可能性

可能性を語る前に

 

人には

無限の可能性が

ある。

 

・・・と

安易に言わないで

ほしいな。

 

それを言うなら、

もっともっと

自分自身のことを

知ってほしい。

 

理解して

ほしい。

 

少なくとも

自分自身と

向き合ってほしい。

 

人と

向き合い続けて

ほしい。

 

それをせずに

「人には無限の

可能性があるのだから」

と言うのは、

 

あまりに

無責任では

ないだろうか?

 

もちろん

無限の可能性は

あると思うよ。

 

でも、

その前に

あなた自身の

苦しみを、

 

あなたは本当に

わかっているの

だろうか?

 

あなた自身が

自分の可能性を

縛り続けている

という事実に

 

あなたは

気づいているだろうか?

 

自分の苦しみに

気づかない

ということは、

 

現実と

向き合っていない

ということでも

ある。

 

現実と

向き合わない人に

無限の可能性は

発揮されるのだろうか?

 

人は

深いよ。

 

本当に

深い。

 

人のことを

自分のことを

理解すればするほど

 

わからなく

なる。

 

自分を探求すれば

するほど、

より

わからないことが

増えてくる。

 

だから

本当に現実と、自分に

向き合っている人からは

傲慢な気持ちは

抜けていく。

 

自分のことは

自分が一番よく

わかっている。

 

とか、

 

あなたのことは

私が一番よく

わかっている。

 

とか、

 

そんな傲慢なことは

言えなくなるよ。

 

人には

永遠の深さが

あるからね。

 

その深さは

畏れをも

伴うものだ。

 

だから

本当に自分と

向き合うことは

怖いだろう。

 

でもその怖さを

乗り越えて

真摯に自分を、

 

そして人を、

 

見つめる人こそが

初めて

少しずつ

人間の持つ可能性の

凄さを

実感し始めるのでは

ないだろうか。

 

だから、

軽々しく

喋るな。

 

喋っている時間が

あれば、

 

本当にすべきことに

集中したら

どうだろうか。

 

あなたの動きを、

 

真摯な動きを、

 

待っている人は

たくさん

いるのだから。

 

つづく

 

日々の継続にかかっている

 

「あなた」の道のりは

あなたが思っている以上に

長くて、深い。

 

あなたの中は

智慧と洞察の

宝庫だ。

 

外に情報を求めることも

大事だが、

それはあくまでも

あなたの内にある

智慧と洞察を

思い出すための

きっかけに過ぎない。

 

あなたは

自分が思っている以上に

神秘であり、

自分が思っている以上に

冒険心に溢れている。

 

無限の智慧と洞察が

あるにも関わらず、

さらに広く、

さらに深く、

さらに遠くへ、

あなたは

行こうとしている。

 

そのあなたの意志を

まずは

あなた自身が

尊重することこそが

 

大切ではないか。

 

・・・・・・

 

あなたがあなた自身を

枠にはめて、

窮屈にし、

そこから出られなくして

いったいどうすると言うんだ?

 

せめてあなた自身は

あなたの味方で

あってほしい。

 

あなたの志を

誰よりも応援するのは

あなた自身で

あってほしい。

 

人には

可能性がある。

 

これは

どうしようもない

事実だ。

 

真理だ。

 

しかし。

 

その可能性は

信じたからと言って

明日すぐに開花する

ものではない。

 

特にこの3次元の世界に

おいては。

 

この世界で

可能性を開花させるのに

必須なことは、

 

「継続」

 

だ。

 

毎日、コツコツと、

だ。

 

それをせずして、

あらゆる可能性は

開花しない。

 

と思っておいた方が

いい。

 

あなたの中にある

智慧も洞察も

「継続」なくして

発現はない。

 

そのようにできているのが

この3次元世界の

「ルール」だ。

 

・・・・・・

 

かと言って

何でもかんでも継続すればいい

ということでもない。

 

自分自身の

真の「願い」と「使命」の方向に

こそ、

継続はすべきだ。

 

もし「願い」も「使命」も

わからないのであれば、

 

純粋に

しかし真剣に、

毎日自分に問うてほしい。

 

「今日は本当は

何をしたいか?」

 

「今日は絶対に

何をしてはならないか?」

 

「今は本当は

何をしたいか?」

 

