毅然

もう、心はそのままでいいよ

 

私達は人間だから、

いろんな心が

ある。

 

この心は好きだが、

この心は嫌い。

 

できれば

こういった考え方に

縛られる自分からは

卒業したい。

 

こんな風に感じて

こんな風に思ってしまう

自分は

本当に嫌だ。

 

・・・というように、

自分の望まない心達は

私達の中には

無数に存在するだろう。

 

傲慢な自分。

 

情けない自分。

 

後ろ向きな自分。

 

いい加減な自分。

 

勝手な自分。

 

・・・いろんな自分が

いる。

 

もう、

いいじゃないか。

 

そういった自分の

ことで

悩み続けるのは。

 

そういった

気に入らない自分を

どうにかこうにか

しながら

消そう、とか

コントロールしよう、とか

 

そういったことで

悩み続ける時間は

もう、

いいじゃないか。

 

私達は

人間なのだから。

 

いろんな心が

あるのが

人間なのだから。

 

あるがままで

良いではないか。

 

それよりも。

 

もっと大事な

ことがあるだろう?

 

私達が

すべきことが。

 

正確に言えば、

本当に心の底から、

魂から

したいことが。

 

自分との

約束が。

 

人生の

目的が。

 

「こんな自分だから

まだダメだ」

 

「まだまだ未熟だから

私は進めない」

 

「もっと精進してから

人生の目的に

向かうんだ」

 

という声を

本当によく聴くが、

 

はっきり言うが、

その時点でもう

間違ってるよ。

 

自分がここにいる

ということを、

 

人間として

ここに存在している

ということを、

 

もっと

毅然と見つめて

ほしい。

 

心は、

いろんな心が

発生するようにできている。

だから、

どんな心が

発生したって

それでいい。

 

それと

「進めない」

というのは

まったく別のことだ。

 

自分に自信が

ないから

毅然とできない。

 

というのも

本当はまったく

関係のないことだし、

 

自分が嫌いだから

毅然とできない、

というのも

関係ないのだ、

本当は。

 

私達は

今すぐにでも

毅然と立つことは

できるんだ。

 

毅然と

進むことは

できるんだ。

 

その事実から

目を逸らし続けている

その姿勢こそに

 

大きな問題が

あるんだ。

 

あなたの中に

揺るがぬ願いが

あるだろう。

 

それは、

心がどのような状態に

なったとしても

関係なく

揺るがないままで

あるだろう。

 

それを

大事にしようよ。

 

それが

本来のあなた

なのだから。

 

心は、

大事にしよう。

 

大事にする、

とは

「どんな心があっても

いいや」

いい意味で諦める

ことだ。

 

すべてを

存在承認することだ。

 

あるがままに

すること。

 

それが心を

大事にするという

こと。

 

それさえ

できれば、

 

進め!

 

進みたいのだろう?

 

なら、

進め!

 

毅然と。

 

つづく

 

臆病にならず毅然と進もう

 

最近、

真本音度合いが

高まった方々から、

ある共通のご相談を

いただくように

なりました。

 

皆さん、

同じことを

言われます。

 

「最近、

不調和が多いのです。

私の真本音度合いが

低まってしまっている

のでしょうか?」

 

いいえ。

 

むしろ、逆です。

 

あなたは

さらに加速を

しているのです。

 

これまでに

経験したことのない

加速に

入っています。

 

すると多くの場合、

これまで

経験したことのない

「調和の仕方」

が起こるように

なります。

 

それが一見すると

不調和に

見えてしまっている。

 

という、

ただそれだけの

ことです。

 

ですから、

私がお伝えしたいのは、

 

不調和を感じる

からと言って、

自信をなくし、

臆病になり、

腰が引け、

真本音で進むことを

躊躇するように

ならないでください。

 

ということです。

 

・・・・・・

 

いつも

申し上げることですが、

 

自信がある

とか

自信がない

とかは、

 

真本音の歩みには

いっさい

関係がありません。

 

