組織)でいること自体が

苦痛となるのです。

 

恐らく、

企業がきちんとそういった脱皮を

繰り返せば、

その企業は、永続的に発展し続けるでしょう。

 

その脱皮を放棄してしまうので、

企業は衰退していきます。

 

木村さんと弓江さんの

新規事業プロジェクトチームは、

最初の脱皮に取り掛かろうと

していたのです。

 

その脱皮をきちんと貫徹するために

この二人コーチングの場が

必然的に設定されたということです。

 

これが、今回の二人コーチングの

真の意味であると

明確にわかったのです。

 

つづく

 

試行錯誤のない「順調」はない

「物事が順調に進む」

とは、私は

「順調に試行錯誤ができている状態」

であると考えています。

 

試行錯誤には、

・意味のある試行錯誤と

・無意味な試行錯誤

があります。

 

無意味な試行錯誤とは、ほとんどの場合

その人が自己満足で繰り返している

試行錯誤です。

それを繰り返したところで、

何の進化も発展もありません。

 

進化発展があったと、

本人が自己満足するだけです。

 

逆に言えば、

物事の進化と発展のためには、必ず

意味のある試行錯誤が

存在しています。

 

よく、

「真本音で進めば物事がスムーズに進む」

と、私は書かせていただいていますが、

その真の意味は、

「意味のある試行錯誤を続けることができる」

ということです。

 

つまり、結果だけでなく

そこに至るまでの過程(プロセス)も

私達の真本音は大事にしているということです。

 

そういった意味で、

木村さんと弓江さんの新規事業プロジェクトは

意味のある試行錯誤を続けた

と言えます。

 

それを私は確信したのです。

ですから、

 

「新規事業プロジェクトは

ここまで順調だったということです。

実は、何の問題もなかったのです。

そして、ここまで順調だったからこそ、

この場があるのです。」

 

・・・と申しました。

(→前回記事)

 

特に木村さんは、失敗もありましたが、

順調にここまで進んできたということです。

その失敗こそが、必要な試行錯誤だった

ということです。

 

まぁ、そういう「失敗」は

「失敗」とは言いませんが。

 

そして・・・。

 

新規事業プロジェクトは順調にきたからこそ、

壁にぶち当たったのです。

 

順調に来なければ決して遭遇しない

壁まで来たのです。

 

その壁を、一言で表現すれば、

 

『脱皮の壁』

 

となります。

 

人も組織も、

比例直線的には成長(進化)しません。

 

人や組織の成長(進化)とは、

階段状に進みます。

つまり、

緩やかな勾配で進み、

ある時に、階段をステップアップするための

段差にぶち当たります。

 

段差にぶち当たったら、

それを乗り越えなければなりません。

しかし、

それを乗り越えることができれば、

1ランク、ステージがアップします。

 

これまでの延長線上にはない、

新たな次元と視界と能力が

開けます。

 

この段差にたどり着くためには、

しっかりと意味のある試行錯誤を

繰り返さなければなりません。

 

これをちゃんとして来たので、

新規事業プロジェクトは今、

「段差」の下にいるのです。

 

そして、これから「段差」を乗り越えるのですが、

「段差」とは非常に怖いものです。

怖いが故に、人も組織も

この時点では、非常に不安定になるのです。

 

今、新規事業プロジェクトチームは

その不安定さが出始めている状態なのです。

 

以上のことを、

私は木村さんと弓江さんに

ご説明しました。

 

木村さんが言われました。

 

「では、その不安定さを

なくすための方策が必要なのですね?」

 

「いえ、逆なんです。

こういう時は、もっともっと不安定さを

自らに与えた方が良いのです。」

 

つづく