一貫性

そのこだわりはいらない

 

本当に

一貫性のある人には

柔軟性が

あるもんだ。

 

自分の一貫性を

守ろうとは

しない。

 

むしろ

もっともっと

自己成長を望むし、

 

もっともっと

未知の領域に

進もうとする。

 

もっと言えば、

本人には

一貫性を取ろう

という意識すら

ない。

 

意識しなくとも

一貫している。

筋が通っている。

それが

真の一貫性だ。

 

逆に、

 

真、ではない

一貫性の人は

多い。

 

それは

自分を守るための

一貫性であったり、

 

自分のこれまでの

成功体験や

過去や

こだわりや、

そういったことに

執着することで

発生する

一貫性もどき。

 

それは単なる

悪い意味での

頑固、

に過ぎない。

 

残念ながら

そういう人の道は

みるみる

狭まっていく。

 

人も

離れていく。

 

真の一貫性

には

根元がある。

 

根元に

人生の願いが

ある。

 

そこが

揺るがないから

こそ、

スーッと

自然な筋が通る。

 

その筋には

弾力があり

柔軟にしなり、

 

どんな強風にも

折れることが

ない。

 

やっぱり

カチコチは

弱いね。

 

力を抜き、

自然体で立ち、

風と共に

進む。

 

そんな人が

増えるといいな。

 

もう、

 

これまでの

自分は

いいじゃないか。

 

これまでの

こだわりは

いいじゃないか。

 

もう、

 

新しい時代

新しいステージ

だよ。

 

変わったんだ。

 

真の一貫性

進む時代だ。

 

つづく

 

素直かい

 

辛い辛い、

と言いながら、

 

魂が笑っている

人がいる。

 

幸せ幸せ、

と言いながら、

 

魂が苦しんでいる

人がいる。

 

私達人間は

面白い。

 

表面の自分と

奥の自分が

乖離している。

 

そんな人が

多い。

 

しかし私なぞは

もっとみんな

素直に生きれば

いいのに、

と思う。

 

魂が笑っているなら

顔も笑えばいい。

 

魂が苦しんでいるなら、

その辛さを

素直に感じればいい。

 

乖離をする必要は

ないのにな、と

思う。

 

・・・・・・

 

一貫性。

 

奥の自分と

表面の自分が

一致すること、

 

であると

私は捉えている。

 

一貫性の

取れている人は

魅力的だ。

 

その人にしか

出せない味を

出す。

 

空気感に

現れる。

 

一緒にいたいと

思う。

 

そんな人はきっと

いろんな調和を

生み出す。

 

その人にしか

創り出せない人生の

成果を

創り出すだろう。

 

そういった意味では

一貫性と素直さとは

私の中では

同じ意味だ。

 

・・・・・・

 

魂の望む生き方を

素直に

してほしい。

 

単純に私は

いつもそれを

願っている。

 

自分に対しても。

人に対しても。

 

世界に対しても。

 

一貫性のとれた

素直な世の中に

したいものだ。

 

つづく

 

やっぱり美しい

 

一つ一つの振る舞いの

美しい人は

 

一貫性が取れている。

 

ここで言う

「美しい」

とは、

いわゆる表面的なもの

ではない。

 

好き・嫌い

とか

好み

とかを超えたものだ。

 

そういった意味では

本来は、

すべての人に

その人ならではの美しさ

必ずある。

 

それは

本当にその人にしか

ないもの。

 

オンリーワン

である。

 

その美しさを

醸し出すことこそが

「その人らしさ」

の本質だ。

 

だから例えば、

一見するとあまりにも

乱暴な感じが

表面的にはしたとしても、

 

よ〜く観ると、

それこそがその人の

その人にしかない

美しさだったりする。

 

それが見事に

醸し出されている時、

その人は

周りの人達を自然に

惹き込む。

 

影響力を

発揮する。

 

私の仕事の醍醐味は

その

人それぞれの美しさの

発掘である、

 

と言ってもいい。

 

それはまるで

原石が宝石の輝きを

発する瞬間であり、

 

その瞬間に居合せる

のは、

私にとっては

人生の最大の悦びの

一つとも言える。

 

今日、実は

ある人のコーチングで

そんな瞬間を

迎えることができた。

 

嬉しかった。

 

・・・・・・

 

「一貫性」とは、

 