「今は絶対に

何をしてはならないか?」

 

ここに真剣になり、

これを「継続」すれば、

 

自分の「願い」も「使命」も

いずれ必ず

観えてくる。

 

・・・・・・

 

日々をもっと

真剣に生きよう。

 

真剣に生きるとは、

自分の意志に基づいて

生きるということだ。

 

すべてその人の

「生き方」

にかかっている。

 

「生き方」

「結果」

に反映される。

 

その度合いが

極端に

高まっている。

 

それが

今、だ。

 

つづく

 

自信家になったら、危険信号

私達人間の真本音は、

自分自身に「的確な枠」をはめることを

大切にしています。

(→前回記事)

 

「無限の可能性」を発揮できないように、

わざと仕向けます。

 

自分に制限をかけます。

ストッパーをかけます。

 

その制限とストッパーに縛られる中で、

私達は、もがきます。

しかしその「もがき」は

非常に重要な「もがき」であり「試行錯誤」となります。

 

そしてその「もがき」の結果、

自ら「枠」を壊す瞬間がやってきます。

 

私はそれを

『脱皮』

と呼んでいます。

 

人は『脱皮』をすると、

ステージが一つ上がります。

次元が一つ上がります。

通常の成長(進化)とはレベルの違う

変化が起きます。

そして、まるで生まれ変わったかのように

新たな自分となります。

 

しかしその新たな自分とは、

これまでとは別人になるのではなく、

本来の自分に「一気に近づく」ということです。

 

人の成長(進化)とは

比例直線のように上がっていくわけではありません。

「階段状」に上がっていきます。

 

緩やかな進化の段階と、

一気にステップアップする段階と。

 

そのステップアップこそが、『脱皮』の瞬間です。

 

無限のステップアップをするために、

私達の真本音は、

今のステップに必要な「枠」を

自分自身に与えるのです。

 

ところが・・・。

 

この「枠」のはめ方を間違えると、

『脱皮』の瞬間は永遠にやってきません。

 

「枠」は

大き過ぎても、小さ過ぎても

ダメなのです。

 

自分にとって的確な枠をはめることこそが

重要であり、

それができているかどうか?を客観的に

観察するのがコーチの役割の一つです。

 

木村さんは、これが下手でした。

 

彼はもともと、自信家でした。

しかしその自信は、不安の裏返しでもありました。

 

俺が一番だ。

 

ということを証明するために、

常に自信のある自分を「演出」する必要が

ありました。

 

俺が一番、

・・・でなきゃ立っていられなかった、

のです。

 

そういった自信は、非常に不安定で、

何か一つのきっかけがあるとすぐに木村さんは

自信喪失状態に入りました。

 

すると今度は、

引きこもりに近い精神状態となり、

非常にウジウジとしながら

必要な行動を何もしなくなってしまいます。

 

物事が上手く行き出すと、自信家になり、

物事が頓挫すると、引きこもる。

これを繰り返していました。

 

このように、

「自信家」と「引きこもり」は表裏の関係にあり、

この二つを行ったり来たりするパターンの人は

かなり多いです。

 

そしてこういったパターンを持った人は一様に

自分自身への「枠のはめ方」が

下手です。

 

つまりは、

自信家の時は、枠を大きくし過ぎて、

引きこもりの時は、枠を小さくし過ぎるのです。

 

木村さんのその「下手さ」によって、

彼は、脱皮のチャンスを何度も逃しました。

 

しかしそれでも、彼は脱皮し続ける彼に

なっていくのですが。

最初の頃は大変でした。

 

彼はある日突然、私に向かって

「私はプロのコーチになります」

と宣言されたのです。

 

つづく

 

自分の可能性は無限? それはハッタリです

このブログをお読みいただいている皆さんは、

自分自身の可能性について

考えたことがあるでしょうか?

 

恐らく、「ある」と答えられる人が

ほとんどだと思います。

 

では、「可能性」とは何でしょうか?

 

可能性とは、無限でしょうか?

それとも、有限でしょうか?