物事が

上手く行こうが、

上手く行くまいが、

いっさい

関係ありません。

 

物事が

上手く行くから

真本音で進む、

 

となった時点でもう

それは

反応本音の歩み

です。

 

状況に

揺らされている

わけですからね。

 

もちろん、

真本音も

状況や現実は

大切にします。

 

自分の理想通りに

進めよう

というのが

真本音ではありません。

 

状況や現実は

大切にしますが、

それに揺らされる

ことは

ありません。

 

自分の想いも理想も

大切にし、

かつ

状況も現実も

大切にし、

 

すべてを大切にした

最善の一歩を

踏み出す、

 

というのが

真本音の求める

ことであり、

真本音の意志

です。

 

それをすることに

毅然

としていて

ほしいのです。

 

すると、

不調和だと思って

いたことが、

実は、

これまでに経験した

ことのないような

素晴らしい調和の形

の一つ

であることが

わかってくるでしょう。

 

・・・・・・

 

よくよく考えますと、

調和とか

不調和とか、

それ自体を私達は

自分の解釈(思考)で

決めつけています。

 

これまでと同じ

スピードで進む人は、

ある意味、

自分の解釈での範疇の

調和は

続くでしょう。

 

しかし、

これまで以上に

加速しようとする人には

これまでに

見たことのない

新たな世界が

新たな次元が

展開します。

 

新しいものは

確かに少し(いや、だいぶ?)

怖いかもしれません。

 

しかしその怖さ

そのものも

感じ、味わいながら

進みましょう。

 

自分の世界を

広げるのです。

 

毅然と

進むのです。

 

あなたの真本音は

それこそを

望んでいるのですから。

 

つづく

 

応援しています

 

自己犠牲は

決して

美しいとは

思いません。

 

でも、

 

どのような時にも、

誠実に

人と向き合い、

自分がどのような

状態であっても、

ただ、

目の前の人に

すべてのパワーを

注いでいく。

 

そんな潔さを

私は

美しいな、と

思います。

 

一日を終え、

すべてのパワーを

使い切り、

ボロボロの状態で

倒れ込むその姿は、

決して格好いいものでは

ないけれど、

 

でもその生き方に

私は

美しさを感じます。

 

自己犠牲では

ここまでのことは

できません。

 

自己犠牲とは

自己満足だから。

 

人は、

どこかで自分自身の

ことを

とてもよく

わかっています。

 

自分が本当に

潔く生きているか、

そうではないか。

 

潔く生きている人は

自分自身を

毅然と見つめることが

できます。

 

人を毅然と

見つめることが

できます。

 

そして、人を

毅然と助ける

ことができます。

 

人を助ける、とは

本来

自己犠牲ではなく、

 

自分自身をも

助けることに

なります。

 

人に対する

救いの手は、

自分自身に対する

救いの手でも

あるのです。

 

だから、

救う時は

全力で救う。

 

救ってはならない時は

決して

救わない。

 

その判断を

毅然と下すその

生き方が、

私は美しいと

思います。

 

やはり、・・・

 

人は美しく

あってほしいと、

私は願います。

 

あなたの

ように、ね。

 

つづく

 

自分の中心軸と対話しよう

 

自分自身が、

「白い炎」の中に

いるイメージを

してみてください。

 

白く燃えさかる炎

です。

 

普通の炎は

その中に入ると

焼かれてしまいますが、

白い炎は

その中に入ることで

すべてが

洗い流されます。

 

あなたの心や

体の中に

残っているストレスや

苦しみや淀みや

歪みや、

余分なもの達。

 

それらが

白い炎で

どんどん蒸発、

浄化されて

いきます。

 

しばらくその炎の

中で、

浄化されていく

気持ち良さを

味わっていてください。

 

白い炎に

包まれる内に、

あなたの体は

どんどん

ピカピカになって

いきます。

 

より若く

ピチピチに

なっていきます。

 

生命力に

溢れてきます。

 

あなたの体

だけでなく、

心も魂も

ピカピカになって

いきます。

 