その人の

「願い」

「役割」

「能力」

「行動」

完全一致することで

高まるもの。

 

もちろんその要素の

一つ一つが

真本音に基づくもの

でなければ、

完全一致は

不可能だ。

 

一貫性の高まった

人は、

その人ならではの美しさを

高め、

それが他者に

影響を与え、

 

他者の一貫性までをも

高めていく。

 

他者の美しさまでをも

高めていく。

 

一貫性のある人達が

増えることで、

その組織も一貫性を

高めていく。

 

そしてその組織は

美しくなる。

 

美しい経営を

するようになる。

 

そんな人や組織が

増えることが

社会を美しくしていくと

私は考えている。

 

それは

遠い道のりか?

 

遠い道のりかも

しれない。

 

でもそれは

それでも

最短の道のりではないか、

私は思うのだ。

 

つづく

 

せっかく中心があるのだから

 

地球に中心核が

あるのと同様に、

私達にも

中心核があります。

 

「中心核」

と言うからには、

それは

中心にあります。

 

恐らくもし

それがなくなったら、

「それ」は

存在し得ないでしょう。

 

もしくは、

まったくの別物と

なるでしょう。

 

もし中心核が

他の何かに入れ替わった

だけだとしても、

「それ」は別物になる

可能性が高いです。

 

私達も

同様です。

 

・・・・・・

 

ところが。

 

私達には

中心核があるにも

関わらず、

その中心核とは

別の生き方を

してしまっているケースが

あります。

 

例えば、

中心核が望んでいる

ことと、

真逆の方向に進む

人がいます。

 

例えば、

中心核の持っている

個性を、

まったく生かさずに

進む人もいます。

 

中心核は

そこにあるのに、

 

自分の

中心なのに、

 

その中心を

自分自身が

無視をする。

 

ということは、

中心核が入れ替わった

わけでもないのに、

まるで入れ替わって

しまったかのように

生きてしまいます。

 

始末が悪いのは、

そういった場合、

私達人間は

とても「苦しむ」

ということです。

 

その苦しみは

想像している以上に

キツく、

その苦しみを私達は

打ち消そうとします。

 

苦しみを消そうと

するために

生きる、

という状態に入り、

 

その結果として

ますます

中心核を無視する

ようになります。

 

当然、

苦しみはさらに

増します。

 

残念ですが、

とても多い事例です。

 

・・・・・・

 

やはり・・・、

 

中心核があるからこそ

私達は

存在し得るのです。

 

中心核のない

人は

一人もいません。

 

それが事実であり、

真実。

 

にも関わらず、

まるで中心核が

ないかのように

生きてしまう人がいる。

 

これも事実。

 

そして、

現実。

 

この現実が

今の世の中の

現実を

引き起こしています。

 

現実的に

起こっている

様々な歪みは、

 

私達自身の

中心核とのズレが

根本原因だと

私は思っています。

 

中心核と

振る舞いの一つ一つが

結ばれていく。

 

中心核と

振る舞いの一つ一つが

一致する。

 

これを私は

 

『一貫性』

 

と呼んでいます。

 

今の社会には

一貫性が

ありません。

 

それは

私達一人ひとりに

真の一貫性が

ないからです。

 

まずは。・・・

 

中心核の存在を

自覚すること。

 

そして、

中心核の望みを

自覚すること。

 

そして

一つずつ、

その望みと

振る舞い(行動)を

丁寧に

一致させていくこと

ですね。

 

つづく

 

もっともっと美しくなろう

 

私は、

人の美しさ、って

どこに感じるか?

と言いますと、

 

その人の一貫性

 

に感じます。

 

つまり、

その人の本当の想い

があって、

その想いが

そのまま普段の行動や

振る舞いに現れていて、

 

さらにその想いが

何らかの結果として

カタチとして

結実している。

 

そんな人を見ると、

格好いいなぁ、

と感じるのと同時に

美しいなぁ、

と思うのです。

 

実際、

そういった人の空気感は

とても居心地がよく、

一緒にいるだけで

幸せな気分になります。

 

真本音度合いが高まる

とは、

言葉を変えれば

一貫性度合いが高まる

とも言えるのです。

 

・・・・・・

 

逆に言えば、

どれだけ想いが強くても、

それが想いだけで、

普段の行動に現れず

カタチになっていないまま

そのままを放置している人

を見ると、

私は美しさを感じません。

 