 

今回は、

可能性とは「有限」です、

というお話です。

 

現在このブログでは、

木村さんストーリーをご紹介しています。

(→前回記事)

 

彼はこの後、すごい活躍をすることに

なるのですが、

その彼の活躍の「本質」をお伝えするためには、

その前提として、

どうしても明らかにしておかねばならないことが

いくつかあります。

 

その第1回目が今回である、

という位置付けです。

 

それが、

「可能性とは有限である」

ということなのですが、

ただ、その「有限」の意味が重要です。

 

「有限」という言葉を辞書で調べますと、

「限度・限界のあること」

とあります。

 

私達人間は、自分自身に対して

限度と限界を設ける

という特性を持っています。

 

必ず、自分自身を「枠」にはめるのです。

常に、

今の自分に見合った限度と限界を設定

するのです。

 

これは、私達の真本音の意図です。

 

ですので、よく

「私の可能性は無限です!」

といった言葉を使う人がいますが、

その言葉を放つその人自身の空気感には必ず

不自然・無理

が伴います。

 

つまりは、

ハッタリでそう言っている

ように感じ取れます。

実際に

ハッタリに過ぎません。

 

私達の真本音は、

自分自身に限度と限界を設けることを

非常に大事にしているからです。

 

なぜ限度と限界を設けることを大事にするか?

と言いますと、それは、

自分自身の無限の可能性を発現するため

なんです。

 

なんか、変な言い方になってますが、

これが本質です。

 

つまり、私達人間は、

その時その時の自分に対して的確な限度と限界を

設定することで、結果的に

自分自身を無限に進化させることができる

・・・ということになります。

 

ですから、

今の自分は、自分自身にどのような限度と限界を

設定しているか?

を理解することが、「超」がつくほど重要です。

 

ここを誤ると、

物事の進展が、極めて遅くなります。

 

私達は、自分自身が設定している限度と限界に

即した生き方や、目標設定の仕方をする

ことが大切なのです。

 

つまり、「限度と限界」とは

私達人間にとって、無限の進化を持続するためには

なくてはならないもの

なのです。

 

ですから、次の問いがとても重要であり、かつ

必要です。

 

「私は今、どのような限度と限界を

自分自身に設定しているだろうか?」

 

そして、

 

「私は今、どういった限度と限界の枠の中で

物事の発想をすることが必要だろうか?」

 

という問いです。

 

わかりやすく喩えるならば、

例えば、2歳の幼児がいたとして、

その子に、

「君には無限の可能性があるから

自由に自分のやりたいことを発想して

行動しなさい」

と言っても、危険極まりないし、第一、

本人には意味がわからない

ということです。

 

ですから私達はその2歳の子に枠をはめます。

例えば、公園にその子を連れて行き、

「この公園の中は安全だから、

好きなことをしてもいいよ」

と伝えます。

 

その子は、公園という守られた枠の中で、

自由に遊び、その遊びを通じて、

自分の意志を育てて行きます。

 

要するに、そういうことです。

 

私達の真本音とは、喩えて言えば、

自分自身の「親」であり、「師匠」と言ってもいいかな、

と思うことがあります。

もちろん、真本音とは「本来の自分自身」であるのですが、

「本来の自分」と「今の自分」が

あまりにもかけ離れている場合は、

それは「親」であり「師匠」である、と捉えた方が

受け取りやすくなるケースが多いのです。

 

真本音という「親」「師匠」は、

私達自身を最速で、しかも、一歩一歩着実に

育てようとしています。

 

そのためには、

最初からいきなり、「無限」を提示し、

何の枠もない中で、「自由にしてごらん」とは

決してしないものです。

 

きちんと的確な「枠」を設定し、

その「枠」の中で自分を育て上げ、

その「枠」での「自由」を手に入れたら、

その「枠」を壊し、

さらに大きな「枠」を設定し、その中での

「自由」を学ばせる。

 

・・・そんなことをするのです。

 

ですから、

私達人間に必要なのは、

「的確な枠」

であり、それを最もよくわかっているのが、

私達自身の真本音

だということになります。

 

逆に言えば、

その人は今、的確な枠の中にいるだろうか?

という視点でその人を観察し、

枠が小さ過ぎれば、その枠を外し、もっと大きな枠を設定する、

枠が大き過ぎれば、もっと小さな枠の中にあえて入れる、

というサポートが必要です。

 

そういった的確なサポートができる人こそが、

「コーチ」だと思うのです。

 

特に私は、木村さんにはその視点を

大事にしていました。

 

なぜなら、彼は

「枠設定」

が非常に苦手だったからです。

 

つづく