ここまでの疲れが

ウソのように、

新鮮な空気感が

あなた自身から

発せられるように

なります。

 

まるで

シャワーを浴びた

後のような

気持ち良さ。

 

それを

充分に感じるところまで

続けてみてください。

 

・・・・・・

 

白い炎によって

清々しくなったところで、

その炎からは

出ます。

 

今度は

目の前に

たった一本の

「花」

を思い浮かべます。

 

その「花」は

たった一本ですが、

とても

凛としています。

 

茎はシュッと

まっすぐに伸び、

花びらなどは

あなたが最も好きな

色や形を

イメージしてください。

 

派手すぎず、

地味すぎず、

あなたらしく、

居心地よい花。

 

しかもそれは、

凛としており、

毅然としており、

堂々としています。

 

しなやかで

強い。

 

揺るがないけど

柔らか。

 

そのような「花」を

イメージします。

 

その「花」と

向かい合って

ください。

 

その「花」は

あなたの「中心軸」

そのものです。

 

じーっとしばらく

向かい合って

ください。

 

あぁこの「花」は

私自身だな、

私の「毅然」そのもの

だな、

と思えたら、

「花」に問うてください。

 

「今の私に

メッセージはありますか?」

と。

 

そして

「花」のメッセージを

聴いてください。

 

そしてさらに、

 

「今の私は、

何かから

目を逸らしていませんか?」

 

「今の私が、

もっとしっかりと

向き合うべきものは

ありますか?」

 

「今の私が

最も意識すべき

課題は何でしょうか?」

 

「今の私が

もっと真剣に

目指すべきものは

ありますか?」

 

「今のままの私で

私はあなたのように

なれるでしょうか?」

 

・・・そのような

問いを投げ、

あとはじっくりと

向かい合ってみて

ください。

 

問いの答えが

自然に浮かんできたら

それをぜひ

メモに取り、

今度はそれらの

「答え」達と

向かい合ってみてください。

 

あなたの「毅然」が

あなたにメッセージ

することは、

あなたの真本音からの

メッセージに

他ありません。

 

本来の

自分自身からの

メッセージ。

 

ぜひ

大切にしましょう。

 

つづく

 

反応の一歩ではなく、毅然の一歩を

どんなに混沌とした

現実の中でも、

次の一歩

次の一歩

を一つずつ、

真本音で踏み出し続ければ、

必ず道は

開かれて行きます。

 

そしていつの間にか、

あれだけ混沌と混乱を

感じていた物事が

実は極めてシンプルな

原因の反映だったことが

わかるようになります。

 

シンプルな原因とは

これまた逆に

シンプルが故に

解決の難易度が

高く感じられますが、

しかし毅然とその原因に

向き合い続けることが

また大切です。

 

毅然と向き合い、

そして

次の一歩を

真本音で決める。

 

その連続で

道は開かれて

行きます。

 

そして気がつけば、

あれ?

何が問題だったっけ?

と、

知らぬ間にその問題を

くぐり抜け、

いつの間にか次の課題に

取り組んでいた

ということも少なくありません。

 

複雑な問題を

より複雑にさせてしまうのは、

目の前に現実に

揺らされてしまった

反応としての

次の一歩です。

 

要するに、

反応本音による

一歩です。

 

それは次の新たな

反応を呼び起こします。

 

反応に反応し、

また次の反応を起こし、

また反応する。

 

反応のループ。

 

それにどっぷりと

浸かってしまうと、

いつまで経っても

出てこれません。

 

下手をすると、

そのループの中に

いるままで、

人生を終えてしまうことも

あります。

 

反応のループから

抜け出ること。

 

抜け出るには

抜け道をしっかり

見つける必要はなく、

反応に踊らされない

毅然とした一歩を

踏み出すこと。

 

次の一歩が

わかればよいのです。

 

それが

真本音の一歩であり、

それを続ければ、

だんだんと

遠くを見通せるように

なります。

 

そのためには、

自らの真本音の意思を

自らが

理解できること。

 