むしろ

想いが強い分、

そのギャップに対して

気持ち悪さを感じます。

 

その気持ち悪さは

本当は

本人もよく感じていて、

それがエンティティに

なったりします。

 

ちなみにエンティティとは、

ストレスがある一定以上の

濃度になり、

実体化したものです。

 

日本語に訳すと

「生き霊」となります。

 

ちょっと怖いですが、

これは人間であるならば

ほぼ全員の人が常に

持っています。

 

エンティティの強い人は

それをまるで風邪のウィルスのように

周りに伝染、伝播させます。

 

すると周りの人達は

そのエンティティを受け取り、

みんな、心の調子が

悪くなります。

 

私は組織活性化の

ご支援に入る場合、

まずはこういったエンティティ対策を

します。

 

まぁ、この辺りのお話は

別記事で書かせていただきますね。

 

とにかく、

人は自分自身の一貫性を

大切にしており、

一貫性のない自分を

感じると、

かなり大量のエンティティを

発生させます。

 

私はまずは

お一人お一人の

一貫性の度合いを

高めることを

人や組織のサポートの

ファーストステップと

しています。

 

・・・・・・

 

要するに、

想いだけでは

ダメなんです。

 

想いだけで

何もやらない人のことを

悪い意味での評論家と

言います。

 

組織において

悪い意味での評論家が

増えれば、

その組織は間違いなく

落ちて行きます。

 

ですので、

 

①まずはその人の

真本音の想いを

明確にすること。

 

これが大事ですが、

次に必須なのが、

 

②その想いを

カタチにすること。

 

が超重要です。

 

そしてもし、

お一人お一人が

②ができるようになれば、

ある意味、

自然に組織は調和を

始めます。

 

そして

③その調和を助長して

さらなる相乗効果を起こす。

 

のが、組織活性化の

次のステップとなります。

 

・・・・・・

 

さて。

 

②に関しては、

私はいつも結構、

かなり厳しいと思います。

 

厳しい、というのは、

私が厳しくなる

という意味です。

 

想いがあるのに

それをやらない人に

対して、

私は厳しいです。

 

厳しくなければならない

と思っています。

 

真本音の想いに

気づく前の人に

厳しくすることは

できません。

 

なぜなら、

その人の心はまだ

脆弱だから。

 

自分自身の真本音と

出会っていない人の

心は、

脆弱です。

 

弱い人に厳しくしても

潰れてしまいます。

 

しかし、

自身の真本音の想いや

願いに気づいた人は

まるで「大地」に

ガッシリと立ったかのような

安定感と強さを

得ます。

 

そうした人には

厳しくできるのです。

 

その厳しさが

具体的にはどのような

ものか?については

今回は触れませんが、

(もちろん、怒鳴ったり

するような類のものでは

ありません。)

 

その人の真本音が

求めている厳しさ

というものが

必ずありますので、

私はそこに素直に

お応えするのですね。

 

もちろん、

そういった厳しさは

本来私が行なうことではなく、

その組織を構成している

人達同士ができるように

なると本当に素晴らしいです。

 

そんな状態にすることが

私のサポートの

目的の一つですね。

 

美しい人が増え、

美しい人達が

さらに美しい人達を

育成していける。

 

そんな組織にするのが、

私のサポートの

基本です。

 

つづく

 

自分が自分に取り憑くんですよ

心の中で

「今、やろう」

と思っていることを、

実際の行動としては

「今、やらない」

という選択をしたとします。

 

心の「やろう」

行動の「やらない」。

 

行動というのは

私達の体を使って

行われますから、

言い換えれば、

 

心の「やろう」

体の「やらない」。

 

この不一致が起こることで

私達の

「一貫性」

は大きく損なわれます。

 

一貫性が

損なわれるということは、

歪みが起こる

ということ。

 

それにより、

私達の中には

大量のストレスが

発生します。

 

一貫性のなさによる

ストレスは、

実は

私達が発生させるストレスの

中でも

重度のものです。

 

ということはそれは

エンティティ化

しやすいということです。

 

「エンティティ」とは

ストレスが

反物質化したもの。

日本語では

生き霊

と訳されます。

 

しかしそれは

ほぼすべての人が

多かれ少なかれ

持っています。

 

エンティティが

多くなり過ぎると、

自分の生き霊が

自分に取り憑く

ことになり、

常に理由のない苦しみを

感じ続けます。

 

自分が自分に

取り憑く

・・・って、なんかもの凄く

意味のないことであり、

生産性の低いことだと

思いませんか?