自覚できること。

 

それが

セルフコーチングの

重要な目的の

一つです。

 

・・・・・・

 

では、

 

『セルフコーチングを使った

良い後悔の仕方』

 

の続きをいきましょう。

 

後悔の念としっかり

向き合った上で、

今度は

真本音との対話に

入りました。

 

真本音の場所を特定し、

その声を聴くという

ところです。

(→【あなたの中心核はどこだろう?】)

 

「ここまでの

私と、私の後悔の念との

対話を聴いていて、

どんなことを思った?」

 

そんな問いを

真本音に投げ、

その答えが返ってきたら、

次の問いを投げます。

 

それは、

 

「君が願っていることは

何だろう?」

 

です。

 

「君」というのはもちろん、

真本音のことです。

 

真本音とは

自分自身ですが、

やはりここでも

まるで他人のように

会話をするのがポイントです。

 

ここで言う

「願っていること」というのは、

後悔したその出来事について

願っていること、

という意味です。

 

例えば、

Aさんとのやりとりで

後悔するような一言を言い、

Aさんとの関係が

崩れてしまった、

とします。

 

その後悔の出来事について、

自分の真本音は

何を願っているか?

ということです。

 

例えば、

 

「Aさんとの関係を

何としてでも改善したい」

 

とか、

 

「Aさんとの関係が改善するか

どうかは別として、

あの一言については

きちんと謝罪したい」

 

とか。

 

そういった、

今後の自分の行動に関する

方向性や

具体的な行動が

答えとして返ってくることが

多いと思います。

 

それは、

本当に会話をしているかの

ように、

「声」として返ってくることも

ありますし、

答えが自然に心の中心核から

浮上してくることも

あります。

 

私の場合、

時と場合で両方あるのですが、

答えが浮上してくる時の感覚は

何とも言えない

いい感覚です。

 

その感覚を表現すれば、

一番近い言葉は

 

「思い出す」

 

でしょうか。

 

まるで忘れていたことを

思い出すかのような感覚で

答えが浮かび上がってきます。

 

あぁそうか、

確かにそうだった、と

合点がいくかのような

感覚で、

その答えに一切の

迷いはありません。

 

それを私は

「直観」

とも呼んでいます。

 

直観とは要するに

真本音からの答え

なのです。

 

しかし慣れないうちは、

すぐに真本音の答えを

キャッチできないかも

しれません。

 

その場合は、

何度も問いを自分に投げ、

答えを待つ、

ということが基本ですが、

もう一つお勧めの方法を

お伝えします。

 

それは、

あえてもっと根本的な問いを

真本音に投げてみる、

ということです。

 

先程の

「君が願っていることは

何だろう?」

という問いは、

後悔した出来事に関する

願いを訊いていました。

 

しかしもっと

根本的な問いに

変えてみるのです。

 

例えば、

 

「君が人生において

いつも願っていることは

何だろう?」

 

などのように。

 

根本的な問いにする方が

答えは難しそうな印象ですが、

根本的な問いは

答えが抽象的になりやすく、

真本音の場合は

そういった抽象的な答えを

掘り起こす方が

難易度が低くなるのです。

 

根本的な問いを投げ、

たった一つのキーワードで

よいですから

キャッチしようとします。

 

「君が人生において

いつも願っていることは

何だろう?」

 

すると例えば、

 

「楽しさ」

 

というような

キーワードが浮かんだり

します。

 

すると、それを使い、

 

「では今回も、

楽しさを大事にすると、

君は、今回の出来事について

何を願う?」

 

というように問います。

 

すると

「楽しさ」という言葉が

アンテナの役割を果たし、

真本音からの答えを

キャッチしやすくなるのです。

 

この特性を活かし、

私は初めて真本音と対話を

する人については、

「真本音の人生理念出し」

というセッションを

行ないます。

 

「自分はどんな時も

どんな生き方を大事に

したいか?」

 

を真本音に問い、

キーワード化します。

 

それを「人生理念」と

呼ぶのですが、

この人生理念をアンテナにして

常に真本音と

対話をしてもらうように

するのです。

 

真本音との対話で

気をつけていただきたいのは、

真本音と対話をしているつもりで、

実は単に頭の中で

解釈を繰り返しているだけ、

という人がいます。

 

頭の中の思考や解釈と

真本音との対話は

根本的に異なる行為です。

 

この区別がつくように

なることが、

セルフコーチング力を高める

最初の関門です。

 

つづく

 

強みを使わない生き方なんて

人は、生まれ持った強みを発現することで

ある意味、非常にニュートラルで自然体になれます。

 

特に何かを意識して無理矢理に物事を進めるのではなく、

自然に淡々と、まるで当たり前のように

物事を進展させていくことができるようになります。

 

ある中小企業の女性経営幹部の中原さん(仮名)の

生まれ持った強みは、

『毅然』

でした。

(→前回記事)

 

しかし彼女は、それをこれまでの人生でまったく

活かしてこなかったどころか、『毅然』とは真逆の生き方を

し続けていました。

 

そしてその生き方をすることで、

彼女なりに物事を上手く進めていたのです。

しかし、本来自分に存在しているはずの強みを使わずに

生き続けるというのは、ストレスを生む行為です。

 

ですから出会った頃の中原さんはとても疲れていました。

リーダーとは疲れるものである。

リーダーとは疲れてなんぼのものである。

というのが、中原さんにとって当たり前のことだったのです。

 

ところが。

生まれ持った強みである『毅然』を発現できるようになってから

彼女の日々は劇的に変わりました。

まず変わったのが、彼女の「疲れ方」です。

 

以前の中原さんは、

自分の本来望む在り方とは異なる在り方をすることで

発生するストレスでいっぱいでした。

つまり、ストレスを自ら生じさせている状態でした。

 

しかし今の中原さんには、

これがまったくありません。

 

それによってどうなったかと言いますと、

自分のストレスではなく、他者のストレスを直に

感じ取ることができるようになりました。

 

今、誰がどのようなストレスを生じさせているのか?を

ありありを知ることができるようになり、

適宜、対策を打つことができるようになりました。

 

しかも彼女の『毅然』とは、

他者に安心感をもたらすものでした。

いえ、彼女だけでなく、本来の『毅然』とはそういったものかも

知れません。

 

例えば、仕事で何か問題を起こした社員さんが慌てて

中原さんのもとに相談に来たとします。

以前の中原さんは、その社員さんの動揺をそのまま受け取ってしまい、

自分自身も動揺しながら、自分がその処理をする

というパターンを持っていらっしゃいました。

 

ところが今の中原さんは『毅然』としています。

何があっても動揺しません。

社員さんは、そんな毅然とした中原さんの前に来るだけで、

どことなく心が安定します。

そして冷静になって、どのような問題がなぜ起きたのか?

どのように対策すればよいか?を自ら考えることが

中原さんの前に来るとできるようになりました。

 

中原さんは、その社員さんが自らその問題に対して

向かっていけるようにアドバイスをするだけです。

 

これをすることで、多くの問題について

「社員が自ら解決できるようになりました」と

中原さんは言われます。

逆に言えば、

「これまでは、私がやり過ぎていました。

だから社員が皆、私に甘え、私に依存するという悪循環が

起きていました」。

 

中原さんの『毅然』は素晴らしく、

社長でさえ、中原さんの『毅然』を浴びるようになりました。

つまりは、

社長が何かの経営判断に迷った時に、

まず社長は中原さんに相談をするようになりました。

 

社長の相談に対して、中原さんが何か具体的な答えを

出される訳ではありません。

ただ、中原さんの『毅然』とした空気感を浴びることで、

社長ご自身の心が安定し、自然体に戻り、

良い発想が浮かぶようになるそうです。

 

中原さんの『毅然』とは、言葉を変えるならば

『中心軸』と言ってもよいでしょう。

 

私達人間は、真の中心軸を持った人と向き合うと、

非常に心が安心・安定します。

それは、揺るがない大地に降り立ったような安定感です。

 

そして私達人間は、中心軸を思い出し

心に安定感を得ると、「最善の発想」「最善の答え」を

得ることができるようになります。

 

今の中原さんの口癖は、

「私は何もしていないんですけどね」

です。

 

彼女は、何もしてないのに、彼女と向き合う人は

自分自身の「最善の答え」を見つけ出すことができるように

なります。

 

その効果と影響はどれだけのものか?