 

しかし、

一貫性がなくなることで

誰もがそうなります。

 

しかも、

そのように自分自身の

エンティティに取り憑かれ

続けていると、

「それが普通の状態」

だと思い込むようになります。

 

エンティティは

苦しみだけを

自分に与えるのでは

ありません。

 

言いようのない

・不安

・憤りやイライラ

・倦怠感

・無気力

・悲しみ

・孤独感

・空虚感

などが常に発生し、

未来に向かうのが

億劫になり、

ほんのちょっとのことで

恐怖に苛まれるように

なります。

 

すると、

勇気が出なくなり、

挑戦することをやめ、

心で「やろう」と思っても

体では「やらない」という

選択をし、

ますます一貫性が

取れなくなるという

悪循環に入ります。

 

その循環から

抜け出せなくなっている人

は非常に多く、

その循環にいるのも関わらず、

毎日のお仕事に

がんばって向かって行く

という

とてつもなく辛い日々を

送っています。

 

よく喩えられる表現ですが、

まさしく

「ブレーキをかけながら

自転車を漕いでいる」

状態です。

 

・・・・・・

 

エンティティを

自ら浄化したり、

流したりする。

 

それも

セルフコーチング法の

一つです。

 

私はそのための方法を

できるだけたくさんの方々に

お伝えしたいのですが、

しかしその方法を

実践するためには

自分自身のエンティティと

向かい合わねばなりません。

 

そしてそのためには

エンティティと向かい合える

だけの自分に

ならねばなりません。

 

そのために最も

必要なことが、

自分自身の「真本音」を知る

ということです。

 

自分は

真本音で

何を願っているか?

 

自分は

真本音で

何を大切にしているか?

 

それらを

まずは言語化して

常にそれを「原点」とします。

 

その「原点」に

いつも立ち返ることで、

「これが本来の私だ」

という「感覚」を得ます。

 

この「感覚」が

大事です。

 

「感覚」を得られたら、

「本来ではない自分」の

感覚もわかるように

なります。

 

そうなって初めて

エンティティと向かい合える

ようになります。

 

本来の自分が

本来でない自分と

向かい合う

という感覚がわかれば、

エンティティはちっとも

恐ろしいものでは

なくなるからです。

 

そこまでの状態に

なるためのステップを

私はこれから

できるだけ多くの方々に

発信していきます。

 

このブログも

そうですが、

これまで行なったことのない

様々な発信法を

試してみるつもりです。

 

つづく

 

心の中が変わっただけでは進化とは言えない

私達は現実世界に

生きています。

 

現実世界に生きるとは、

この世界の空気を吸い、

この世界の様々な現実に触れ、

この世界で行動をする

ということです。

 

逆に言えば、

その実感がなければ、

それは「生きている」とは

言えません。

 

今年に入ってから

このブログでは

一貫したテーマとして

「次元を上げる」

ということについて

お話しさせていただいています。

 

次元というのは

「実在」レベルでのお話です。

つまりは、

心の中のお話です。

 

ところが、

どれだけ次元を高めたとしても

それを「現象」レベル、

つまりは現実レベルで

それが発揮されていなければ

それは、何も変わっていない

のと同じなのです。

 

つまりは、

「心の中」と「行動」の

一致をさせること。

 

「心の中の願い」と

「現実のカタチ」を

一致させること。

 

それをせずに、

心の中のみで

「私は次元が高まった!」

と喜んでいても、

それは自己満足に過ぎません。

 

次元の高まりを

実感できたのであれば、

それをすぐさま

行動に移すことです。

 

自分の振る舞いの

たった一つでもよいですから、

実際に変えることです。

 

もちろん、

次元が高まれば

無意識にそれが成される

ことも多いです。

 

自分の意識しないところで

自然に空気感が変わったね、

自然に振る舞いが変わったね、

自然に行動パターンが変わったね、

ということはあります。

 

しかし

私達には顕在意識があります。

 

この世で生きているのは、

顕在意識です。

 

顕在意識レベルでの

「意図」が

大事です。

 