それは測り知れないですね。

 

さて。

 

ここまで例に挙げさせていただいた中原さんですが、

これは、約6年前のお話です。

 

今も私は中原さんのサポートをさせていただいています。

が、それは不定期です。

中原さんが、「今、コーチング受けたいな」と思われた時点で

呼んでいただく、という。

 

その頻度は年々少なくなり、今は何ヶ月かに一回お伺いする

くらいです。

 

先日、久しぶりに中原さんに呼ばれてお会いしました。

 

この6年。

実に様々なことがありました。

中原さんの会社も、何度も脱皮をしました。

売上規模で言えば、6年前の数倍になっています。

しかしその道のりは決して楽なものではなく、

挑戦するが故の経営危機に何度も陥りましたが、

その度に彼女の『毅然』が社長や社員さん達を助けて来ました。

そんな道のりをずっと私は拝見して来ました。

 

先日お会いした時に、中原さんは私にご報告してくださいました。

 

「実は、弊社の新しいグループ会社を立ち上げることに

なりました。

私がその社長をさせていただきます。」

 

「中原さん、ついに社長ですか!」

 

「はい。私が社長になるなんて思いもよらないことでしたが。

でも、私は私流のリーダーシップを発揮していきます。」

 

「中原さん、6年前に私と出会った頃のご自分を

覚えていらっしゃいますか?」

 

「6年前ですか・・・。

もう忘れてしまっていましたが、今から振り返ると、

あの時の自分は、閉じてましたねぇ。(苦笑)

あの時の自分は、自分ではなかったです。

何か借り物の洋服を身につけて、自分ではない何かを

演じていたような気がします。

あんな疲れる生き方は、もうしたくないですね。」

 

そう言われて、中原さんはニッコリされました。

 

このニッコリに、どれだけ多くの人達がこれまで

力をもらって来たのだろう、と私は思いました。

 

人には、生まれ持った強みが

必ずあります。

 

しかし残念ながら、それを本当の意味で

活かしている人は稀です。

 

新たに創り出す強みではなく、

もうすでにここにある強みなのに。

それを使っていないのです。

 

本当にもったいないことです。

 

私達は、私達にもともと備わっている力を

使い切りたいものですね。

 

自分のためにも。

周りのためにも。

 

たった一人でも組織活性化は成る

この記事は、人の強みについて

書かせていただいております。

 

人の強みには後天的なものもありますが、

先天的なもの、つまりは「生まれ持った強み」

もあります。

 

とてももったいないことですが、

生まれ持った強みを日常的に、そして意図的に

活かしながら生きている人・仕事をしている人は

稀です。

 

私がコーチングをさせていただく場合は、常に

このクライアントさんの生まれ持った強みは何だろう?

という視点を持ち続けます。

そして、

それを掘り起こすための「スイッチ」を見つけ、

最善のタイミングで、そのスイッチを入れます。

 

そんな例として、ある中小企業の経営幹部の

中原さん(仮名)の件を書かせていただいています。

(→前回記事)

 

私は、中原さんの「スイッチ」は

『自己中心に生きること』

であると気づきました。

そしてそれを彼女にお勧めしました。

 

中原さんは「自己中心に生きる」ことに挑戦し、

その結果として驚くような成果をもたらすようになりました。

 

「自己中心」と言うと一般的には「わがまま」という

イメージがあります。

自己中心に生きることで、周りとの協調性が失われ、

確執や争いや不調和が起こるイメージですね。

 