私は、

ここが変化した。

こんな風に

次元が高まった。

だから、

私はこれから、

この私の想いを

このように行動に反映させよう。

 

・・・そんな「意図」が

大切です。

 

無意識に変化する部分と

顕在意識的に

変化させようとする部分、

それが一致した時に初めて

「脱皮」が成立します。

 

片方だけでは

成立しないのです。

 

「今の自分の状態」と

「理想の自分の状態」の

あまりのギャップに

悩む人が増えています。

 

ギャップがあるのは

当然です。

 

どれだけ「実在」レベルで

成長しても、

それを「現象(現実)」レベルで

実現するのは、

私達の顕在意識に

他ありません。

 

ギャップを感じるからこそ、

その気持ち悪さがあるからこそ、

私達は

行動を変化させることができます。

 

では、

私は、私の何を

変えれば良いだろうか?

 

・・・この問いを

常に大切にすることですね。

 

昨日の私と

今日の私が

同じであるはずはありません。

 

実際に、

実在レベルでも

この3次元世界においては

それは別物です。

 

以前のブログでも

書かせていただきましたが、

0.1秒前の自分と

今の自分と

0.1秒後の自分は

すべて別物なのです。

 

分離しているのです。

 

それが同じであると

思っているのは、

単なる「思い込み」にしか

過ぎません。

 

分離しているからこそ

できることがあります。

 

分離しているからこそ

チャンスがあります。

 

私達は

いつでも自分を

「変化」させることが

できるのです。

顕在意識を使って。

 

自分を本当に

成長(進化)させようと

思うのであれば、

本気で

「変わろう」

としてください。

顕在意識レベルで。

 

すると、

「実在」での変化と

「現象(現実)」での変化の

一貫性が

取れてきます。

 

それにより、

私達は本当に

望む方向に

変化できます。

 

心の中だけを

変えてもダメです。

 

行動を

変えなければ。

 

急速な次元の高まりを

しているあなたにこそ

お伝えしたい

メッセージです。

 

つづく

 

本当にほしいものは手に入る、のは本当です

「自分には力がないなぁ・・・。」

 

「もっとこういう力がほしいなぁ・・・。」

 

そんな気持ちが

心の底から芽生えたとしたら、

喜んでください。

 

なぜならその力は

必ず手に入るからです。

 

心の底から、・・・というよりも

魂から

「ほしい!」

と思えるものは、

必ず手に入るように

できているのです。

 

「ほしい!」という欲求は、

「これから私はそれを手に入れるよ」

という、

自分自身からのメッセージです。

 

覚悟の証です。

 

ただしその「ほしい!」は、

中途半端では

ダメです。

 

淀みのない「ほしい!」

であることが重要です。

つまりは、

真本音で思う「ほしい!」

ということですね。

 

真本音で「ほしい!」と

思っていることに気づいたら、

顕在意識の私達は、

「それを手に入れよう」

と決めましょう。

 

できるかどうか?

ではありません。

 

そんなのできっこない、

と思ったとしても、

決めてしまうのです。

 

結果が出るかどうか

わからない。

それを手に入れるための

行動ができるかどうかさえも

わからない。

まったく

自信がない。

 

・・・それでもよいのです。

 

ただただ、

「それを手に入れよう」と

決めればよいのです。

 

決める、

だけです。

 

もしその「決める」ことすら

できないのであれば、

「私はそれを手に入れる」

という言葉を

心の中で口ずさんでください。

1万回くらい。

 

いえ、

10万回口ずさんでも

よいです。

 

とにかく、

一日中、心の中で

口ずさんでください。

 

ある時、

あぁ決めれたな、

と思える瞬間が来ます。

 

真本音で「ほしい!」と

思っていることを、

顕在意識が

「手に入れよう」と

決めることで、

私達の中では

『一貫性』

が生まれます。

 

魂と心が

一本の方向性で完全に

結ばれた状態です。

 

それが起こると、

自然に私達の行動が

変わります。

 

意図せずとも、

その「ほしい!」ものを

「手に入れる」ための

今この瞬間の判断を

自然にするようになるのです。

 

それは、

ひらめきや直観として

認識されます。

 

「あっ、今こうしよう」

と淡々と思えるのです。

 

そうしたら

その通りに行動します。

 

一つ一つの行動は、

そんなに奇抜なことでは

ありません。

 