一般的にはそうかもしれませんが、しかし

中原さんにとっては全くの逆でした。

 

中原さんはこれまで

「まずは自分を抑え、他者を主にした関わり」

を取り続けてきました。

それにより、確かに物事はうまく進展してきたかも

しれません。

しかしそれは、中原さんが本当に望んでいた生き方では

ありませんでした。

それどころか、

その生き方は、中原さんの生まれ持った強みとか

本来の個性を打ち消してしまっていました。

 

中原さんは自己中心になることで、

『毅然』

を手に入れることができました。

それこそが、彼女の「生まれ持った強み」だったのです。

 

面白いことに、

生まれ持った強みを発揮しているとき、

その本人は、「強みを発揮していること」自体を自覚しません。

あまりにもそれが「自然な振る舞い」だからです。

 

ですので、私は中原さんにフィードバックをする必要が

ありました。

 

「自己中心」が板についてきた頃合いを見計らって

私は彼女に告げました。

 

「中原さん、今の中原さんがどんな雰囲気か、

フィードバックしてもよろしいですか?」

 

「えっ? はい。どうぞ。」

 

「今の中原さんは、『毅然』を絵にしたような

立ち振る舞いですよ。」

 

「えっ? そうなんですか。全然自覚ありませんが。」

 

「でも、言われれば、お分かりになるのでは?」

 

「はい、そうですね。

今の私は、どんな状況があっても、まったくブレることが

ないような気がします。」

 

・・・と彼女は、淡々と断言されました。

 

これも、生まれ持った強みが発現し始めた人の特徴です。

 

恐らく以前の中原さんに同じ内容のことをフィードバックしたと

したら、

「いえいえ、とんでもありません。毅然だなんて。

そんなすごい私ではありません。」

というような、拒絶が返ってきたと思います。

 

しかし、生まれ持った強みが発現し始めると、

その人は自分を客観視できるようになります。

良いところは良い。

素晴らしいところは素晴らしい。

しかし、ここか次の課題である。

というように、淡々と自分を語ることができるようになります。

 

「中原さん、コーチングを始めた時点の状況と今の状況を

客観的に比べていただきたいのですが、

社員さん達の、中原さんへの関わり方は何か変化がありますか?」

 

「そうですね。

今から思えば、ですが、以前の社員は皆、私に甘えていたと

思います。

何があっても結局は、中原がなんとかしてくれる、というような

依存心があったと思います。」

 

「それが今は、どのような状態ですか?」

 

「今は、私に依存しようとすれば、私はその社員をすぐに

叱ります。

もしくは、時には無視します。

無視、というとひどいことのように思われるかもしれませんが、

必要以上に関わらずに、見守るだけの状態にします。

なので、誰も私には依存しません。」

 

「その結果、どうなりました?」

 

「みんながんばってますよ。(笑)

以前よりも格段に主体性が増したと思います。」

 

「生産性はどうですか?」

 

「数字にして見なければわかりませんが、

私の印象だけで言えば、2倍、まではいきませんが、

1.5倍くらいはいっている印象です。

これまでは私は一人でいろいろ抱えてましたから。

今は、社員に全部任せています。」

 

実は、当初私は、この会社の社員さん達の

チームコーチングを行なう予定でした。

実際に社長にはそのようなご提案をしていたのですが、

中原さんのおかげで、その必要がなくなってしまいました。

 

私は、中原さんのサポートだけをすれば

よかったのです。

 

この会社に関わり始めた当初、私は

中原さんが生まれ持った強みを発現すれば、

それが組織全体の活性化に直結するだろう、

と踏んでいたのですが、

私の想像以上にそういった展開となり、非常に楽でした。

 

組織活性化のためには、

その「要(かなめ)」となる人の活性化が不可欠である

ということを、私は改めて実感しました。

 

では、中原さんの生まれ持った強みである『毅然』とは

実際には、どのような形で

組織で活かされているでしょうか?

 

その辺りを次回でさらにご説明します。

 

 

つづく