「今こうしよう」と

自然に思えることを

ただ淡々と、

一つずつ

積み上げていくだけです。

 

その継続により、

その「ほしい!」ものは

必ず「手に入る」のです。

 

継続が大事だ、

というのは本当です。

 

継続することで

大抵のものは

手に入ります。

 

ただしその継続の前には、

魂と心の一貫性が

大事であり、

そのためには

本気の「ほしい!」、つまりは

真本音の「ほしい!」

であることが大事なのです。

 

こんな力がほしいけど、

今の自分にはない。

悔しい。

本当に悔しい。・・・

 

もし本気でそう思えるのであれば、

喜んでください。

それはもう、

手に入ったも同然なのです。

 

つづく

 

融通の効かない人には一貫性がない

前回の記事で

「実在」と「現象」について

述べました。

(→前回記事)

 

私達人間が真の意味で

「自由である」

と感じられるのは、

この「実在」と「現象」が一致している時

です。

 

現実レベルで見て、

どれだけ自由な環境で

自由に動いていたとしても、

それが自分自身の「実在」の想いと

一致していなければ、

その人は決して自分のことを

「自由である」

とは感じません。

 

私はよく、

「実在の自分」

「現象の自分」

という言い方をします。

 

その表現を使えば、

「実在の自分に素直に生きている」

状態にあれば、

私達は「自由」を感じるのです。

たとえ、

どのような環境においても。

 

そして、

「実在の自分」と「現象の自分」が

一致していることを

「一貫性が取れている」

と言います。

 

ですからシンプルに言えば、

一貫性が取れている人は自由

です。

 

私はこの「一貫性」を

コーチングにおいては非常に

大事にしています。

 

ちなみに。

 

「一貫性」と「頑固」は

本質的に異なります。

 

「頑固」とは

一貫性の取れていない人の

振る舞いです。

 

一貫性の取れていない人が

自分を守ろうとするために、

融通が効かなくなり、

「頑固」になります。

 

「自我」と「自己」という視点から言えば、

(→【自我による発想など、たかが知れている】)

「頑固」とは、自分だけを守ることですから

「自我」によるものです。

周りとは分離しています。

だから、

周りに迷惑が及びます。

 

それに対して、「一貫性」とは

柔軟です。

 

「一貫性」の取れている人ほど、

周りの意見をよく聴き、

取り入れ、自分のものとすることが

できます。

 

「一貫性」の取れている人は、

何を大事にすれば良いか?

何を変えてはいけないか?を

本質的によくわかっています。

 

変えてはいけないものを

わかっているからこそ、

それ以外に関しては非常に柔軟に

なるのです。

 

「変えてはいけないもの」を

大事にするために、

あらゆるものを変え続けるのです。

 

そこに執着はありません。

 

組織やチームで言えば、

頑固な組織(チーム)か?

一貫性のある組織(チーム)か?

の見極めが非常に重要です。

 

さて。

 

そろそろ木村さんと弓江さんに

戻りましょう。

 

私は、

新規事業プロジェクトチームが

脱皮をするための、

戦略を見出そうとしています。

 

そのための二人コーチングです。

 

チームメンバーは

半分に減らされました。

しかしそれにより、

チームとしての調和性は上がっています。

 

きちんとした脱皮が成されれば、

チームの生産性は何倍にも

アップするでしょう。

 

脱皮段階は、

個人もチームも非常に不安定に

なります。

 

しかしその不安定こそが

大事です。

 

不安定を助長するくらいの方が

良い脱皮ができます。

 

そのためには、

不安定をさらに不安定にするための

刺激を入れる必要があります。

 

どこにどのような刺激を入れることが

最も効果的か?

・・・それが戦略です。

 

そしてその、刺激の入れ所とは、

チームとしての「実在」と「現象」の不一致点

であることが望ましいです。

 

「実在」と「現象」の不一致点を見出し、

そこを突くことで、

個人にとってもチームにとっても

良い意味での「崩壊」が起こります。

 

脱皮とはある意味、

これまでの自分を壊すこと。

 

壊すべきをちゃんと壊すことで、

これまで以上の「一貫性」を

手に入れることができるのです。

 

そして、

より「自由」になれます。

 

そういった意味で、

コーチとは時には「破壊者」であることが

必要です。

 

私は今、

「破壊者」であろうとしています。

 

つづく